第11話 案内

 幸運にも御者たちの腕が良かったらしく馬車同士が激突するだの、道沿いの店に突っ込んでしまうだのといったとんでもない事態は避けられたようだが、あおりを受けて転んでしまった人やぶつかり合ってしまった人などは幾人もいて、あちらこちらから悲鳴が聞こえていた。


 場所が場所な上にこの騒ぎの大きさだ。それほどの時間を要さずに衛兵などが集まってくることだろう。

 そういう訳で、この場を離れたとしても問題はないのだろうが……。


「ごめんね、イズナ君。さっきの貴族のこともあるし、ここから離れておいた方がいいのかもしれないのだけど……」


 シシル嬢としては怪我をした人々の様子が気になってしまっているようだ。


「気にしないでください。この街に来たばかりの俺とは違って、シシルさんは知り合いも多いだろうし」


 加えて、冒険者協会の受付嬢という立場的にも、怪我人を放置しておくのは具合が悪いだろう。

 もっとも、彼女はそんなことを欠片も考えてはいないようだったが。


「まずは怪我の状態の確認からかな。可能であれば、簡単な手当てだけで済む人、回復薬が必要な人、それ以上の重傷者くらいには別れておいてもらいたいところだな」


 回復魔法があるためか、この世界の医療技術は低い。ところが魔法と同様に外傷に関しては反則的な性能を誇る薬類が存在していて、大抵の怪我であれば回復薬をぶっかけておけば一両日中に直ってしまうというとんでもない世界でもある。

 これもゲームであった頃の名残、なのかもしれない。

 その一方で病気の場合はなぜだか一般的な回復薬では効果がない、もしくは著しく効果が薄くなってしまうため、回復魔法イコール万能ではなかったりもする。


 手近にいた人から順に声を掛けていき、怪我の程度を確かめていく。

 馬車や馬に巻き込まれたという人はおらず、驚いて転んでしまったという人がほとんどで、手当てすら必要がないような、いわゆる「唾つけときゃ直る」擦り傷だけという人が大半だった。

 しかしながら中には運の悪い人もいて、転んだ拍子に店の軒先の柱に頭をぶつけて気を失ってしまったとか、豪快に足を捻ってしまったといった症状も見受けられた。


「頭を打ってしまった人は無理に動かさず、その場で安静にさせておくんだ」


 ちらほらと鎧を着た衛兵らしき連中が集まりだしていて、複数の怪我人がいるという情報も伝わっているはずだ。

 そろそろ治療師たちも招集されている頃合いだと思われる。医療技術は低くとも彼らの経験則は侮れないものがある。よって実際の治療は彼らに任せるべきだろう。


「驚いたわ。随分と手慣れているのね」


 そんな台詞に顔を上げると、担当してもらった通りの向かい側――事故の原因となった貴族の男から少しでも距離を取るためだ――でも一通りの怪我の確認が終わったのか、手隙になったらしいシシル嬢がちょうど通りを横切ってくるところだった。


「うちの領は魔物が人里近くにまでやって来てしまうことも多かったんで。撃退には動ける人間が総出で当たらなくちゃいけないんで、複数人が怪我をするというのはよくある事だったんですよ」


 親父殿たちも必死に対策を行っていたのだが、残念ながら魔物の管理は全くと言っていい程できてはいなかったからな。


「一応確認なのだけど、その撃退戦に参加していたのは、騎士だとか領軍だとか冒険者よね?」

「え?まさかうちの領にそんな大勢の騎士や兵がいる訳ないじゃないですか。常駐している冒険者もいなかったし、大きな怪我や病気で動くことのできない場合を除く十二歳から上の男が全員と、弓や魔法が扱える女性陣ですね」


 魔物を撃退できなければ畑を荒らされてしまい、治める税の確保はおろか食いつなぐことすらできなくなってしまう。

 よって、魔物が出現した時には最優先で撃退に当たるというのがうちの領の掟だった。


 そんな俺の返答に、シシル嬢は真面目な顔になって、「ボルタクス領に冒険者を派遣して、本格体に戦闘技術を学ばせるべきかも……」と呟いていたのだった。


「ところで、シシルさん。俺たちはいつまでここに居ないといけないんですかね?」


 いつの間にか衛兵だけでなく治療師らしき人影も何人も見られるようになっていた。


「確かに、このまま私たちが居たところでできることはなさそうかしら」


 シシル嬢としても少々意外なことながら、顔見知りがいた訳でもなく特段事情を説明しなくてはいけない状況ではないらしい。


「それなら、次の目的地に行きませんか?このままだと逃げ出す……、もとい、出発するタイミングがなくなっちゃいそうなので」


 ここに居続けると確実に余計な厄介事が追加されそうな気がする。

 せっかくの人生初デートなのに、面倒事の対処と人助けで終わるなんてことにはなりたくない。シシル嬢も俺の言い分に困った顔になりながらもクスリと笑っていたので、同様の認識を持っていたようだ。

 意見が一致したことで、俺たちはこっそりとこの事件現場から離脱することにしたのだった。


 ジィマフの街を東西に横切る大通りを越えて少し歩いたところで、どこからともなく鐘の音が聞こえてくる。


「あら?もうお昼になってしまったのね」


 先の事故に巻き込まれたことで、予定よりも大幅に時間を消費してしまったようだ。


「どうする?先にお昼にする?」

「工房に行っても先方も昼休憩中っていう可能性はありますか。急ぎの用でもないのでそうしますか」


 という訳で目的地への道すがらで、弁当を広げられそうな場所を探すことに。

 まあ、土地勘のない俺はキョロキョロと周りを見回すだけだったのだが。

 しかし、何気なく歩いている時には頻繁に目に付くものであっても、いざ探し始めると見つからないというのは、どこの世界でも同じなようで……。

 折悪く倉庫街に突入していたらしく、ちょうど良さそうな場所を見つけることはできなかった。


「うーん、ここからだと……。少し遠回りになってしまうけれど、広場に行きましょうか」


 一戸当たりの敷地面積が広い貴族街や、運動等のために広大な空間を擁している学園区とは異なり、一般区は建物が密集している傾向にある。

 そのため火事の際の延焼防止地帯として、または災害時の近隣住民の避難場所や衛兵たちの集合場所として所々に広場が設けられているそうだ。これはジィマフだけに限らず、王都や一部の大都市などでも見られるものだという。

 ちなみに、普段は近隣住民の憩いの場となっているとのこと。


「へえ。思っていた以上にしっかりした都市設計の元に、街が作られているんだな。」


 うちの領でも、いつかはそんな大きな街を作ることができるのだろうか?もっとも、それ以前に定住する人数を増やさなければ話にならないのだろうが。

 話を戻そう。そんな広場の一つが近くにあるらしい。


「今の時間なら、屋台なんかも出ているでしょうね」

「へえ。それはいいですね」


 昼食自体はそれなりの分量を用意しているが、街を散策しているという気分に浸れるような食べ物を追加で買い食いするというのも悪くない。

 余ったとしても俺の夜食にでもすればいいだけだからな。


 シシル嬢の「こっちよ」という軽やかな口調の案内に従って脇道へと入り込んでいく。

 ぐぬう……。これはこれで楽しくはあるのだが、逆の立場であれば「はぐれないように」とか何とかそれらしいことを言って、合法的に手を繋ぐこともできたかもしれないと思うと残念でならない。


 まあ、本当に手を繋ぐことができるかどうかはその時になってみないと分からないけれど。

 うるせーよ。チキンだっていう自覚はあるっての!


 脇道を進んでいると、突如開けた場所に出る。目指していた広場に到着したようだ。

 シシル嬢が言っていたように屋台も出ており、多くの人で賑わっている。先程までの薄暗い通りとは打って変わって活気の良さに満ち溢れていた。


「へえ……。なんかいいですね、この雰囲気」


 活気だけで言えば冒険者協会周辺の方が何倍もあるのだろうが、あちらは冒険者という人種が中心であり互いに競争相手でもあるという関係上、どこか殺伐した雰囲気を内に抱えていた。

 加えて、出身もバラバラで拠点にしている者が大半とはいえ定住している訳ではないという点も大いに影響しているように思う。


 対してこちらは、大半は地元民で顔馴染み同士なのだろう。東西に貫く大通りからそう離れていないことからすると下町というほどではないのだろうが、内向きというか仲間内同士による気安さのようなものが感じられた。


「なるほど。新米冒険者が顔馴染みを作るってことの重要さが良く分かりました」


 仮に冒険者として立ちいかなくなったとしても、こうした輪の中に入り込めているのであれば別の人生を探ることだってできるはずだ。


「それとはちょっと違うのだけど……。冒険者という枠の外にいる人と仲良くなっておくという点では同じかしらね。それよりもお昼にしない?本格的にお腹が空いてきちゃったわ」


 既に正午を知らせる鐘は鳴り終わっている。俺もそろそろ空腹で限界が近かったので、シシル嬢の申し出はありがたい限りだ。

 即座に首を数回縦に振ることで同意を示したのだった。


「と、その前にせっかく屋台が出ているんですから、一、二品追加しましょうか。春らしくなってきたとはいえ風はまだまだ冷たいですし、温かい汁物とか欲しくなりません?」

「いいわね。……でも、私そんなに沢山は食べられないわよ?」

「余った分は俺が責任もって食べ尽くしますよ。持ってきた分はそれこそ夜食にするので問題なしです」


 その言葉が決め手となり、俺たちは屋台へと足を向けることになったのだが……。

 結局、汁物を二種類――隣り合っている二つの屋台がライバル同士で毎日のように売り上げ競争をしていたため、角が立たないように一つずつ購入することになってしまったのだ――と、串焼きの盛り合わせ――その屋台のおっちゃん曰く「こんな美人が買ってくれるのに、サービスしないとかあり得ねえだろ!」とのこと――を大皿一つという、これだけで十二分に昼飯になってしまいそうな量を抱え込むことになってしまった。


「……とにかく、座りましょうか」

「そうね」


 それでも、最終的には冒険者協会に併設された食堂での昼食代よりも若干安いくらいで収まってしまっており、何とも言えない微妙な心持ちとなってしまうのだった。

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