第9話 駄犬

 舞台に上がった俺の姿を真っ先に見つけたのはシシル嬢だった。

 ちなみに、横合いから近付いたので条件自体は全員同じである。ボンボンもだがそれ以上に護衛の三人が気付いていないのはダメだろ、と心の中で呟いてしまったのは仕方がないことだと思う。


 そのボンボンと愉快じゃない仲間たちだが、突然横を向いて花開くような笑顔になったシシル嬢を怪訝に思い、その視線の先に目を向けてようやく俺に存在に気が付くという体たらくだった。

 ……まあ、かく言う俺もシシル嬢の笑顔を真正面から見てしまい、あまりの神々しさに目が潰れてしまいそうになっていたのだが。


「なんだお前は?部外者は立ち入らないでもらお――」

「シシルさん、おはようございます。いつも以上に綺麗で見た瞬間、息が止まるかと思いました」

「あらあら。それじゃあ私がジィマフの冒険者協会で今一番注目を浴びている冒険者になってしまうわね」


 挨拶をする勢いのまま心の底からの素直な気持ちを伝えると、鈴が転がるような軽やかで爽やかな音色の笑い声と共に、シシル嬢が軽口で返してくれる。

 ああ、やばい。マジで綺麗可愛い。GT○、じゃないTPOも何もかも放り捨ててこのまま見惚れていたくなる。直前にボンボンが何か言っていたようだが、正直どうでもいい。


「あ、そうそう。ご要望通り昼飯を作ってきましたよ。誰かに習った訳じゃないから、口に合うかどうかは分かりませんけど」


 このままでは精神が本当にどこかに旅立ってしまいそうなので、残念に思いながらも話題を変える。


「え?本当に作ってきてくれたの!?」

「食べたいって言ってましたよね?それに作ってきますって返事をしましたよ」

「確かにそう言ってくれてたけど……。てっきり社交辞令か何かだと思っていたわ。それにもしも作ってくれるとしても、もっと先のことだと思っていたから……」

 ポイントが稼げると分かっているのに、それを先延ばしにできる程枯れてもいなければ余裕がある訳でもない。

 まあ、好みが違うのはまだしも、食える物であるのが大前提にはなるが。さすがにそこまで味音痴ではない、はずだ。


「そういう訳なんで、一応楽しみにしておいてください」

「あら?一応なの?」

「いくら何でも絶対に美味いだなんて自信満々には言えませんよ。これまで誰かに食べてもらったことなんてないんですから」


 何かの折に親父殿や兄さん、それに数少ないが使用人たちには食べてもらったことがあったような気もするが、それとて全て身内相手だ。


「……それなら私が初めての相手ってことになるの?」


 ぐはっ!

 まさかここで悪戯心を出してくるとは……。その言い方は思春期男子には致命傷だぞ!?

 しかもほんのりと頬を染めるという容赦ない追撃っぷり。


「う……。そ、そういうこと、ですね」


 オーバーキル待ったなしな状況下で、これだけでも言い返せた俺は称賛に値すると思うのだが如何いかがだろうか。


「き、貴様!この僕を差し置いて美しいお嬢さんと会話をするとは、礼儀知らずにも程があるぞ!」


 不意に横合いから喚き声が聞こえてくる。

 おのれ、せっかく人が良い気分に浸っていたというのに、邪魔しやがって。というか、誰だこいつ?


「……ああ、噛ませ犬か」

「ぶふっ!?」


 知らず口を吐いていた言葉に、あちこちから吹き出す声が聞こえてくる。

 瞳を動かすだけで周囲を見回してみると、苦しげな表情で俯いていたり、肩を震わせながらそっぽを向いている連中を多数発見することができた。


 おい、そこの護衛たち。お前たちまでウケてどうする。しかも笑い過ぎて崩れ落ちそうになっているじゃないか。

 もしかするとこのボンボン、これまでにも似たような事をやらかしてはカップルを成立させてきたのかもしれない。

 ある意味恋のキューピッド役?……いや、こんな不細工で面倒くさそうなキューピッドは御免だな。


「か、かま、かま、噛ませ犬、だと!?この僕が!?」


 当の本人だけはそう思っていなかったようで、怒りで呂律がおかしくなりながら不服を申し立てていた。


「僕を誰だと思っている!僕は――」

「それ以上言うと、行き着く所まで突っ走るしかなくなるぞ」


 うちのような弱小辺境木っ端貴族はともかくとして、貴族という生き物はひたすら面子にこだわる厄介な性質を持っている。

 一度でも家の名前を出してしまえば、子どもの喧嘩ではすまなくなってしまうのだ。それこそ責任を取るために誰かが命を差し出すということにもなりかねない。


 冒険者協会は組織としては国を超越したものだが、決して治外法権を得ている訳ではない。

 その生け贄役が騒ぎの中心人物となってしまっていたシシル嬢へと向いてしまう可能性がある以上、ボンボンには余計な口を開かせるべきではない。


「騒ぎになっても平民の一人か二人を責任者として罰せれば終わると考えているのかもしれないが、この街は王家の直轄地で、しかも今は王太子殿下が代官を務められているんだ。そう思い通りにいくとは思わないことだな」


 暗に「余程のコネでも持っていなければ、逆にお前が罰せられることになるかもしれないぞ」と脅しをかけた訳だが、残念ながらというべきか、その事に気が付いたのは護衛の一人だけだった。


「坊ちゃん、ここは引きましょう。旦那様からも余計な騒ぎを起こしてはいけないと言われていますし」


 それでも、青い顔でボンボンを引き留め始めたのだから、言ってみた甲斐があったというものだ。

 ボンボンらしく親のことを引き合いに出されるのは弱いようで、これまで以上の強い躊躇ためらいを見せ始めていた。

 ここが説得できるかどうかの分かれ目だぞ。頑張れ、護衛たち!


「そ、そうです!今問題を起こせば勝手に街を散策していたことが奥様達にもバレてしまいますよ」

「そうなったら外出禁止を言い渡されてしまうかも!」


 いくらシール学園の敷地が広いとはいえ、そこは高等な知識や技術を習得するための場所であるため娯楽の類はほとんどなく、学生の息抜きと言えばもっぱらジィマフの街へと繰り出すことだった。

 ちなみに、いわゆる色町のような場所も存在しており、入り浸っては身を持ち崩す学生が毎年数人はいるらしい。


「そ、それは困るぞ!?」


 さすがのボンボンも、いや、ボンボンだからこそ娯楽がないのは堪えるようで、顔色を悪くして慌てふためき始める。


「ですから、穏便に解決を図るべきかと」


 チラリと一人視線を向けた先、カウンターの向こう側では職員たちが我関せずという調子で仕事に励んでいた。冒険者協会としては特段実害もなかったので関与しない、見なかったことにする方針であるようだな。

 冒険者の中には不満に思う奴もいるだろう。いきなり自分たちのホームに土足で踏み込んできて暴言失言を連発した挙句、お姫様シシルを連れて行こうとしたのだから当然だ。

 俺だってできることならば一発どころか数発はぶん殴ってやりたい気分なのだから。


 うーむ。ここはあぶく銭の使いどころかもしれないな。あのレッドアント関連の報奨金は想像していた以上の金額になっており、そのほぼ全てが現在アイテムボックスに死蔵されている状態になっていた。

 これを機にパッと使って、冒険者たちや街に還元するのも悪くないのではないか。


 だが、それもこいつらにお引き取りを願った後の話だ。軽く顔を入口の方へと向けることで退室を促すと、こちらの意を汲んだ護衛たちがボンボンを促し始めた。


「ささ。坊ちゃん、お早く!」

「う、うん」


 慇懃ながらも有無を言わせない勢いに押されたのか、あれだけ執着していたシシル嬢のことを見ようともせずにボンボンは前後二人に挟まれるようにして連れ出されて行った。


「お騒がせして申し訳ない」


 そして最後に残った一人が丁寧に深々と頭を下げて出ていくと、ようやく冒険者協会に平穏が戻ってきたのだった。

 とはいえまだ周囲は騒然としており、冒険者たちの苛立った声があちらこちらから聞こえてくる。

 名乗りこそはさせなかったが、何と家紋付きの馬車で乗り付けていたらしくどこの誰だったかを特定するのはさほど難しいものではないだろう。

 しばらくは冒険者や冒険者協会からそっぽを向かれることになるかもしれないな。


 騒ぎの当事者となってしまったシシル嬢は、受付仲間のお姉さんたちから「災難だったわねえ」といういたわりの言葉や、「助けられなくてごめんなさいね」という謝罪の言葉を投げかけられていた。

 彼女のフォローは一旦お姉さん型にお任せしておいて、俺の方は冒険者たちを宥めることに注力するとしようか。

 と、偉そうなことを言っても基本的には他人任せということになるのだが。


「ギースさん」


 名前を呼んで近付いていくと、何故だかしかめっ面で迎えられることになった。


「お前なあ……。バカを煽ってどうするんだよ。あんなのでも貴族なんだから暴発でもされてみろ、被害を受けた上に責任までこっちに押し付けられるところだったぞ」

「いや、別に煽ったつもりはなかったんですけど 」


 いつの間にかシシル嬢しか見えなくなっていて、彼女との語らいを邪魔されてイラついて、本音がポロッと口から零れ落ちたという部分はあったかもしれないが。


「一つ教えておいてやる。世間一般ではその態度自体が煽っていることになるんだよ。……まあ、甘やかされたお坊ちゃんの鼻を明かしたのはスカッとしたけどな」


 ニカッと笑って拳で軽く俺の肩を突いてくるギース。なんだかんだ言っても、やっぱりこいつも自分の身一つで成り上がってきた冒険者だな。ボンボンの権力を傘に着た態度には腹を立てていたようだ。


「ところで、わざわざ何の用だ?……まさかこれから彼女とデートなのを自慢しに来たわけじゃないだろうな」

「どんだけ嫌な奴ですか……。違いますよ。迷惑かけたみたいなんで、ここに居る人らにこれで一杯やってもらおうと思って」


 そう告げて金の入った袋を差し出す。


「新人の俺よりも、ギースさんみたいなベテランが音頭を取ってくれる方が従いやすいと思って。金の出所を話すかどうかもお任せします」

「……確かに気を紛らわせてやった方がいいかもな。今のままだと街中ですれ違った貴族様に喧嘩を吹っ掛けるアホがいないとも限らないからな」


 せっかくレッドアントの大群相手に大立ち回りして、冒険者協会に悪い噂が立つことを防いだというのに、そんなことで元の木阿弥になってしまってはたまらない。

 ギースにはぜひとも上手く冒険者たちを誘導してもらいたいものだ。


「しかし、いいのか?この金はあの時の報奨金だろう?」

「問題ないです。むしろ大金を持っている若い冒険者がいるって噂が出始めているので、一刻も早く目立つ形で使い切ってしまいたいです」


 いきなり後ろから闇討ちなんてことになるのだけは御免だ。

 そもそも俺に押し付けられた報奨金の大半は見舞金や弔問金として用意されていたものだった。それが蓋を開けてみれば怪我人はいてもいずれも軽症ばかりで犠牲者もゼロという結果であったため、ほとんど丸々浮いてしまったという訳だ。


「ということなので、ババンと使ってしまって下さい。そうすれば俺たちのデートの邪魔をしてやろうなんて考える暇人どももいなくなるはずですから」

「この野郎、そっちが本音だったか」


 今世で初デートなんだから、できる限り障害は排除しておきたいと思うのは当然のことじゃないか。

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