第6話 危機

 冒険者協会が出した策はできる限りの人数を集めて包囲殲滅を目指すという、基本に忠実なものだった。

 レッドアントの数は俺が予想したよりも多い可能性が高く、報告によれば「あっという間の内に二十から三十もの数に囲まれた」らしい。

 巣全体としてはその十倍はいると考えておくべきで、人員としては交代や回復要因も含めると百人近い数が欲しいところだ。


 問題はほとんどの冒険者が出払っているため、必要な人数を確保することが難しいということだな。

 どう見繕っても近場で日帰りの依頼をこなしている者たちを待つ必要があり、出発は夕方以降、恐らくは明日の早朝にずれ込むことになるだろう。


 そのため、この決定は調査隊の一団を見捨てることと同義でもあった。かといって生半可な人数で救出部隊を組織したところで、被害者の数を無為に増やすことになるだけだ。

 多くの人間の命を預かる組織である以上、冒険者協会は苦渋の決断をしなくてはいけなかったということになる。


「ふざけるな!そんな作戦に従えるか!俺たちだけでもあいつらを助けに行くぜ!」


 と、義侠心が強いというか仲間想いな一部の連中が離反することもある意味仕方のないことではあるな。

 知り合いや顔見知りが生死の間際をさ迷っているとなれば、居ても立ってもいられない気持ちにもなるというものだ。距離にしておおよそ十キロだから、今すぐ救援に発つなら馬を急がせれば間に合うかもしれないと考えてしまったのだろう。


 ただ……、彼らはどうにもレッドアントの大群の恐ろしさを見誤っている気がするんだよなあ。

 救援を求めて戻ってきた冒険者が青い顔で詳しく状況を説明していても、今一ピンときていない奴らが多いように見える。


 国内第二の都市だけあってジィマフを拠点にしている冒険者は多い。まあ、今は学園の開始に合わせて貴族の子弟たちが各地から移動してくることに伴って流通が活性化しているのか、護衛等の依頼を受けて離れている者たちがかなりの割合に上るそうだが。


 それはともかく、冒険者の数が多いことで、結果として周辺の管理を密に行うことができていたのではないだろうか。

 レッドアントなども大群化する前に間引いたり殲滅したりすることができていたとするならば、多数対多数の経験すらないという輩だっているかもしれない。


「イズナ君」


 カウンターの向こうからちょいちょいと手招きするシシル嬢に近付いて、思い切って疑問をぶつけてみることにした。


「今、付き合っている人はいるんですか……、って、そっちじゃなくて!……ええと、もしかして大勢での殲滅戦は久しぶりのことだったりします?」


 あ、危ない危ない。危うく心の声がダダ洩れになってしまうところだった。

 周りにいた連中が無言になって固まっているようにも見えたがきっと気のせいだろうそのはずだ!

 当のシシル嬢は最初こそキョトンとしていたが、すぐに切り替えて冒険者協会の職員として行動してくれる。大人かつプロフェッショナルな対応ありがとうございます。


「ん……、コホン!正解よ。イズナ君の言う通り数十人単位で冒険者を動員しようという作戦は、ジィマフの冒険者協会だと数十年ぶりのことになるわ」

「そんなに……。だとすると、ここに居る冒険者のほとんどが大暴走スタンピートどころか大群との戦闘を経験したことがない?」

「ええ。今この場に居るのは五等級以下ばかりだから、まずもってそんな経験はないでしょうね。それ以前に軍や騎士団じゃないんだから、冒険者や冒険者協会が中心になって数十人も動員するような大規模な作戦を指揮することなんて普通はないのよ」


 領内の危機の排除ということで、今回も本当であれば調査が終わった後の処理は領軍に丸投げする予定だったらしい。

 調査についてもさわり程度ではあるが報告を行っていたとのこと。


「そ、そうだったのか。うちの領地だとまず人手が足りないから、戦える奴は全員参加が基本だったんだけど……」


 包囲役や最後の止めを刺す役などには、志願兵として民たちから参加を募っていた程だったのに。思わず地元との格差に遠い目になってしまった。

 しかし、これは朗報でもあるな。


「緊急事態ということで、領軍の行動を前倒しにしてもらうことはできませんかね?」


 そうすれば俺たち冒険者は、調査隊の救出に先行することができるかもしれない。

 街道には出られないため森の中を逃げ回ることになるので相応に難易度は高くなるが、領軍によるレッドアントの殲滅作戦が始まるまでの一日程度であれば生き残ることは可能だろう。

 しかし、シシル嬢から返ってきた言葉は無情なものだった。


「残念だけど、今判明しているくらいのあやふやな情報では領軍は動いてはくれないでしょうね」

「あやふやって、レッドアントの大群が発生しているのは事実なんですよ?」


 森全体の規模にもよるが、総数が三百近い群れともなると巣を中心とした一角は掌握され尽くしていると考えられる。

 この範囲が広がってしまえば、巣への第二、第三の出入口が作られてしまい、殲滅するのが非常に難しくなることだろう。

 似たような生態であるにもかかわらず、ハチ系の魔物よりもアリ系の魔物の方が厄介だとされるのはこれが原因だ。


「ジィマフの領軍は規模が大きくて、簡単には動かすことができないようになっているの。その上、今は王太子殿下が領主として治められているから、色々と横槍が入ってしまうのよ」


 前者は謀反や反乱を起こさせないための措置で、更には次代を見据えた政治闘争によってその足を引っ張られてしまっているということらしい。


「貴族面倒。しかもアホらし過ぎる……」


 先を見るのが悪いとは言わないが、今現在発生している危険に対処できなければ意味がないだろうに。

 ついつい、本気で吐き捨ててしまったのも仕方がないというものだと思う。そんな俺を「イズナ君だってまだ一応は貴族でしょうに」とシシル嬢が苦笑まじりでたしなめたのだった。


「でも、そうなると調査隊の連中の命は絶望的ですね」


 ついでに、例え解決できたとしてもジィマフの冒険者と冒険者協会の評価も最悪なものとなるだろう。世の中には状況を理解しようともせずに「仲間を見捨てた」というその一点だけを見て、嫌悪して騒ぎ立てる輩だっているからな。

 更に間接的に貴族たちの足の引っ張り合いがあるとすれば、確実に悪者へと仕立て上げられることだろう。良くて依頼の減少、悪ければ冒険者たちが寄り付かなくなるかもしれない。


 ……あれ?はっきり言って、俺にとってもよろしくない状況なのではないだろうか。

 これまで繰り返し述べてきたとおり、うちの実家は田舎どころか辺境の弱小木っ端貴族だ。現状の比較的落ち着いた政治情勢ですらそれなのだから、本格的な政権争いの嵐が巻き起こってしまえばあっという間に沈没して藻屑と化してしまうことだろう。


 そしてそれは俺個人にも当てはまることである。学園が始まる前の今でさえ寄り親もいなければ後ろ盾もなく孤立化しているというのに、対立や派閥争いが激化してくれば目の端に映っただけで邪魔だと羽虫のごとく潰されてしまうかもしれない。

 加えて「仲間を見捨てた悪名高いジィマフの冒険者協会所属の冒険者」などという肩書きがついてしまえば、名前を売るための体のいい標的にされかねない。


「……イズナ君?急に顔色が悪くなったけれど、大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないです。このままだと割と本気で社会的にも物理的にも俺の命がピンチでやばい可能性が大です」


 質問に青ざめながら答えると、さすがのシシル嬢もそこまでの予想――悲観的な妄想もしくは空想だと笑い飛ばせるなら、どれだけ良かったことか――はできなかったようで、目を丸くしていた。

 こういうのもギャップ萌えと言うのかね。普段がしっかりしている分だけ可愛らしさが際立つな。


 いかん。現実逃避をしている場合じゃない。

 今は下手を打てば現実からおさらばさせられてしまう瀬戸際なのだ。早急に対応を考えなくては。


 やはり鍵となるのは調査隊の生死だろう。言い方は悪いが彼らの一人だけでも救うことができれば、冒険者協会を悪評から救うことができるはずだ。

 そうなれば何とか現状のパワーバランスを維持することもできるし、その隙を突こうとする貴族たちの動きも抑えることが可能となるのではないか。


「シシルさん、一番足の速い馬を用意してもらえませんか」

「え?」

「調査隊の人たちを助けに行きます。このまま放っておけば「仲間を見殺しにした」と根も葉もない噂が立ってしまうかもしれないから」

「いくらイズナ君が強いと言っても、一人で行くなんて無茶よ!」

「陽動と時間稼ぎくらいなら何とかなりますよ。領地にいた時には一人で五十匹を相手にさせられたこともあるんで。正確には五十三匹だったか」


 人間、死ぬ気でやれば意外と何とかなるもんだ。まあ、その時の相手はレッドアントではなくブラックアント――一匹当たりの大きさはレッドアントよりも大きいが、あまり好戦的ではない――だったんだけどな。


 具体的な数字を出したことで信憑性が増したのか、シシル嬢は渋々といった調子ではあるが、手続きを始めてくれた。

 今更ながらだが、この人書類仕事に限ればどんな業務もできるよな。もしかすると長の印が必要なもの以外であれば全てできるんじゃないだろうか。


 ……いくらなんでも、越権行為ということはないよな?

 どうにも嫌な予感がして、思考をそこで中断する。


「どうかした?」

「いえ!何でもないです!」


 だが、思考を切り替えるには不十分だったらしく、シシル嬢からの問い掛けに直立不動で答えることになってしまった。

 そんな俺の態度に訝し気にしながらも、彼女はでき上がったばかりの馬の借用手続き書を差し出してくる。


「ここに署名をして。……そう、そこ。前金で金貨一枚が必要だけど、時間がもったいないから帰って来た時に一括で支払ってくれればいいわ」

「うへえ……。命を張りに行くのに、帰って来た時には金の支払いとか、やる気なくしそう……」


 死亡フラグ?とかいうものになっても困るから高望みはしないが、冒険者協会のためにもなるのだし、せめて帰って来た時の楽しみになるような事があってもいいと思うのだ。


「はいはい。無事に帰ってきたらデートでも何でもしてあげるわ」


 歴史が変わる瞬間というのは多分こんな時なのだろう。今でも俺はそう思っている。

 シシル嬢としては単なる軽口のつもりだったのだろうが、その一言がこの国の歴史、ひいては世界の歴史を変えた瞬間だった。


「調査隊の奴らを無事に救出して帰って来られたら、シシルさんがデートしてくれるだと!?」


 一人がそう叫んだ直後、冒険者協会にいた冒険者たちはこぞって入口へと殺到していた。

 こうして過去に類を見ないほどのやる気をみなぎらせて、調査隊メンバー救出部隊はジィマフの街を我先にと出発していく事になるのだった。

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