第3話 解説

 夕闇が迫る逢魔が時。黄昏れ時とも呼ばれるこの時間帯は、人の心を不安定にさせるのかもしれない。以降長らく担当となる受付嬢シシルとの初顔合わせなど、イベント盛りだくさんだった冒険者協会を後にすると、どこか落ち着かない気分のまま俺はシール学園へと向かっていた。


 うん?シシル嬢との一件の後で何があったのか?

 こんな時間になるまで一体何をしていたのかだと?


 ……できればあまり思い出したくはないのだが、そうも言ってはいられないか。


 俺からすれば事あるごとに揶揄からかわれているようにしか思えなかったシシル嬢による冒険者基本講座だったのだが、意外にも外野から見るとそうではなかったらしい。

 ようやく長かった説明も終わりが見えて来た時、突如「イチャついてんじゃねえぞ!」と叫びながら一人の冒険者が踊りかかってきたのだ。


 が、酒でも飲んでいたのか明らかに冷静さを欠いたものであり、しかも大振りの攻撃となると当たってやることの方が難しいというものだ。

 あっさりと避けた、ところまではまだ良かったのだが……。


 いや、茶目っ気が出たというか、こう揶揄われてばかりだったからちょっといいところを見せてやろうと欲が出たというか、な……。

 避けると同時にこっそりと足を出して転ばせてしまったのだ。


 また相手も悪かった。口先ばかりの奴だったらしく、見事に引っ掛かった上によろめいた拍子にカウンターの天板に頭を強打してそのまま失神してしまうという三流っぷりを披露してくれたのである。

 これには騒いでいた冒険者たちだけでなくシシル嬢たち職員たちも驚いたようで、それまでの喧騒が嘘のように静まり返ってしまったのだった。

 結局は失神した冒険者が一方的に殴り掛かったということで、俺の方はお咎めなしとなったのだが、それに不服だった冒険者たちが燻る始末となっていた。


 これは下手をすれば冒険者協会から外に出た途端に、敵討ちという名目で襲われるのではないか。

 そんな不安を抱えていたのだが、その後でまた事態が急変することになる。


「買い取りのカウンターは、こっちでいいんですか?」

「お、おう。動じない兄ちゃんだな。あれだけの奴らに睨み付けられているっていうのによ」

「いやいや。内心ビビりまくりですよ。どうしてこんなことになったのやら」


 担当のおっちゃんへの返事は本心だ。なにせ俺の背中には十人を超える数の男たちが敵意を充満した恐ろしい視線を叩きつけてきているのだから。

 しかもどいつもこいつも筋骨隆々でおっかない体格ときている。お陰でいつ殺されてしまうのかと気が気ではなかった。


「それで、買い取りだったか?見たところそれらしい荷物は持っていないようだが?」

「アイテムボックスに入れてます」


 答えた瞬間、ざわりと建物内の空気がうごめいた。

 どうやら俺はまた何かやってしまったらしい。目の前のおっちゃんは訝し気にしているし、振り返ってみればシシル嬢は額に指をあててしきりに何かを堪えるようにしていた。

 冒険者たちは驚いているのと疑っているのとが半々というところか。


「兄ちゃん、忠告だ。アイテムボックス持ちだってことは迂闊に口にしない方がいいぞ」


 できればもっと早くに言ってもらいたかった。

 が、そこで疑問が浮かぶ。


「それほど珍しいものですか?冒険者協会でも販売していますよね?」


 アイテムボックスというのはいわゆるマジックアイテムの一種で、魔法によって見た目以上の容量を持つ冒険者から商人、果ては貴族に至るまで広い層の人々に人気の商品でもある。

 作成には貴重な素材が必要かつ熟練の技術や高度な魔法を扱うセンスが求められるので大量生産が難しく、お値段の方はどうしてもお高くなってはいる。


 しかしながら伝説級のアイテムでもなければ、特定の人物にだけ使用できる特殊能力でもない。

 俺が持っている物も、数日前に立ち寄った街の冒険者協会で購入したものだ。


「イズナ君、あのね……。確かに冒険者協会うちでも販売はしているけど、一番安くて容量が少ない物でも五等級くらいにならないと手が出せないのよ」


 いつの間にかおっちゃんの隣へと移動してきていたシシル嬢がそう解説してくれる。

 本格的に俺の担当という扱いになってしまっているな。申し訳なく思う一方で、彼女のような美人に応対してもらえることを嬉しく思ってしまう。

 おかしな記憶があるとはいえ、俺も年相応な青少年だからな。


 それにしても、アイテムボックスが五等級でようやく購入できるようになるくらいの高額商品だったとは……。

 確か先程の説明によれば、五等級といえば経験豊富な中堅のベテランどころといった立ち位置だったはずだ。

 冒険者登録してからおおよそ一年以内で七等級まで上がれるのに対して、そこから先は一つ等級を上げるのに年単位の時間が必要という話で、五等級ともなれば平均して五年から十年近いキャリアを持つ者が大半であるという。


「なるほど。これも随分高かったからなあ」


 アイテムボックス――ボックスという名称だが、俺が持っているのはありふれた革製の背負い袋といった形状だ――を取り出してしげしげと眺める。

 実は「今後絶対に必要になる!」と謎の記憶が叫んでいたこともあって、先行投資だと諦めて泣く泣く――本当に泣きたかったのは資金源として乱獲された付近の魔物たちの方かもしれないけれど――購入したという経緯があったのだ。

 だが、色々と便利に使えているので、少なくともこれに関しては記憶に従って正解だったようだ。


 そんなことを考えていたためか、またもや周囲の反応がおかしくなっていることに気が付くのが遅れてしまっていた。


「おいおい、マジかよ……」


 目を見開いてかすれ声で呟くおっちゃん。シシル嬢に至っては額に手を当てながら天を仰いでいる。

 こういう時は下手にこちらから口を出すべきではない。状況を整理できないまま感情を持て余して暴発してしまうことが多々あるからだ。

 冷静になるのを待ち、向こうから話し始めるのを待つ方が結果的に短い時間で済むのだ。


 やけに詳しく具体的な対処法だと?

 ……謎の記憶関連で色々あったとでも思っておいてくれ。


 しわぶき一つない静かな時間だけが刻々と過ぎていく。冒険者協会がこれ程静まり返ったことは過去になく、後に「静寂の十分間」などと呼ばれて揶揄やゆされるようになるのだが、この時の俺はそのことをまだ知らなかった。


「……あのねえ、イズナ君」

「はい!」


 盛大なため息を吐いてから口を開いたシシル嬢に、何故だかそうしなくてはいけないと感じて直立不動の姿勢で返事をする。

 後から思い返してみると、本能的な恐怖によるものだったのかもしれない。


「あなたの持っているアイテムボックスそれ、一番安い低質の物じゃないわよ」

「……は?」

「もう一ランク上の中質の品ね」


 シシル嬢の話によると、低質で平民向けの宿の一室くらい、およそ三メートル四方ほどの空間の容量となるのだが、中質になると一気にその大きさが跳ね上がり、平民一家が暮らす家程度、一辺が十メートル近い立方体になるのそうだ。

 余談だが、上質ともなれば貴族の屋敷並み――庭の面積分も込み――となり、特上質に至っては時間停止の効果までもが付与されているのだとか。


「それを買う時に、このくらいの値段だって言われなかった?」

「言われた!便利な分だけあって滅茶苦茶高いんだなって思って支払いましたよ!」


 まさしく支払った金額そのままだったこともあり、コクコクと首を縦に振る。


「イズナ君の能力に目を付けたどこかの支部が、売り上げ増加を狙ってわざと中質品を売りつけたんじゃないかしら」

「冒険者になりたての新人に、か?そいつは穏やかじゃねえな。最悪借金まみれになっちまうぞ」

「腹立たしいけれど、そこはしっかりと相手を見極めたということなんでしょう。現にイズナ君はちゃんと支払って購入した上に、問題なくここまでやって来ているんだから」


 どうやらぼったくられてはいなかったみたいだが、カモにはされてしまったようだ。

 余談だが中質品は三等級、上質品は一等級にならないと手に入れるのは難しいのだそうだ。


「特上とは違って、いくら大量の容積があっても時間が経過していくから、放置しておくと魔物の素材や薬草類などは傷んでしまうのよ。つまり、短期間でその容量を一杯にできるだけの腕が求められるという訳ね」


 まさに容量の無駄遣い、宝の持ち腐れになってしまうのだとか。

 言われてみれば確かに、俺も持っているアイテムボックスを一杯にしたことはないような気がする。


「君の場合はアイテムボックスを所持しているだけで異常だから。この調子だと何が飛び出してくるのか、想像するだけで恐ろしいものがあるわね……」

「シシルちゃん、勘弁してくれよ。それを査定するのは俺なんだぜ……」


 泣きそうな声でおっちゃんが抗議しているが、いい年をした男の涙など誰も得をしないので、援護する者は一人もいないのだった。

 とはいえ、この状況は俺にとってもよろしくない。外野からは妙に期待をした視線も感じられるし。何が飛び出してくるか分からない、ビックリ箱を覗き込んでいるような心持ちなのかもしれない。


「別に変わったものは入っていないですよ」


 と予防線を張っておく。実際にこの近辺で狩ることのできる魔物しか入っていないからな。

 しかも街道を外れて寄り道をした程度でしかないから、中型から小型の魔物ばかりでその数も多いとは言えない。

 開口部付近に取り付けられた宝玉に触れると、アイテムボックスの中に入っている物が頭の中に思い浮かんできた。


「えーと……、ブレードラビットが五匹にトゥースラットが四匹、と」


 口にするや否や、宣言したものが次々に現れてカウンターの上に並べられていく。一々取り出すという労力が要らないのだから便利だ。

 ちなみに、収納は直接放り込む以外に、近寄って登録したキーワードを呟くことでも可能となっている。このシステムが開発されたお陰で、アイテムボックスの利便性は大いに増したのだという話だ。

 実際に使ってみて、画期的な発明だと感心したね。


「後はジャイアントスパイダーが一体に、フォレストオウルが二羽。こいつらはつがいでしたね。そうそう、十キロくらい東にある森ですけどレッドアントが繁殖しているかもしれないんで、一度調査をしておいた方がいいですよ。一応証明のために小型のやつを一体だけ狩っておいたんですけど、どこに出せばいいですか?」


 そして懲りずにまた沈黙の空間が発生することに。

 俺のカードに「暫定で四等級に相当する」という但し書きが付くことになるのは、この五分後のことだった。

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