時空を越えて⑫〜断末魔の叫び〜


 村へと向かう道を急いで進んでいると,咆哮が聞こえた。きっとあの化け物に違いない。気になるのは,その鳴き声が苦しみで溢れたものではなく,どこか勝ち誇ったような高揚感に満ちたもののように聞こえたことだ。


「急ごう。バオウが手柄をもう立てているかも」


 悪い想像をかき消すように周りに声をかけた。ジャンは小さくうなずき,ベルは青ざめたような顔をしている。最悪のシナリオを想定していることはだれの目にも明らかだった。その想像が当たっていないことを願いながら,目的地へと急いだ。



 だいたいの場合,悪い予感というのは的中する。今回もそうだった。

 怪物とバオウの姿が見えたとき,その場に立ち尽くした。岩を背にして気を失って座っているバオウのはらわたには,腕ほどの大きさをした牙が突き刺さっていた。怪物の体には前足や首元に新しい傷跡があり,特に足の方は深手に見えたが,かまわず活発に動き続けている。よく見ると,怪物の顔周りをミュウが右往左往して妨害をしているようだった。あの小さな体で何百倍もの大きさの敵に立ち向かうなんて,どれほどの勇気がいることだろう。

 バオウのもとに駆け寄ろとした足が止まった。ミュウがけがをしている。片方の目はつぶれて,ほとんど見えていないに違いない。全身に怒りが込み上げてきた。化け物のもとにかけだそうとしたとき,空気が振動した。太陽は変わらずそこに存在してじりじりと体を照りつけているはずなのに,まるで別世界に来たかのように空気の温度が下がったように感じた。後ろから「おい」と棘に刺されたかのように感じさせる,鋭利で冷たい声がした。


「おい。何をしてくれているんだ」


 ジャンの声だと気づくのに少し時間がかかった。声はかすれ,覇気のない声だ。でも,その声は向けられた対象に絡みつき,臆病にさせた。事実,怪物は小さく命乞いをするように鳴いた。


「何をしてくれているんだと聞いているんだ。自分のしたことが分かっているな?」


 怪物が震えだした。近くで見ていても恐怖を感じる。この怒りをぶつけられた生き物に同情さえしたくなるような,圧倒的な力の差を感じさせた。

 観念したかのように思えた怪物は、踵を返して村の方向に駆け出した。一歩が大きくて速い。それは,火山を出ていく時とは比べ物にならなかった。命の危機を感じたとき,生物はリミッターを解除して想像を超える力を発揮することがある。きっとこの怪物にとっては今がそうだったのだろう。あ,とベルが声を上げたときにはもうずいぶんと遠くに怪物の背中があった。

 ひゅう,と小さく冷たい息をジャンが吐いたと思ったら,もうそこには姿がなかった。怪物が大きく吠えた。それは最初に聞いたものとは違って,断末魔の叫びだった。少し遅れて,怪物の大きな首が切り落とされたのが見えた。



「おい。大丈夫か。しっかりしろ。こんなところで死ぬタマじゃないだろう。それとも,ついていないのか?」


 ジャンがバオウの頬を叩きながら声をかけている。腹部に突き刺さった牙は,思ったほど深くは刺さっていなかったことと,場所からして内臓を傷つけている心配はなさそうということから命に別状はないとベルは判断した。そのことを聞いたジャンは安どの表情を浮かべ,バオウに少々手荒に声をかけ続けている。命に別状はないといっても無理をしたのだろう。意識がもうろうとなりながら戦っていたに違いない。出血量が多すぎるためここで牙を抜くのは危険だ。一度村に戻って手当てを受ける必要があるが,村人を呼んできて運ぶよりは,バオウが起きて無理をしてでも自分の足で戻ったほうが圧倒的に速い。大丈夫そうならバオウに肩を貸してでも急いで村に戻ろうという結論になったのだ。

 ジャンがバオウの股間をぺちぺちとたたき出した。「なんだよ。意外とちっさいじゃねえか」と嘲笑しながら遊んでいるとバオウが目を覚ました。


「何をしているんだ・・・・・・おい,あのくそ猫どこ行った? まさか,行かれたか!」

「騒ぐな。傷が開くぞ。足止めしてくれてたから,何とか間に合ったよ」


 ジャンの説明を聞き,バオウはいてて,と腹をさすりながら岩に身を預けた。その手が牙に触れたとき,びくんと体を動かした。


「おい。どうなってんだこりゃ」

「抜くなよ。抜いたら死ぬぞ」

「どういうことだ」

「そいつがお前の体に栓をしてくれているんだよ。抜いたら出血多量で死ぬのは間違いないな」


 バオウはぶるっと体を震わせ,青ざめた顔で黙り込んだ。その目がジャンの左腕を捉えたとき,瞳が大きく開かれた。「ジャン,どうしたんだ」と興奮して言いかけるバオウに向けて,ジャンは口元に人差し指を立てて制止した。

ベルが二人のもとに歩み寄る。ありがとね,とベルが呟いた。


「私の村がめちゃめちゃにされるところだった。みんな,本当にありがとう。もう,本当になんて言ったら・・・・・・」


 ベルがジャンの手元に目をやって,顔を伏せた。ジャンの腕にはベルの服がまかれているが,肩の三分の一から下は無くなっている。そこから腕が生えてくることはない。その責任をベルは自分に押し付けているに違いない。バオウも時折その腕にちらりと視線を投げるが,何を言うでもなく黙っていた。


「いいってことよ。おれたちもけじめをつけることができた。さ,バオウのお化けみたいな顔に血色が戻ったら,村へ歩こうぜ」


 グーっと伸びをしてジャンが仰向けになる。ベルもその横で仰向けになり,おなかにミュウを載せながらお礼を言ってその首元を撫でていた。


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