時空を越えて⑪〜失われたもの〜
矢を放ったのは,ベルだった。顔は青ざめて,全身が異常なまでに震えていた。その震えに耐え切れなかったかのように,ひざを折って地面に平伏し,嗚咽を漏らした。チチカカは,一筋の血を口元から流して,絶命していた。
「取り返しのつかないことをしてしまった。私は人殺しよ。人間を,命あるものを意図的に殺めてしまった」
ベルは肩を震わせながらこちらを見上げた。その眼には,こらえてもこらえても止まらないのであろう,大粒の涙があふれんばかりにたまっている。回り込むようにして隣に座って,ただ背中をさすってあげることしかできなかった。
しばらくそうしていると,目の前に人影が現れた。
「そっちも終わりだな。無事でよかった」
衣服をぼろぼろにした満身創痍のジャンが,自分とは反対側のベルの隣に座った。ジャンと抱き合って喜びたい気持ちも半分あったが,ベルの期の落ちようは相当のものだった。放っておけない。かといって,自分には掛ける言葉を持っていなかった。
「ベル,ありがとう。心底お礼を言いたい」
ジャンは目を細めてベルに優しく言った。
「ベル,ありがとう。心からお礼を言いたい。君が弓を引かなかったら,おれはまた大切な人を失うところだった」
ジャンは目を細めてベルに優しく微笑んだ。ベルは目にいっぱいの滴をためたまま,上目遣いでジャンを見つめている。
「見てたよ。ソラを助けに行かないとって思ったけど,まったく間に合うような状況ではなかった。ソラを守れないのなら,おれもやることをやって死のうと思った。そこで,苦悶の表情を浮かべながらも弓を引き絞っているベルが見えたんだ。あの時,おれは心から救われたよ。君は,ベルは人を救ったんだ。それも二人の人間をね」
目をぱちくりさせていたベルは,固く目を閉じて小さく泣き出した。その肩をジャンはさすって,ありがとうな,と呟いた。
事態が落ち着いたと思ったとき,空気がぴりついた。これまでに感じたことのない大きくて暗いオーラが空間を支配した。
「待て。まだ終わっていない」
ぜえぜえと息を荒げながら,バーボンが立ち尽くしていた。その体はいたるところに傷があり,頭から全身にかけて血が流れている。その眼には生気が感じられず,立っていられるのが不思議なくらいだ。それでも,これまで感じたことのない鬼気迫る雰囲気を醸し出してる。目の前にいるのは確かに青い髪をしたあの男なのだが,同じ人物とは思えないほどに異質さを感じさせた。
「てめえ,まだ生きてやがったのか」
「ああ。三途の川を見てきたぜ。でも,おれは寂しがり屋なんだ。一人で渡るのもなんだから,ネズミ一匹でもずれにしてやるよ」
ジャンが先頭の姿勢をとったが,その動きには俊敏さがなかった。明らかに疲弊している。とても戦える状況ではなさそうだが,それはここにいる全員がそうだった。
ふと,バーボンは視線を動かしてはベルを見て不敵な笑みを浮かべた。
「ああ,覚悟のないものがいるな。もうおれは死ぬだろう。だが,戦場に出るとは,命を取り合うとはそういうことだ。それだけの覚悟を持って多くの命を奪ってきた。その度胸もないのに,おれの友の命を獲ったんだな。さぞ無念だったろうに。一緒に行こうぜ。奴のもとに。美人がいりゃあ道中も寂しくないさ」
言い切ると同時に,死んだ目をしたまま剣を構えて突進してきた。
直後,バーボンの振りぬいた渾身の剣はそのまま肉を切り,血しぶきをあげさせた。満足そうな顔を浮かべて,バーボンはそのまま地面に倒れた。
「どうして・・・・・・!」
ベルが叫んだ。
「どうして,なんてことをしたの!」
ベルが口元に手を当てながらジャンに抱き着いた。ジャンの左腕は,肩から下が切り落とされていた。
「私だったのに・・・・・・。報いを受けるべきだったのは私だったのに!」
ジャンの胸を叩きながら,ベルは叫び続けた。
「いてえよ。叩きすぎだ。それより・・・・・・無事でよかった」
「私が無事だって,ジャンの腕が無くなったらダメじゃない。これからどうするの。私の命なんて,無くなったってよかったのよ」
ジャンは深くため息をついた。そして,まっすぐな瞳でベルを見つめ,そっと右腕でベルを抱き寄せた。
「君を失ったら,おれに腕があったって何の意味もない。こうして抱きしめられるんだ。それでよかった。だから,自分を責めないでくれ」
ベルは頬を赤らめ,ジャンをそっと抱きしめた。「手当をしないと」と言って服を破いて止血の準備をした。二人が会話を交わしながら応急処置をしているところをそっと離れた。
今は二人だけにして少しだけ休ませておこう。それまでに,準備を整えなければならない。こうしている間にもバオウはあの怪物を押さえているはずだ。早く加勢に行くためにも,やるべきことを済ませる。
チチカカとバーボンを横並びにして,合掌をした。心無い奴らだと思っていたけど,きっとこいつらはお互いを大切に思っていた。じゃないと,死に際にバーボンの口からチチカカの名前が出るはずはない。やっていることは許されることではないけれど,表に出ていることだけで人を決めつけてはいけない。二人にも敬意を払うべき点があったはずだ。二人の体を,供養した。
それが終わったころ,ジャンとベルとが姿を見せた。ベルのはいていた布はずいぶんと短くなり,ジャンの腕にはベルの服が止血の丁寧にまかれていた。
「もう大丈夫なの?」
「大丈夫なわけねえだろ。でも、バオウが相当しんどいはずだ」
行こう,と声をかけて,三人で出口に向かった。ベルは走り出したいのをぐっとこらえるようにして歩いていた。
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