真実を求めて②~20年前の日記~

 家に入ると,パンとチーズがこんがりと焼けるいい匂いが立ち込めていた。「腹減った~」とお腹をさすりながらジャンは席に着いた。「二人分とっくに出来てるわよ」と言ってお母さんが出した朝食はトーストされたパンにスパイスの利いたカレーがサンドしてある。カレーの次の日はだいたいこの朝食が定番なのだが,昔からこれが好きで晩御飯がカレーでなくてもリクエストしていたほどだ。

 匂いを嗅ぐと食欲が一層強くなる。ただ,今朝は味わってゆっくり食べようという気にはならなかった。お腹にかきこむようにトーストを頬張っている,口に入る要領をゆうに超えた。それでもまだ口に頬張り,あごを酷使していると期間にパンくずが入り思わずむせた。


「なーにやってんの。落ち着いて食べなさい。はい」


子どもに言い聞かせるようにして言いながらミルクの入ったグラスをお母さんに渡された。それを口の中のトーストにしみこませるようにして飲み込む。水分を含んで柔らかくなったトーストが幾分か食べやすくなった。残りの分をかきこんで合掌を済ませ,食器もそのままに階段を駆け上がる。


「まったく,いつまで経っても少年のようなやつだな」

「あんなんだから,いつまでも心配なのよ。子離れできないのも何となくわかるでしょ」


リビングからジャンとお母さんは会話をしているが,構わず書斎を漁った。しばらくするとジャンが書斎へと姿を現した。必死で本棚を漁っているのにこっちには見向きもせず,ジャンは迷いなく二番目の引き出しを開けた。そして,一冊の古い褐色があせたようなハードカバーのノートを手に取った。


「それがじいちゃんの言っていたノートなの?」

一切の躊躇もなくノートを探り当てたジャンの様子から,このノートの存在についてはずいぶん前から知っていることが伺えた。もしかしたら母さんも知っているのかもしれない。知らないのは自分だけで,じいちゃんが書き残したもの,この世界で起きていること,いろいろなことを知らないのは自分だけなのではないかという気がしてきた。それは,気分の良いものではなかった。何か大切なことが記されているであろうノートを自分には隠されているような気もしたし,別に昨日見せてくれても良かったじゃないか。

 もやもやしながらジャンを睨みつけていると,「ここだ」と言ってページを繰る手を止めてこちらにノートを渡してきた。ノートを受け取り,そこに書いてある文章に目をやった。

 

 

 とうとう明日はこの世を去らなければならない日がきた。自分の死ぬ日が分かるというのも不思議な気持ちじゃのう。もしかしたら,何かの間違いでわしが生き続けることがあるかもしれん。この心の臓がぶり返す可能性もあるんじゃないのかのう。まあ無駄な希望的観測はよそう。とにかく,娘とジャンにこの世界で何が起きようとしているのか,旅の中で見てきたこと,彼らがしなければならないことを伝えることが出来た。この世界を取り戻すためじゃ。これぐらいのことは神様も許してくれるじゃろう。もし許さないというならば,生きてわしに罪を償わせるはずじゃ。それも良いがのう。

 とにかく,この世界では時空を思うままに飛び越えて移動をし,自分の望む未来を作り上げるものがいるのじゃ。

 その者の名はクロノス。

 ただし,やつは名前を変える。隠したり,役所に登録されたものに小細工をするなんて甘っちょろいものではない。過去に戻って,自分の名前を名付け親に変えさせる。それぐらいのことが出来るのじゃ。自分の思うままに歴史を改変し,都合の悪いことや気に喰わないものはこの世から消し去り,今の世界を操作する。生きるべき人は死に,幸せになるべき人の未来が変わる。

 つまりじゃ,この世界は今とは違う,異世界になりつつある。お前が生きていること,母さんが生きていること,これから生まれる子ども,・・・・・・全てが嘘になる。わしはそんなことをして得た幸せは正しいとは思わない。

 この世は,だれかがやり直して都合の良いように作り直すことはできない。だからこそ,本気で喜び,後悔し,感動し,恨み,絶望し,苦しむ。

 じゃが,それこそが人が生きるということではないのか。

 だからこそこの世に美しくて慈しむべきものが溢れるのじゃ。

 この世界を取り戻すのは,ソラ,お前じゃ。わしはこの世界が大好きじゃ。お前ならできる。この世界を取り戻してくれ。



 続きのページをめくりたかったが,それは叶わなかった。どういうことか,この日記はこのページで終わっている。続きはどうして記されていないのか。じいちゃんはどこへ行ったのか。どうして直接伝えずにこの日記を見せて伝えようとしたのか。聞きたいことはたくさんある。そしてこれからのことについても考えた。

 クロノス,と小さくつぶやいた。自分がやるべきことが決まった気がする。どこを向いたら良いか分からなかったコンパスが方向を定めるように,心と身体がはまった気がした。 


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