第31話 リーシャの正体

【リーシャの正体】


 リーシャは、悲しげに笑った。


「私は、アデリナ皇女の偽物なんですよ」


 自身が突き止めた真相だった。


 ファリドは目を見開いたが、すぐに笑った。


「何を言っているんだ、リーシャ。俺は君のお義父さんから確かに聞いたんだ」


「父さんが、嘘をついていたんです。彼は私を見つけ、皇女に仕立て上げようとしていた」




 笑いを含むファリドの顔は、全く自分の話を信じていないようだった。鼻で笑っている。




「どうして、そうなるんだ?わかるように説明してくれ」




 リーシャは、剣先を突きつけられているルカを見た。




 彼は顔を強張らせ、自分を見ていた。先程まで恍惚としていたのに、自分が紡ぐ言葉を聞き逃すまいと張り詰めているように見えた。




 彼に、絶望の色が浮かんでいるようにも見えた。




「ルカさん、何も仰らないんですか?あなたはご存知なんですよね?」


「······」




 彼は黙ったままだ。


 口を閉じている彼は、自分に情報を与えないようにしている。




(やっぱり、ルカさんは全てを知っていて、私を捕らえていたのですね)




 彼は、殺害されたオルロフ一家と親交があった一族だ。以前自分と会った時に、偽物であるということは気づいていたのだろう。




「違う、君はアデリナ皇女だ。そのルビーが何よりの証拠だ」




 彼は、張り詰めた顔になっていた。


 ルカが黙っていることで、自分が皇女ではない可能性があると感じたからだろう。


 ファリドに指さされ、リーシャは胸元のネックレスに触れた。




「違うんです、ファリド。これ、フェイクなんですよ」


「ふぇ、フェイク···?」




 偽物、である。リーシャは我ながら苦々しく思った。


 偽物である自分に、偽物のネックレス。




「ルビーではないのです。父が私に渡す時、注意してくれました。落としたら割れてしまうから、と。本物のルビーは、そんな簡単に割れないんですよ」


「なん···」




 ファリドは、息を呑んだ。




 証拠の品を以って、いよいよ自分の言うことを信じ始めたのだ。


 リーシャも、自分の持つ物が偽物であると気づいたのは、ラザレフ邸から連れ出される時に「割れる音」がしたからである。




(では、何故私がまだこれを持っているのかーーーこれ以上は、ファリドに教える義理はありませんね)




 ファリドは自分がルカに誘拐される時の仔細は知らない。


 これ以上この話を追求されることがないように、リーシャは話を続けた。




「父さんは爵位を降格され、ニコライ皇帝に恨みがあったのでしょうね。皇女を手に入れたと嘘をついて、伯爵家であるシュレポフと縁戚関係を深めようとした。だから、あなたには私が本物の皇女であると伝わっているのでしょう。行く行くは、私を女帝に仕立て上げようとしていたようですが···父さんのミスは、私を偽物とあなたに伝えていなかったことですね」




 ファリドは純粋に自分を皇女と認識していたようだが、アレクセイもまさか自分のついた嘘のせいで死ぬとは思わなかっただろう。




「ファリド、あなたが父さんを殺したのでしょう?」




 リーシャは、初めてファリドを睨み据えた。


 彼は突きつけられた真実を前に、未だ混乱しているようだった。


 彼が長年信じ続けていたものが、嘘だったのだ。無理もないことだ。




「リーシャ、待ってくれ。色々整理がつかない···何故、俺が?」


「父さんは、私を皇女として担ぎ上げようと育てていました。あなたは先程、皇女とバレてしまうから夜会には出さないようにしていたと言っていましたね。ーーが、先日私は夜会に出ましたよ。何故、父さんは私を急に夜会に出す気になったのでしょう?」




 アレクセイが死んだ日、リーシャは夜会に初めて出してもらえた。やっと子爵家跡継ぎになること認めてもらえ、喜んだのを記憶している。




「考えるに、父さんはーー私を皇女に仕立て上げるのを、やめたんです」




 ファリドは、返事をしなかった。


 彼がアレクセイを殺したとしたら、リーシャが推測した話を、知らないわけがなかった。




「父さんは言ってくれましたよ、私がラザレフの跡継ぎであると。長年私を傀儡として皇女に仕立て上げようとしていたのに、これは何故か?私を利用しようとしたなら、子爵家の令嬢ではなく、皇女の方がメリットはあるはずです。では、どうしてでしょう?」




 リーシャは、また涙が出てきていた。




 アレクセイが偽物の皇女にしようとしていた事実でさえ、自分には辛いものだった。




 だからルカは、自分に真相を伝えなかったのだ。




 皇女としての偽物の人生から、自分を誘拐したのだろう。


 そしてアレクセイの死の原因は、余計に自分にとって辛いものだった。




「父さんは私を、愛してくれたんですよ。皇女の偽物ではなく、本当に我が子として思ってくれた。だから夜会に出し、子爵家の令嬢として育てる決意を見せてくれています」




 リーシャは、愛などは嘘であると思っていた。


 しかしルカが自分に提示した推理ゲームがヒントになり、リーシャは初めて自身の推理に愛を含んだ。




 おかげで真相に辿り着くことはできた。




 だが、アレクセイの愛を実感した瞬間、自分を愛したことによって彼は命を奪われたという事実に、涙するしかなかった。




(父さん···)




 リーシャは切なく痛む胸を抑えた。




 利害でしか、自分は自分の価値を見出していなかった。




 子爵家の令嬢、伯爵家の婚約者の地位ーーまさかアレクセイが利害関係なしに、自分を見ていただなんて、気づけなかった。




 どうして、彼が生きている時に気づけなかったのだろう。後悔の念がリーシャを襲う。




「···でもあなたは、夜会に私を出すなんて知らなかった。慌てて来て、父さんを問い詰めたんじゃないですか?そして父さんは、私を皇女として発表することはやめると言ったのでしょう。だから、あなたに殺された」




 アレクセイは、自身の判断でリーシャを夜会に出すことを決めたのだろう。


 ファリドは自分が夜会に出ることを知らないようだったのを覚えている。




 彼は元々、リーシャが皇女であると信じ切っている。アレクセイが独断でリーシャを夜会に出し、アレクセイは焦ったのだろう。




 ファリドは、”アデリナ皇女”と結婚するつもりだったのだ。




 アレクセイ1人に勝手なことをされてはたまらない、と思ったことだろう。


 アレクセイとファリドの会話が、どういったものだったのか。




 ファリドはきっと何故無断で自分を夜会に出したのかとアレクセイを責めただろう。アレクセイはリーシャを今更アデリナの偽物であるだなんて、言い出しづらかったに違いない。




 ただ、リーシャが皇女の偽物だということは伏せ、アレクセイがリーシャを女帝として担ぎあげる計画を無しにしたいと言い出したら―――長年の共犯者はどう考えるだろうか。




(私が共犯者だったら、どういうことなのかと動揺します。自分を外し、他に皇女の配偶者に適任者がおり、そちらと乗り換えた――少なくともファリドは、父さんを殺していても、私が皇女であると信じて疑っていなかった。長年皇女と結婚できると信じていた彼は、絶望したことでしょう)




 ファリドは実直な性格で、提示された情報を信じて疑わない。




 詳細は知られずに急に長年の計画はなしだと告げられ、けれど計画を諦められなかったら、人はどうするだろうか。




 ファリドが行ったのは、アレクセイを殺し、皇女と信じてやまないリーシャを手に入れることだった。 




「あなたは夜会が終わってからも、家の中に潜んでいたのでしょう。私の方が先に出たから、足跡にはルカさんのものしか残らなかったーー当たり前です。あなたはずっと屋敷の中にいたのですから。皇女と誤解している私を探したのに、いないから焦ったのでしょう」




 ずっとリーシャが考えていたことだが、これも答えが出た。


 確かに自分は、雪にルカ1人の足跡しか残っていないことを目撃している。これは、まだ犯人が屋敷の中に身を潜めていたのなら、納得がいく。




「リーシャ···君は本当に推理が得意なんだな···」




 ファリドは、唇の端を吊り上げる。


 無理矢理に微笑もうとしているのだろう。彼の周りにいる使用人も、ファリドを見る目が変わっていた。




「じゃ、じゃあ、マスロフスキーは何なんだ?皇女ではないのに、どうして君を誘拐するんだ?その上、監禁って···」




 ーーリーシャは、少なからず残念に思った。




 ファリドは、自分が皇女であるかどうかが重要なのだ。自分の犯行より、リーシャが本物の皇女であるかをどうにか探ろうとしている。




 その思考こそが、彼が犯人であるかどうかの証拠だった。




「ボクは···最初から本当のことしか言っていないよ。リーシャを愛している。ただそれだけだ」




 沈黙していたルカは、迷いなく言った。


 でも、と先走った言葉をこぼし、ファリドはルカを見据えた。




「おかしいだろ?君は公爵家だ。そんな爵位を持った男が、本当は皇女ではないのに、彼女を愛する?だって皇女じゃないとしたら、君は···」


「平民ですよ、私はただの」




 ーーーリーシャは、自分の出生を告げ、微笑んだ。


 子爵家令嬢の地位でさえ、本来なら手に入らない身分である。




 公爵家のルカが、何故自分を誘拐したかどうか。




 愛があったと仮定した時、ルカの言っていることが本当だと分かった時、リーシャは1つの結論に辿り着くしかない。




「本当なら、推理に含めたくもありません。しかし、事実なのでしょう。ルカさんは私を愛している。皇女の偽物だと知りながら、私を愛してくれたんです。誘拐計画を練って、私を監禁したーーその日が、たまたま父さんの殺しの日と重なったのです」


「ボクは、君を守りたかったんだよ」




 ルカは力ない声で言った。


 本来ならリーシャに真実を告げるなんて、したくなかったのだろう。




「大人たちの嘘で皇女に祭り上げられようとしている君を、彼等から遠ざけ、守りたかった」




 真実なのだろう、とリーシャは思った。




 彼は、自分を愛している。




 身分など関係なく無償の愛を惜しみなく与えようとするルカは、狂っていると言わざる得ない。




「じゃあ、俺は···そんな嘘に踊らされていたっていうのか?」




 ファリドは、後ずさった。


 ルカの首から剣が離される。




 オルロフ家と縁戚関係があるルカが、自分は皇女ではないと肯定したからだろう。


 紛れもない事実を前にして、ファリドは失望したかのようだった。




「どうして、急にリーシャを跡継ぎにすると言い出したのか···ラザレフ子爵の頭がおかしくなったのではないかと思ったんだ」




 ラザレフ家とシュレポフ家は共犯関係であった。長年共犯関係であった者から突然裏切られ、ファリドはアレクセイを殺して、リーシャを手に入れようとした。




「君を皇女だと信じて···。いつか、俺が皇配になれると信じていたのに···」


「···ファリド」




 皇配とは、女帝の配偶者の呼称である。




(···ファリドの目当ては、権力でしたか。父さんも、私を皇女にして甘い蜜をすすろうとしていたのですが···)




 彼は皇配になることを夢見ていたのだろう。




 皇配となれば、多大な領地が与えられる。シュレポフ家のことを思えばこそ、彼はリーシャとの婚姻を望んだ。 




「俺には細かい推理なんてできない。ただ教えられたことを、全く疑わずに···」




 ファリドは突きつけられた事実を前に、ぶつぶつと口を開いた。




(嘘のせいで···人まで殺したんですものね···)




 リーシャは、彼を哀れに思った。アレクセイがついた嘘の話によって、ファリドは見事に踊らされたのだ。




「ファリド、あなたは1つだけ、嘘をつかないことがありましたね」




 リーシャはファリドに憐れみの目を向けつつ、言った。




「私を愛しているとは、絶対にあなたは言いませんでした。あなたにとって、愛は嘘でも言ってはならない崇高なことなのですね」




 ーーー自分だって、ファリドに好きだなんて言ったことはない。


 お互いに、お互いの地位にしか興味がなかった。


 愛などない自分たちの婚約関係は、元々なかったのも同然なのかもしれない。




「シュレポフ。罪を認めるのかな?」


「ああーー···騙されたよ。嘘の話に騙されて、人を殺してしまった」




 ルカが言うと、ファリドは失望の表情で頷く。


 近衛師団の師団長として、騎士道の精神を持つ彼だ。人を殺したという事実がわかれば、罪を償うだろうーーとリーシャは推測していた。


 リーシャが胸をなでおろした時、かちゃりとした金属音がしたのが聞こえた。


「···君が皇女だなんて、騙されなければ···っ」


 リーシャは、憎悪の瞳を向けられ、戦慄した。

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