第18話 消えた婚約者の行方

【消えた婚約者の行方】


 ファリドは、大きく息を吐いた。


 帽子やコートを着ていても、凍てつくような寒さは変わらない。帝都では-10度を記録している。


 天高くそびえる皇宮の屋根にも、雪が降り積もっていた。使用人たちが雪かきに必死になっているが、淡い雪は降り止むことなく、皇宮の庭を銀世界に染め上げていた。




 雪が降り積もる皇宮の庭を、ファリドは若い部下を連れて歩く。皇宮から、近衛師団の本部がある建物に移動するためだ。




「ファリド師団長···大丈夫ですか?」




 後ろに連れた若い男性は、ファリドの顔を覗き込むようにして、心配そうに顔を歪めた。




「あぁ、心配をかけてすまないな」




 リーシャがいなくなって、もう8日目になる。




(どこに行ったんだーーリーシャ)




 ファリドは、ろくに寝食をせず、プライベートの時間、リーシャを探し回っていた。彼女の行方を探すための手がかりは、未だ何も掴めていない。


 できるのなら、政務を放り出してでも、探しに行きたい。しかし近衛師団長である自分にそんなことは許されない。




 オーブルチェフ帝国は国土も広く、闇雲に1人の人間を探すのは無謀である。




 だが、それでもファリドは、家の使用人を使い、自分自身でも帝都を闇雲に探し続けるしかなかった。




(こんな時、彼女だったら賢い方法で人探しをするのだろうか)




 ファリドは、彼女のことを思い出す。




 推理小説が好きな、自分の婚約者。




『どうして推理小説が好きなんだ?』




 ファリドは訊いたことがある。普通なら、女性はドレスや宝石、そして砂糖のように甘い恋愛小説を好むものだと思っていた。


 彼女はそういう意味では、ファリドの目から見ても変わった少女だった。




『面白いじゃないですか。与えられた情報の中で推理するのも、もし解けなくても、騙されたなぁと悔しがるのも、私は好きなんです』




 自分には、わからない感覚だった。アレクセイから聞かされているが、彼女は頭が良い。色んな本を読み、そして独自の意見を持っていると。




 聡明なのは、彼女の”血”がそうさせるのだろうか、とファリドは思った。




『はい、この本の犯人は意外性を突いているので、お貸しします。読んでみて頂けたら嬉しいです』


『え、俺が読むのか』




 自分は彼女よりも年上であるが、特に本を読む習慣はない。必要にかられて読むくらいである。しかしリーシャは、婚約者である自分と共通の話題を作ろうとでも思っているのか、定期的に本を貸してきた。




『俺が読むんだったら···』


『はい?ちょっと、何をなさるんですか』




 リーシャの前で、ファリドは貸してもらった本をめくり、最後の数ページだけ捲る。




『俺は、謎の答えだけ知りたい。謎を解決するまでのなんやかんやは、すっ飛ばす』




 難しい話は苦手だ。誰が被害者を殺し、誰が犯人であるか。途中のトリックや種明かしなどに興味はない。




『···それじゃあ、本当に正しい答えかどうか、わからないじゃないですか』




 リーシャは少し不満そうにしていたが、優艶に微笑んでいた。




(――俺は、彼女のように推理なんてできない。ただいなくなった彼女を、草をかき分けてでも探すしかない)




 闇雲でも彼女を探すためには、時間が必要だ。そう考えると、ファリドは寝食を削るしかなかった。




 それほど、ファリドにとってリーシャは大切な存在だった。




 決して彼女を失うわけにはいかない。


 彼女の、優艶な笑みを思い出す。彼女を失ってしまうと想像するだけで、切なく胸が締め付けられるような思いだった。




(リーシャ、無事でいてくれ)




 ファリドは、彼女の安否だけを神に祈る。




「少しお休みになられた方が···」


「···いや、大丈夫だ」




 髪を刈り上げた男の言葉に、ファリドは首を横に振って拒んだ。




(御前会議でも、皇帝陛下にご心配おかけしてしまった。···駄目だ、仕事に支障をきたしてはいけない)




 自分を律するべきだと、ファリドは考える。


 冷徹無比なニコライ皇帝が人を気遣うことなど、滅多にない。きっと、御前会議でもリーシャのことを考えているのがバレていて、遠回しに注意をされたのだろう。




「こうしてずっと雪が降っているようじゃ、雪かきしてもきりがないですね」


「こら、黙って手を動かしなさい」




 使用人たちの声だった。


 広い皇宮の庭の中を、皇宮のメイド達が雪かきしている。メイドといっても、コートや帽子、分厚い手袋を着け、重装備である。彼女たちは庭園に停められた馬車の中も、掃除しているようだった。




「···帝都くらいの雪くらいじゃ、まだマシですよね。私の家は北なので、雪もつもりませんよ」




 メイド達の声が聞こえたのだろう。ファリドの隣にいる男は、眉を下げて言った。




「···雪がつもらないとは、どういうことだ?」




 帝都よりも北の大地ということは、極寒だろう。帝都育ちの自分は、寒ければ雪がつもらないはずがないと思った。




「北風が強すぎて、雪が積もらないんです。つもらなくても、ここよりも北なので、-30度になることもあるんですよ」


「-30度」




 ファリドは驚いた。


 帝都でも、-10度くらいがせいぜいの気温だ。




「そんなに寒いのか。寒すぎて、人は生きていけないんじゃないか?」


「いや一応は生きていきます。もう頬とか痛いんですよね。あまり長く外にいると凍傷になりますし」




 帝都育ちのファリドには、想像もできないほどの極寒らしい。若い男の話を聞きながら、ファリドは足を動かした。-10度でも寒いと感じているのだ。自分など、そんな極寒の世界では生きていけないだろうな――と思いながら。




「メイド長、こちらに、こんなものが···」


「あら、何それ。···テンの指輪?」




 雪かきしているメイド達の声に、ファリドは弾かれるように反応し、彼女達を振り返った。




(テン、だって?)




 若いメイドと、40近い年であろうメイド長は、黒い馬車の前で会話をしていた。


 テンの指輪――テンは、ラザレフ家の家紋である。


 その指輪を着けていたのは、アレクセイであるとファリドは記憶していた。


「そこの君たち、今、テンと言ったか?」


 ずんずんと雪の地面を歩き、ファリドは彼女等に近づいた。彼女達はギョッとしていた。




「···こ、近衛師団長様···っ?」


「な、何か···?」




 彼女達はファリドの顔を見てあたふたしていた。ファリドは彼女達の反応を気にすることなく、若いメイドの手袋に握られる指輪をじっと見ていた。




「ちょっと見せてくれ」


「は、はい···」




 若いメイドは顔を赤くし、震える手でファリドに指輪を渡した。何か自分はまずいことをしてしまったのだろうかと、メイドは不安気にファリドを見つめていた。




(やっぱり、これは···ラザレフ家のものだ···!)




 アレクセイの手から、離れたのだろうか。




「これを、どこで?」


「え、えと···こちらの馬車に···」


「馬車に?」




 ファリドは、黒い馬車を見る。




 今は御者席に人もおらず、客車の中も空っぽだ。


 オルロフ家の家紋が入った馬車は、皇帝が御忍びでどこかに行ったり、皇宮に勤める者が乗ることもある。




(リーシャは、この指輪を持っていたのか?···指輪があるということは、この馬車に乗っていたということだろうか···)




 ごくりとファリドは唾を鳴らす。




(難しいことは、俺にはわからない。細かな推察など、向かないんだ)




「なぁ、この馬車に誰が乗っていたのか、どこに行っていたかを調べることはできるか?」


「え?えぇ、馬車を管理する者に訪ねれば、ある程度把握することはできますが···?」




 若い男が首をかしげながら言った。


 何故ファリドが目を輝かせ、拳を握っているのかわからないのだろう。


 ファリドは8日ぶりに、自身の心が高鳴るのを感じた。




(糸口を見つけた···!これを逃すわけにはいかないっ!) 


 今までどこにも、リーシャを探す手がかりはなかった。


 もしこのラザレフの指輪を持っていたのがリーシャだったら、彼女を探す手がかりにもなるかもしれない。


(無事でいてくれ、リーシャ···っ!)


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