第17話 推理に、愛は不要である

【推理に、愛は不要である】


「君は、推理にラブロマンスに介入することを許さないよね。恋愛に潔癖と言うか···。人の恋愛を描いた推理小説で名作も多いじゃないか。ボクは好きだけどなぁ」


「私は···推理が純粋に好きなので、物語の中に、急に水を差すように恋愛が入ってくることが嫌なんです。恋愛は、蛇足なように思えてしまうんです」


 自分の感性なので、ルカに強要しようとは思わない。たまたま自分がそういう小説は好きではないだけである。




「恋愛を蛇足かぁ。仮にも婚約者がいた身なのにね。彼のことは、好きじゃなかったんだろうけど」




 まるで自分のことをわかっているかのような発言に、リーシャはぴくりとした。過去形である言い方も気にはなるが――。




「何故、私がファリドのことを好きじゃなかったと?」


「わかるさ。君は彼のことを、全く口にしないだろう?ボクが愛を囁いても、彼との婚約を盾にすることもない」




 そうだったか、と自分が無意識に行っていたことを思い出す。


 意図している訳でもなく、自分は無意識に――ファリドのことを全く考えていなかった。




「···貴族同志の婚姻に、必ずしも恋が必要という訳ではないでしょう。必要なのは、家柄が釣り合うかどうか、建設的な婚姻であるかどうか、です」




 事実として、リーシャはファリドのことを婚約者として適当と考えているだけで、彼に恋している訳ではなかった。




「シュレポフ家との婚約は、建設的な方かな?ラザレフとシュレポフは仲が良いもんね」


「否定はしません」




 ラザレフとシュレポフ家の良好な関係を確実にするためにも、お互いは結婚した方が良い。元々自分が平民であることをファリドは知っているが、特に嫌がる素振りを見せたことはない。




「君は何故、愛について懐疑的なのかな?」


「何故って···それは···」




 リーシャは言い淀んだ。




 愛など、リーシャの世界には存在しない。




 存在しないものを、どう信じろというのだ。




(父さんやファリドは、私に利害関係を見出していたから、側にいただけに過ぎません)




 孤児だったリーシャが、頭がよかったらアレクセイは引き取った。


 子爵令嬢という地位があったから、ファリドは自分を婚約者にした。


 自分の好きな物語には恋愛を描いたものもあったが、リーシャにとっては、ファンタジーの物語と変わらない。




「ボクは、君を愛しているよ」




 ルカは自分のことを恍惚とした目で見つめていた。




(また、そんな嘘を言って···)




 どうして最近会った人物に愛などと言えるのか。


 ルカの言葉を素直に受け止められず、リーシャは大きく息を吐く。




「話をそらさないで下さい。問題を考えたいので、黙っていてもらえますか?」


「あぁ、存分に考えてね。時間をかけてくれて構わないよ」




 優しい彼の口調が嫌味のように感じられた。




(AとBの部屋の条件は···)




 改めてリーシャは、彼が提示した条件を考える。




(······よくあるトリックの可能性は、すでに潰されていますね)




 思考が、止まりそうになった


 リーシャは先程提示された条件を、改めて頭の中で整理する。




(薬物の使用はNGですし、トラップで殺されたのでもない。自殺でもないーーー他殺の可能性だけは、潰されませんでしたね。そして、2人は愛し合っていた。···いえ、この条件は思考する必要もありません)




 愛は、まやかしに過ぎない。




 AとBが愛し合っていたという情報は、蛇足だ。リーシャは小さく歯ぎしりする。




「本当に、情報はすべて開示されているのですか?」


「うん、全部言ったよ」




 念を押すように言えば、ルカは答える。自分の様子を、彼はじっと見つめていた。




(···わかりません)




 リーシャは己の思考が止まってしまっていることを意識していた。




 ーー駄目だ、思考を止めてはいけない。




(AがBを殺す、もしくはBがAを殺したのは間違いないでしょう。自殺や事故死ではないのだから···。ですが、その後は···?)




 AとBは、お互いの部屋を開くことができる鍵を所持しているのだ。例えば、AがBを殺した後、どうやってAは閉ざされた部屋で殺されたのだろう。




(自殺でもなく、薬を飲んで死亡したのでもなく、トラップで死んだのでもないとして···)




 リーシャは情報を整理する。




(愛し合ったという情報が、まさか鍵になるというのですか···?)




 愛し合った2人が、どちらか一方を殺した。心中だろうか?しかし、自殺ではないのだ。




「あぁ、悩むリーシャも可愛らしいなぁ」


「···静かにしていて下さい」




 ルカはうっとりとして自分を見つめている。彼の視線に居心地が悪く。苛々して思考がざわつくのがわかる。




 いやーー推理を解くことができず、苛ついているのかもしれない。リーシャは自身の苛立ちの正体に気が付き、ルカを睨んだ。




(私が、この方に負ける?そんなこと···)




 彼は涼やかである。悠然としながらヴォートカをあおる男の姿を見て、リーシャは思考を続ける。




 暫く、リーシャは黙々と思考した。何度か深呼吸し、苛立ちを抑え、たまに窓の外を見て気分を変えようとした。


 しかし、時間は過ぎていく。




「リーシャ、解けたかな?」




 彼はヴォートカを飲んでいても、酔っている様子もない。


 リーシャは息を吐き、とうとう観念したように首を横に振った。




「大変悔しいですが、降参です。被害者のどちらかが、どちらかを殺した後に部屋を施錠するのはわかります。その後が、私にはわかりません」




 彼に敗北するということが嫌だった。でも、リーシャにはいくら考えてもわからない。




「答えを、お教え頂いてもよろしいですか?」




 ルカに負けるという事実は嫌だが、リーシャはそれよりも、この問題の答えに興味があった。らんらんと輝く瞳でルカを見る。推理小説だったら、わくわくとページをめくっていただろう。




 自分にとって種明かしは、自身のプライドをへし折ってでも得たいほど魅惑的なものだ。




「ボクの勝ちってことなら、先に景品をもらっていいかな?」


「はい?···あぁ」




 先に種明かしをしてほしくて、景品の存在を忘れかけていた。ゲームは、リーシャが本当に知りたい情報のことを一時忘れさせていた。




(完全に忘れていました···。私の監禁された理由とか、父さんのこととか···)




 推理ゲームに熱中し、更にその答えを欲しがるほど、リーシャは夢中になっていた。




「さて、ボクが勝った場合は、1つリーシャにいうことを聞いてもらえるんだったね」


「そうですね···お手柔らかにお願いできますか」




 そうだなぁ、とルカはにたりと不敵に笑った。リーシャは内心ビクつく。




(最初は、私を差し上げるとか言っちゃいましたね。ルカさんが撤回してくれて良かったです)




 ここから抜け出すことができたのなら、リーシャは伯爵夫人になる身だ。まだ傷物にはなりたくない。




(何を言われるんでしょう···?)




 ルカが自分に求めるものは何なのかとドキドキしていると、ルカは花が咲いたようにころりと笑った。




「景品は、キスさせてほしいなぁ」


「ーーはいっ?」




 キス?とリーシャは繰り返す。ニコニコと笑うルカを凝視する。




「あなたは、また···そういう···」


「いやね、色々考えたんだ。君からも愛していると言ってほしいけど、今の君だと棒読みで言われそうだ。君には今後夫婦になってから、気持ちを込めて愛していると言ってほしいなぁ」


「いえ、あなたの理屈で言えばキスだって同じではないでしょうか?···まぁ、あなたと夫婦にはなりませんけれどね」




 ルカはよく自分と夫婦になる未来の話し方をするが、自分にはその未来は見えない。




(キス、ねぇ。ルカさんが私にそんなことを求めるメリットがわかりません。体目的···だったら最初から乱暴はできるはずですし···)




 何故ルカは勝った景品に、キスを求めるのだろう。自分にキスをするメリットが、何か彼にあるのだろうか。




「いいかな?リーシャ」


「あ、はい。負けたのは確かですから···」




 確認するように言われ、リーシャは反射的に答えた。


 先程のゲームの答えを、この後に聞くことができるなら、やむを得ない。




「本当?嬉しいなぁ」




 ルカは立ち上がり、自分の隣にやってきた。近づいてくる嬉しそうな彼の顔を見て、余計にリーシャは疑念に囚われた。




(この人は、どうしてそんなに嬉しそうな顔をするのでしょう?演技でも···)




 演技をする必要としては、自分を籠絡したいからか?


 自分を籠絡する意味など、何があるというのだろうか。




「あぁ、リーシャ···」




 うっとりと、感嘆するような声音。


 彼は、自分の頬を撫でた。彼の指先から指の腹が、ゆっくりと自分の頬の肌を撫でていく。リーシャは触れられたことで、肩を大きく跳ねさせる。普段触れられたことがない場所で、自然と身体が緊張して強ばる。




(私も未経験なことですし、やはり少なからず緊張しますね···)




 キスという行為は、物語の文面上は何度となく読んできたが、リーシャにとって胸踊る言葉ではなかった。いつか結婚するとしなくてはいけないのだろうなぁくらいに思っていただけだ。




(何てことはありません···。キスなど、唇と唇を接触する行為に過ぎません···)




 自身に言い聞かせるように心中で呟くが、ルカの灰色の瞳がより近くで自分の顔を映すと、呼吸がしづらくなるように心臓が縮まる。




(···目を、閉じるんでしたっけ···?)




 リーシャは、瞳を閉じた。




 彼が自分の顔を眺めていることがよくわかる。しげしげと自分の顔を眺めている彼の視線に、身体全身が強張っていくのを感じた。




「···こちらにしておこうか」




 ルカがくすりと笑う声がした。何を笑われたのかわからず、目を開く。




(は···)




 リーシャは、自分の手の甲にルカが口づけたのを見た。熱を持った唇が押し付けられた感覚に、くらりとめまいを覚える。




(···私を気遣った?)




 夜会でも、手の甲にキスをするフリをする挨拶はあるようだ。だが、ルカは確かに自分の手の甲に口づけを落とした。




 緊張している自分を、気遣ったのだ。




「キスだって、ちゃんと愛がある夫婦になればできるんだ。今、手に入れることもないね」




 ルカはそう言って、微笑んだ。


 普通の乙女ならば、彼のような者に口付けられたらときめくだろう。だが、リーシャは動揺していた。




(どうして。この方は···私を、どうしたいと言うのだろう···)




 行動の意味がわからない。


 先程の問題のように明確に文言を並べてくれたほうが、リーシャにとってはわかりやすいのに。




「あぁ···愛してるよ、リーシャ」




 ルカは恍惚にとろけた瞳で自分を見つめ、言った。


 自分を映す彼の瞳に、リーシャは誤解してしまいそうになった。




 ーー愛など存在しないはずなのに、目の前にあるかのように思えてしまう。




「···また、あなたはそういうことを言うんですから···」




 リーシャはルカから逃れたくて、手を振り払った。


 落ち着こうと軽く息を整える。




「えー?ボクは本気なんだけどなぁ、君は本当に信用してくれないね」




 ころころと笑うルカを、リーシャは軽く睨む。




「もう、よろしいでしょう?景品は、まぁ···差し上げました。いい加減、答えを教えて下さい」


「あぁ、答えね···」




 隣に腰掛けたままのルカは、またヴォートカを飲む。彼は先程からヴォートカを飲んでいるが、先程口づけた自分の手にも、酒が付着しているのだろうか。




「まだ教えないでおくよ」


「···はい?」




 リーシャは目を訝しげに細める。眉間にシワを寄せてしまった。




「それは、話が違うんじゃないですか?」




 約束が違う。早く答えが知りたくて自分は敗北を認めたのだ。




「リーシャは推理が好きだし、まだ考えたいだろう?」


「私は、答えが···」


「ほら、さっきボクが言った条件を、紙に書き出して一緒に考えてみようよ」




 ちょっと、と静止しても、ルカは話を聞かずにサロンに置いてあったノートを手に取り、喜色満面の様子で先程の条件を書き出す。




(···この方は、一体···)




 嬉しそうにリーシャに触れたりするルカは、一体何者なのなろう。


 皇宮に勤めている可能性だってある謎がある彼を見て、リーシャは自身の心が乱されていくのを感じていた。


(もしかしたら、この方が父さんを殺したのかもしれません。気を許しては、いけません)


 結局、リーシャはルカと朝まで一緒にいたが、推理ゲームの謎を解明することはできなかった。

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