第5話 誘拐


『リーシャ、来週行われる行われる夜会に、君を出すことにするよ』




 --リーシャは、彼の遺体を見た時、ふと彼が言った言葉を思い出した。


 書斎に呼び出され、何を言われるのかと思った。言われた時、リーシャは嬉しくなって、目を輝かせた。 




『本当ですかっ?父さん』




 アレクセイは笑みを浮かべ、首肯する。




『ああ、君はどこに出しても恥ずかしくない、立派な令嬢になったよ』




 平民出身のリーシャは、教養だけでなく行儀作法も叩き込まれた。


 全ては、ある目的のためだ。




『私の跡継ぎに相応しい』




 ――ラザレフ子爵家の跡継ぎ。




(父さんの期待にそえた、貴族令嬢になれた)




 リーシャは気分が弾むのを感じつつ、無作法にはしゃがず、優艶に微笑んで見せた。誰の目から見ても、自分に平民の血が繁っているなどと思われないように。




(身を引き締めなくてはなりませんね。私はこれから、ラザレフ家次期当主として生きていくのですから)




 自分が夜会に出るのは、始まりに過ぎない。来週のラザレフ家主催の夜会でデビューした後、他の貴族達が催す会に次々と参加することになるだろう。




(父さんの御眼鏡にやっとかなったのです)




 18歳という年齢は、他の貴族令嬢からしたら、夜会デビューが遅い方である。リーシャはもしや自分が至らないせいで、ラザレフ家を継げないのではないかと考えたこともあった。杞憂だったようで、安心する。




(近頃、父さんが私と食事を共にする機会が多かったのも、子爵家の跡継ぎに相応しいかのチェックだったのでしょうね)




 この1ヶ月、アレクセイはリーシャと過ごす時間を増やしていた。




 本邸と離れという距離を置いた関係だったのが、急にアレクセイがリーシャと過ごす時間を増やしたのは、跡継ぎに相応しいかどうかの見極めをしていたのだろう。


 リーシャは嬉しく思いながらも、冷静にアレクセイの顔を観察する。優し気な赤毛の男を見て、彼の心中を推察する。




(父さんは、私に子爵家の跡を継がせたいと思っているだけ。父さんは子宝に恵まれず、このままだとラザレフという家名は滅びるだけですもの)




 貴族にとって、家名は重要である。




 できたらラザレフ家の血が少しでも入った者が望ましいのだろうが、アレクセイには兄弟はおらず、アレクセイただ1人がラザレフの血を継いでいる。


 彼には、血の繋がりがない養子を取るしか、ラザレフ家の家名を継がせる方法はないのだ。




(例え血が続いていかないとしても、優秀な者が跡継ぎになりさえすれば、彼は満足なのでしょう)




 アレクセイは何度か離婚を繰り返している。子供ができないという理由の離縁だったようだが、何度妻をめとっても、彼に子供ができることはなかった。子供ができないのは、彼自身の身体の問題なのだろう――アレクセイもそれがわかり、今現在も彼には妻はいない。




(平民である私が子爵家の跡を継ぐことができる。父さんが私に利用価値があると考えているように、私も―――父さんの養子になれて良かったと思いますよ)




 彼は自分に跡継ぎとしての価値を求め、自分は安定した地位を求めている。


 子爵令嬢の地位、伯爵夫人としての地位、領主跡継ぎの地位――全てはアレクセイが自分に与えてくれたものだ。




『リーシャはうちの跡継ぎですから、これからも良くしてやって下さい』




 先ほどの夜会の席でも、彼は他の貴族に対してそう言った。




(私達の、偽の親子としての利害は一致しているんですよね、父さん)




 1週間前に言われたこと、夜会でのことを思い出し、リーシャはアレクセイのことを考えた。




 アレクセイ・ラザレフ。自分の養父だった男であり、ラザレフ家の当主である。




(父さんが――死んだ)




 父の遺体を見て、リーシャは視界と鼻を塞がれ、くらりと目まいを覚える。自分を抱きしめる腕は、男のものだ。




『ボクは、君を手に入れるためならどんなことだってしてみせるよ』




 声を聞くに、きっと彼は成人男性なのだろう。


 男にかがされた薬のせいか、激しく頭が痛い。どんどんと頭の内側からハンマーか何かで頭が叩かれているようだ。




(父さん)




 彼の死を直面したというのに、リーシャは不思議と悲しみを覚えなかった。


 アレクセイが死んだということが、どうしても信じられないのだ。




(しかし、あれは”確かに死んでいました”)




 アレクセイが悪ふざけをしている訳でもなく、本当に彼等は死んでしまっている。




「さて、連れて行こうか」




 まどろむ意識の中、リーシャの耳には彼の声が聞こえてきた。




 父の遺体を見つけた時、自分を抱きしめた男の声だ。




(眠い···父さんの死体を見て···驚いて、本を落としてしまって···それから···)




 目を開けることがひどく億劫に感じられる。




 自分の体は誰かに抱きしめられて、運ばれているようだった。頬が痛くなるほどの寒さを感じる。


 自分を抱きしめている人物は、着ている上着で自分を包んだようだ。




(外に···)




 ラザレフ邸から、外に出たようだ。体を動かすことができないだるさを感じながら、リーシャはやっと薄目を開けた。




 男は自分と前から抱き合うようにして、自分を抱えているらしい。彼の肩に顎をつけながら、リーシャは離れていく屋敷を見た。雪の中に残る足跡は、彼1人のものである。




(···この方は、私をどうしようと···)


 やはり目が開けてはいられない。強い眠気を感じる。自分の頬に、雪が落ちてくる。雪はまだ降っているようだ。




「あぁ···ようやく、リーシャを手に入れることができた···」




 力強く、彼は自分の身体を抱く。男の身体に抱かれたことなんて、初めてであったが、緊張を感じる余裕なんて自分にはなかった。




(···この方は、誰、なのでしょうか···)




 ぼんやりとした意識の中で、リーシャは考える。自分の知る人物ではないだろう。ファリドでもない。




「ガリーナ、頼むよ」


「はい、かしこまりました」




 男性は、リーシャを馬車の中に置いたようだった。馬の声が聞こえるのと、雪が体につくこともなくなった。


 自分の体を横たえたその時、ガラスのような何かが割れる音が聞こえてきた。






「あ···」






 ガリーナと呼ばれた、若い女性の声が聞こえてきた。何やら焦ったかのような声だ。目を開けることができないリーシャには、何が起こったかは正確にわからない。




(···私は、どうなってしまうのでしょう)




 視界が真っ暗なまま、リーシャは恐怖を感じるよりも先に、眠気に逆らうことができなかった。




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