第6話 現状把握


 一晩寝れば、身体はだいぶ疲れが取れていた。




 リーシャはルカに贈られた服の中から、1番動きやすそうな黒のドレスを選ぶ。ぴったりと肌になじむ素材で、サイズも合っているようだ。




 夜会で着ていたドレスとよく似たそれを着て、部屋いっぱいに積まれたプレゼントの箱に手を伸ばす。箱からドレスを出すと、どれも見事な装飾が施されていた。何着か自分に合わせてみると、サイズも合っている。




「監禁生活にしては、豪勢ですよね···」


「はい、ルカ様からリーシャ様が不自由のない暮らしをとのことですからね。他にご入用のものがありましたら仰ってください。ドレスが気に食わないようでしたら、お作りになることも可能です」


「至れり尽くせり過ぎますね」




 一晩寝て、リーシャはある程度ガリーナのことを理解した。彼女は、1訊けば、10答えてくれるような性格をしている。




 ルカは、生活の保証はしてくれる気があるらしい。昨日の晩や今朝には豪華な料理が出てきたし、服もこうして用意してくれている。




「ガリーナは、私の父が殺されていたことで、何かご存知ですか?」


「いいえ、屋敷で起こったことについては存じません。ルカ様は、単身であなたを捜しに行かれていました」




 確かにルカは、1人でラザレフ邸にいた。視界が閉ざされていたとはいえ、リーシャはガリーナが言っていることが本当とわかる。




「誘拐は、犯罪ですよ。例えメイドでも、主人に言われたからって従うことはないんですよ」




 リーシャは強い語調で言った。もしガリーナが真相を知らなくても、上手く味方につけることはできないだろうかと思った。




「ルカ様には、私が好きで従っているだけです」




 味方につけることはできず、言い切られてしまった。


 彼女は辛辣な口をきいていたが、ルカに対しての忠誠心はあるらしい。メイドなのだからルカからある程度の対価は支払われているだろうが、それ以上にガリーナはルカに対して何か恩でも感じているようだった。




「···ルカさんが誘拐犯であることは、紛れもなく本当なんですよね。言動や、この服からも察するに···」


「服、ですか?どういうことでしょうか」


「ええ、これだけの服を瞬間的に用意するのは無理があります。私をさらうということについては、元々計画されていたのでしょうね」




 ガリーナは、口を閉ざしていた。誘拐犯であることはルカ自らが認めていたがーー。




(···父さんが死んだことと、彼が私を監禁したことと、何か関連はあるのでしょうか?)




 ルカは、強盗の仕業と言っていた。何かを誤魔化すようにしていたのは間違いない。




「ルカさんは、今どちらにいらっしゃいますか」


「リーシャ!」




 言い終わる前に、当の本人が嬉々として部屋の中に入ってきていた。リーシャは優艶な笑みを浮かべたまま、くるりと振り返る。




「おはようございます、ルカさん。服をお贈り頂き、感謝申し上げます。それでは昨日の話の続きを···」


「あ、ボクが贈ってくれた服を着てくれたんだね。よく似合うよ!君に似合うと思って作らせたんだ」


「···どうも、ありがとうございます」




 リーシャは丁寧に頭を下げた。一応は服を貰った立場なのだ。感謝をするのが礼儀であろう。自分を見てうっとりとする彼の視線は、どうも居心地が悪い。




「ルカさん、真相を···」




 リーシャが言いかけた時、彼にまた手を取られた。強く引っ張られるため、目を丸める。




「え、あの···」


「屋敷を案内するよ。もし体調が無理なようだったら言ってね」


「屋敷を?この部屋以外にも、出入りしていいのですか?」


「勿論」




 ルカはにっこりと笑った。


 昨日見ても思ったが、親切そうな顔をした男だ。手を引かれるまま、初めてリーシャは部屋の外に出た。ガリーナも後ろからついてきてくれている。




 部屋の外に出ると、長い回廊に出た。藍色の絨毯が敷かれ、一定の距離を置いて、像や絵画などの美術品が飾られている。リーシャは部屋の前の、顎髭が生えた男性の像に近づいた。ホコリなど全くなく、綺麗に整えられている。




「リーシャは、美術品にも興味があるのかな?好きなものがあるなら教えてほしいな」


「教養として、美術の知識はあります。ですが、知識があるだけですねぇ」




 リーシャは並べられた美術品を見ながら、窓を見た。風が強いのか、雪は横殴りに降っているようだ。




「これは、何ですか?」




 窓の縁に触れると、ガリーナが近づいてきた。


 窓の縁は、分厚い布切れに覆われていた。豪奢な美術品が並んでいる中、窓だけが不格好である。




「ああ、それは寒さ対策です。そうしないと、冷気が入ってきてしまって、とても寒いんですよ。ここは冬が厳しくなると···」




 ガリーナは口に手を当て、ルカを見た。ルカは何やら頷いているーー2人の目の動きをリーシャは見て、ガリーナがこの土地に関する情報を言おうとしていたことに気がついた。




(ここは帝都より、寒い土地のようですね。帝都よりは北側なのは確かでしょう)




「···美術品の談義よりも、ルカさん。私は昨日のお話の続きが聞きたいです」


「あぁ、ボクは君のお父上に関しては何も知らないよ。強盗かなぁと思ったのだけれど」




 はぐらかすように言われ、リーシャはイラッとしたが、顔には決して出さなかった。




(私が感情を取り乱したところで、この人は教えてはくれないでしょう。何かを隠しているのだから···)




 リーシャは彼に気づかれないように一息つき、彼の横を歩く。




「では、私を誘拐した理由は?父の死と、関連がないように思えないのですが」


「それはボクが君を愛しているから」


「···私は、あなたと初対面のはずです。人はそんな簡単に、人を愛せはしないでしょう」




 苛立ちを深めたが、リーシャは眉を釣り上げるだけに留めた。


 彼とは初対面である。自分の記憶に、彼のような人はいなかった。




「そうかなぁ?」




 ルカは軽く、首を傾げてみせた。どういう意味かわからず、注意深く彼を見た。




(···私が、忘れてるだけですか?それとも、簡単に人を愛せるとでも?)




 記憶の中を探る。いいや、やはり自分は彼のような人を覚えていない。




(ラブロマンス小説でもあるまいし、そんな···演技に決まっています)




 ありえないとリーシャは決めつける。




「リーシャ、ここが図書室。部屋に持ち出してもいいよ」




 数多くある部屋の中でも、ルカは主要な部屋だけを開き、リーシャに見せた。図書室はラザレフの離れよりも広く、建物の2階分を吹き抜けで作っているのだろう、天井高くまで本はぎっしりと並べられている。




(この屋敷は、ラザレフ家よりも大きいようですが、その割に使用人の数が少ないですね···)




 廊下を歩きながら、リーシャは注意深く、何1つ情報を逃すまいとして仔細なところにまで目を配らせていた。ガリーナと同じメイド服の少女や、若い男の使用人もいる。彼等はリーシャを見ても、特に何かを言うことなく、自分たちの仕事をこなしているようだった。




「ここがエントランスホール」




 1階に降りると、大きな円形の玄関だった。大理石の床に、玄関から入ると大きな2体の白亜の像が出迎えてくれるようだ。白亜の像は、女性と男性の裸体を象っており、平均身長である自分の3倍の大きさはある。




「···玄関を教えてくれるとは、ここから逃げろということでしょうか?」




 リーシャは優艶な笑みを浮かべながらも、意地悪く言った。だが、ルカはにこにことして様子を崩さない。




「下手に逃げられると困っちゃうからね。逃げることは無理だって教えたくて、案内したんだよ」


「無理?···雪深いからということでしょうか」




 窓縁をわざわざ塞がなければならないほど寒い地域のようだが、ルカが「無理」と言う意味がわからなかった。




「む、ルカ様、そのお方がリーシャ様ですか?」




 扉の前に、彼が立っていることで納得した。がっちりとした、屈強な体の男性が、扉の前を守るようにしていたのだ。恐らく彼は60代くらいの年齢だろうが、黒いスーツを着ていても、彼が筋骨隆々としていることだけはわかる。リーシャが扉から逃げようとすれば、たくましい腕で捕らえられてしまうだろう。




「そうだよ、エミール。もしも彼女が逃げようしたら阻止してね」




 この筋骨マッチョな男性ーーもとい、なでつけられた白髪の男性は、エミールと言うらしい。リーシャの姿を忘れないようにしてか、彼の青い瞳がじっと自分を見つめる。




「お初にお目にかかります、リーシャ・ラザレフです。この度、こちらに誘拐されてきまして···」


「む、これはご丁寧に···。わたくし、エミールと申します。ずっとルカ様にお仕えしている使用人です」




 エミールはリーシャよりも深々と頭を下げる。


 誘拐されてきたことに関してはスルーらしい。




(なるほど。ここにいる使用人達は、誘拐されてきた私のことを内密にできるくらい忠誠心のある者だけなんですね)




 屋敷の規模の割に使用人の数が少ない理由は、きっとそれだろう。数が多ければ統制は取りづらく、人の口に戸は立てられないものだ。最小限に人を減らし、リーシャがここに監禁されているということを隠したいのだろう。




「エミールさん、ここがどこなのか、教えてもらえますか?」


「む、それはお答えできません。ルカ様のご命令です」




 ルカが、無駄なのにとつぶやいたのが聞こえてきた。使用人は、自分に情報を教えないようにしている。ため息を吐き、ちらりと扉の脇を見れば、分厚いコートと帽子が置いてある。きっとエミールのものだろう。




「あと1階には、サウナや浴槽もあるんだ。君気にいるといいな」




 玄関を離れ、ルカは活き活きと話す。ガリーナが扉を開いていたが、10人以上はゆったりと体を伸ばせるくらいの大浴槽や、同じく多くの人が入れそうなサウナルームがあった。ラザレフ家にも大浴槽やサウナはあったが、規模はここよりも小さい。




「こちらは···?」




 1階を案内されている時、リーシャは大きなガラスに手をかけた。あまりの寒さに、慌てて手を引っ込める。ガリーナが気遣うようにして自分の手を覆ってきた。




「庭園です。こちら側に馬車を停められる方もいますよ」




 ガリーナが説明してくれた。大きなガラスを隔て、外には花壇のようなものが見える。無論、雪深い気温では花も咲いていないようだ。


 雪が吹き荒れていたから積もっているだろうと思ったが、風が強すぎてか、地面はむき出しだ。




(馬車が停められるってことは、こちらから出られますよね···)






「コートもなしに、そんな肩が出たドレスで外に出たら、凍傷じゃ済まないんじゃないかな」


 リーシャの心を読み取るように、ルカが言った。


 自身の肩を撫でる。今風のオーブルチェフ帝国のドレスは、大体が肩が露出し、袖口が長いデザインばかりだ。まさかドレスが足枷になって、外に出られないとは思わなかった。




「帝都だって、帽子もないと脳が凍るって言われるほどの寒さなんだからね」


「ここは、帝都よりも北だから、もっと寒いということでしょうか?」


「さて、どうかな」




 ルカは自分に秘密にすることを楽しんでいるかのようだ。そんな彼の余裕を壊したくて、リーシャもまた余裕がある風を装う。




「あなたは、名が通ったお貴族様か、商家様ではないでしょうか?」




 今まで見せられた情報の中から、リーシャは言った。ルカは大して驚かない。




「一応訊いておこうか。どうしてそう思ったの?」


「推理の必要もありません。屋敷を見ればわかります。それに、あなたは名字も名乗られないでしょう?もしかして、夜会デビューしたばかりの私でも聞けばわかるくらいのお名前の方ですか?」




 ルカは、名前を名乗っていない。もしかしたら偽名の可能性も拭えないが、それにしても頑なに使用人達も彼の姓を語らない。




「十分に財が恵まれているお方が、私を誘拐する理由は何ですか?」




 身代金目的ではないだろう。


 もし借金があったとしても、廊下にたくさんあった美術品を売り払えば良いだけだ。もし彼が裕福な商家だったとしたら、爵位を持ちたいとか?彼のような見た目なら、わざわざ自分を誘拐しなくても女性には困らないだろう。




「それは、ボクが君を愛しているからに決まっているよ」




 ルカはまた自分の手を取ろうとしたが、リーシャは跳ね除けた。悠然とする彼は、尚も調子を崩さない。






(また、嘘を···)






 リーシャは、彼の言葉が嘘のように感じられた。


 どうして彼が自分を愛するというのか。


 駄目だ。推理をするにも、情報がたりなさすぎて、リーシャにはわからない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る