第3話 オルロフ一家のミステリー
【オルロフ一家のミステリー】
世界で最も広大な領土を持つオーブルチェフ帝国では、前皇帝が当時の宰相によって暗殺されたという悲惨な事件があった。
前皇帝のイワン皇帝は賢王と知られているが、5人家族が全員、当時の宰相であるシーシキンに殺されてしまったのだ。シーシキンが提案した、南に国土を広げる南下政策を、イワン皇帝が却下したことが理由である。
ここオーブルチェフ帝国は、冬は厳しい寒さに見舞われる。シーシキンは、「南に国土を広げることは帝国の悲願」と言っていたと歴史書には記されている。宰相が良かれと思った帝国の方針を、帝国の主である皇帝に却下され、シーシキンは皇帝一家を殺してしまったという訳だ。
だが、この前皇帝が暗殺された事件自体はミステリーではない。
「オルロフ家の4人の遺体は見つかったのに、幼いアデリナ皇女の遺体だけが、見つからなかったんですよね」
リーシャと同世代であろう貴族の少女が言った。
イワン皇帝や、皇后、2人の子供達の遺体は、見つかっている。4人は銃殺され、土に埋められたのだ。しかし、家族の中でようやく1歳になろうとしていた幼いアデリナ皇女の遺体だけが見つからなかったのだ。
「そうそう、今の皇帝であるニコライ皇帝も、もしアデリナ様がご生存されているなら、皇位を譲るべきと仰っているとか」
現在オーブルチェフ帝国を治めるのは、イワン皇帝の従兄妹であるニコライ皇帝だ。彼はシーシキンを捕まえた功績から皇帝に即位するが、即位する前に一度辞退をしている。
自分は直系ではないから、正当な血筋の者がいるのであれば、その者が皇帝になるべきと――。
「遺体だけが見つからなかったという情報だけでは···さすがに私でもわかりかねます。しかも、ニコライ皇帝の優秀な部下の方々もアデリナ皇女をお探しになられたと聞きますしね」
「でも、生死についてはどうお考えになりますか?」
「それは···」
リーシャは、言葉に迷った。遺体が見つからなかったとされるアデリナ皇女の、自分が知る情報を思い出す。
(確か一家が銃殺されたのは、帝都ソヂビルスクの郊外。季節は冬真っ只中。雪も降っていた。帝都と言えど、-10度はありますよね。そして4人の遺体の場所は、同じ場所にかたまっていた――)
「···わかりませんね、やはり」
リーシャは、肩を竦めて言った。
「もしかしたら、流石に1歳の子を殺すのは憚られて、彼女だけを誰かが助けた可能性もあります。もしくは、埋められた遺体を誰かが盗んだ可能性もありますね。推理小説のようにはいきません」
生死を判別するに、与えられている情報が少なすぎる。可能性を言えばキリがない。
「リーシャ!ちょっと――」
「あ、すみません。父が呼んでおりますので、失礼いたします」
入口の近くで父が呼んでいる声がしたため、リーシャは今まで話していた彼等に慇懃に頭を下げた。彼等は口々に「またぜひ話しましょう」「また夜会で」と言ってくれ、リーシャは顔にこそ優艶な笑みを浮かべたままだったが、気持ちが弾んだ。
(たくさんの人と話すことができて、夜会とはとても楽しいですね)
リーシャは、夜会に出たのが今日が初めてだった。
貴族の子女たちの夜会デビューは16歳頃だが、やっとリーシャは18歳になって夜会に出してもらえた。それというのも、父の許可が出たのが理由である。
「父さん」
「おお、リーシャ来たか。こちらアヴィリナ侯爵。ご挨拶なさい」
リーシャの父、アレクセイ・ラザレフは赤毛に翡翠の目をした男性だった。年は50代に差し掛かる頃だったはずだ。左手の薬指にはテンの家紋が入った指輪を嵌めている。
アレクセイと話している初老の男性に、リーシャは頭を下げた。
「リーシャ・ラザレフです。初めてお目にかかれて光栄でございます」
「ああ、娘さんをお持ちだとは···」
初老の男性は、アレクセイと自分の顔を見比べる。特に、自分の黄金の髪を見ているような気がした。
(実の親子には、見えませんよね)
思ったより夜会では、自分の髪が注目されるのだなと心中で苦笑する。
自分とアレクセイに血の繋がりはない。孤児院で育った自分を、アレクセイが引き取って育ててくれたのだ。貴族である者が平民を養子になど普通はしないのだが、自分は頭だけは悪くなかったため、伸びしろがあると思い、彼は引き取ってくれたのだという。
直系の後継者がいないラザレフ家では、自分を跡継ぎにすべく、徹底的に教育を叩き込まれた。知識を詰め込むのを苦には感じなかったが、長い間家からも出してもらえなかった日々が、ようやく終わる。そのことがリーシャには、何よりも嬉しかった。
「リーシャはうちの跡継ぎですから、これからも良くしてやって下さい」
「そうなんですね。では、ぜひ来週うちで開く晩餐会にもご出席下さい。ここから遠くない場所に邸宅があるので」
ええ、ぜひ――とリーシャが言い、父から跡継ぎと言われたことに高揚する。初老の男性が離れていくのを見届けてから、アレクセイはリーシャを見た。
「リーシャ、それをここにしてきたのかい?」
「え?何でしょうか?」
彼がひそりと耳打ちしてきて、どきりとした。
「そのネックレスのことだよ」
アレクセイが指さしたのは、金色のチェーンだけが覗いている自分のネックレスのことだった。人に聞こえないように注意してくるため、リーシャは自分が誤ったことをしたのだと理解した。
「すみません、夜会にしてきてはいけませんでしたか?」
胸に着けているのは、アレクセイが贈ってくれたネックレスだった。煌びやかな赤い宝石がついたそれを、リーシャは昔から大事にしてきた。
「夜会ではね、本物の宝石ではなく、フェイクの宝石をしてくるものなんだよ。高価な宝石が万が一にも盗まれたらいけないからね」
アレクセイは優し気ではあるが、注意深く言った。彼の期待を裏切るようなことをしてしまったのだと、先ほどまで浮かれていた気持ちがしぼんでいく。
「でも、これって···」
「リーシャ!お義父さん!」
言いかけた時、会場の入口から入ってくる男性の声に反応し、リーシャとアレクセイは視線を移した。
「ファリド」
自分の婚約者である、ファリド・シュレポフ伯爵だった。リーシャは彼に近づき、頬を軽く寄せる挨拶を交わす。
彼は、長い茶の髪を1つに束ね、肩にかけている。新緑色の瞳に、精悍さを感じさせる顔立ちだ。自分よりも10つも年上の彼は落ち着いていて、大人の余裕があるようにリーシャには感じられた。
「夜会にリーシャが出るなんて知らなかったな。急にどうしたんだ?」
「ついに父さんが許してくれたんですよ。お越し頂いて、とても嬉しいです」
ラザレフ家に引き取られてから、ファリドと婚約が内定している。18歳になった今、いつ結婚証明書にサインをし、式を行うかの相談しなくてはならないだろう。
(元々平民である私が、ラザレフの領地を継ぐことができて、伯爵家の妻にもなれるなど、お伽噺も顔負けですね)
自分の人生は、完璧だ。
たまたま頭が良かっただけで、貴族として多大な恩恵を受けることができるのだ。
「夜会は、どうだった?着飾ることより小説が好きな君には、あまり楽しくないんじゃないか」
「いいえ、とても楽しかったですよ。人とたくさん話すことができましたし、推理ゲームもしたりして」
「へぇ、夜会の楽しさを知ったんだな。じゃあこれから、俺の婚約者としてたくさん会に出席しよう」
「勿論、望むところです」
ファリドは、自分のことを思いやってくれる。誠実さの塊みたいな顔をしている彼に好感を抱かない女性は、なかなかいないだろう。
「近衛騎士団ともあろう人が、たくさんの夜会に出る暇なんかないんじゃないか?忙しいだろうに」
「いえいえ、リーシャを連れて回れるなら良いですよ。折角夜会デビューもしたことですしね」
ファリドは成人後すぐに皇宮の近衛師団に入り、今は近衛師団長を勤めている。彼の若さから考えると、申し分ない役職である。
「そういえばリーシャ、借りていた小説をメイドに返しておいたからな」
「あ、如何でしたか?」
リーシャは、先日彼と会った時に小説を貸していたのである。自分は勉強ばかりで、趣味と言えば読書くらいだったため、彼が訪ねてきても本の話題しか話すことができなかった。彼と共通の話題を作るため、面白かった推理小説を貸したのである。
「うーん、俺には難しかったな。ラストの犯人とか、何でそうなるのかわからなかった」
「ファリド、途中をすっ飛ばしてラストから読むのが悪いのではないでしょうか?推理小説は細部まで読むものですよ」
何度か本を貸しているが、彼とはなかなか趣味が合わない。
(まぁ、剣が趣味のような人ですものね。いつも剣術の話しかしませんし)
彼は定期的に自分を尋ねてきてくれるが、ファリドは剣術の話が主である。剣を極める彼にとって、近衛師団の師団長は天職なのであろう。剣を抜けば、彼はかなりの腕前らしい。
「へぇ、リーシャお勧めの本か」
ぽんと、リーシャの頭に手を置かれた。アレクセイが優しい目を自分に向けてくれていた。
「私も読みたいな。貸してくれるかい?リーシャ」
「あ、はい。かなりトリックが秀逸の本ですよ。ぜひ読んで感想を聞かせて欲しいです。後で、持っていきますね」
できるのなら今直ぐ語りたいくらいだが、これから推理小説を読む人間に、トリックを明かすことはできない。うずうずと気持ちを抑え、口を閉じた。
(···ん?)
リーシャは視線を感じ、ちらりと窓を見た。
静かに降り積もる雪の中で、何か動く気配を感じたのだ。ラザレフ邸の周りは鬱蒼とした木々に囲まれており、夜の暗闇の中では何も見えない。
「リーシャ、どうかしたか?」
「いえ···」
ファリドに心配され、リーシャは首を横に振る。
(誰かいたような気がしましたが、きっと気のせいでしょう)
アレクセイやファリドと談笑しながら、ちらりともう一度雪の景色に目をやる。雪は、暗い闇の中にしんしんと降り積もっていく。
誰の姿も、そこには見えなかった。
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