第38話 長篠
京で滞在する際の拠点として本能寺、本拠である岐阜城。
この二つの拠点を行き来するのは、当たり前だがなかなかに大変なことである。
もちろん戦場に出ることも多いので拠点どころか屋根の下で眠れないこともよくあるのだが、それとは別の話で、支配する領域が広くなってきたということだ。
だが、現状畿内と東の双方に敵を抱えているために、この苦労は必要なものである。
どちらかが落ち着けば近江あたりに移動するべきだろう。京は戦を呼び込むことになりかねないし、東西南北への接続を考えれば淡海の水運を活用できることが有利なはずだ。
そういうわけで畿内を抑えつつ、淡海を中心とした物流網を整備しながらときに三河まで走り、あるいは兵糧を支援し。
そして幕府という既存の組織を失ったことを補うために、ひとまず公卿となることを選んだ。
関白二条家と縁戚を結び、ぼく自身も官位を進めた。
京で仕事をするために必要でもあった。
征夷大将軍という武家最高位の存在がいなくなったため、ぼくの仕事が増えた。
部下はぼくの代理ということで動かせるが、ぼくにも立場が必要になったのである。
正直、朝廷内のあれこれには疎い。
これまでも関わらないようにしてきたからだ。
これからもあまり関わりたくはない。
朝廷としてはぼくに官位と官職を与えたいようだが、ちゃんとした朝廷を運営するためには、ぼくという異物が朝廷の秩序の中で幅を利かせている状態はよくないはずだ。
ぼくはあくまで武家であり、朝廷を守るものとしているべきであろう。
となると征夷大将軍となるのが前例なのだが、それはまだ義昭さまがいる。
謀叛した義昭さまに最大限配慮する姿勢を見せていることで敵対ではなく様子見にとどまっている勢力もいるだろう。有力なところでは毛利、上杉といったこちらに手を出す選択肢が存在するものたち。
情勢が安定するまでは難しい。
また、征夷大将軍は現在ひどくその権威を傷つけられた状態だ。
後見人に喧嘩を売ってボロ負けして都落ち。
場合によってはぼくに追い出されたとも見えるだろう。
この状態から征夷大将軍を取り上げたとしても、その結果得られる看板は傷だらけでボロボロだ。
壊れかけの看板を取り上げる価値があるだろうか。それを自身が掲げる価値は?
力だけで取り上げられる看板は力によってまた取り上げられるだろう。
力を呼び込むものは天下の静謐を求めるにはふさわしくない。
とはいえ、今の様子だと、そう遠くないうちに別の官職をもらうことになるだろう。
朝廷の意向もあれば武家の棟梁としての立場が必要になることも出てくるはずだ。
どういう形が理想的か考えていかなければならない。
さて次や次の次の戦の仕込みを進めながら内政外交朝廷との折衝と忙しく動き回っていたところ、ついに来るべきものが来た。
武田が動いたのだ。
これまでも何度か動いていたのだが、条件が合わなかったのだ。
条件とは野戦で主力と戦うこと。
籠城ではだめで、分隊でもだめ。到着時すでに城を取られていてもだめだった。
武田の主力を相手に野戦において防衛戦を行い、可能な限りの武将を抹殺し再起不能に追い込む。
そのための準備をしてきた。
徳川もボロボロのところに兵糧の支援を合わせて、かつて対等な同盟相手だったぼくに頭が上がらない状態だ。
腹の底は煮えくり返っているだろうが、それは大事なところで裏切られたぼくも同じことだし、徳川は我慢できる子なので現状が打開されるまでは従うだろう。
代替わりして当主の求心力が当てにできない状態で、大きな軍を起こすことができたのは評価に値する。だがそれはそれだけ武田が追い詰められている証左だ。
実績も名声もある先代のころでも苦労してぼくに頼ってきていたのだ。織田と最悪の形で敵対した現状、より楽になることはない。
追い詰められた状況が続けば、自壊するか、なりふり構わない状況で乾坤一擲を狙うか、どちらかになると踏んでいた。
その時が来たのだ。
戦場は三河は長篠。
ぼくと徳川は、精強で知られる武田軍を壊滅させた。
ああ。
すっきりした。
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