第26話 姉のために
物音がして、意識を現実に引き戻された。
リヒトの手の中には既に魔法を付与した剣がある。
露店の店主に金を支払って、ユニコーンの情報と素材を受け取った後リヒトはまっすぐに工房へと籠った。
そこからの記憶は全くないが、手の中にある剣には青い複雑な魔法紋が浮かび上がっている。魔法付与にはしっかりと成功していた。
その事実を確認するとリヒトは立ち上がって工房を出る。ちらりと壁にかけられた時計に目をやればすでに数時間が経過していた。また作業している間の記憶が抜け落ちている。集中しすぎていたようだ。
先ほどの物音、母屋の玄関の方からだった。この時間ならユエルが帰ってきたのかもしれない。
そう思って廊下から覗いてみれば、
「何してるの?」
そこには玄関から一歩入ったところで床にうつぶせで伸びるユエルの姿があった。手には通学用の鞄を握ったままで、まるで打ち上げられた魚のようなありさまだった。
「つ、疲れた……」
辛うじて呟かれた一言でようやく状況を理解した。
久しぶりの学校で、気疲れしたと言ったところだろう。
まるで引きこもっていた学生が久しぶりの登校を終えた後のようですらあるが、ある意味ユエルが不登校児と言ってもいいのかもしれない。
「そんなところで横になってると制服しわになっちゃうよ?」
「うっさい……」
近づいて声を掛けるも、帰って来るのは力がない。体も微動だにしていなかった。
学院指定であるグレーのブレザーとプリーツスカートはそのままではしわが付くだろう。そう思って仕方なくリヒトは力の入っていない腕を自分の肩に回して抱き起す。
「あぁ……ありがと、リヒト……」
そうお礼を言ってくるユエルの瞳は本当に死んだ魚のような目だった。
「そ、そんなに大変だったの?」
「ん、先生とは課題の提出と面談があって……なんでずっとあんな説教みたいに聞かされなきゃいけないのか……」
ブツブツ呟かれる言葉を耳元で聞きながらリヒトはユエルを二階の部屋へと運んでいく。
「友達とかは――」
そう尋ねようとするリヒトにユエルの顔がぐりん、と顔を向けて感情のない声をだす。
「その話はやめて」
「あ、はい」
それきりまた力をなくしたかのように首をかくん、と下げてしまう。
本当にただの不登校児だった。
でも、そこまで嫌だと言うのに頑張って学校に行ってきたのだから何か報酬があってもいいだろう。
リヒトはそんな思いから今日手に入れた情報を伝えることにした。
それはきっとユエルにとって待ち望んでいた情報の一つのはずだから。
「ユエル、セェベロ迷宮に『ユニコーン』が出たらしい」
「……え?」
階段を上がって、自室の扉へと力なく手を伸ばしていたユエルが動きを止める。
ぎぎぎ、という音が聞こえてきそうなぎこちない動きで顔がリヒトへと向いた。
「その反応なら知ってるみたいだけど、ユニコーンの角には強力な浄化作用があって解呪の魔法薬に有用だ。つまり――それが手に入ればお姉さん助けられるかも」
その言葉にユエルはリヒトの胸元をガッと掴んで、
「あ、う、あッ……!」
と何度も口を開いては閉じてを繰り返す。
いぶかし気にその様子を見ているとユエルは「まって!」とだけ短く叫んだかと思うといきなり光に包まれる。
まぶしさに一瞬目を細めると、そこにいたのはもう大人の姿になったユエルだった。変身前は目線がだいぶ下だったのが、今ではほぼ同じになっているのが激しく違和感だ。
「さぁ、詳しく聞かせてもらおうか」
「えっと、その姿になる意味あったの?」
「もちろんだ」
そう言うとユエルはようやく強く握っていたリヒトのシャツから手を放した。
「子どもの私では混乱して話にならないからな」
どうやら先ほどのは言葉が出なかったらしい。
そう考える間も、ユエルはぐいぐいとリヒトの腕を引っ張る。
「ちょ、ちょっと落ち着いて。階段落ちるから」
「私は冷静だ」
「冷静な人はそんなこと言わないから!?」
慌て気味な足音を響かせながら二人は一階のリビングへと向かうのだった。
◇
「なるほどな、ユニコーンの角か……」
リビングでソファに座って話を聞いていたユエルが頷く。
「ユエルは知ってた? ユニコーンの角の事」
「存在はな。姉の呪いを解呪する方法を探した時に調べたさ。だが既に市場に流通はしていなかった上、闇ルートで出回っている物もほぼすべて偽物の上値段も尋常ではなかったから諦めたのだよ」
「闇ルートって」
なんだかダーティな響きだ。
「そちらを調べてくれたのは姉の知り合いの冒険者ギルドの人さ。私の冒険者登録もしてくれた」
「あー、なるほど」
蛇の道は蛇というわけらしかった。
「しかし45層、それもセェベロ迷宮か……」
ユエルが口にしたのはユニコーンが目撃されたと噂される階層だ。
あの店主の話によれば馬の姿に、長い角を持ったモンスターの姿が確認されたらしい。
「事実なのか?」
「……正直真偽は分からない」
包み隠さず事実をリヒトは告げる。
あの露店の店主は嘘を言っているようには見えなかったが、それを伝えた相手が間違っていたり嘘を言っていた可能性は否定できない。
「一度、情報を確かめる必要があるな。ギルドの方を当たってみるか」
ダンジョン内での情報は全てギルドに集約される。もちろん功績を独り占めするために隠す冒険者もいるが、ユニコーンが現れたなんて大事を隠し切れるとは思えない。何かしらの情報はあっていいはずだった。
後の問題は目撃情報のあった場所だが……
「ユエルは普段どの辺まで潜ってるの?」
「私は大抵20層前後までだ。日帰りで往復し、なおかつ探索するとなるとその辺が限界だからな」
「確かに泊りがけでってなると装備も増えるしね」
「ふっ、そもそも私はダンジョン内で野宿が出来ないのだ。一日に一度はスキルを解除せねばならんからな」
「あ、そうか」
ユエルのスキル《憧憬幻灯》は一日に一度は解除する必要があるのだった。
「で、でも安全を確保して少しだけ解除すれば……」
「あっちの私はそんなことをしたら恐怖から気絶してしまうだろうよ」
「あー、うん。確かにそれはそうかも……」
なんとなくその様子がありありと想像できてしまった。
「同様の理由からパーティを組むこともできん。故にそれよりも下の階層へは手を出さなかった。だが……」
ユエルの瞳が葛藤を反映してか揺れている。
ようやく姉を助けられるかもしれないと言うのに、手を出せないというもどかしさ。あるいはここまでに誰か一人でもダンジョンで助けてくれる人と関係を作れていれば、という後悔。無理をしてでも行くべきか、という不安。
それらがユエルの中で混ざり合って口を重くさせていた。
行きたいが行けない。
そんなもどかしさが伝わる。
「……だったら、僕も行くよ」
気が付けば自然とリヒトの口がそう言っていた。
ユエルはその言葉にはっと息を詰まらせて、けれどすぐに厳しい顔つきになる。
「馬鹿なことを言うな。戦闘も碌にできない者をそんな深い場所まで連れて行けるか。……それとも、死にたいのか?」
ユエルの鋭い視線がリヒトを貫く。
しかしリヒトは笑って答える。
「そんなわけじゃないよ。最低限自分の身は自分で守るし、それに今しかチャンスないかもしれないんだよ?」
「ッ、だが……お前を危険にさらすことになる」
「もし本当にユニコーンがいたとして、僕らで掴まえられなければ角は市場に流れるか……最悪貴族や王族へと献上されて日の目を見ない可能性だってある。どちらにせよ僕たち以外の手に渡った時点で終わりだ」
「それは……分かっている」
「だから、僕達で行くしかないんだよ」
リヒトの言葉にユエルは数秒黙って逡巡する。
「……本当に、付き合ってくれるのか?」
「もちろん」
リヒトが間髪入れずにそう答えてなおユエルは考え込む。
リヒトを守り切れるのかどうか、やはり不安なのだろう。無理やりにでも一人で潜るのとどちらがいいのか、悩んでいる。
「……最初にダンジョンで出会った時はユエルに助けてもらったよね。だから今回は僕がユエルを助けたい」
「……そんなこと、この前ダンジョンに来てもらったことでチャラだ」
そう言うユエルに首を振って答える。
「今度は本当の意味でユエルの力になりたいんだ。だから、僕も一緒に行くよ」
「……本当に死ぬつもりはないんだな?」
「もちろん」
「……」
ユエルの目が真偽を確かめるかのようにリヒトの目をのぞき込む。
それを真正面から受けて答える。
ユエルの目が覚悟を決めたように伏せられたのは数秒後だった。
「……分かった。本来であればあっちの私が言うべきだろうが……頼む、手を貸してくれ」
そう言ってユエルが頭を下げた。
「必ずユニコーンの角を手に入れてお姉さんを助けよう」
頷きを返すと、ユエルの空気がわずかに弛緩したようだった。
姉を助けに行けるかどうかはやはりユエルにとって大きなことだ。
「それじゃ、準備しないとね。とりあえずはこれ、出来たから見て欲しいんだけど」
リヒトはソファの脇に立てかけていた剣を取り上げる。付与の終わったユエルの剣だ。
「付与が終わったのだな! ありがたい。抜いてみてもいいか?」
「いいよ。確かめてみて」
立ち上がったユエルが黒鞘から片手剣を抜き放つ。
「これは色が変わったか?」
店で見た時には地味な黒い刀身だったのが、今では全体が青白い色合いになっている。付与した魔法紋による影響だ。
「魔法を付与したからね。魔法紋の影響でそうなっちゃったんだ。とりあえず3つは予定通りに剣の強度上昇、切れ味上昇、装備者のスピード上昇をかけてあるよ」
素材には手持ちの物で一番効果のある物を使ってある。そんじょそこらの剣などとは比較にならないだろう。
「そうか。それは助かる。そう言えば、最後の一つは何にしたんだ?」
「マーケットの方でいいものが見つかってね」
リヒトは付与した最後の魔法を喜々として語り始めた。
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