第21話 ほんとうの姿は子ども


「えーっと、落ち着いた?」

「え、ええ……」


 そう頷きながら銀髪の少女はリヒトが出した水をこくりと飲み干した。

 どうにか落ち着かせた少女を伴って二人はリビングで向かい合って座っていた。

 ユエルは水を飲みながらもせわしなく視線を動かしていて、リヒトと目を合わせようとしない。

 まるで警戒する小動物みたいだな……。

 眺めながらそんな感想を抱いてしまう。


「本当に、ユエル……なんだよね?」


 未だに全く信じられない。

 リヒトが知るユエルの姿は自分よりも大人で、かっこいい女性の姿だった。

 今目の前にいる少女はその面影こそある物の、その姿を幼くしたような雰囲気だ。


「……よ」

「え?」


 ぼそぼそ、と何か呟く。

 いつもの自信にあふれた、ある意味では傲岸にも感じる声ではない。

 そのことが激しい違和感で聞き取れなかったのだが、リヒトが聞き返すと今度はユエルがキッ、と視線を上げて口を開く。


「あたしがユエルよ! 何か文句ある!? ええ、分かってるわよ。そりゃ文句ありありよね! 大人のぼいんぼいんのお姉さんかと思ってたら実際はこんなちんちくりんだったんだから! どうせ男なんて胸でしか女の価値を判別できないケダモノだものしょうがないわよね!?」

「……ええっと」


 黙っていたかと思えばいきなり大声でわめきだすユエルにリヒトは混乱から何と言っていいのか全く分からない。ただ苦笑を浮かべることしかできなかった。


「あたしだってホントはスゥちゃんとかミナちゃんみたいなおっきいおっぱいが欲しいわよ! でも待って? あの姿はあたしの描く理想の姿なんだから、そのうちああなれないってこともないのよね。つまり希望はあるってことよね、ね?」

「……つまりあの姿はユエルがスキルで変身していた姿って言うこと、でいいのかな?」

「そうよ、ずっと隠していて悪かったわね」


 口ではそう言いながらもフン、と鼻を鳴らすユエル。


「でも、どうして?」

「それはっ、色々と事情があって……」


 顔を暗くして俯かせるユエル。


「……もしよければ、教えてくれない?」


 その表情から、リヒトは目の前の少女が何か大きな事情を抱えているだろうことは察せた。純粋に気になっての問いだった。

 だがリヒトの言葉はユエルにとって意外だったらしかった。上げた顔には驚きが浮かんでいた。


「……すぐに出て行けって言われるかと思ってた」

「そんなことしないよ」


 ネガティブなユエルの言葉に苦笑を浮かべる。


「……いいわ。リヒトにはかなりお世話になっちゃったし、話す……と言うよりも聞いてほしい。もし、あたしの言葉で耳が腐り落ちるとかでなければだけど」

「そんなことないよ」


 数秒の間リヒトの顔色をうかがっていたユエルだったが覚悟を決めたように話し出す。


「あたしの名前はユエル・トライアス。12歳よ」


 どうやら年齢は見た目通りらしかった。


「順番に話すわね。あたしのお姉ちゃんが2年前に『黒い夏』で呪われたのは本当。あたしはお姉ちゃんと2人で生活してて、お姉ちゃんを助けるのと生活のためにそれから冒険者を始めたの」


 『銀月』が冒険者活動を始めたのは噂では確かに2年前からだ。時期的には一致する。

 だが――


「ちょ、ちょっと待って」

「何よ」

「2年前って、10歳!? 初等部何年生だったの!?」

「4年生だったわね」

「そんなことって……」

「ちなみに今は初等部6年生よ」


 ユエルの表情が真実だと言っている。そもそも嘘をつく意味もない。リヒトも信じるしかなかった。


「でも、冒険者のライセンス取得は中等部入学以降のはずだよ? 13歳にもなってない君が冒険者になれるわけが……」

「冒険者になれるのは13歳からだけど、見習いとして登録は出来るのよ。だから冒険者ギルドの知り合いに手伝ってもらって、姿はスキルで変えて冒険者を始めたのよ。あたしみたいなのにはそのくらいしか出来ることがなかったから」

「が、学校は? 中等部までは義務教育だよ?」

「だから、今でも通ってるわよ。この前も行って来たしね」

「この前って」


 その言葉に頭の中に引っかかるものがある。

 つい先日、休みにすると言った日の事だ。気が付けばユエルの姿はなく、広場のあたりで見失った。あの辺にあったのは冒険者ギルドと魔法学院――


「って言っても普通に通ってるわけじゃないわ。あたしの担任と校長はお姉ちゃんのこと知ってるから定期的に課題の提出をすることで授業の代わりにしてくれてるの。そうでもしないと冒険者として活動できなかったし」

「学校と冒険者の二足の草鞋って……よく学校も許したね」

「まぁ向こうにも全部は言ってないし」

「え?」

「先生たちにはお金を稼がなきゃいけないことと、将来の夢は冒険者になることって言ってあって、あたしは冒険者見習いとして1階層から2階層あたりで採取のお手伝いをしてることになってるの。レポートも定期的に提出してるわ」

「じゃ、じゃあ『銀月』としての活動は……」

「知らないわね。あの人たちの頭の中では姉と生活と将来の夢のために頑張る子どもってことになってると思うわ」

「なんてこった……」


 もしその先生たちがこの事実を知ったら卒倒すること間違いないだろう。自分の生徒をそんな危険なところに行かせていたのだから。


「冒険者ギルドの方は、どうしたんだ?」

「そっちはあたしの知り合いじゃなくて、お姉ちゃんの知り合いなの。あたしの能力を知って、それならってこっそり冒険者として登録してくれたわ。もちろん見習いとしての登録もね」

「こ、公文書偽造……」


 それはこの都市ではれっきとした犯罪に当たるのだが一体誰がそんなことをしたのか。

 徐々に頭が痛くなり始めるリヒトだった。


「まぁでもその人もあたしがAランク冒険者に2年でなるなんて考えてもいなかったでしょうね。こんなちんちくりんをよく信じたもんだとは思うわね……」

「それは……君のスキルのおかげなのか?」

「うん、あたしのスキル《幻憬幽灯》。思い描いた姿に変身できる能力。ただしなんにでも変身できるって言うわけじゃなくて、あたしの強く憧れた姿に変身できる」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんなことまで話していいのか?」


 スキルの詳細は冒険者にとって生命線になることもある。

 その日仲間だったパーティメンバーが次の日には別のパーティでライバルになることだってあるのだ。だから基本的にスキルの内容はパーティ内でもぼかして伝え合うことが多いものだ。


「いいのよ。大したスキルじゃないし。それにリヒトは敵にはならないでしょ?」

「そ、それはそうだけど」


 いや、かなり破格のスキルだと思うぞ、と言う言葉はどうにか飲み込むリヒト。

 スキルなんて基本的にはしょうもない能力なのが普通で、その中で戦闘に向いてしかも実戦で使用可能なレベルの物などほとんどないと言っていい。


「連続で使用できるのも12時間が限界だし、それに代償も大きいのよ」

「代償か……」

「そう『常時考えがネガティブになる』っていう代償」

「あー、なるほど。理解した」


 ここまでの言動がやけに上下が激しいとは思っていたが、どうやらスキルが原因らしい。


「……それじゃパーティを組めないって言うのは」

「あたしの秘密がばれるから。ダンジョンの下層まで潜るってなると、ダンジョン内で野宿も必要になるでしょ。でもあたしの《幻憬幽灯》は12時間に一度は変身を解かないといけないから……」

「もし『銀月』の正体が子どもだって知れたら……」

「あっちこっちからバッシングされるでしょうね。あたしを冒険者にしてくれた人もただじゃ済まないし」


 確かにそれは誰も望まない結末だろう。

 そうなれば必然的にパーティメンバーは信頼のできる者に限られる。


「ごめん」

「え?」


 いきなり頭を下げるリヒトにユエルが困惑の声を上げる。


「昨日言った事、パーティを組むべきだって言うのはちょっと間違っていたと思う」

「あう、そ、それはあたしも思ってはいたことだし、当然の考えだと思うから頭上げてよ!」


 わたわたと手を振り回して頭を上げるように懇願するユエル。


「……改めて言うけど、お姉ちゃんを助けたいって言うのは本当の事よ。だからリヒトのパーティを組んだ方がいいって言うのが正しいって言うのも理解してる。だけど、あたしにはこれしか出来なかったの。この2年、お姉ちゃんを助けるために色々やって、頑張って、出来たのはここまでだった」


 少し悲し気な、寂しげな表情で言うユエルにリヒトははっとさせられた。

 目の前の少女はわずか10歳にして一人でモンスターと戦う道を選んだ。

 それがどれだけ過酷な道だったか、リヒトには想像もつかない。

 何しろ上層でゴブリンの群れに殺されそうになる程度には弱いのだ。

 一人で戦ってAランクの冒険者として僅か2年でなった彼女には才能もあるのだろうが、それだけ熾烈な戦いを経て来たことは疑いようもなかった。

 だから、気になった。


「ねぇ、ユエルのお姉さんってどんな人?」

「お姉ちゃんは……太陽みたいな人、かな」

「太陽?」


 てっきり強いとかカッコイイとか出てくると思っていたリヒトは意外に思う。


「うん。傍に居てくれるだけで暖かくなる、安心できる人。あたしも、ああなりたかったなってよく思うわ。あたしが《幻憬幽灯》であの姿になるのは、きっとお姉ちゃんの姿の一部を模倣しているからね」

「え? でも……」


 言いかけてリヒトは口を噤む。


「分かってるわよ。あの姿のあたしは太陽とは真逆――『銀月』なんて二つ名を付けられてしまうような冷たい女よ。あたしがスキルで模倣できたのはせいぜいお姉ちゃんの戦い方だけ……」


 ユエルが顔を暗くして俯ける。

 これもスキルの代償なのか、それとも生来のユエルの性格なのか。リヒトには判断が付かなかった。

 だが、こうして話してみて分かったことがある。


「それでも、僕はユエルに助けられたよ」

「リヒト?」

「リアムもラスティさん達だってユエルが戦ってくれたからこうして生きているんだよ。理想の姿とは違うのかもしれない、でもお姉さんを救うために頑張って来た自分をそんなに否定することはないと思うよ」


 理想の姿にはなれなかったのだろう。

 だとしてもユエルが立ち上がってリヒト達を助けたことに違いはない。

 姉を救うために奔走し続けた頑張りは確かにある。

 姿かたちが違っても、ユエルはリヒトが尊敬して憧れたユエルだ。


「……ねぇユエル今日これから知り合いの武器屋に行ってみる?」

「え?」

「ほら、昨日約束したじゃないか。知り合いの武器屋を紹介するって」


 そう言うとユエルがめをぱちくりとさせて、すぐにまた顔を暗くして俯いてしまう。


「で、でもあたし嘘ついてたし……」

「いいよ」


 リヒトは無理やりにユエルの言葉を遮った。ユエルがそれ以上喋らないように。

 自分を傷つけないように。


「これからもここにいたらいいよ。お姉さんを助けるための手伝いもするって昨日約束したしね」

「あれ? そんな約束までしたっけ?」

「したした。だからここにいればいいよ」


 無理矢理に理由を増やしたのは、何となく目の前の少女の手を放したくないと思ったから。この少女を助けたいとそう思ったから。


「嘘じゃない?」

「もちろん」

「ここにいていいの?」

「お姉さんがよくなるまでいればいいよ」


 その言葉を聞いたユエルが俯けていた顔を上げる。

 目尻にはうっすらと涙を浮かべていたが、顔は暗くない。


「ありがとう……」


 短く、彼女はそう言って涙を拭った。


「これからよろしくね」


 そう言いながらリヒトは全然別の事を考えていた。

 コレ、未成年者誘拐とかの事案で捕まらないだろうな、と。

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