第20話 宴の結末と朝の光


「僕からも、聞きたいことがあるんだけど……どうして、あんなに悪魔を目の敵にするんだ?」


 返事の代わりに、リヒトが口にしたのは疑問だ。


「正直僕は、ユエルがあんなに我を忘れて戦う姿なんて想像もできなかったよ」


 最初デアルゴルへと襲い掛かっていったユエルの形相は尋常ではなかった。ため込まれていた怒りを一気に吐き出したような、鬼のような形相。


「……そのためには姉の話をしなければならないな」


 ユエルは背もたれに寄りかかると天井を見上げ、長く息を吐いていた。

 だがすぐに決意したかのように視線をリヒトへと戻す。


「2年前『黒い夏』の事件があった時、姉は冒険者として現場にいたのだ」

「っ!? あの時に……」


 リヒトの脳裏に両親の事が蘇る。


「リアムから聞いたぞ。お前の両親もあの時に亡くなったとな」

「ええ。僕はあの日は学園にいたから現場には居合わせませんでしたけど」


 今でもよく夢に見る。

 あの暑かった日の光景を。

 遺体となった両親の、無残な姿を。


「……姉は民間人を守る為に戦った。そしてその戦いの中で一つの呪いを受けた――体内の魔力を根こそぎ奪われていくという呪いだ」

「魔力を?」

「人は魔力を失い続けるとどうなるか知っているか?」

「……知ってるよ」


 人の体内で生成された魔力は《アストラルプレーン》に存在する人体のアストラル体を維持するのに絶対に必要な物だ。


「だからもし、魔力がゼロになればアストラル体は維持できなくなる。それはつまり、《マテリアルプレーン》に存在する人体そのものの、死だ」

「詳しいな。医者の話は難しくて私にはよくわからなかったが、死に直面していることだけは私もわかった。そして私の姉は、この2年の間、ずっと耐えている状態だ」

「2年も……」


 魔力が欠乏すると、人は自己防衛のために意識を失って魔力をため込もうとする。魔法を使い始めたばかりの見習いはこう言った症状をよく起こすし、万が一それによって危険なことにならないようにこの国では魔法の習得は13歳――魔法学院中等部入学からと定められている。

 もしずっとユエルの姉が魔力欠乏症のまま2年も生きていると言うのならばそれ自体が奇跡に等しい。いつこちら側の体である《マテリアル体》が崩壊し始めてもおかしくない。


「だから私はこの2年、姉を救うために手を尽くしてきた。その中で公にはされていないが、あの事件が悪魔の存在が引き起こしたものだと言うことを知ったのだ」

「あの、デアルゴルっていう悪魔……」

「奴はあの時新しい呪術の試運転をしていたと言った。同時に『シアントゴル』という悪魔に実験を押し付けたとも」

「それじゃ、そいつが」

「ああ、ようやくあの事件の尻尾を掴んだ。呪術を解呪するには基本的に神官の奇跡を使うか術者本人を殺すしかない」


 奇跡は神に仕える神官だけが使用できる魔法のようなものだ。術式の体系が全く違うためリヒトも詳しくは知らなかった。


「神官はその呪術は解呪できなかったのか?」

「ああ。かなり強い術者がいるらしい。だから私は薬を買って体調を維持しながら術者をずっと探して来た。だが奴ら悪魔の住むのはセェベロ迷宮の奥深く、知られている限りでは80層ほどは下の階層だ。もしその『シアントゴル』なる悪魔が術者だとして、とても一人ではたどり着けん」


 悪魔の棲みかについてはあまり詳しいことは知られていないが、リヒトの知識でもそれ以上の地下に国があるのだと聞いたことがあった。

 そこできっとユエルはリヒトの目を見て言う。


「だからこそ、お前の作った剣が必要だと思ったのだ。あの悪魔を払う剣の力が。何よりもそこへたどり着くために力が私には必要だ」


 ユエルの目はあの時怒りに染まっていた。

 しかし今話すユエルはただひたすらに姉を助けることだけを願っている。

 そのちぐはぐさが、リヒトは気になった。


「だとしたら、ユエルはやっぱりどこかのクランに入るべきだよ。より強くなるためにも、より深くまでダンジョンに潜る為にも強いクランの強いパーティに入るべきだ」


 その言葉にユエルの表情が固まる。

 初めて会った時からずっと疑問ではあった。

 どうしてずっとソロで活動しているのか。


「それは……」

「もし、人に言えない理由があるんだとしてもそれならなおさらそう言うことが話せる相手を探すべきだ。ユエルが一人で出来ることにはきっと限界があるんだから」

「……」


 リヒトの言葉にユエルは神妙な表情をして俯く。

 おそらくそれはユエルだって理解していたことだろう。

 ユエルは明らかに自信過剰なタイプではない。

 冒険者の中にはよく自分の力に酔って実力以上の相手に喧嘩を売って死んでしまう者が多い。元々喧嘩っ早くて気の短い荒くれものが鳴るような職業、それが冒険者だからだ。

 自分の実力をはっきりと理解し、相手との力量差を見極めて戦うことが出来る理性的な人間だ。

 だからこそ不思議でならない。

 そこまで理解してなお、今もその最短の道を選べずにいるユエルの姿が。


「……」

「まあ、それはおいおい考えてみてよ。とりあえず、武器は何とかしないとね」

「?」

「剣、折れちゃったでしょ? 《模造武具》で造った剣も消えちゃったし。どのみち新しい剣は必要なんだから、明日辺り知り合いの武器屋に行ってみる?」

「それは、つまり……」


 ユエルが珍しく目をぱちくりしているのを少しおかしく思いながら話す。


「別に手伝わないなんて言ってないだろ? 付与魔法師として、出来ることは手伝うよ。剣も、魔剣ほどっていうわけにはいかないけど、素材によってはそれに迫る付与魔法を掛けることもできるからね」

「リヒト……」


 ユエルが安堵と感謝を笑みに浮かべる。


「ありがとう。よろしく頼む」


 そう言って頭を下げたのだった。


「おや、お話し中だったかな?」


 ちょうどそこへレンダルが料理と飲み物を持ってやってくる。

 手の中にあるのは湯気が立つシチューと琥珀色の液体が入ったコップだ。


「いえ、ちょうど終わったところですよ」

「よかった、ユエルさんこちらはささやかながらお礼だ。好きなだけ食べて行ってくれ」

「感謝する」


 レンダルはそれだけ言い置くと席を立ち去って行った。フロアからはまだ注文を頼む声がする。あの冒険者たちの胃袋は底なしなのだろうか。


「それでは、乾杯をしようじゃないか」

「ええっと、何にですか?」

「無事に帰還できたことと、私達のこれからに、さ」


 そう言って笑みを浮かべるユエルの顔が普段のモノよりなぜか幼く見える。

 どこか浮かれているような、そんな笑みでリヒトは目を奪われそうになった。


「……そうだね。本当よく無事に帰って来れたものだと思うよ」

「安心しろ。何度だって助けてやるさ」


 コップを突き上げてユエルがそういう。

 その言葉に頷いて、リヒトも水が入ったコップを静かに打ち合わせた。


「ん? これはうまいな!」


 コップに入っていた液体を飲み干して、ユエルが言う。

 少しだけ冷め始めていた自分のシチューに口をつけたところで顔を上げると、ユエルが少しだけ上気した顔になっていた。


「……ユエル?」

「マスター、コレもう一杯頼めるかな」


 頭をわずかに揺らしながらユエルが言えば、カウンターの向こうから「わかった」というレンダルの声が聞こえる。


「……私はな、リヒト。こんな風に話せる相手が出来るとは思っていなかった」


 スプーンにすくったシチューを口に運びながらユエルははにかんだ笑みを浮かべる。

 年上の、それも整った顔立ちのユエルにそんなことを言われてリヒトの心臓が跳ね上がった。感情をごまかすように口を開こうとするが言葉が出てこない。


「いっつも私は一人で戦って来た。冒険者ギルドのジジイどもは私にパーティを組ませようとするし、冒険者たちは私を厭らしい目で見て来るし、本当に碌な奴がいない……」

「ユエル?」

「本当に、色々大変なんだ……」


 そこへレンダルがおかわりを持って現れる。


「ああ、ありがとうございまーす」


 そう言うなり手渡されたコップを一気に煽る。

 ごくごくと喉が嚥下され、コップの中身が飲み込まれていく。


「な、なぁリヒト君、彼女大丈夫なのかい?」

「えーっと、よくわからないです。そういえばおじさん、ユエルに持ってきたのって何なんですか?」

「え? はちみつ酒だけど?」


 その言葉を聞いて、リヒトの頭に何かが引っかかる。


「あ」


 ユエルがツグミの宴亭に入ってきたとき、確か『酒は飲めない』と言っていたような。


「ひっく、はやく、おねえちゃん、たすけないと」

「ゆ、ユエル大丈夫……?」


 と、尋ねるのと同時だった。

 ばたん、と大きな音を立ててユエルがテーブルに上体をいきなり倒したのだ。


「ゆ、ユエル!?」

「ユエルさん!?」


 リヒトが立ち上がって声を掛け、レンダルもすぐによって来る。

 そっと顔を確認したリヒトだったが、


「あ、寝てる……」


 安らかな寝顔だった。

 口の端からは少しよだれが垂れている。

 普段冷たい月のような怜悧な印象を受けるユエルと比べると、ずっと幼い笑みに見えた。


   ◇


 朝、瞼の裏に陽の光とがんがんと響く頭痛でユエルは目を覚ました。

 ベッドから上半身を起こして、視界が揺れて頭を抑える。


「うぅ、ここは……?」


 あたりを見回せばそこはここしばらく間借りしているイーディア魔法具店の2階にある自室だ。部屋の中には相変わらずほとんど荷物は増えておらず殺風景そのもの。


「あれ? 昨日は、確か……ツグミの宴亭で、ご飯食べて……」


 ぼんやりとした頭で昨日のことを順番に思い出そうとする。

 だがツグミの宴亭でリヒトと乾杯したあたりからよく思い出せない。


「水……」


 兎にも角にも無性に喉が渇いていた。

 ベッドをふらふらと出たユエルは未だはっきりとしない頭で部屋の扉を開けた。


   ◇


 階段を降りる音がして、リヒトは意識を向けた

 昨日はあのあとすぐにユエルを部屋まで運んで寝かせた。ベッドに寝かせるまでユエルは全く目を覚まさなかった。レンダルが言うにはあまりアルコール度数が高いものではなかったらしいのだが、もしかしたらかなり酒に弱いのかもしれない。

 結局今日は店を開けていない。表には臨時休業の札を下げたままになっている。

 昼過ぎに目を覚まして軽くご飯を食べてからは不足した魔法具の作成を行っていた。


「ん?」


 階段を降りる音を聞いていて、なんだか違和感があった。

 なんとなく、足音が普段よりも軽いような……?

 リヒトは手にしていた作りかけのポーションを作業台に置いて、工房から廊下に顔を出す。

 しかし既にユエルの姿は廊下にはなかった。

 角を曲がった先で扉を開く音がする。どうやら洗面所に行ったらしい。

 昨日のユエルはかなり酔っている様子だった、少し心配だったが杞憂だっただろうか、そう思っていた時だった。

 重たいものが床に落ちるような、大きな音が洗面所の方から聞こえた。


「ユエル!? 大丈夫?」


 洗面所まで走ると扉越しに声を掛ける。


「……」


 だが返事がない。

 まさか、倒れているのか?

 リヒトの頭の中で最悪の光景が想像される。


「開けるよ、ユエル?」


 そう言いながら扉に手を掛ける。


「あ、待っ……!」


 声が聞こえたのは、既に扉を開けた直後だった。


「え?」


 思わず間の抜けたような声が出る。

 そこにいたのはユエルではなかった。

 短い銀のきれいな髪、整った顔立ちはユエルとよく似ている。だが身長はリヒトの胸位までしかないし、顔立ちも幼い。12歳くらいだろうか。

 ユエルの妹か?

 咄嗟に頭の中にそんなありえない想像が浮かぶ。

 だが少女のエメラルドグリーンの瞳と目が合った時、目の前の少女がユエルだと直感した。姿かたちは違うものの、なぜかリヒトはそう感じたのだ。


「ご……」

「ご?」

「ごめんなさいぃぃぃぃぃぃ!!!」


 頭を抱えて目の前の少女は大声を上げながらしゃがみこんだ。


「え、え?」


 混乱して謝罪を叫び続ける少女を前にしてリヒトもまた混乱の中にあった。

 それでもわずかに上目遣いで目が合った少女にこれだけは確認する。


「ユエル、なんだよね?」


 しばらくの間をあけて、少女はこくりと頷きを返したのだった。

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