第16話 因縁を手繰り寄せる
耳に届いた悲鳴を頼りに走ったリヒト達は、ついさっき飛び出したばかりの大広間へとたどり着いた。
全体を視界に収めて真っ先に目に入ったのは空中に浮かぶ黒いローブ姿の存在だった。
「ッッッ!?」
長い角を持つ、山羊の頭蓋。その眼窩に収まった赤い光を目にした瞬間に自分の足が地面に縫い付けられたと錯覚した。明らかに格の違う存在だと言うことを一目で理解してしまったのだ。
だが視線だけは情報を求めて部屋の中をさまよう。
黒ローブのすぐ前で膝をついているのがラスティだった。
彼の仲間たちや戦って倒したモンスターの姿も見受けられるが、その誰もが地面に倒れ伏して微動だにしない。
その中に、リアムの姿がある。
「リアムッ!」
体の硬直が解ける。
部屋の隅で倒れる彼女へとリヒトは駆け寄った。
幸い部屋のリヒトが入って来た側に近い位置で倒れていたため何ら問題なくたどり着くことが出来る。
抱き起した彼女はぐったりと目を瞑って動かない。
「リアム、リアム! しっかりして!?」
だがリアムの瞼は振動すらしなかった。
代わりに別の所から声が上がる。
「……リヒト、か?」
「ラスティさん」
見れば真紅の髪の青年は、ボロボロの状態でかろうじて立っていると言う様相だ。手に持つ二本の剣は片方が既に折れてしまっている。
「これは、一体……」
「説明してる暇は、ねぇ。ツグミの嬢ちゃんを連れて、逃げな」
そう言いながら無事な剣と折れた剣、両方を無理矢理に構える。
「な、何を言ってるんですか!?」
「俺達じゃ、いや俺じゃこいつに敵わねぇ。だからお前らだけ逃げろっつってんだよ」
「逃がすとお思いですかな?」
そこで割り込んできたのは低い、深みのある声。
一瞬誰が喋ったのかリヒトはまるで見当がつかなかった。
だが、すぐにそれが空中に浮かぶ黒ローブの骨から発せられているのだと理解した。
「へっ、死ぬ気でやれば、お前を止めておくくらいまだいくらでもできやがるさ」
「これは威勢のよろしい。その顔が絶望に染まるまでまだ楽しめそうですな」
低い嗤いを漏らす黒ローブの姿に呆然としてしまうリヒト。
リヒトもモンスターの中には言葉を操る者達がいるとは知っていた。独自の言語を持つ者は多い。だが人間と同じ言葉をこれほどに使える者がいるとは思っていなかった。
赤い視線がリヒトに向いてそんな表情を読み取ったのだろうか、黒ローブは空中で慇懃に礼を取る。
「これは申し遅れました。吾輩は悪魔族十二熾天が一人デアルゴル、どうぞ短い付き合いでしょうがよしなに」
そのあまりに人間じみた仕草はよりリヒトの頭を混乱させた。
あの山羊の骸骨を引っぺがしたら人間が出て来たって驚きはしないだろう。
そう錯覚させられるほどにデアルゴルは人間の様だった。
「チッ、漫才してる場合じゃねーぞ。いいから行けリヒト! おい『銀月』お前も黙ってねーでそいつら連れて行け――おい?」
「……ユエル?」
反応がないことを不審に思って振り向けば、ユエルは未だ部屋の入り口にだって腕をだらりと垂れ下げ脱力した状態だ。
その口元が微かに言葉を刻む。
「あ、くま……」
「おや、年若いお嬢さんには吾輩の存在は恐ろしかったですかな? 心配いりませんよ。もうすぐみんな仲良くあの世に送って差し上げますからね」
顔がないのにニタニタと笑っているのがよくわかる声だ。ユエルが動いたのは不快感にリヒトが顔をゆがめた直後だった。
「悪魔――コロスッ!」
「フムッ!?」
突如鬼気迫る声を上げたユエルは一瞬でラスティの脇を駆け抜けデアルゴルの頭蓋へ向かって倭刀を振り下ろしたのだ。瞬きするほどの間をあけてデアルゴルが反応し骨の右手で倭刀を受け止める。
「無駄ですよ」
だがその右手で倭刀を受け止められたのは一瞬だけだった。
「【カースド・フレイムソーン】」
ローブの袖口から伸びたいばらが倭刀へと絡みつこうとうねる。振り払うようにして体を翻したユエルは大きく跳躍して地面へと着地した。
いばらはすぐさまユエルを追いかける。デアルゴルの右手から伸びた5条のいばらが鋭く空気を裂いてユエルに殺到した。
「はぁっ!」
振り抜かれた倭刀が呪術で造られたいばらを切り裂いて防ぐ。
「フム、魔払いの倭刀ですか。私の呪術とは相性が良くありませんね」
そう言いながらも新たに伸ばしたいばらでユエルを追いかける。
鞭のようにしなる呪術のいばらは、地面に叩きつけられて激しく土埃を上げた。ユエルはそのことごとくを回避していたからだ。広い部屋の中をユエルは走り回って隙を掴もうとしている。
だがその目にあるのは煮えたぎる憎悪だ。
「悪魔めッ……!」
「お嬢さんと会うのは初めてだと思うのですが、もしかして吾輩何かやっちゃいましたかな?」
こてんと山羊の頭蓋を傾げながらも攻撃の手を緩めないデアルゴル。
いばらの鞭は10本にその数を増やしていた。
ユエルはさらに素早い動きで邪魔になるいばらを切り裂きながら、隙間をついて逃れながらデアルゴルへ特攻ともとれる攻撃を仕掛けていた。
その姿には今までリヒトが見ていた『銀月』の冷たく鋭い戦いはない。
ただただ憎悪のままに剣を振るう鬼のような姿だけがあった。
◇
「リヒト。おい、リヒト!」
「は、はい!?」
目の前で繰り広げられる戦いに圧倒されて、リヒトはただ呆然と二人の戦いを見守ってしまっていたのだが、すぐ脇からラスティの声がして我に返った。
そこにいたラスティは自分の肩に意識をなくしてぐったりした仲間を寄りかからせている。
「手伝え。今のうちに俺の仲間たちを部屋から避難させるぞ」
「え、あ。分かりました!」
デアルゴルの意識は何度となく空中まで飛んで斬りかかって来るユエルに釘付けになっているように見える。確かに助け出すなら今だろう。
幸い二人は部屋の奥側へと先戦闘の場所を移し始めており、こちら側に倒れる彼らを助けるのに支障はなかった。
「あの、あっちのあれは……」
視線の先にあるのは輪切りにされた人間ではない何かと炭化した元人間の姿だ。一瞬だけ痛々しそうな視線を彼らに投げたラスティだったが、
「あいつらはいい。もう死んでる」
リヒトが床に倒れる冒険者の一人を引っ張りながら訊ねると、ラスティは無理して表情を変えずにそう言った。
その表情からリヒトは二人ともがラスティの仲間だったのだと直感した。
だが今はラスティの言葉に従ってまだ生きている仲間たちを助けることに専念する。
冒険者の鍛え上げられた体は重く、非力なリヒトにとっては一人移動させるのも苦労する。ラスティの方も目立った外傷こそないものの手ひどく痛めつけられていたのか動きはぎこちない。
それでも二人の方に一切の攻撃が飛んでこないのはユエルが戦いの手を緩めていないからだ。
「なぁ、『銀月』の奴は一体どうしたんだ?」
いばらの鞭をかいくぐりながら、猛攻の手を緩めないどころかさらに激しく剣の応酬で返すユエル。その姿はやはり、普段とは大きく異なる。
「分かりません。あんなユエル初めて見ます」
怒りに染まったあんな顔は。
振り下ろされた倭刀が黒い炎のいばらを引きちぎりながらデアルゴルへと再び振り下ろされる。デアルゴルはわずかな動きでそれを躱す。
「でも、ユエルさんならきっと」
倒せる。そう呟こうとしたリヒトだったが、それをラスティが苦い顔で遮った。
「いや、こいつはまずい」
「え?」
大きな音を立ててユエルが地面に叩きつけられた。
「『銀月』のやつ、遊ばれてやがる」
地面に叩きつけられて息が出来なくなった瞬間を狙ったいばらが迫る。
ユエルは無理やりに体を起こすとその攻撃を避けた。だがその動きはさっきまでよりも精彩を欠くものだ。
再び大部屋の中でユエルといばらの追いかけっこが始まる。
「遊ばれてるって、どういうことですか」
「言葉の通りさ。あの悪魔はまだ余裕を持ってる。あの様子ならまだ強力な呪術も持ってるだろうよ。対して『銀月』の方は全力で斬りかかってまだあいつに傷一つ負わせられてねぇ。『銀月』の攻撃は、あの悪魔に届かねえんだよ」
「そ、そんな」
再びの轟音に振り向けば、大上段からの攻撃が跳ね返され宙に舞うユエルの姿が目に入った。
◇
「フム、やはりおかしいですね」
無意味だと理解しているだろうに健気に特攻を続けているユエルにデアルゴルが解せないと言った声音で言葉を発する。
「やはり吾輩全くお嬢さんに恨まれるようなことをした記憶がないのですねえ。……と、言うことはもしや吾輩たち悪魔族に対して何か恨みがおありですかな?」
人を馬鹿にしたような声に、小さくしかしはっきりとユエルの肩が震える。
「ああ、やっぱりそうなのですね。いやでもそうなるといったいどれでしょうな。吾輩たち悪魔族は普段ここより深い場所にて生活しておりますからな」
わざとらしい仕草でデアルゴルは自身の顎に手を当てて思案する風にする。
「ここに来るまで邪魔だった蜥蜴どもや巨人どもを屠っては参りましたが、人間族となりますとなぁ」
その言葉を聞いてユエルはようやく理解した。
最初に見つけた巨人族ゴライアスも、何体も現れたドラゴニュートも。
全部こいつがちょっかいをかけたことでここまで追いかけてきたのだ。
「あの蜥蜴どもときたら、大した知能もないくせに仲間意識だけは強いのですからなあ。たかだか10や20子どもを殺して生贄にしたからと言ってあんなに怒ることもないでしょうに」
はっはっはっは、と笑うデアルゴルの声を聞いてユエルは自分のポケットに入ったままになっているきれいな石の事を思い出す。
あのドラゴニュート隊長は殺された子どもたちの敵討ちのためにここまで上って来たのだ。あの不釣り合いな肉切り包丁は、もしかしたらそのために与えられた特別な剣だったのかもしれない。
そう思うと、自分が倒した相手だと言うのになぜか怒りが湧き上がって来る。
「2年前」
「フム?」
突然話し出したユエルに、デアルゴルが笑いを引っ込める。
「このダンジョンから溢れたモンスターが地上を襲った」
残った力を寄せ集めて、どうにか立ち上がる。
「モンスター達は一様に黒い鎧を身に着けていた。その鎧は呪術の効果で威力を底上げされていた。呪術は――お前達悪魔族が最も得意とするものだ。そうだな?」
ありったけの力でデアルゴルを睨み付ける。
ユエルはこの2年間、冒険者として戦う傍らあの事件がどうして起こったのかを必死に調べたのだ。
一般的にはありがちな事件の一つとして片付けられていたが、自分の姉が今置かれている状況を鑑みればただのモンスターの暴走ではありえなかったのだ。
そしてたどり着いたのが呪術、そして悪魔族の存在だった。
「おやおや、確かに吾輩たち悪魔族は呪術を得意とする種族ですが、他にも呪術を扱える種族は幾らでもいるのですよ? 吾輩たち悪魔族にそんな濡れ衣を着せられるなど心外です」
困ったとでもいう様に肩を竦めるデアルゴル。
大した証拠もないのにとんだ冤罪だ、とでも言いたげだ。
「ま、あのモンスター達に呪術をかけて地上に送り出したの。吾輩なんですがね」
一転してさらりと述べられた自白に、ユエルは頭の中が真っ白になった。
「いやー、あの時は新開発した呪術の試運転がしたくてしょうがなかったのですよね。ちょうど同じ十二熾天のシアントゴルが地上に用があると言うので押し付けたのですが……ああそうですか! その時家族かご友人でも亡くされましたか!」
喜悦をあらわにしながら、デアルゴルがゆっくりと地面へ近づいて来る。
その姿にユエルはギリッと歯を噛んで倭刀を振りかぶった。すでにデアルゴルは跳躍せずともユエルの間合いの内側にいた。
「貴様ああああああああ」
「ああもうそれはいいです」
ブン、と振るわれた腕が倭刀とぶつかり。
その刃を半ばから折ったのだった。
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