第15話 絶望へ向かう


「ユエル……!」


 こちらへと無事な姿で歩み寄って来るリアムを前にして、リヒトは一気に足から力が抜けてしまう。今度こそ腰が抜けてしまったようだ。


「大丈夫か?」


 顔を上げれば、そこにあるのはエメラルドの瞳と月を連想させられる白銀の髪の女性。

 しゃがみこんで、リヒトの無事を確かめていた。


「まったく、碌に戦う力もないくせにこんな場所まで来るとはな」

「どうしても、助けたかったから」


 呆れと、微かな怒りを感じてリヒトは素直に口にする。

 ユエルからしてみれば戦う力もなくこんな場所まで来るのは無謀を通り越して自殺志願者だと思うだろう。

 だがユエルが訊ねたのはそこではなかった。


「だったら、どうしてあの時目を瞑った」


 厳しい声だった。

 倭刀を投げた後、ドラゴニュートに囲まれた時の事だろう。

 足を止め、目を瞑ったリヒトの姿は完全に生きることを諦めた者の動きだった。

 リヒトは事実、生きることを諦めていた。


「……」

「……まぁいい。いずれにせよ、お前が来たことによって助かったことは事実だ」


 リヒトが何も言えないでいるのを見て、ユエルが立ち上がる。その視線は倒したばかりのドラゴニュート隊長へと向けられていた。


「これ、ドラゴニュートの変異種、だよね?」

「知っていたか」

「前に図鑑で見たことがあるよ」


 リヒトもどうにか立ち上がって、ユエルに続く。

 ドラゴニュート隊長の体は大きい。

 脳天から真っ二つにされて、断面からは内臓と血液が零れ落ちてあたりに生臭い臭いを漂わせている。


「なら知っているだろうがこいつらはもっと下の階層の住人だ。こんな浅い階層にどうして来ているのか……」


 そう言いながらユエルは黒い鱗に覆われた体を眺めて考えている様子だったが、答えが出るはずもない。


「まぁ、そう言った謎は一度ダンジョンを出てから考えるべきか」

「これはどうするの?」


 ダンジョンを脱出する方へ考えを変えたユエルにリヒトが訊ねる。


「どうにもならんな。いきなり来たから解体できるような道具もなし、そもそもドラゴニュートなど肉はまずいし表皮を刈り取るくらいしか素材とできる場所もない」


 確かにリヒトが見た図鑑でも表皮が頑丈な事くらいしか書いていなかった。ちなみに見たのは魔法薬に使える素材をまとめたものだ。


「表皮を刈り取ってもいいが、持っていく入れ物もないし、何よりこの変異種の表皮でもさほどの金にはなるまいよ。珍しいことには珍しいがな」

「そうですか……」


 もしこのドラゴニュートを解体して素材の売却益が出るなら少しでもユエルの姉の治療費に当てられるだろうかと思ったのだが、どうやら無理そうだった。


「だが……」

「え?」


 そう思って沈んだ気持ちでいると、ユエルがドラゴニュート隊長から離れ地面に突き刺さった巨大な肉切り包丁へと歩み寄っている。

 リヒトも並んでその威容を眺めると、包丁の腹に二人の姿が映り込んでいる。


「この剣はこいつと比べると以上に出来がいいな。何というか、本人の力量に合ってないとでも言おうか」

「そうなんですか?」

「お前の目で見てこの剣をどう思う? 魔法具店の店主として、だ」


 そう言われて剣をよく見る。

 剣自体に特別なところはない。だがしっかりと、丁寧に鍛造されたもののようでゴブリンなどが使う粗末な剣とは大違いだ。

 はっとしてリヒトは他の通常個体のドラゴニュートが使っていた剣を見る。よく見る必要もなく、こちらは目の前に突き立つ肉切り包丁からはかなり格が落ちる代物だ。

 肉切り包丁は異常なほどの大きさで、鍛えるのも相当の手間が必要だったはずだ。よく見れば柄の部分には簡素だが装飾があり、きれいな石がはまっていた。


「確かに他のものに比べればかなりいい物のようだけど、それはこれが変異種だったからじゃ?」

「確かにこいつは変異種で他の奴よりよっぽど厄介だったが、所詮は雑兵だ。この程度の奴はドラゴニュート達の住むドラグニアにはこいつなんかよりよっぽど年季の入った強力な個体がいくらでもいる」

「ドラグニア……」


 聞いたことがあった。

 セェベロ迷宮の地下56層に存在するドラゴニュートの都市。地下峡谷をくりぬいて作られているらしかった。


「だったらどうして……」

「さぁな。だが――」


 ひょい、とユエルは柄にはまっていたきれいな石を抜き取る。


「これは多少の金にはなるかもしれん。戦利品としてもらっておこう」

「何でしょうね、コレ」

「さぁな」


 ユエルはとりあえず金になりそうという考えで手に取ったようだが、リヒトはその石の表面に浮かぶ模様に見覚えがある気がして首を傾げた。


「さぁ、地上へ帰ろう。いや、その前にリアムを見つけなくてはな」

「あ、大丈夫だよ。リアムだったら知り合いの冒険者に――」


 ラスティに任せたことを話そうとしたリヒトだったが、その言葉が途切れる。


「うああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 恐ろしい、断末魔としか思えない絶叫が聞こえてきたからだ。

 一瞬びくりと肩を震わせて硬直したリヒトが通路の奥から視線を戻すと同じようにこちらを向いたユエルの視線とかち合う。


「今のは?」

「……さっき僕が来た方だ」


 まさか、ラスティ達に何かあったのか。

 リヒトの頭の中に嫌な想像が広がっていく。


「急ぐぞ。走れるか?」

「もちろん」


 ユエルと2人、地面を蹴って走り出した。


   ◇


「おい! クーガー、前に出すぎるな!」

「知ったことかよ! こいつのせいで、こいつのせいでジェイドが!」


 クーガーは荒い呼吸を取り繕うこともせずにリーダーであるラスティに食って掛かった。

 手の中にある両手斧を握り直して変わり果てた幼馴染の姿を見る。


「おおぉぉおぉおぉぉぉ……」


 ついさっきまで笑いあっていたはずの幼馴染のジェイドはもう人間の言葉が喋れなくなっている。その上、目からは生命の光が失われ、目全体が黒く染まっている。肌も黒く変色し健全な人間とはとても言えなくなっていた。

 死鬼。

 グールなどアンデッド系モンスターとはまた違った方法で生み出される人とは異なる存在だ。

 そして一度そうなってしまえばもう二度と人間に戻ることは出来ない。


「すまねぇ……!」


 クーガーは手に持った両手斧を振り上げる。

 よろよろとした動きで今まさに生まれたばかりの死鬼ジェイドが長く伸びた爪を自分へ振り上げようとしているのを視界に収める。

 一瞬、故郷でジェイドと話したことが脳裏によみがえる。


「チッ、成仏しろよ!」

「うおぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおぉおぉおぉ」


 生まれたばかりの死鬼は動きが鈍い。だがあと少し経てばその鋭い爪と生まれ変わった筋肉をいかんなく発揮して人外の動きをするだろう。クーガーの両手斧がジェイドの首筋にいともたやすく叩きこまれたのは、生まれたてだったからに過ぎない。


「フム、これはなかなか面白い余興でしたね」

「うるせぇッ、降りて来いこの骸骨野郎!」


 幼馴染の変わり果てた姿に涙を流す間もなく、かけられた声に噛みつくようにして見上げる。

 真っ先に目に入ってくるのは人間ではありえない山羊の頭骨のような頭部だ。長い二つの角を持ち、眼窩からは薄気味の悪い赤い光が漏れている。身に纏うのは足もとよりも長いゆったりとした黒のローブで、両手の袖口からは異様に細長い骨の掌が覗いている。

 全体像を視界に入れた瞬間からクーガーは心臓が縮みあがるような思いだった。

 死神のような雰囲気にのまれたわけではない。

 ごく単純に、生物としての格が違い過ぎる。

 そう理解させられたのだ。


「愛する者同士が、信頼し合う者同士がいがみ合い殺し合う。それは最高のショーという物ではありませんか?」

「反吐がでるぜ」


 クーガーはかろうじて吐き出すように強がることしかできなかった。

 足が一歩も動かない。

 持ち上げようとした両手斧が上がらない。

 額に浮かんだ冷たい汗だけがゆっくりと流れ落ちて行く。

 動けなくなったクーガーの代わりに口を開いたのはラスティだった。


「お前、上級悪魔か」


 緊張を孕んだ声だ。クーガーはラスティとパーティを組むようになって長いが、ここまで緊張した声は久しく聞いていない。


「フム、どうやら知性の欠片程度は持っている者もいるようですね。いかにも吾輩は上級悪魔デアルゴル」


 骨の悪魔が宣った名前に、ラスティの顔がさっと青ざめる。


「その名前、聞き覚えがあるぜ。十二熾天だろ」

「フム、人間側にそこまで情報が洩れているとは思いもしませんでしたね」

「悪魔族最高幹部の一人がこんなところで何してやがる」

「少々雑事がありましてな。探し物をしているのですよ」

「探し物、だと?」


 デアルゴルと名乗る悪魔とラスティが会話しているのをクーガーは聞いていたのだが、自分の体が動くことに気が付いた。

 悪魔は話しに集中している。

 今なら、やれるか。


「【アーテル:飛翔風靴】!」


 足に黒の魔法を掛ける。脚力を強化する付与魔法だ。第四階梯程度の威力しかないが、ジェイドと共に故郷を出てから何度も助けられてきた魔法だ。


「っ、やめろクーガー!?」

「うるせえ死ねええええええええええええ!」

「フム」


 クーガーは魔法の効果で3リンテールは上に浮かんでいたデアルゴルに向かって飛翔した。両手斧を高く振りかぶったクーガーの姿にラスティは生死の声を掛けるが既に遅く、デアルゴルは余裕の雰囲気を崩すことはなかった。


「ジェイドの仇ィィィィィ!」


 高速で振り下ろされた両手斧が山羊骨の頭に向かう。


「いい表情ですね。憎悪に満ちたその顔。次は絶望に染め上げて差し上げましょう」

「え?」


 クーガーの口から間の抜けた声が出るのと、ぱしっという軽い音と共に両手斧が受け止められるのは同時だった。

 渾身の力で振り下ろされた両手斧だったが、骨で造られた右手一本で受け止められびくともしない。


「くっこの!?」

「絶望を味わいなさい」


 その言葉と共に斧を握る手のひらから黒い炎が溢れ出す。


「【カースド・フレイムソーン】」


 溢れ出した黒炎がいばらの様に伸びると掴まれたままの斧に巻きつく。ぎりぎりと締め上げられた斧は一瞬悲鳴のような音を立てると粉々に砕け散った。


「うごぁ!?」


 だがそれにはとどまらず、炎のいばらは反動で吹き飛ばされたクーガーの体を追いかけ両手両足へと巻き付く。再び空中へと吊り上げられたクーガーだったが、いばらの巻き付いた部分が焼けつくような痛みを発して絶叫する。


「いい表情です」


 反してデアルゴルの愉悦に満ちた声。

 肉が一切ついていないその顔から表情を読み取ることは出来ないが、顔があれば確実に歪んだ笑みを浮かべていることは間違いないだろう。


「やめろ! 放せ!」

「ええ、いいですとも」


 その言葉と共に急に体が浮遊感に包まれたクーガーは背中からの衝撃に息を詰める。


「うああああああああああ」


 だがクーガーはそれどころではなかった。

 両手両足を見下ろした彼は、そこに自分の手足が既についていないことを知る。

 そしてその切り口が、あの炎のいばらとおなじように燃えていた。

 炎はあっという間にクーガーの体をなめとっていく。

 短くなった手足の先から徐々に体を炭化させていく炎は止まることなく体をも燃やし尽くしていく。


「さて、次はあなた方の番ですね」


 手足もなく、ただ燃やし尽くされていくクーガーは仲間の無事を祈ることもできず、絶命するまでの短い間ただ痛みに絶叫を奏でることしかできないのだった。

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