第14話 再会


 地面を爆散させるのではないかと思うほどの勢いでドラゴニュート隊長はユエルへ突撃してくる。

 振り下ろされる肉切り包丁は大きすぎて遠近感を狂わされそうだった。

 頭めがけて振り下ろされた攻撃は、ユエルの軽装ではかすっただけでも致命傷になりかねないほどの威力を秘めている。

 だが、ユエルはその攻撃を恐れることなくするりと躱した。ほんの僅か剣の軌道から一歩脇へずれてだ。副次的に舞い散る土煙や叩き砕かれて飛ぶ石片は無視する。

「SYYYYYYYYYY!」

 自分の攻撃を躱されたことがお気に召さなかったのか奇声を上げながら隊長の攻撃は続く。

 だがその攻撃はユエルに届かない。

 ユエルはまるでどこに肉切り包丁が落ちて来るのか分かった上で避けているかのような軽やかさだ。

「所詮は蜥蜴だな」

 通常のドラゴニュートと比較して、目の前の変異種は明らかにパワーもスピードも大きく凌駕していると言っていい。振るう武器は盾でも鎧でも並の装備ならば当たれば間違いなくその上から叩ききる威力を持ち合わせている。

 そう、当たればだ。

「SYURRRRRRRR!」

 再び、横薙ぎの攻撃を振るう隊長。ユエルの細い胴を真っ二つにせんと迫ったその攻撃はけれど空を切る。

「SHYU?」

 だが同時に一瞬でユエルの姿が隊長の視界から掻き消えた。

 攻撃が当たった感触はなかった。疑念のような鳴き声を上げる隊長の、背後から声がかかる。

「お前の攻撃は読みやすすぎる」

 ぐりん、と首の可動域限界まで使って首だけで振り向いた隊長は自分が振った肉切り包丁の上に立つ一人の冒険者の姿を捕らえて固まった。

 ユエルは分厚い大剣の上に自分の剣を刺し貫き立っていたのだ。

「SYAAAAAAAA!」

 からかわれているとでも感じたか、隊長は力任せに肉切り包丁を振り回す。

 だがユエルはその直前に突き立てた剣をすっと引き抜きドラゴニュート隊長の頭上に飛び上がる。

 短剣程度の長さまで短くなってしまった剣の柄を両手で握って水平に切り裂く。

「ハァッ!」

 剣は隊長の首にしっかりと食い込んで、けれど切り裂くには至らなかった。

 甲高い音を立てて、剣の方が砕けたからだ。

「チッ、やはり無理か」

 空中で態勢を立て直し、間合いを開けて着地しながら刀身が完全に砕けた剣を見下ろす。

 元々半ばから砕けた時既に限界だったのだ。

 ドラゴニュートの皮膚は硬い鱗に覆われており、今攻撃した首元にも変異種特有の黒い鱗がびっしりと生えていた。貫き通せないだろうことは予測していたことだ。

 だがあの変異種を倒すには首を切り落とすくらいしか方法が思い浮かばなかった。通常個体のようにインファイトで倒し切れる体躯には見えなかったのだ。おそらく変異種の強力な肉体は本職の拳闘士などではないユエルの拳などではダメージになりえないだろう。

 攻撃は体力の続く限り避けられる。

 だが目の前のモンスターを殺し切るには決定的に武器が足りなかった。

「SYUSYUSYUSYU」

 柄だけになった剣を投げ捨てたユエルを見て、隊長が嗤う。

 そう、明らかに嗤っていた。

「……いいだろう。その頭、二度とそんな声が出なくなるまで殴り続けてやろうじゃないか」

 その様子を見てユエルも決意を固めた。

 ユエルにはダンジョンに潜る理由がある。

 病気の姉を救うためだ。

 だから絶対に生きて帰らなければならない。

 死んでしまえば姉を救うことが出来ないからだ。

 それでもたまに、抑え切れない感情に支配されることがあった。

 頭の冷静な部分がさっさと逃げてしまえばいいと囁く。

 胸の中の熱い部分が冒険者の矜持を、リアムのために時間を稼げと叫ぶ。

 相反する感情を抱えて、ユエルは拳を握った。

「お前は必ずここで殺す」

 ニィ、と力強く笑んでやればドラゴニュート隊長の口元もさらに深く弧を描く。

 片や闘争心から。

 片や嗜虐心から。

 両者が示し合わせたかのように第二ラウンドの一歩を踏み出そうとしたその時だった。

「ユエルッ! 使ってッ!」

 広い部屋の中にリヒトの声が響いた。


   ◇


 大きな物音を頼りに走っていたリヒトは、途中からはっきりと聞こえ始めた戦いの音にひかれて行くようになった。

 次第に大きくなっていく剣戟音にリヒトの心臓が跳ねる。

 そしてそれは、大きな部屋に入った瞬間ユエルの姿を見つけて止まる。

「ユエル……!」

 無事だった。

 安堵と共に出た呟きはかすれ声だった。

 両足に、体にここまで走って来た疲労が一気にのしかかり崩れ落ちそうになる。

 だがユエルの周りを取り巻くようして展開するドラゴニュートの姿と、巨大な変異種を見て状況を理解した。

 こちらに背を向けたユエルの手にはやはり武器がない。

 無手を拳にして、自分の身長の倍はあろうかと言う変異種に構えをとるその姿を見てリヒトは反射的に叫んでいた。

「ユエルッ! 使ってッ!」

 腰から外した倭刀を鞘ごとユエルに向かって放り投げる。大きく弧を描いた倭刀がユエルの手の中に納まるよりも先に、ユエルを取り囲んでいたドラゴニュート達の黄色い瞳がリヒトを捕らえた。

 倭刀を投げた瞬間のリヒトはその視線に文字通り居竦ませられてしまう。

 ユエルを取り囲んでいた内、リヒトに最も近い位置にいた三体が床を蹴って向かってくる。

 振り上げられる凶刃を前にして、けれどリヒトの体はもう動かなかった。

 もう、いいか。

 そんな諦観めいた思いにとらわれて。

 静かに目を閉じる。

 だが、いつまでたっても凶刃が降り注ぐ気配がない。

 代わりに呆れたような声が耳に届く。

「まったく、どうしてお前がここにいる」

 はっとして目を開くと、すぐ目の前にユエルの姿がある。

 背を向けて立つその手には今渡したばかりの倭刀が抜き身の状態で握られている。

「だが、助かった」

 視線を前に向ければ今まさにリヒトを殺さんと襲い掛かって来た三体のドラゴニュートが地面に崩れ落ちている。

 三体ともが綺麗に輪切りの状態でだ。

「いい刀だな」

「大丈夫? 使える?」

 刃に浮かぶ刃紋を眺めながら呟くユエルにリヒトは恐る恐る訊ねた。

 武器はどれほどいいものであろうとも扱えるものでなければ意味はない。特に倭刀は刃こぼれしやすく使いにくいと言われている。

 だが不安そうな顔をするリヒトに向かって余裕の笑みを浮かべた。

「問題ない。使いこなすことまでは出来まいが、あの程度の蜥蜴を料理する分には十分だとも」

 ひゅん、と風を切って切先を離れた位置に立つ隊長に向ける。

 挑発されたとでも感じたか、ドラゴニュート隊長は一際大きく咆哮するとこちらへ向かって駆け出してきた。

 地面を揺らしながら迫って来るその姿はまるで小山の様だ。

 だがユエルはそんな相手を見ながらゆったりとした動作で倭刀を脇構えにする。

 相手から見れば正面ががら空きの、ただし武器が見えなくなる構え方。後ろに立つリヒトからはその刀身はちょうど目の前だ。

 その様子に隊長は勝機と見たのか、あるいは何があろうとも正面から叩き伏せるつもりなのか。

遠間から一気に踏み込むと大上段に構えた肉切り包丁を一気に振り下ろす。

だが、

「遅い」

 その時には既にユエルが右手に握った倭刀を横に振り抜いた状態になっている。

「HUSYU!?」

 勝利を確信したはずの隊長だったが振り下ろした自分の腕を見て驚きの声を上げる。

 肘から先が、ない。

 なくなっているのだ。

 硬直する隊長のすぐ背後で巨大な肉切り包丁が落下する。

 ぎこちない動きで視界に入れると、地面に突き立つ肉切り包丁と柄を握ったまま切り落とされた自分の両腕がそこにあった。

「SYYYYYYYYYYY!?」

 腕から血を迸らせながらドラゴニュート隊長が絶叫する。

「本当に良い刀だな」

 ドラゴニュートの、それも変異種の皮膚を斬るのは容易なことではない。それを成すことが出来たのはユエルの腕はもちろんだが、この倭刀によるところが大きいだろう。

 そして何より付与された魔法が素晴らしい。

「振った瞬間に、薄い氷の刃が伸びたな。これが付与魔法か」

「他にも、切れ味強化と硬度強化もかけてあるよ」

 そう答えながらもリヒトはユエルが作り出した現実に唖然とせずにいられなかった。

 リヒトが掛けた付与魔法は張り切ったこともあってかなり強力に仕上がっている。だがここまでの威力を引き出せるとなるとユエル自身の技量も相当なものだ。

「さて、悪いがケリを付けさせてもらうぞ」

「HUSYRRRRRR……」

 ドラゴニュート隊長は痛みに悶えている様子だったが、ユエルが視線を向けるとその殺気に気が付いたのか低く唸りながら睨み返してくる。

 その目には未だ戦意が残っている。

「いい目だ。それでこそ殺し甲斐があるという物だッ」

 その言葉と共に一気に加速したユエルがモンスターへと肉薄する。

「SYYYYYYY」

「SYURRRRR」

 その様子を見た他のドラゴニュート達が武器を振り上げながらユエルへと殺到して、自分たちの隊長への道を塞ごうとする。まるで守ろうとするかのように。

「心意気は買うが、無駄だ」

 振り下ろされる倭刀があっという間にドラゴニュート達を撫で斬りにしていく。

 体を覆う強靭な鱗も意味をなさず、ドラゴニュート製の剣で受けようものならまとめて斬られる。

 ついさっきまで取り囲まれ、劣勢だったはずのユエルがあっという間に数の差を消していく。

「SYUUUU!」

「ほう」

 そして最後の一匹の胸に倭刀を突き立てたところで、それまでと違う動きをドラゴニュートが取る。

 自分の胸に突き立てられた倭刀の刀身を両手でつかんだのだ。太い手指で掴まれると、刀身の細い倭刀はつまようじか何かのように見える。

「HUSYYYYYY!」

 そこへドラゴニュート隊長が肩から突っ込んでくる。

 腕を失った彼にはもうそれだけしか攻撃手段が残されていなかったのだろう。

「ユエル!」

 感心した様子で固まっているユエルの様子に危険を感じてつい叫んでしまう。

「心配するな」

「SI!?」

 だがユエルは刀身を掴んでいる指ごと無理やり細断してしまう。

 細切れにされた両手の指が宙を舞い、いくつものパーツに切り分けられた体が地面に血煙を上げながら積み上がった。

 そしてちょうどそこへ隊長のタックル。

 ユエルが小枝のように吹き飛ばされる姿を幻視してしまうリヒト。

「どこを見ている」

 だが上から響いた声にリヒトも、手ごたえがなかったことにあたりを見回したドラゴニュート隊長も顔をそちらへ向ける。

 空中で倭刀を振り上げ、重力に従って地面への落下を始めたユエルの姿がそこにあった。

「さらばだ」

 頭上から一閃された倭刀が頭頂部からドラゴニュート隊長の体を通り抜ける。

 大きな音を立てて、その巨体が半分に分かれて崩れ落ちた。

「やはり、良い刀だな」

 刀身に残る血糊を振り払って、ユエルはリヒトに笑って見せた。



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