第13話 さらに奥へ


 誰もいない通路をリヒトはひた走る。

 頭の中にちらつくのは先ほど死んでいた女性の姿だった。もし今この通路の先で、リアムやユエルが同じようなことになっていたらと考えると、息が切れそうだと言うのに足を止めることが出来ない。

 リヒトはただ頭の中に浮かぶ最悪の光景を振り払うようにして走り続けることしかできなかった。

 そしてその感情は、通路の先から微かに聞こえた悲鳴によって最大のものとなる。


「今の声……リアム!?」


 ヘベッタ兄妹の妹の方から聞いた通りに走って、リヒトは一つの大部屋にたどり着いた。

 入口から目に飛び込んできたのは数体の蜥蜴型モンスター。

 そして囲まれて、地面に倒れ伏すリアムの姿だった。


「う、うあああああああ!」


 リヒトは叫び声を上げながらモンスターの群れの中へ突っ込む。


「HUSYUSYU?」


 こちらへ気が付いたドラゴニュートが振り向く。

 そのドラゴニュートは、自分の鼻先に小さな石が飛んできていることに気が付いた。だが小石程度でどうにかなる体ではない。特別気にせず受け止めようとして――頭を吹き飛ばすような衝撃を受けて絶命した。


「HYUHYISISIS!?」

「SYUSYUSYUSYU!?」


 放射状に広がった薄い煙幕が空中に漂って、ドラゴニュート達の視界を覆う。

 他のドラゴニュート達もその爆発で、煙幕越しにリヒトが自分達へ向けて駆け出してきていることに気が付いた。

 同時に、仲間を殺された事実も。

 低い体勢で、突っ込んでくる獲物の姿にドラゴニュート達は舌なめずりをする。その姿は今まで戦ってことのある冒険者と比較して、全く脅威を感じなかったからだ。それは今彼らが囲んでいる人間もそうだったが、先につぶすべきは自分達に歯向かおうとしている方からと言う点で、彼らは意見が一致した。

 しかし剣を振り上げようとしたところでドラゴニュート達は気が付く。

 体が動かない。

 ドラゴニュート達が困惑している中、リヒトは地面にぐったりとうずくまっているリアムに駆け寄って抱き起した。


「リアム! しっかりしろ!」

「……り、とくん?」


 うっすらと目を開けたリアムの姿にほっと胸をなでおろす。


「大丈夫か? 怪我はないか」

「うん、少し転んだだけだよ」


 そう言ってリアムは笑みを浮かべるが、その顔には疲労の色が濃い。

 膝を見れば擦りむいた跡があった。

 どこかで休ませてやりたいが、立てるだろうか。


「リアム、悪いけど歩ける?」

「……ごめん、ちょっと無理みたい」

「分かった。肩を貸すから」


 そう言ってリヒトはリアムの腕を自分の首の後ろに回して脇を抱える。

 今はまだ動けないでいるドラゴニュート達だが、爆弾の効果が切れるのはすぐだ。急いでここを離れる必要があった。


「……来てくれて、ありがとうリト君」

「急にどうしたのさ」

「今、伝えておきたかったの。もしかしたら、もう話せないかもしれないから」

「縁起でもないこと言わないでよリアム」


 そう言うと薄くリアムが笑う。

 すごく疲れた笑みだ。


「まだ、ユエルさんが奥で戦ってるの」

「え?」


 リアムが発した言葉にリヒトは頭を揺さぶられた。

 思わず足が止まる。


「あっちもモンスターの数が多くて……ユエルさんは私を逃がすために一人で残ってるの」

「ユエルが……」


 振り返って通路の奥へと視線を向けるが見えるはずもない。

 リヒトの心が一瞬乱れる。

 今すぐに通路の奥へと駆け込んでユエルの無事を確かめたいと言う思いと、今ここにいるリアムを助けなければという思いに。

 だがその考えを頭を振り払って消す。


「……まずはリアムを安全なところへ! ユエルはそれから……!」


 ラスティ達の元まで連れて行けばきっと大丈夫だろう。

 一人飛び出してきてしまったことに若干の罪悪感を覚えながら、リヒトは再び足を動かして、怒りを孕んだ声に自分の失態を悟った。


「HUSYUSYUSYUSYU!」


 麻痺が解けたドラゴニュートの一体がこちらへ向けて剣を振り下ろそうとしていた。

 咄嗟に鞄に手を入れるが、何をしても間に合わないことは火を見るより明らかだった。

 心が絶望に染まる。

 せめてリアムだけでも攻撃の射線上から逃がしたい。

 そんな考えがよぎって、


「おい、コラ。俺達から離れるなって言っただろうがよ」


 火花と共に現れたラスティがモンスターを一刀のもとに切り伏せた。


「SYUSYUSYUSYUSYUSYU!」

「HUSYYYYYYY!」


 麻痺が解けたドラゴニュート達が怒りの声を上げる。

 だが彼らはラスティを警戒しているのかこちらへすぐに襲い掛かってくると言うことはなかった。


「ラスティさん……」

「チッ、手間かけさせんじゃねえよ」


 口は悪いながらも、しっかりとドラゴニュートとの間に立ちふさがってかばってくれている。


「今度こそそこを動くんじゃねえぞ。今片付けるからな」


 そう言ってドラゴニュート達をキッ、と睨み付ける。


「HUSYUUUUUUUU!」


 唸り声を上げて、立ちすくんでいた敵の内二体が飛びかかって来る。

 だが、


「遅い」


 ゴウッ、とリヒトの前髪を熱風が揺らした。

 それと同時にすぐ目の前にいたラスティの姿が掻き消える。

 ラスティの姿はいつの間にかドラゴニュート達の背後にあった。


「死ねよ、怪物ども」

 ばらりと解けるようにしてドラゴニュートの体がバラバラに崩れ落ちた。

 鋭い切り口からは出血が少なく、代わりに白い煙がうっすらと出ている。ラスティが払った剣から火花が散り、斬るのと同時に焼いたのだとリヒトは遅れて理解した。


「さぁ、次に死にたいのはどいつだ」


 切っ先を動かずにいたモンスター達に向けると、彼らは一様に後退った。

 ラスティの殺気に気圧されているのだ。


「来ないならこっちから行くぜ――」


 そう言って一歩踏み出そうとしたラスティだったが、その足が持ち上がるよりも先に通路の奥から大音響が襲い掛かって来る。

 天井が崩落でもしたかのような大きな音だった。


「な、何だ!?」


 その振動と音にモンスター達ですら動きを止めている。

 だがその中にあってリヒトだけがその理由に思い当たった。


「ユエルが、戦ってるんだ……!」


 この暗い通路の先で、きっとユエルが戦っているに違いない。その確信がリヒトにはあった。

 駆け出したい衝動と、腕の中にかばったままのリアムを考えてリヒトは動けなくなった。


「リーダー!」


 そんな床の上で固まったリヒトの耳に聞こえてきたのは複数の足音だった。

 振り返ればようやく追いついて来たラスティのパーティメンバーの姿がある。


「ようやく来やがったか」


 いつの間にかすぐそばまで戻ってきていたラスティが笑みを浮かべながら呟く。

 その姿を見て、リヒトは決めた。


「ラスティさん、リアムをお願いします。僕は、もう行かないといけないんです」

「は? 行くってどこにだよ」

「リアムが、戦ってるんです」

「『銀月』が? あ、おい!」


 ラスティの問いには答えずリヒトは駆け出した。

 幸いドラゴニュート達は未だこちらに視線を向けてきていなかった。ラスティが開けたドラゴニュート達の隙を潜り抜け、大部屋を飛び出る。


「ユエル……!」


 焦燥をにじませながら、リヒトは暗い通路をひた走った。


   ◇


 頭上から振り下ろされた大剣が風を切って眼前の床に叩きつけられる。髪が数条、そして薄くだが額を切り裂かれたことに眉をしかめる。床が破壊され、飛び散った床材が散弾のようにユエルの体を打ち据えた。同時に発せられた鼓膜を破るような衝撃音に脳を揺さぶられ、ユエルは膝を床につく。

 ユエルはリアムを送り出してから戦い続けていた。

 その途上で一つの大部屋に入り、戦闘を行っていたのだが数秒通路への警戒がそれたタイミングで目の前にいる異貌のドラゴニュートが現れた。


「ドラゴニュートの変異種……お前がこいつらの隊長か」


 変異種とは一定の確率で現れる強力な個体である。

 目の前にいるドラゴニュート部隊の隊長であろう変異種は、他のドラゴニュートとは全く違う姿だ。鱗の色は緑ではなく黒でそもそも通常個体の体躯が2リンテール程度であるのに対し、こいつは3リンテール近い。巨腕に握られた大剣は、剣と言うよりは肉切り包丁を巨大化させたようなものに見える。そしてそこだけは他の個体と変わらない黄色の瞳が好戦的な色を宿してユエルを見下ろしていた。


「いいだろう。相手をしてやる」


 言葉が分かったとは思えないが、隊長の好戦的な色がさらに強まった気がした。

 ユエルは静かに腰から剣を抜き放つ。

 既に半ばから先を失ったユエル自身の相棒だ。名剣ではないが確かな職人の腕で造られたこの剣は、ドラゴニュート製の剣などよりもはるかに信頼できる。それは折れてしまった今もなお変わらない。

 リアムは逃げきれただろうか。

 ふと、折れた剣を構えて隊長と対峙しながらそんなことを思う。

 この場にいれば守り切れなかっただろう。

 つくづく先に行かせておいて正解だったと思わずにはいられない。

 なんとなく、あの人を守らなければならないと思っていた。

 自分の中では突然穴に落ちる直前、リヒトにそう約束したからだと思っていたがよく考えればそれもおかしな話だ。リヒトには確かに恩があるものの、リアムと出会ったのはほんの数時間前の事でかかわりなどほとんどないに等しい。

 こんな状況でなお自分ではなくリアムの心配をすることが自分で違和感だった。

 だがそこまで考えてふと疑問が氷解する。


「……お姉ちゃん」


 呟かれたのはこの世で最も大切なもの。

 自分がいつの間にかリアムに自分の姉の姿を重ねていたことに今さら気が付いた。


「……そうだな。こういうことがあったときのためにも私は力が欲しかった」


 眼前の敵に視線を向ける。

 戦意をたぎらせ体に力をいきわたらせる。


「さぁ、始めようか」

「HURRRRSYAAAAAAA!」


 ドラゴニュートの隊長が巨剣を構えて襲い掛かって来た。



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