第12話 不気味な影


「おい、今何か聞こえなかったか?」


 カブー達を撃退し、亡くなった女性を用意していた死体袋に収めたところでリヒト達は女の子のいた場所へと戻って来た。

 眠ったままの女の子と、女性とは言え大人一人分の遺体を抱えてこれからどうするかをラスティ達が話している時の事だった。

 この状況で、守りながら探索をするのは確実に下策。

 だが、生存者がいたと言う事実がほかにも生存者がいるのではないかと言う可能性を考えさせられずにはいられなかったのだ。


「……う、ん」


 一同が遠くから聞こえたであろう音に耳を澄ませたところで、けれど聞こえたのはすぐ傍に居る女の子が目を覚ました声だった。


「ここ、どこ……?」

「ごめんなさい。まだダンジョンの中よ」


 自分がどこにいるのか、まだはっきりと思い出せない様子の女の子にジーナが優しく声を掛ける。

 だが女の子は見る間に顔色を悪くしていく。


「あ、あれが! あれが来るの!」

「落ち着いて、モンスター……カブーならみんなやっつけたから」

「違うの! 大きな馬がいて! お母さんが、わたしを守るために引き付けてくれてっ。お母さん、お母さんはどこ!?」


 涙を流して母親を呼ぶ女の子は半ば錯乱している様子だった。母親の遺体が入った死体袋は仲間と共に見えないところに下がっていた。ラスティの判断だったが、適切だったと言える。もし目にすれば確実にこれだけでは済まなかっただろう。

 そんな女の子をジーナはぎゅっと胸に抱きしめる。


「落ち着いてちょうだい、お母さんは今仲間たちが探してくれてるわ。……きっと生きてると思うから、だから落ち着いて」


 小さな子供をあやすように言い聞かせていると女の子は少しずつ落ち着き始めたようだった。

 そしてジーナが抱きしめた小さな体からふっと力が抜ける。


「気を失ったみたい」

「無理もないさ。死にかけた上にかなり恐ろしい目にあっただろうからな」


 ジーナが言うと、ラスティが同情するような顔をして目を逸らす。


「なぁ、その子が言っていた馬ってのは……なんだろうな」

「この辺にそんなモンスター出たか?」


 ラスティの仲間たちが口々に疑問を述べるが答えを出せる者はいなかった。

 このセェベロ第二迷宮ではほとんど人型のモンスターしか出ないうえに、上層ではゴブリンやカブーのような小型のモノしか現れない。それゆえにこの場所は初心者向けとされているのだが、その中に馬に似た姿のモンスターが出るなど誰も聞いたことがなかった。


「ま、今は下から上がってきてる奴らがかなりいるようだからな。その中に新種もいるかもしれねぇ。……そうなると、やっぱりこのまま探索を続けるのは難しいな」


 ラスティの最後のつぶやきが、リヒトの胸を抉る。

 もしその言葉通りになるならば、リヒトも一緒に地上に戻らなければならない。

 まだ、何もできていないと言うのに。

 だから何でもいい、何か探索を続行するための糸口を欲してリヒトは口を開いたが、


「おい、何か来るぞ!」


 冒険者の一人の叫びに、全員が警戒態勢に入った。

 視線が、薄暗がりの通路の先へと集中する。

 リヒトも耳をすませば、その奥から何かがこちらへと向かってくる音が聞こえた。


「さっき言っていたモンスター……いや、この足音は人間か?」


 油断なく剣を構えつつもラスティが向かってくる存在の正体を探る。

 通路の突き当り、曲がり角をこちらへとやってきたシルエットは確かに人間のモノだった。


「誰だ!」


 同じ救助隊のメンバーではないとなぜか全員が理解していた。

 ゆっくりと露わになるその姿が、異常なものだったからだ。


「あーら、誰だとは上から目線で嫌になるわねぇ」

「グゥゥゥ」


 甲高いキンキン声の女と、地響きのようなうなりを発する大男だった。

 女の方は黒いメタリックな革の半袖ジャケットに短パンというダンジョンには不似合いな露出の多い服装で、腰から鞭を下げている。暗いダンジョン内でも目立つ蛍光ピンクのツインテールと、その上に乗った同じく黒の革キャスケット帽が印象的だ。

 対してその背後に控えるようにして続く大男は2リンテール以上身長があり、その上なにも身に着けていない上半身が筋肉の鎧をまとっており実際以上に巨大に見える。その背中には自信の身長ほどもある大剣を背負っていた。


「……【毒霧】のヘベッタ兄妹か。こんなところで何してやがる」


 現れたのが2人の人間だったことで、若干弛緩していた空気がラスティの低い呟きで再び引き締まったのをリヒトは感じた。


「べっつにぃー? アタシ達はいつも通りにダンジョンに潜っていただけよぉ? ねーえお兄様?」

「グゥゥゥ」


 ヘベッタ兄妹の妹の方がそう言いながら巨漢の兄にしなだれかかる。兄の方は首肯すると同時に再び低いうなりを発する。どうやら兄の方は言葉が喋れないらしい。


「……そうか。ここに来る途中で馬型のモンスターを見なかったか?」

「いーえ。見ませんでしたわよ。ああでもぉ……」


 ラスティの言葉には首を振りつつも、わざとらしく何かを思い出すようなしぐさをしながら、


「そう言えばぁ、馬じゃないけどぉドラゴニュートの群れがあっちこっちから集まってきてるのを見たわねぇ? なぁんか、二人組の女のパーティが片方をかばいながら戦ってるみたいだったわぁ」

「かばいながらだと?」


 ラスティが聞き返すのと同時、リヒトの頭の中では一つの情景が浮かんでいた。

 庇われるリアムと、一人戦うユエルの姿だ。


「どこですか!?」

「な、なによぉアンタ……」

「どこで見たか教えてください!」


 妹の方に詰め寄るようにして訊ねると、いつの間にか兄の方の丸太のような腕がリヒトの顔の前まで迫って停止していた。その腕は、軽く上げられた妹の方の手によって静止されていた。

 全然伸びて来るのに気が付かなかった。


「……この通路の先。角を三つくらい曲がった先だったかしらぁ? 何? アンタあいつらの知り合いなの?」


 今度は芝居がかった動きなどではない純粋な疑問と言った様子だった。


「多分、そうだと思います。きっと戦ってるのはユエルです」

「おい、リヒト。まだ銀月だと決まったわけじゃねえ――」

「すみません、ラスティさん。僕先に行きます!」

「あっ、コラッ!?」


 ラスティの言葉は最後まで聞かなかった。

 リヒトは一気に全速力で駆け出した。

 すれ違いざまに背後からわずかに耳に入ったのは妹の方のつぶやき。


「銀月? あの女だったの? なぁんだ、もし気が付いてれば殺してやったのに」


 心臓が底冷えするような声だった。


   ◇


 通路を走って逃げるユエル達だったが、走る先から現れた敵の姿にそのスピードが落ちる。。

 目の前に立ちふさがるのは二体のドラゴニュート。

 先を走らせていたリアムの脇をすり抜け二体のドラゴニュートに肉薄する。


「邪魔だ、どけ!」

「HUSYYYYYY」


 先に攻撃して来た一体の剣をギリギリで躱して体勢を崩させると、すぐ背後に続く一体へは間合いの内側へ滑り込む。一瞬攻撃の間合いから外れたことに戸惑うドラゴニュートの隙を逃さずに、がら空きとなった腹部へ掌底を叩きこむ。

 派手に吹き飛ぶドラゴニュートには目もくれずに床へ転がると、頭のすぐ上を鉄剣が横に通り過ぎて行った。大振りで出来た隙を狙うべくユエルがドラゴニュートへ飛びかかる。

 咄嗟の反応でドラゴニュートが剣を盾にしようとするが、それは無意味だった。


「ハッ!」


 ズドン、という腹に響く音と共に剣へ向かって撃ち出された拳が空気を裂き、剣を真っ二つにへし折っていたからだ。


「GISYYYY!?」


 さすがにこれにはドラゴニュートも驚いたらしい。黄色の眼を大きく開いてその目にニヤリと笑みを浮かべるユエルの顔が映っていた。

 その頭に刈り取るような軌道で放たれた蹴りが命中し、ドラゴニュートは崩れ落ちた。


「はぁ、はぁ……大丈夫ですか、ユエルさん」


 息を切らせたリアムがちょうどそこへ追いつく。

 リアムは大きく肩で息をしておりもう走ることなど出来そうに見えなかった。


「……リアム、よく聞け」

「は、はい」

「このまま矢印に沿って進めばあと少しで上の階層へ上がる階段があるはずだ」

「そうなんですか?」


 ユエルの言葉を聞いて、リアムの目に希望が色濃く反映される。


「私は何度もここを通りなれている。信頼しろ」


 ユエルはあえて自信たっぷりに言い切った。


「今なら分かるがここは5階層の東側だろう。この壁の傷に見覚えがある。予想よりは下の層だったがあと少し階層の中央まで行けば階段があるはずだ。そこからお前は上の階層を通り抜け、途中で誰か見つけられたら助けを求めろ」

「え? 助けを求めろってことは、ユエルさんは?」

「私か? 私はここに残る」


 そう言いながら今通って来たばかりの通路の先を睨みつける。奥の方からはドラゴニュート達の怒りに満ちた声が響いて来る。


「そんな! 危険です!」

「心配するな、すぐに追いつく」


 だから行け、そう言って無事な方の鉄剣を拾い上げる。


「……私がいると、足手まといですか?」

「そうだな。私一人ならば、あの程度のモンスター100体かかって来ようとも倒して見せよう」


 剣を構えて不敵に笑って見せると、リアムはようやく決意を固めたようだった。


「分かりました。どうか気を付けて」

「そちらも安全とは言えないからな。慎重に行けよ」

「はい!」


 ぺこり、と頭を下げてリアムは走っていく。

 その背中が完全に見えなくなったところで、ちょうど追いついて来たモンスターの姿が目に入った。


「さて、ひと暴れするとしようか」


 頼りない鉄剣を握る手に力を籠めた。

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