第10話 生存者たち


「まずいな」


 通路の角に身を隠しながら、ユエルが呟く。

 そのすぐ後ろでは身をかがめて、息をひそめたリアムが訊ねる。


「多いですか?」

「ああ、かなり多い。20はいるようだ」


 その言葉にリアムが息を呑む。

 ユエルとしてはこの状況に悲鳴を上げなかっただけ気丈な人だ、と思ったがそれだけでは状況は好転しない。

 視線を戻すと、通路の先にはドラゴニュートの群れがひしめいている。

 緑色の鱗に覆われた体をしており、筋骨隆々の体にはゴブリンなどがもつ武器よりもよほど上等な武装を纏っている。二足歩行で歩く彼らだが、その姿はありていに言って蜥蜴そのものだ。


「こんな階層に出るような奴らじゃないぞ……」


 本来は10階層よりも深い階層に生息するテリトリーを持つ種族だ。

 それゆえにドラゴニュートはゴブリンやオークなどよりも数段上の力を持つ。集団での戦闘も厄介だが、ドラゴニュート共は一匹一匹が戦士だと言える戦力を保持している。


「何とかここまで来られたのに……」


 苦しそうにリアムが呟く。

 最初に落ちた階層からは階段を上って2つほど上がっている。ユエルは階層の雰囲気からおおよそ4階層程度だろうとあたりを付けていた。

 ダンジョンには「正道」と言うものがある。

 セェベロ迷宮のイメージを一言で言い表すならば石造りの迷宮そのものだが、下の階層へ続く階段はいくつも存在する。その中でも次の階層とその次の階層を繋ぐ最短ルートには専門の人間が特殊な塗料で描いた道案内があるのだ。

 ダンジョンは一定の周期で中の構造が変わることもあるし、悪意ある人間が騙そうと案内をいじったりすることもある為、それだけを信頼するのは危険だが有用であることに違いはない。

 ユエルは何度も通り抜けた勘を頼りに、今その正道へ向けて足を進めていた。

 ドラゴニュート達とはその途上で出会ってしまったのだった。

 ユエルは背後のリアムが手を震わせているのを見て自分の失言を悟る。


「落ち着け、さっきはああ言ったが勝てない相手と言うわけではない。出来るだけ息をひそめて、奴らを迂回して進むぞ」

「……分かったわ」


 震える手をそっと握って後ろの道へ戻るよう示すと、リアムは頷いてユエルの後に続く。

 その心の強さは称賛に値すると思う。冒険者以外の一般人は戦うすべを持たない。あのドラゴニュートの爪の一撃でも受ければ彼らはひとたまりもなく引き裂かれてしまうだろう。

 訓練され、装備の整った冒険者ですら時には負けてしまうのだから。

 そんな相手を見ながらこうして冷静にふるまっていてくれることには本当に頭の下がる思いだった。

 だからユエルは考えざるを得なかった。


「せめて武器さえあれば……」


   ◇


 セェベロ第二迷宮の入り口は、ギルドの裏手に存在していた。外観はコンクリート製の窓のない四角柱そのものだ。縦と横に巨大な口を開ける入口は常に解放されている。中へ一歩足を踏み入れると、薄暗く四角い建物内の中央に風化した石造りの遺跡がぽつんと存在している。

 このみすぼらしい風化した遺跡から続く地下への階段がセェベロ第二迷宮への入り口だった。

 ダンジョンの中とは思えないほどの靴音を響かせながら、救助隊は進んだ。

 ラスティの話では全部で20パーティ、100人ほどが一度に下へ降りるらしい。

 リヒトもまた、四角柱の建物に足を踏み入れ、黒い幾何学模様の描かれた床を踏み越えて遺跡へと足を踏み入れた。

 リヒトの前にはラスティとそのパーティメンバーがいる。今回はラスティのパーティに同行させてもらうことになったのだ。


「リヒト、さっきも言ったが俺達の担当は5階層だ。何も見つけられなくても周囲の探索をした後は上に戻る」

「わかってるよ」


 ぞろぞろと歩く中でラスティが確認してくるのにリヒトは頷く。

 どのみち戦闘力のないリヒトは一人でダンジョンをさまよったところで意味はない。やれるだけの手伝いをしたら戻ることは決めていた。

 もちろんその過程で何かの痕跡を見つけられた場合は――自分の命を天秤に乗せるつもりはあったが。

 素直に頷いたリヒトにラスティはため息を一つつくと油断なく視線を通路の先へと向ける。

 前にも後ろにもいくつもパーティが続き、モンスターに奇襲される可能性はほぼないが、何が起こるか分からないのがダンジョンだ。

 リヒトも気を引き締める。

 セェベロ第二迷宮は風化した遺跡群そのもので、平坦な階層を幾つも重ねた構造になっている。下へと降りるルートは先人の探索により複数発見されており、10階層程度までならば詳細な地図が存在している。この救助隊が一切道に迷うことがないのもそれが理由だった。


「ここで別れるぞ」


 壁に塗りつけられた大きな矢印を見てラスティが言う。それを聞いて頷いたのは集まってきていた数人のパーティリーダーだ。そのほとんどは装備からしてDランクからEランクの初心者だろう。地上に近い階層へ優先的に実力の乏しいパーティを配置していくらしい。

 下の階層への最短ルートである正道から外れていくパーティを見送りながら、リヒトはラスティ達とさらに下へと進んでいく。

 5階層に来るまでの間に救助隊は半分に減っていた。

 これは落ちる高さ的から生存確率を考えての事らしい。確かに各階層は天井が高く、地表から何リンテールも落ちて生きているとは考えにくかった。人数を多くしたのも下の階層から上がってきているモンスターの殲滅を行って、ある程度モンスターを間引きすることが目的とのことだ。

 ラスティとリヒトを含むいくつかのパーティはここで本隊から分離した。

 途中分かれ道でそれらのパーティはさらにバラバラに分かれていく。このフロアに空いた穴を迂回するようにして探索をしていくらしい。ラスティ達のパーティはその中でも大穴に直行する役目だった。


「ここだな」


 ラスティが床に空いた大穴を確認して呟く。

 床の大穴をのぞき込むと数階層下の穴は既に埋まっていることが見てわかる。逆に天井を見上げると、はるか遠くに黒々とした夜天が見えた。


「……」

「心配すんな。ツグミんとこの嬢ちゃんには銀月が付いてるんだろう?」


 振り返ると同じように天井を見上げていたラスティの姿がある。


「俺達は今できることをするしかない。下は他の連中に任せな」

「……はい」


 頷くリヒトの肩に武骨な手を置いてラスティは指示を飛ばし始めた。


「よし! 近くに要救助者がいないか確認しろ! あるいは要救助者の痕跡でも構わん、探せ――」

「ラスティ!」


 だがすべての指示を出し終わるよりも先にラスティのパーティの一人が大きな声を上げる。


「こっちに人が!」

「何だと!?」


 その言葉に周囲にいた冒険者たちが集まって来る。

 もしかしたらリアムたちかもしれない。

 そんな期待にリヒトの足も早まる。


「おい、しっかりしろ!」


 最初に見つけた若い冒険者が声を掛けているのは大きな瓦礫の隙間だ。以前ここで起こった戦いで壊れた壁の一部なのか、天井が風化して剥離したのか。それはよくわからなかったが、まるで隠れるようにしてそこに人がいた。


「うっ……」


 傍に寄って来た冒険者たちが一様に顔をしかめる。

 瓦礫の隙間にいたのはまだ10歳にも満たない女の子の様だった。リアムたちではなかったことに一瞬落胆を覚えるが、それどころではない状態だった。

 左の足が不自然な方向に折れ曲がっており、新しくできてしまった関節からは白い骨が突き出している。両腕は血にまみれ、頭も打ち付けたのか血が流れている。

 若い冒険者にかけられた声にも碌に反応を示していない様子だった。


「ジーナ!」


 名前を呼ばれてローブを纏った女の冒険者が駆け寄って怪我の具合を確かめる。

 だがすぐに頭を横に振った。


「ダメ、ケガがひどすぎるわ。私の魔法程度じゃ傷を塞ぐ程度しか……」

「くそっ」


 怪我の具合から見ればすぐにでも専門的な治療が必要なことは素人目にも分かった。


「他のパーティに連絡して、治療が出来る人間を貰えないか確認を……!」

「待ってください!」


 リヒトはそう言うと、女の子の前にかがみこんで肩から下げた鞄から治療薬を取り出す。


「お、おいリヒト」

「誰か、足をまっすぐにして押さえてくれませんか!?」


 その言葉にラスティ達は一瞬固まったものの、特に何も尋ねることなく言われた通りにする。

 折れた足を押さえつけられた女の子はわずかにうめくがそれ以上の反応を示さない。本来であれば相当な激痛が走っているであろうに、反応すること自体が出来ないのだ。おそらく見えていない部分も重傷を負っているだろう。

 手に握ったのは二本の黄色いポーションだ。

 治癒の魔法を付与してある。

 まずは一本を無理矢理に開いた口に流し込む。

 すると体がほのかに白い光に包まれた。見る間に傷口がふさがっていき、顔色も良くなっていくのを見て周りにいた冒険者たちが息を呑む。それほどにはっきりとした変化だった。

 本来治癒のポーションは体の自然治癒力を高める程度のモノで即効性は薄い。これはリヒトの付与魔法が乗った特別製だ。

 残りの一本もいまだ治り切っていない左の足に振りかけると、傷口は見えている分はっきりと効果が分かる。

「うあ、あああああああ!」

 突如、女の子が叫び声をあげて体を跳ねさせる。


「すみません、押さえて下さい!」

「あ、ああ分かった!」


 リヒトの言葉に呆けていた冒険者たちが再度押さえつけにかかる。

 折れた左足が急激に治り始めたことで、体に激痛が走っているのだ。体の傷よりも先に直すべきだったかもしれないが、もし今と同じように暴れていた場合内臓を損傷していればその時点で致命傷になりかねなかった。痛みに悶える女の子を見て罪悪感に駆られるが仕方のないことだった。


「うん、大丈夫そうだね」


 痛みはすぐに治まったようで、脚もちゃんと元通りになっている。


「ねえあなた、今のポーションは一体……」


 黙っていられず、と言った様子でさっきの魔法使いが訊ねて来る。


「僕の店の商品ですよ。店を出るときにとっさに持ってきたんですが、役に立ってよかった」


 倭刀をひっつかんで飛び出して来る直前、店から持ってきたものだ。


「これだけの効果を発揮するポーション……今度買いに行くわ」

「高いですけどね」

「うっ……財布と相談しておくわ」


 そんなやりとりをしながらもジーナが女の子の容体を確認していく。

 その途中で、女の子の目がうっすらと開く。


「目が覚めた! あなた、大丈夫? 痛いところはない?」


 ジーナの尋ねる声に、ゆっくりと女の子の焦点が合わさる。


「おかあさん、どこ?」

「!?」


 その言葉に周囲にいた冒険者たちの視線が少女から周囲へと向く。


「っ……お母さんとは、ここに一緒に落ちたの?」

「おかあさん、マーヤをかばって……血がいっぱい出てて……ここに隠れていなさいって」

「分かったわ、お母さんは私たちが探してあげるからあなたはもう少し寝ていなさい」

「うん……」


 ジーナの言葉に安堵したのか、ポーションの反動か女の子はすぐに目を閉じてしまう。その胸は規則正しく上下している様子なので本当にただ眠っただけのようだ。


「ラスティ」

「分かってる」


 ラスティの視線の先では既にあたりを調べている冒険者たちの姿がある。

 もし女の子の言う通り母親も一緒に落ちて重傷だったのだとすれば、あまり遠くまで行くことは出来ないはずだ。何らかの痕跡も残っているはず。


「おい、こっちだ!」


 探している時間はわずかだった。

 床に点々と血の跡が続いているのが見つかった。


「……ジーナとお前はその子についててやれ。他は俺と一緒に来い」


 若い男の冒険者とジーナが頷く。

 ラスティとリヒトを含めた他は血の跡を追って歩き出した。

 だが、誰の胸にも共通して暗い予感だけがあった。

 そしてその予感は、すぐに的中することになる。

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