第9話 命の重み


 鍵を開けるのももどかしくドカン、と大きな音を立てて店の戸を蹴破るようにしながら転がり込んだ。

 すでに閉めてあった店内は薄暗いが、勝手知ったる場所だ。目を瞑っていても歩くことが出来る。棚の間を抜けて工房へリヒトは向かった。

 工房へ飛び込むと目的である貴重な素材や、特に重要な物を入れてあるロッカーにかじりついた。いくつかの魔法的な施錠を解きながら、ロッカーを開く。

 中から取り出したのは、この前渡せずじまいだった倭刀の包み。


「今、助けに行くから……!」


 ついでにロッカーの中から役に立ちそうなものをいくつか取り出して、近くに放り出してあった鞄に詰め込む。ほとんどは回復ポーションや魔法を付与した爆弾などだ。

 未だ収まらない動悸を気にすることなく、リヒトは店の施錠もそこそこに再び走り出した。


   ◇


 大人の太ももほどもある棍棒が空気を切って振るわれた。

 ユエルの頭のわずか上を掠めて通り過ぎた棍棒には気にも留めずに、棍棒を振るったブタ面の巨漢に密接する。


「ハッ!」


 低く腰を落とし、わずかに斜め上へ向けて正拳突きを放つ。

 同時に踏み込んだ左足が床を割り砕いた。


「グモオゥッ!?」


 ブタ面の戦士、オークが痛みに耐えるかのような声を上げる。

 ぎゅっと体をこわばらせ、実際痛みに耐えていた。

 だからこそ、ユエルの攻撃はさらに続く。

 わずかに浮いた体へ向けて右足を鎌の如く振るった。


「セイアァッ!」


 巨体が吹き飛んで壁に激突する。

 オークの戦士はそれきり動かなくなった。


「すごい……」


 構えを解かず、油断なく倒れ伏したオークに視線を向けていたユエルの背後にリアムが駆け寄った。

 二人は既に二階層ほど上の階へと昇っていた。

 迷宮型ダンジョンであるセェベロ迷宮はひどく入り組んでおり、階層を移動することが出来る階段も複数あるという。あちこちを歩き回ったが、未だユエルの見知った場所には出られずにいた。

 オークが完全に死んだことを確認して、ユエルが構えを解く。

 と、同時にわずかに顔をしかめた。


「あっ、ユエルさん。怪我したんですか?」

「なに、大丈夫だ。かすり傷さ」

「いえ、任せて下さい。『カエルレウム:癒水』」


 わずかなかすり傷だった。おそらくオークの棍棒が掠めたのだろう。

 その場所に手を翳して詠唱すると、手の中に青い光が集まる。光は小さな塊となって、ユエルの傷口へと向かって行き、張り付くようにして傷を癒した。


「ふむ、助かる」

「いえ、このくらいしか出来ませんけど」


 事実リアムの使える魔法は第二階梯まで。

 そのレベルではせいぜいこんなかすり傷を治すくらいの事しかできない。


「十分だ。かすり傷が元で大怪我に発展することなどダンジョンではざらにあることだからな」


 実際傷口から菌が入って腕を切り落とすことになった冒険者の話などはよく聞く例だ。とは言えこの都市では魔法での治療技術が発達している。ユエルが聞いたその話も、腕を切り落とすことになった男はその後神官に治療してもらって、新しい腕を生やすことになったというオチが付く。


「だが、こんな場所でそんなことになれば確実に死ぬからな。私も魔法はあまり得意ではない。気を付けて進むとしよう」

「……はい」


   ◇


 息を切らせてセェベロ迷宮の入り口までやって来たリヒトは、目の前に広がる光景に足を止めた。

 ここに来るまで広場のそばを通って来たのだが、崩落した現場には無数の人だかりができておりとても近づける様子ではなかった。もし可能ならばロープか何かを使ってそのまま降りるつもりだったのだが、仕方なく正規のルートを目指したと言うわけなのだった。

 だが、そのダンジョン前にも同様に――否、それ以上の人だかりができているのだ。

 人だかりは、しかし広場の物とは趣を異にするものでその誰もが武器を手にした冒険者たちだった。彼らは各々のグループに分かれてダンジョンへ潜る準備を進めているようだった。

 そのいで立ちはまちまちだ。ゴテゴテとした鉄製の全身鎧に身を包んだ中世の騎士たちのようなチームもあれば、近所へ買い物に行くかのようにタンクトップとサンダル姿のオッサンたちもいる。ちなみにそのグループは全員手に血で汚れた大きな斧を両手に持っていた。騎士とオッサンならば騎士が勝つように感じるが、魔法を付与された大斧とタンクトップの性能を見るにこちらがベテランだろう。騎士達はせいぜい冒険者歴一年と少し程度だろうとあたりを付ける。装備している全身鎧がただの鉄の鎧だからだ。高ランクの冒険者になればなるほど装備は薄く動きやすく、そして魔法が付与された高価なものになっていく。ユエルを見ればそれは明らかだった。

 目の前にあるのはダンジョンだ。もちろんそこへ冒険者たちが行くのも、その準備をするのもおかしなことではない。だがダンジョン前を埋め尽くすほどの数がこうして集まっているのは異常だった。


「いったい何が……」


 そう思ってあたりを見渡していると、ダンジョンへと続く入口の前に見知った人物を見つける。


「ラスティさん!」

「ん? リヒトか。こんなところでどうしたんだ」


 近寄るとラスティは愛用の槍を担いだフル装備状態だ。


「これは一体どうしたんですか?」

「知らねぇのか? 広場の方で地面が落ちたんだよ。それで何人か地下に落ちたのさ。ここにいる冒険者たちはその捜索隊だ。俺もAランク冒険者として指揮の一翼をおっかぶせられたのさ」


 その言葉にリヒトは一も二もなく食いついていた。


「すみません! その捜索隊、僕も加えてもらえないですか!?」

「お、お前をか?」


 ラスティはリヒトの様子に眉を顰めるが、必死なリヒトはそれに気が付かない。


「リアムたちが――友人が、下に落ちたんです。早く、助けに行かないと……!」

「落ち着けって」


 リヒトは今にもラスティに掴みかかるかのような剣幕だったが、ラスティがそのがっしりとした腕で肩を抑えると一歩も動けなくなった。Aランク冒険者の膂力ゆえだ。


「す、すみません」

「ふぅ、とりあえず確認だ。落ちたのはツグミんとこの嬢ちゃんか?」

「はい、一緒にユエルさんも落ちて……」

「ユエル……? 『銀月』か!? あいつも下に落ちたってのか!?」


 ユエルの名前を聞いたとたんに今度はラスティが驚きに目を見開く。


「でも、落ちるときに剣を折ったみたいで……」

「そうか……なるほどな」


 ラスティの視線はリヒトの腰に向く。

 そこにあるのは初心者には不相応に見える倭刀だ。ここに来るまでに邪魔な袋は捨てて来た。ラスティはそれでダンジョンに乗りこむつもりだと思ったのだろう。


「……お前、ダンジョンの経験は?」

「この前、三階層まで下りました。それ以外は学院での研修程度です」


 それ自体は嘘ではない。ゴブリンに殺されかけたことを言わなかっただけだ。

 だがその言葉にラスティは「うーむ」と唸る。


「正直、人手はいくらあっても構わねぇと思ってる。確認されただけで8人は下に落ちちまってるんだ。戦闘の心得がある奴はほとんど駆り出してる」


 そう言ってダンジョン前の広場に集まる冒険者たちへ視線を投げかける。

 かなりの数が集まっているとはリヒトも思っていたが、8人も落ちているとなれば当然だった。ダンジョンは広く、危険は大きい。一刻も早い救出が求められている。


「だけどな、猫の手も欲しいからって本当に猫に来てもらっても困るわけよ。お前、自分の身は自分で守ってもらうぜ。いいのか?」


 真剣にこちらをのぞき込んでラスティが訊ねて来る。

 それは冒険者にとっての鉄則。

 冒険者は自己責任だ。

 ラスティの言葉は、もし何かがあっても助けられないかもしれないと言う意味を含んでいる。


「本来ダンジョンでの遭難者救助活動は要請がなければ動かない。動くにしたって多額の報酬が求められる。ま、一部の例外としてそういう活動をメインにしているクランもあるがよ」


 冒険者の中にはその場限りのチームとしてパーティを組む者達のほかに、固定のグループとしてクランを作る者達がいる。

 クランはそれぞれ独自の目的を掲げている場合が多く、その一つに何を思ったのか「遭難者救助専門クラン」と言う者達がいるのだ。

 ラスティの視線を追ってみれば、広場の端の方に10数人くらい独特の白服を纏っている集団が目に入る。彼らは一様に同じ服を着ており、衣服の各所には彼らのシンボルである赤いカギ十字が描かれているのが目に痛い。


「にもかかわらず今回こんなに多くの冒険者を集めてパーティを組んでいるのは下に落ちたのが冒険者じゃねぇ、一般人が含まれてるからにほかならねぇ」


 冒険者は自己責任だ。

 だが一般人は助ける。

 それはこの街に生きる冒険者たちの不文律だ。

 荒くれものである冒険者たちがこの街で曲がりなりにも社会生活を営んでいられるのは、彼らがこの街に対して益をもたらしているからに他ならない。

 モンスターを屠り、貴重な宝や素材アイテムを持ち帰る。

 ダンジョンから溢れたモンスターから一般人を守る。

 それゆえに冒険者たちはこの街にいることを許されている。

 そのことは先日ダンジョンに潜るにあたって冒険者登録をした新米であるリヒトも心得ていた。


「だからよ、もしお前と一般人がモンスターに襲われてた時は……一般人を優先するぜ。それでも行くか?」


 脅すような鋭い眼光。

 リヒトは自分の足が後ろに下がらないように地面に固定するので精いっぱいだった。

 だが、出来るだけそんなそぶりを見せないようにしてラスティの目を見返す。


「分かっています。それでも僕は、行かなきゃいけないんです」

「……」


 しばらくじっとリヒトの目を見つめていたラスティだったが、しばらくして根負けしたかのように息を吐き出した。


「分かったよ。そこまで言うなら何も言わねぇ。だが約束しろ、無理はするな。上の崩落部分から見た限り穴は10階層近くまである。俺のパーティと見つけられなきゃ、後は他のプロに任せな」

「分かりました」

「よろしい。んじゃあ用意して少し待ってな。もうじき作戦を開始する」


 そう言ってラスティはリヒトを置いて、他のパーティメンバーの元へ歩み去って行った。


「リアム……ユエル……」


 リヒトは今すぐにでもダンジョンに飛び込みたい衝動を抑えながら、呟くのだった。


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