第8話 あぶない幼馴染


 体を包み込む冷気を感じて、リアムははっと飛び起きた。


「気が付いたか」


 視界に入ったのは薄暗い広間になったような部屋だった。

 声の方を振り向くと、銀髪の女性がこちらを見ている。


「ユエル、さん?」

「どこか痛むところはないか」


 隣にしゃがみこんだユエルが顔を近づけて訊ねて来る。

 そう言われれば、頭が少し鈍い痛みを発している上、ぼんやりする。


「無理もない。だいぶ高いところから落ちたからな」


 そう言いながら、ユエルはリアムの胸を押して優しく寝かせた。

 そこでようやくリアムは自分の頭の下に、ユエルが自分の服を枕にさせてくれていること、硬い石造りの床がどこなのかを思い出した。


「ダンジョン、ですか?」

「そうだ。私達はあそこから落ちてきたのだ」


 ユエルが指さしたのは天井だった。

 一部が砕けて、それを瓦礫がふさいでいる。


「かなり下の階層まで落ちたようだ。私達が落ちて来た穴は上から一緒に落ちて来た瓦礫で塞がってしまったが……まぁ、落ちた先で下敷きにならなかっただけマシだろうな」


 そう言われて視線を降ろすと、リアムは自分が横らえられた床の上にいくつも大小さまざまな瓦礫が転がっていることに気が付いた。


「ありがとう、ございます……」

「うん?」

「守ってくれたんですよね?」


 ユエルがいなければ自分は今頃あの瓦礫の下敷きか、そうでなければ地面に叩きつけられて肉塊と化していたであろうことを思って礼を伝える。

 ユエルは苦笑して、


「リヒトに約束したからな『守る』と」

「そう、ですか」

「それに、礼を言うのはまだ早い。どうやってここから出たものか」

「え?」


 ユエルがため息とともに言った言葉にリアムが疑問の声を上げる。


「ここで救助を待てば……」

「おいおい、ここはダンジョンのしかも結構下の方だぞ。こんなだだっ広いところにいてはいずれモンスターに見つかって餌になるのがオチだ」


 それに、と言って天井を見上げる。


「私達が落ちて来た穴はもう塞がってしまっている。救助隊が編成されたとしても、穴を抜けてまっすぐにここへ来ることは出来ないだろう」

「つまり……」

「そうだ、私達が生き残るにはこの居場所も不明なところから地上を目指さねばならん」


 ひゅっ、とリアムは自分が短く息を吸いこんだ音で身を竦めた。

 周囲の闇が一層濃くなった気がしたのだ。


   ◇


「リアム、お前とリヒトの事を聞かせてくれないか?」


 ユエルがそう言ったのは地上を目指すと言ってしばらくしてからだった。

 ダンジョンの闇が怖くなったリアムはすぐに起き上がろうとしたのだが、


「もう少し横になっていろ。まだ頭がふらふらするのだろう。その状態で動き回ってもかえって危険になるだけだ」


 そう言って再びリアムを床に寝かせたのだった。

 確かに起き上がろうとしたときに頭がくらっとしたのは事実だったが、こうして床の上で横になっていると、自分がダンジョンで死んだ姿が頭に過ってしまって落ち着かない。

 ユエルがそれを察して訊ねてくれたのかはわからなかったが、リアムにとってはありがたいことだった。


「さっき言っていた、『あのこと』とは何だ?」


 地下へと落ちる直前、リアムが異常な反応を返した時のことを指しているのはすぐにわかった。

 だが、リアムはすぐに口を開けなかった。


「……すまない、言いにくいことだったか」

「いえ、ただちょっと説明しにくいだけなんです」


 頭の中に、この薄暗い世界とは別の暑い日差しの降り注ぐ緑の中庭の光景が思い浮かぶ。

 学院に通っていた中等部三年。

 その年の夏は色々なことがあった。

 あるいは、リアムにとってはなかったのかもしれない。


「人から見れば、大した話じゃないのかもしれません」


 そこで一息つく。

 今ならば少しは客観的に見れるが、話すには少しの溜めが必要だった。

 リアムにとってもあの夏は見えない傷になっていたのかもしれない。


「きっかけはささいな学院行事だったんです。学院では毎年夏になるとダンスパーティーがあるんですよ。そして学院最後に踊った相手と恋人になれるっていうジンクスがあって……」

「ああ、あれか。初等部の方にもあるな。一部の女子が本気で信じていて毎年大変らしいじゃないか」

「ふふっ、そうなんですよ。詳しいですね」


 だがその年の熱気は異常だった。

 リアムはあまりうぬぼれるつもりはないが、現実に自分に申し込んでくる男子の数が尋常ではなかったのだ。


「ちょうどその時同じ学年に王室の王子様もいましたから、女子側の熱気も本当に高くて」

「それは相当に盛り上がっただろうな。最悪血みどろのダンスになりかねないだろう」

「それはもう。ですが結局そうはなりませんでした。その王子様はダンスパーティーには参加できませんでしたから」

「なんでだ?」

「2年前の夏、この街をモンスターが襲ったからです」

「っ! 『黒い夏』か」


 はっとしたようにユエルが呟く。


「知っていましたか」

「……あの夏には私もこの街にいたからな」


 そう言って顔を伏せる。

 『黒い夏』。

 2年前の夏に起こったモンスターの異常発生と、そのモンスター達がダンジョンからあふれ出た事件の事だ。

 奴らは突如として地下から溢れて来た。大河の如くあふれ出たモンスター共を冒険者たちは必至で食い止めようとしたものの、突破され街中まで流出したのだ。

 そのモンスターたちは人型の、一様に黒い鎧を身に纏っており街をあっという間に埋め尽くした。

 その様子からこの事件を『黒い夏』と呼ぶようになったのだ。


「あの時は幸いモンスターが人型で、サイズも大きなものではなかったため街自体に被害はあまりありませんでしたが、人的被害は少なからず出ました。王子も王室としてその対応に追われてパーティどころではなくなったんです。そして、リト君も」

「リヒト?」

「リト君の両親も、この事件で両親を亡くしました」

「!」


 ユエルがビクリと肩を跳ね上げる。

 呼吸を短く吸い込んだまま固まっていた。


「リト君はそれからしばらくの間、学院に来ませんでした。ずっとお店に閉じこもって魔法具を作っていたみたいなんです」

「……魔法具を?」


 ようやく金縛りから解けたユエルが疑問に思う。


「はっきりとは教えてくれませんでしたけど、お店を維持するために必要だったみたいです。お金が」

「なるほどな」


 いきなり両親がいなくなって、まだ学生でありながらも維持するためになすべきを行ったというわけか。


「でも、リト君はその間ほとんど食事も睡眠もとっていなくて……心配になった私はリト君を殴りました」

「ふむ?」

「殴った拳の皮がむけて、すごく痛かったことを覚えています。殴られたリト君はそんなに痛そうじゃなかったけど、びっくりしてて」

「それはそうだろうな」

「こんなに心配をかけてくる悪い子は、なんとかしなきゃいけないと思ったんです。それからのことはよく覚えていません。気が付いたらリト君の部屋にいて、リト君は床で土下座してました」

「……」


 その光景を想像して、ユエルは閉口するしかなかった。


「記憶がない間に色々あったみたいなんですけど、どうして魔法具の作成に閉じこもったのかっていう理由も含めて2年経った今でも教えてくれません」

「それが正しいだろうな」


 若干青い顔をしてユエルが呟くが、リアムの耳には届かなかった。


「え?」

「いや、何でもない」

「とにかくそれ以来、リト君は私に極端な心配をかけたくないみたいで、危険なことはほとんどしなくなりました。危険な魔法具の作成とか、ダンジョンに自分で潜ったりとか」

「なるほどな。それで店を畳むかもしれないという相談を出来なかった、と言うわけか」


 頷いて納得を示すユエルに、リアムは唇を尖らせて不満を述べる。


「わ、私だってこの二年で大人になったんです。ちょっとくらいの事では自分を見失ったりしませんよ!」


 ぷんすか、という表現がよく似合う起こり方だった。

 リヒトに信用されなかったことが不満で仕方なかった。

 その様子を面白そうに見ていたユエルが口を開いてからかうように言う。


「ならこれは知っているか? 私とリヒトが出会ったのはこのダンジョンでだぞ?」

「え?」


 ぐりん、とリアムの顔がユエルを向いて、目が見開かれる。


「あいつと初めて会った時、ゴブリンの群れに囲まれていてな。死にかけていたところを助けたのが出会いだ」

「……」

「……リアム?」


 反応がなくなったことを不審に持って目を向けると、リアムが目を開けたまま意識を失っていた。


「……なるほど、この反応なら確かに心配をかけたくもなくなるな」


 ユエルはそっと、その両目を閉じさせたのだった。


   ◇


「そろそろ、行くとしようか」

「はい、そうですね」


 目が覚めたリアムに声を掛けて、ユエルは立ち上がって体を伸ばす。

 鞘から剣を抜き放って確かめると、そこには半分に折れてしまった刀身がある。


「すみません、私を助けるために」

「気にするな。敵を倒すためではなく、誰かを助けるために使われたならばこいつも本望だろうさ」


 状態を確認した後は鞘に戻す。


「リアムは魔法はどの程度使える?」

「第二階梯くらいまでならなんとか、と言った感じです」

「ならば基本的に私から離れるな。守ってやれなくなる」

「でも、その剣で戦えるんですか? それよりも私がどこかに隠れている間にダンジョンを一気に抜けて助けを呼んだ方がいいのでは……?」

「ふむ、それは私も考えたのだがな……あれを見ろ」


 この地下に落ちてから初めて立ち上がったリアムはユエルの指さす先を見て息を呑んだ。


「何ですか、アレ……」


 二人がいる空間は大きな四角い広間だった。

 壁や床そのものがわずかに光を放っているために完全な闇ではないのだが、遠くを見通せるほどには明るくはない。

 だから今までリアムは気が付かなかった。

 二人が腰を落ち着けているのとは真反対の壁に大きな亀裂が走り、そこに巨大な生物がめり込んでいることに。


「巨人型モンスター『ゴライアス』だな」


 つかつかと近寄っていくユエルの後ろをリアムはおっかなびっくり追いかけた。

 近づくとよりその巨体が目にはっきりと映る。

 壁にめり込んだその体は普通の人間よりもはるかに大きい。3リンテールくらいはあるだろう。全身の筋肉は太く発達しており、その上硬質な印象を受ける。

 ゴライアスはその体の上から胸当てと腰巻を付け、頭にはハーフメットを付けていた。


「死んでる、んですよね?」

「当然だ。そうでなければこんなところのんびりなどしていられん。ここを見ろ」


 ユエルが指さしたのはゴライアスの左肩から右わき腹まで走る長い傷跡だった。生々しいその傷からはどす黒い血が流れ落ちて、めり込んだ壁の下に血だまりを作っている。


「これが致命傷だ。そして」


 指先が左の肩口から上に伸びていく、その先にあったのは。


「天井の穴?」

「おそらくこいつを殺した奴の攻撃の余波が、私達が地下に落ちることになった原因だろう。部屋の真ん中の床を見て見ろ、深くえぐれている」


 言われて見れば確かに深い溝が走っていた。


「ふむ、こいつは使えんな」


 常識では考えられない光景にしばし呆然としていたリアムだったが、視線を戻すとユエルが床に転がった大剣を眺めている。

 大きさはおそらく2リンテールくらいで、とても人間に扱えるものではない。


「剣の代わりになれば、と思ったがこの大きさでは碌にダンジョンでは振るえんな」

「そんな大きさじゃそうですよ」

「だからこそおかしい」

「え?」

「こいつらは普段もっとさらに下層で生活している種族だ。その場所はここよりもずっと広い通路と部屋があって、こいつらが守護する城があるのだ。見ろ」


 そう言って部屋の外へつながる通路を指す。


「こんなサイズの体を持っていては通路を歩くのすらも窮屈だろう」

「……そうですね、この体のサイズではこんな細い通路、通るのですらやっとですね」

「だからこいつらは普段上層に上がってこないし来ることが出来ないのだ。だが、なぜかいまここにいる」


 ユエルの頭に、夕方ツグミの宴亭で聞いた話がよぎる。

 地下からかなりの数のモンスターが上がってきているという話だった。


「ダンジョンにイレギュラーは付き物だがこんな異常はめったにないことだ。リアムが私から離れて生還できる確率は、私と一緒に脱出できるそれよりもずっと低いと考えざるを得ない」


 厳然と突き付けられた命の危険に、リアムがごくりとのどを鳴らす。


「だから、私から離れるなよ」

「……分かりました」


 神妙な顔で頷くと、しかし何故かユエルがわずかに笑みを浮かべた。


「だが、お前は運がいい」

「え?」

「この私と一緒なのだからな」


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