第6話 ツグミの宴亭
「さて、それじゃ歓迎会をしないといけないね」
「歓迎会?」
時刻は17時前。
工房での作業を終えて、店へと戻って来ると目が合ったリアムがそう言って立ち上がった。
店が忙しくなり始めるこの時間までがリアムのバイトの時間だ。
だが歓迎会とはどういうことだろうか。
「聞いたわよ、リト君。これからしばらくユエルさんはここにいるんでしょう? だったら歓迎会くらいしてあげなきゃ」
「いや、私のことはそんなに構わなくてもいいのだが……」
「ダメですっ。せっかくこうして知り合ったんですから、親睦を深めるためにもね?」
遠慮しようとするユエルの前で腰に手を当てて断固実行を掲げるリアム。
その力強い断言に、ユエルも「な、なるほど?」と首を傾げながらも同意していた。
おいリアム、その人は冒険者の中でもトップクラスの実力者の一人だぞ。
のどから出かかった言葉を飲み込みながら、リヒトは建設的に話を前に進めることにした。
「時間はどうする? 本格的に混み合う前がいいだろうし、一時間後くらいでいいかな?」
「そうね。その時間位からならちょうどいいかも」
うーん、と顎に手を当てて考えていたリアムが頷く。
「それと、お料理はお任せしてもらってもいいかしら?」
「うん、リアムに任せるよ」
「よしきた! 腕によりをかけるからね! それじゃ、また後でね」
そう言うなりリアムは手を振って店を出て行ってしまった。
隣のユエルはあれよあれよと決まってしまったことに戸惑っているようだった。
「あんまり気にしなくていいよ。リアムはああいう人だから」
「う、うむ。それは話していてよくわかった……」
どうやら二時間ほど工房に籠っている間に二人の間では親睦が深まったらしい。
リヒトは自分の黒歴史が出来る限り開陳されていないことを祈るばかりだ。
「それで、彼女に告白をした、と言うことだったが」
「う、それ聞いちゃいます?」
いきなり一番聞かれたくないことが出てきた。
「他にも色々聞いたがやはり一番気になったのはそこだったな。で、実際のところはどうなのだ? 今も好きなのか?」
今好きなのは目の前にいるあなたなんですけど、とはもちろん言えず仕方なくぽつぽつと話すことにした。黙っていればそれはそれで負けたような気がしたからだ。
「リアムとは、まぁ本当にほとんど生まれた時から一緒だったんですけど、学院に通い始めた頃からすっごく可愛くなって、周りからも人気が出たんですよね」
「ほう、その頃からあの胸だったのか?」
「学院に入ったころは普通でしたよ。中等部に上がったころぐらいからだったと思う」
その容姿と何故か周囲に振りまく姉オーラによってリアムは成長するにしたがって人気が高まっていた。
「いつまでもずっと一緒に居られるつもりでいたけど、そうじゃないことが分かってきて……焦ってたのかもね」
「そして玉砕したわけだな」
そう、木っ端みじんに砕け散ったのだ。
リアムはリヒトの事を幼馴染以上には考えていなかった。
それどころか――
「あいつには好きな人がいるんです」
「ほう? いる、ということは現在進行形で……付き合っている相手がいるのか?」
「いや、リアムの一方的な片思いだよ」
「なんと!?」
ユエルの驚き方は大仰なものだったが、当時のリアムを知っている者達も皆同じリアクションだったのを思い出す。
一体リアムは誰のことが好きだったのか、当時もかなりの話題になったものだ。
「それで? 結局彼女は誰のことが好きだったのだ?」
「当時僕とリアムにはもう一人、入学した7歳の頃からずっと一緒の幼馴染がいたんだ。そいつですよ、リアムが好きになったのは」
もうずっと会っていないが、今でも彼の事は鮮明に思い出せる。
何をやらせても人並み以上に出来るヤツだった。
一部では神童とまで呼ばれていたこともある。
「なるほどな、では今もその彼とリアムは付き合っているのか」
「いや、リアムは結局思いを伝えなかったんだ」
「む!? それはまた何故だ?」
「簡単、身分差だよ」
「! なるほど、相手は貴族か」
「よくわかったね。ユエルは学院に通っていたことがあるの?」
「……いや、知人からこの都市の市民は適齢期になると身分にかかわらず魔法学院に通うものだと聞いていただけだ。私がこの都市に姉とやってきたのは数年前だよ」
だとすれば年齢的には高等部入学の時期に当たるだろうか。
ユエルほどの人間ならば魔法学院側も喜んで編入を受け入れてくれそうなものだが、その選択はしなかったのだろうか。
「とにかく、あの学院では身分差のない治外法権になると聞いている。だからごくまれに身分差の恋も発生してしまうんだと聞いている」
「お察しの通りでね。相手はかなり上の身分だったんだ」
それでも勝算はあったと思う。
それくらいに仲が良かった。
でも、だからこそリアムは彼の本当の夢を理解してしまった。
理解したがゆえに、その夢の成就を邪魔することになってしまう自分の想いを告げようとはしなかった。
「おかげで学院最後の一年は針の筵だったよ。片や親友で幼馴染の初恋の相手、片や幼馴染で告白断られた相手。気を遣うったらありゃしない」
「ははは、それは大変だったな」
ユエルがからからと笑う。
こうやって好きになった人に気持ちよく笑ってもらえるなら、こんな黒歴史でも役に立つと思えるものだ。
「さて、今日はそろそろ店を閉めようかな」
時刻はちょうど18時前になっていた。
リアムと約束した時間まであと少し。
もう店に向かってもいいころ合いだろう。
◇
そう思ってやってきたお隣の『ツグミの宴亭』。ここはリアムの両親が経営する酒場だ。
かららんころん、というリヒトの店とはまた違った甲高いドアベルの音を響かせながらツグミの宴亭へと2人で入った。
「いらっしゃいませ!」
だがどういうわけだろうか。まだ18時前だと言うのに、すでに店の中のテーブルはほとんどが埋まっていて、各々がわいのわいのと話す声に負けないようにホールにいた店員さんが声を掛けてくる。
「ふむ、ずいぶんと繁盛しているようだな」
「ここの料理はこの辺ではかなり人気があるからね。でもおかしいな、普段この時間はもうちょっと空いてるんだけど……?」
そう思って視線を店内にさまよわせると、丈の短い給仕服から細い足をのぞかせている女性店員と目が合う。この店で働くバイトのお姉さんだ。
顔見知りのそのお姉さんは片手を上げて挨拶をすると、奥まったカウンターの席を指さしてくる。どうやら奥の席を確保しておいてくれているということのようだ。
無言の合図で理解したリヒトは頭を下げて奥の席へと向かった。
その間にもお姉さんは他の席へ注文を取りに行っている。
「行こう、奥のカウンター席を取ってくれてるってさ」
頷くユエルと共に座席の合間を縫うようにして歩く。
すると最初は気が付かなかったが、徐々に店内の視線が二人に集まり出す。
「おい、あれ」
「『銀月』じゃないか」
「隣の奴だれだ?」
そんな囁くような声が耳に届く。
この商店街はダンジョンから一番違いものの一つだ。その中にある酒場ともなれば当然の如く冒険者御用達である。店内の客も周辺の住民を除けばほとんどが冒険者。
故にAランク冒険者であるユエルの事を知る者も多いようだった。
だがユエルはそんな視線などどこ吹く風と言った感じで歩いている。
リヒトとしてはついでで集まる視線にすら心臓が縮みあがる思いなのだが、どうやら慣れているらしい。
リヒトに出来ることと言えば、可能な限り堂々と見えるように歩くことだけだった。
落ち着いた色合いでまとまった店内を抜けて座ったカウンターは、長い年月を感じさせる手触りの木で整えられている。
「おじさん、こんばんは」
「やぁ、リヒト君。待ってたよ」
カウンター越しに厨房で忙しく働く人物へ声を掛けると、はつらつとした笑顔で返される。
細身の中年男性で、白い調理服に身を包んでいる。
あまりに線が細すぎるので、料理人と言うよりも科学者と言われたほうがしっくりくる風貌だ。
だが彼がこの店の料理人で、リアムの父――レンダル・ヨースラーだ。
「おおっ、そちらがリアムの言っていたユエルさんだね。僕はレンダル。リアムの父で個々の料理人をやっている」
「ご丁寧にどうも。初めましてユエルと言います」
ユエルが軽く自己紹介をした後二人並んでカウンター席に腰かける。
「聞いていた通りずいぶんと美しいお嬢さんだ」
「おじさんダメですよ、またおばさんに半殺しにされますよ?」
「おっといけない」
ははっ、と笑いながら言うが、リアム母の怒り方は尋常ではない。
こちらの方が気を使ってしまう。
隣に座るリアムは何のことかわからないようだが、そのうち分かる時も来るだろう。
「それより、しばらくリアムを手伝いに行かせられなくてすまなかったね」
レンダルは手を全く止めることなく話す。
リアムが言っていたパートのグレンダさんの件だろう。
視線をちらりと店の中へと向けると、せわしなく動く恰幅のいい中年の女性の姿が見える。彼女がグレンダさんだ。
ちなみに着ている制服は、丈の長いロングスカート。
この店の制服は店主の趣味で若い女の子はミニスカート、年かさの女性はロングスカートと決まっている。
「いえ、店がこうも忙しかったらしょうがないですよ」
「風邪をひいていたと言う息子さんも元気になったらしいから、これからはいつも通りに手伝いに行けると思うからよろしくね」
「はい、ありがとうございます」
そんな二人のやりとりをユエルは興味深そうに見つめていた。
「二人はずいぶんと仲がいいのだな」
「ああ、僕の両親がおじさん達と親友だったんだよ」
「あいつらとは学院時代からの付き合いでね。妻と知り合ったのも、リヒトの両親が始めた隣の魔法具店でだったんだよ」
そう言って昔を懐かしむ様に目を細める。
だがすぐに顔色を陰らせて、真剣な面持ちで訊ねて来る。
「ところでリヒト君、店は続けるつもりなのかい?」
「ああ、その件ですか」
実は以前からレンダルに「店を畳むつもりでいる」という相談をしていたのだった。
レンダルはそんなリヒトに魔法店を続けるように説得していた。
「うん? ちょっと待て、リヒトはあの店を畳むつもりなのか?」
少し焦ったようなユエルの声。
そう言えば泊まらせておきながらそんな話を聞かされれば気にもなるか。
「まあちょっと前まではそのつもりだったんだ」
「お、と言うことは?」
慌ててユエルにそう言うと、レンダルが期待の籠った声を上げる。
「はい、もうちょっとだけ頑張ってみようと思っています」
「そうか! それは良かった。あの店は僕と妻にとっても色々と思い入れのある場所だからね……」
その頃のことを思い出しているのかレンダルは若干遠い視線になっている。
だと言うのに手は全く止まっておらず、手際よくリズミカルに動いているのだ。
「ま、そう言うことなら今日はお祝いだ。いっぱい食べて行ってくれ」
「ありがとうございます、おじさん」
その言葉にぐっと親指を立てて返すとレンダルは再び料理に集中し始めた。
動きのスピードが倍になったように見える。
その後ろ姿をリヒトはぼんやりと見つめていた。
小さいころからよく見ていた姿だ。
もちろん両親がいた頃は家で食事をしていたリヒトだが、両親同士の仲もよくかなり頻繁にご飯をここで食べていたのだ。
両親が亡くなってからは、もうほぼ成人していたというのに自分の子ども同然に扱ってくれてご飯も代金を払おうとすると受け取ってもらえなかった。
結局この店で代金を払ったことはほとんどない。
代わりにリヒトも腰を痛めたレンダルによく聞く魔法薬を渡したり、リアムの母親に――必要かどうかは分からなかったが魔法薬の入った化粧品などをよく渡していた。
まぁリヒトもリヒトで、代金を渡そうとする夫妻には「親孝行するのにお金をもらうわけにはいかないでしょう?」と断って苦笑いさせていた。
そんなこんなでヨースラー家とは家族同然の付き合いだ。
「あ、リト君! 来てたのね」
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