第5話 幼馴染、襲来


「ありがとうございましたー」


 からん、と軽い音を立ててドアベルが鳴る。

 店の中からお客さんがいなくなったことを確認して、イーディア魔法具店のカウンターに突っ伏す。

 ついさっきまで珍しいくらいにお客さんが多かったのだ。

 イーディア魔法具店では魔法薬や魔法を付与した道具を売っているのだが、一番の売れ筋はポーションだ。

 飲んだり振りかけたりするだけで傷をすぐに治す魔法がかかったポーションは非常に高価だが、たいてい冒険者たちは一本は常備している。

 もしもがあったときの手段だからだ。

 ちなみに魔法薬としてのポーションではなく、ごく普通の薬草を煎じた薬の販売も行っているが、こちらはダース単位で売れてくれないとあまり利益が出ない。近所のご婦人が家の常備薬として買って行ったりすることもあるレベルに安い。

 そこまでに差がある二つの治療薬だが、今日はなぜかポーションが飛ぶように売れた。

 この前の約束通りに店に来てくれていたラスティに訊ねてみたところ、どうやらダンジョン内で何かあったらしい。


『俺も遭遇したがよ、何か下の階層からモンスター共が一気に上がってきたのよ』

『下からですか?』

『おうよ。数もかなり多くてな。俺あ怪我はしなかったが仲間が怪我してポーションを使ったんでな、今日はその補充よ』


 セェベロ迷宮は基本的にゴブリンやらコボルトやら人型の種が多いダンジョンだと言われている。下層に行けばオークやらオーガやらもいるらしいが、相当に深部へもぐる必要がある。

 人型の種に共通するのは彼ら独自の言語を持つという点だ。

 未だその言語は解明されていないが、何らかの意思疎通を彼らは行っており、たいていは自分の縄張りを持ってその領域内で行動・生活している。

 そんなモンスターたちがわざわざ自分の領域を出るだけではなく、階層まで移動したと言う。

 ダンジョンではイレギュラーが起こるのは日常茶飯事ではあるが、ある程度のせおりーが存在し、冒険者たちはそのセオリーに従って自分の命を守って生きている。

 だから昨日のそのイレギュラーで使用した道具の補充に店へとお客さんが殺到したらしかった。


「つ、疲れた……」


 大きくため息をつく。

 リヒトが作る魔法薬は近場の魔法具店に比べれば品質が高いと自負している。

 ラスティのようなリピーターも多く、冒険者ギルドから魔法薬の仕入れを依頼されることもあるくらいには信頼がある。

 だが一度にこんなに混んだのは久しぶりの事だった。


「あー、治癒のポーションなくなっちゃったな……」


 棚の中に出してある在庫を机に突っ伏したまま確認して絶望したようにつぶやく。

 ちなみにバック在庫もすべて売り切ってしまった。

 こうなると新しく作るしかない。

 材料のストックはもちろんあるのだが……いかんせん気力がなかった。

 からんからん――

 と、そこへ再びドアが開く音が聞こえてくる。


「いらっしゃませっ」


 がばっと起きながら、リヒトは挨拶をする。

 魔法具店は客層がかなり限られる部類の店だが、一応客商売だ。接客は生前の両親に骨身に染みるまで叩きこまれている。どんなに疲れていてもドアベルが鳴れば条件反射で起き上がってしまうのだった。


「こんにちは、リトくん」


 だが入って来た人物を見て、リヒトは浮かせた腰をもう一度椅子の上に落とした。

 入ってきたのは女性で、長いはちみつ色の髪が印象的だ。

 目尻は優しく下がっており、長いスカートとその上につけたままのエプロン。ユエルほどではないが大きく膨らんだ胸が服を押し上げている。

 ふんわりとしたイメージを漂わせる女性だ。


「リアム、店は大丈夫なの?」

「うん、今日からパートのグレンダさん復帰したから」


 彼女、リアム・ヨースラーはお隣さんだ。

 つまり隣の酒場『ツグミの宴亭』の娘である。

 生まれたばかりの頃からずっと一緒の幼馴染だ。


「これ、お父さんが持ってけって」


 そう言いながらカウンターの上にバスケットを置く。

 中からは既にいい匂いがしていた。


「あー、ありがとう助かるよ……今日は何だがお客さん多くて……」


 力なくそう言うと、リアムはその柔らかい手のひらでぽんぽんとリアムの頭を撫でるのだった。


「よしよし、よく頑張ったねリトくん」


 この幼馴染は同い年なのだが数か月ほど誕生日がリヒトより早く、昔からお姉さんぶりたがるのだった。

 それでいてリヒトもお姉さんのように包み込んでくれるこの幼馴染の事が好きだったので、成人した今もなおこの関係は続いている。


「今日からまた、お昼のお手伝いに復帰できるからよろしくね」

「それすっごい助かるよ。工房に入ってる間は店を開けておくわけにもいかないし」


 店舗スペースと工房はさほど離れてはない。

 だがリヒトは一度魔法具の作成に入ると我を忘れて没頭してしまい、店の方から呼ばれても気づけなかったりするのだ。

 防犯の面からも、店を開けたまま工房に籠ることはしないようにしていた。


「とりあえず、お昼ご飯にしたら?」

「そうするよ」


 そう言って席を立つ。入れ代わりにリアムがカウンターを回り込んできた。カウンター内に散乱している経理書類やらゴミクズなんかを拾っては整理してくれる。

 両親が亡くなって、一人で店を続けることにしたときにこうしてリアムがパートとして手伝ってくれなかったらおそらくとっくにこの店はつぶれていただろう。

 リヒトはそのままリアムにお店を任せて母屋へと入ろうとしたのだが、そこで奥からやって来た人物とばっちり目が合ってしまった。


「いい匂いがするな」


 凛とした声。

 ユエルが着ているのは普段の戦闘服ではない。

 白を基調とした柔らかな平服だ。下は動きやすいようにパンツルックだったが。


「あ、ユエル。珍しいねこんな時間に」

「少し喉が渇いてな。下に降りたら何やらいい匂いがして、つられてきてしまったよ」

「ちょうどいまお隣のリアムがお弁当を持ってきてくれて――リアム?」


 そう言えば紹介がまだだった、と思って振り返るとカウンターの前で固まっているリアムの視線とぶつかる。


「えーっと、こちら居候のユエル。冒険者の人だよ。ユエル、こっちは幼馴染のリアム。昼間僕が魔法具の作成で工房に籠っている間は店を引き受けてもらってるんだよ」

「ほう、そうなのか。よろしく頼む」

「……リアム?」


 ユエルが自己紹介してなおぽかんとした顔でいるリアムに声を掛けると、ようやくはっとした顔になって――にんまりとした笑顔に変わった。

 あ、これはまずい、と思うのも束の間。


「あらあら、リト君にもついに春が来たのね」


 そう言って笑顔でうんうん頷くのだった。


「お、おいリアム……」

「それで、どこまで行ったの? もうキスはした? それとももう一晩を共に?」

「やめてってば!」


 リヒトが顔を赤くしてリアムの口をふさぐ。

 それでもまだリアムはふがふがと口を動かしていたが、次第に落ち着きを取り戻し始めた。


「ははは、愉快な幼馴染だな」

「身内の恥そのものだよ、これは」


 からからと笑うユエルにリヒトはため息をつく。

 この幼馴染は時折こうして暴走することがあった。

 特に人の色恋沙汰を聞いた時だ。


「ごめんなさい、私ったらつい」


 謝って来るリアムだが、その顔は未だにリヒトとユエルの関係をうかがっているのが分かる。にんまりとした笑顔だからだ。


「いや、私の方こそ失礼した」

「失礼? そんなことないですよ」


 笑顔で否定するリアムだが、ユエルは首を傾げて続けた。


「だが二人は幼馴染と言う関係だけには見えないぞ。付き合っているのではないのか?」

「ちょ、それは」

「あら、そんなことありませんよ。だって私――」


 あ、と思う間も今度はなかった。


「以前、リト君の告白を断ってるんですもの」


 ピシィ、という空気が固まったような音を聞いた気がしたが、それはどうやらリヒトだけだったらしい。


「ほう、それは興味深いな。ぜひ聞かせてくれないか」

「ええ、もちろん。あれは数年前。まだ私たちが学院にいたころの話で――」

「わーわーわー! ちょっとやめてよリアム!」


 人の黒歴史を勝手に話さないで欲しい!

 あれは気の迷いだったのだ。


「うふふ、リト君ったら顔真っ赤にしちゃって」


 この幼馴染のこういうところがリヒトは苦手だった。

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