第3話 月の攻略会議


 ユエルとの生活が始まって三日が経った。

 結論から言おう。


「まっっったく、生活リズムが合わないっっっ!」


 リヒトは店舗のカウンターに突っ伏して重々しい溜息をついた。

 ユエルの一日のルーティーンはこうだ。

 まず目を覚ますのはだいたい15時くらい。

 それから1~2時間ほどの間トレーニングやダンジョンへ行く準備を行う。

 17時くらいになると、店を閉めたリヒトと一緒にご飯を食べる。最初は下宿させてもらった上にご飯まで、と言っていたが無理やり一緒に食べるルールにした。だってリヒトが一緒に食べたかったから。

 そして20時前くらいになるとダンジョンに潜る。ダンジョンの探索は場合によっては泊りがけで数日になることもあると言われているが、現在のところは毎日ちゃんと帰ってきていた。

 朝の5時くらいになると家に戻って来る。

 一通り道具の片づけや汗を流したりした後リヒトと一緒に朝食をとって就寝する。

 これが6時ころ。

 ユエルの行動時間は完全に夜型だった。

 軽く聞いてみたところによると、どうやら他の冒険者たちがいなくなる頃合いを狙ってダンジョンに潜っているらしい。

 一方リヒトはと言えば。

 起床は朝の5時頃。

 朝食を帰宅したユエルと取る。

 その後店を開けて、17時くらいに店を閉めてユエルと夕食。

 夜は早めに寝る。

 と言うのがここ3日ほどのルーティーンなのだった。


「はぁ……」


 大きなため息が口から出てしまう。

 一緒に住むことが出来れば何かしら色々あると思って期待していただけに落胆は大きい。店舗の奥、生活スペースは2階建ての家屋となっている。

 ユエルにあてがったのは二階の部屋だ。元々は荷物を押し込んでおくだけの部屋だったが、ユエルは「十分だ」と言ってくれた。

 それからすぐに先のルーティーン通りの生活が始まったわけなのだが、ユエルが全く料理を出来なかったことには驚いた。

 一緒に食べたいから、とは言えず、表向き「一人で食べるのも味気ないから」と言って。

 そうして簡単な料理を出して一緒に食べたのだが、テーブルに並んだ料理を見てユエルが感嘆の声を漏らしたのだった。


「料理が出来るとはすごいな」

「普段は料理はしないの?」

「ああ。市場で出来合いの物を買ってくるか、エナジーバーだな」

「それはダンジョン内での食事なのでは……」

「ダンジョン内では倒したモンスターの肉を焼いたり、採取した野草を煮て食べていたが……あれは料理とは言うまい」


 そう言いながらユエルの手は優雅なマナーを守った手つきで、けれど料理をどんどん口に運ぶ。

 最後のひと口を食べきるまで手を動かすスピードは全く落ちることはなく、おいしいと感じてくれているのがはっきりと伝わって来るものだった。しかも食べ終わった皿を残念そうに眺めているおまけ付きで。


「良かったら、おかわりいる?」

「! では、もらおうかな」


 口元に、こらえきれない笑みを浮かべて皿を出してくれる様子を見て、料理が出来て本当によかったと感謝したものだ。

 だがその食事の時間以外ではほとんど顔を会わせることが出来ない。

 今はそれが問題だ。


『イヒヒヒヒ、なーにを悩んでいやがんだァ?』


 頭の中に響く声に眉根を寄せる。


「……お前か、出て来るなよ」

 前回と違って今回は左目が痛むほどではない。しばらくしたら自然と引っ込むだろうと思って再びカウンターに突っ伏す。


『おォ? 本当に困ってるみたいだなァ、俺様でよけりゃァ相談にのってやるぜェ?』

「この際お前でもいいか……」

『……おいおいこりゃ本当に重症だなァ』


 頭の中の声が珍しく困惑に揺れる。

 それが少しばかり不本意だったが、今はそんなことを言っている場合ではない。今のリヒトは自分で思っているよりも余裕がなかった。


『んでェ、どうしたってんだァ?』

「実は……」


 頭の中の声にリヒトは自分の現状について語る。

 好きな人が出来たという冒頭の下りから頭の中の声が下品な笑い声を上げるものだから、いきなりリヒトは話す相手を間違ったという後悔に駆られたが、どうせすぐにまた引っ込むのだからと気を取り直す。

 しばらくの間、リヒト以外無人の魔法具店に独り言が流れる。

 もし今店に誰かが入って来ると、誰もいない虚空に向かって喋っている店主が見れたことだろう。


『なるほどなァ。つまり一目ぼれした相手と一緒に住むことになったがどう距離を詰めたらいいかわからねェ、ってことだなァ?』

「ま、まあそういうことだね」


 バッサリと言われたことに少し狼狽しながらもリヒトは肯定する。


『はァ、俺様のご主人さまはずいぶんとヘタレだなァ』

「う、うっさい」

『だがまァそういうことなら話は簡単だぜェ』

「え?」

『寝込みを襲っちまえばいいんだよォ。既成事実を作っちまえばこっちのもんさァ』

「ぶッ!?」


 頭の中に響いた声に思わず吹き出して矢う。


「なっ、何を言ってッ!?」


 口ではそう言いながらもリヒトの頭の中には、ベッドの上で横になってこちらにとろんとした目を向けてくるユエルの姿が浮かんでいた。


『おォ? 思ったよりもご主人様はマニアックな……』

「うっさい!」


 ダンッ、とカウンターを叩いて荒い呼吸を押さえる。

 こいつには頭の中で考えていることも筒抜けになってしまうのだ。

 頭の中の声はまた『イヒヒヒヒ』と耳障りな笑い声を上げていた。


『おォ怖い怖い。まァ今のは冗談だとしてだ、プレゼントとかでいいんじゃねェかァ?』

「……プレゼント?」

『要は何か口実がありャァいいんだろォ? プレゼントがあるって言やァ会話の口実としちゃ十分だァ』


 プレゼント、と言う案を聞いてリヒトは真剣に考え始める。

 こいつにしてはまともな案だった。


「けど、なんて言って渡したらいいのか……」

『それこそ何でもいいだろォ? 似合うと思ったから買って来たでもいいだろォし、使って欲しいと思ったからでもいいんだよォ。ましてやご主人様はそいつに命を助けてもらった恩があるんだろォ?』

「う、うん」

『だったら、何でもいいから渡せばいいんだってェ。そこで仲良くなっちまえば次からは話すハードルがさらに下がるからよォ。もっと簡単に話せるようになると思うぜェ』

「な、なるほど……」


 その言葉には一理あると思った。


『まァご主人様のなけなしの友人経験じゃァそんな程度の事すらも思いつかなくてしかたないとは思うがなァ』

「ぐっ……!」


 ぐさぐさと突き刺さる言葉に何も言えなくなる。

 顔が熱を持ち羞恥に駆られるが、それならそれでどうするか考えたい。


「ぐ、具体的には何がいいと思う?」


 気が付けばリヒトはこの厄介な声に相談を始めてしまっていた。


『そうだなァ、相手は冒険者だ。服とかよりは実用的なものの方が喜ばれるんじゃねェかァ?』

「実用的……武具とか、魔法の効果が付いたアクセサリーとかか」


 そこまで考えてリヒトは最初に会った時ユエルが使っていた剣の事を思い出した。

 ごく普通の剣だったように思う。使い込まれてかなり劣化していた。早晩取り換える必要が出てくるだろう。リヒトには魔法具店経営者として、武器を見る目が多少はあった。


『決まったみてェだなァ』

「武器――剣にしてみようと思う。魔法を付与して」

『そこまで決まったってんならここからはお前の分野だなァ。俺様はもう寝るぜェ』

「ああ、初めてお前に感謝したいと思ったよ」

『へッ。だったら早くここから出してくんねぇかなァ?』

「それは無理な相談だよ」

『だと思ったよォ』


 それきり声は聞こえなくなる。

 眠りについたのだろう。

 閉じた瞼の上から左目を撫でる。

 声の主はリヒトの左目――正しくは義眼に封印されている存在だ。

 これまでリヒト達は反目し合ってきたのだが、なぜか今日は珍しく友好的だった。


「それでも、お前を解放することは出来ないよ、ラマツェーア」


   ◇


 少し早かったがリヒトは店を閉めることにした。

 普段工房で魔法具の作成をやっている間は隣の家に住んでいる幼馴染が店番のバイトをしてくれているのだが、ここしばらく人手不足で来ることが出来ないらしい。どのみち頻繁に客が来るわけではないので構わないのだが。

 工房の中は薄暗い。窓が高いところに明り取りの小さな物があるだけだからだ。

 6畳ほどのスペースには小型の簡易炉を含め鍛冶道具が並び、彫金に使用する器具などもそろっている。その他鉄製の棚には知らない者が見れば怪しげなラベルが張られた薬品やビーカー、フラスコが並び、その隣には大きな水槽があった。

 ここがリヒトの工房だ。

 鍛冶場なのか錬金術師の工房なのかいまいちはっきりしない様相なのは、この店が内容としては万屋に近い形態だからだ。

 父親がこの店を建てるまでは他の制作業者や個人から買い付けを行って販売する小売業形態だったのだが、リヒトが学院で付与魔法師の勉強を始めたことがきっかけで、店を一部リフォームしこのような作業場を作ったのだ。

 現在店の商品の3分の1くらいはリヒトが作った商品である。

 部屋の隅、目立たないところに置いてある金庫の前に座って鍵を開ける。

 金庫の鍵は物理。魔法含め6重になっている。それも金庫と言ってもロッカーに近いサイズのものだ。

 この中にはこの店で最も高価な素材を入れることにしている。


「確かまだ……あった」


 リヒトの手に握られているのは以前市場で手に入れた業物――倭刀だ。

 東の方にあると言う倭国から流れてきたモノで、これを売っていた店主は美術品程度に考えて仕入れたらしい。だが買い手がつかず困っているところをリヒトが見つけ購入したのだった。

 漆塗りの鞘に収まったそれを抜くと、確かに美術品と言っても過言ではない美しい刀身が姿を現す。

 それを確認してからさらにもう一本、ロッカーから杖を取り出した。

 灰色の頭の部分がねじくれた木に見える杖で、頭の部分には複数の宝珠が埋め込まれている。

 それらを持ってリヒトは部屋の作業台に向かい、倭刀を置いた。


「さて、何を付与しようか」


 この世界には魔法が存在する。

 赤魔法・青魔法・黄魔法・緑魔法・白魔法・黒魔法の6種だ。

 赤魔法は炎を中心とした魔法を使い、青魔法は水、黄魔法は土、緑魔法は風を操る。

 白魔法は治療系の魔法であり、黒魔法は付与系の魔法を司る。

 魔法は人により先天的に適性があり、適正以外の物は使えない。

 リヒトの適性は黒魔法にある。

 黒魔法は特殊だ。

 この魔法は単体で効果を出す他の系統とは違い何かに魔法を付与しなければ発動しない。つまり付与することで炎を出す剣や風を出す杖などが造れるが、その魔法を直接放つことは出来ない。

 故に冒険者には向かない属性だと言われている。

 大方の利用方法は、リヒトのやっているように物に付与することで魔法効果のある道具を作り出すことだった。

 また魔法には1から10までの階梯が存在し、適正によって使える魔法に差が生じる。

 リヒトの適正ではせいぜい3階梯までの魔法しか使えない。これはこの国の人間では冒険者ではない一般人の平均レベルだ。もしダンジョンで魔法を主体に戦おうと言うのならば最低でも5階梯まで使えなければモンスターに対抗は出来ないとされる。

 もちろん、魔法以外の能力があれば冒険者になることは出来るが。

 だが6種の魔法の中で、黒魔法は物に付与すると言う特殊な使い方だ。

 その力の応用は幅が広い。

 剣に炎を出す能力を付けるだけではない。剣の切れ味を上げたり、強度を上げることもできる。使い手によっては剣の間合いそのものを伸ばす付与まで出来るのだ。

 リヒトのようなダンジョンに潜る者達をサポートする人間にこの魔法の使い手が多いのはこのためだ。


「よし、準備はこれでいいかな」


 今回はごく普通の付与にすることにした。

 切断力強化。

 硬度強化。

 間合い延長。

 この三種類だ。

 触媒となる素材を混ぜ合わせた液体を、鞘から浮いて作業台に置いた刀身に垂らしていく。粘度の高いドロッとした玉虫色の液体を、美術品のような美しさを持つ刀身に絡ませていった。


「アーテル:絶対切断」


 刀身に翳した杖に魔法陣が浮かび上がり、玉虫色だった液体が輝く。同時に杖頭につけられた宝珠も輝きだした。それは気にせず続けて詠唱をする。


「アーテル:絶対不破」


 もう一度触媒が輝く。


「アーテル:無限氷刃」


 最後に一際激しく輝いて、触媒は刀身に吸い込まれるようにして消えた。

 手の中の魔法陣もすでにない。


「どうかな」


 倭刀を持ち上げる。

 あたりを見回して、素材に出来るかと思って買って来たゴーレムのレンガを見つけて作業台に乗せる。

 その上に倭刀の刃を乗せ包丁でやるように力をくわえると、スッと刃が落ちる。

 作業台まで斬ってしまう前に倭刀を持ち上げると、真っ二つになったレンガがそこにあった。


「うん、これならよさそうかな」


 切れ味に満足するリヒト。

 ユエルがこの剣を握ってくれているところが頭に浮かぶ。

 銀月のイメージそのものであるユエルが、この美しい刀身を持つ倭刀を持てば似合うに違いない。

 想像して、そこで気が付く。


「……あれ? 倭刀使えるのかな?」


 ダンジョンで出会った時ユエルが使っていたのは普通の片手剣だった。汎用性が高く、比較的扱いやすい武器。

 対して倭刀は片刃でサイズも全然違う。

 ダンジョンで武器とは相棒そのものだ。慣れていない武器、いかに鋭かろうとも、特殊な力があろうとも、そもそも使い方のわからない武器では本人の実力を十全に発揮することなどできはしない。

 故に武器選びは慎重に行われるべきだ。


「武器は……ダメだな……」


 自分の失敗を悟って、がっくりと肩を落とす。


   ◇


 夕方、食卓にて。


「うまいな!」


 ユエルがその美しい面立ちとはイメージが違う、子どものような笑顔で言ったのはリヒトが作ったハンバーグを食べた時だった。

 その手はマナーが悪く見えない程度にだが止めることが出来ない、と言う勢いでどんどんハンバーグを口に入れていく。

 子供っぽい笑顔が見れたことがリヒト無性に嬉しくて、明日用に冷蔵庫にとっておいた分も焼く羽目になるのはこの後すぐだった。

 料理のおかげで今日の食卓では楽しく話すことが出来た。

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