第2話 月と共に
暗い部屋の中でリヒトは目を覚ました。
「ん、ここは……」
起き上がると体にかけられていた毛布がずり落ちる。
あたりを見渡すと、そこはリヒトの工房だった。
「そうか、あの後店に戻ってきて……」
ダンジョンから出た時はちょうど朝陽が昇ってきたところだった。
助けてもらったお礼をひとしきり伝え、出来ればもう少し何か話したい気持ちに駆られたが、お茶に誘うお金もない上急ぎの仕事のために来ていたこともあってリヒトは泣く泣くユエルと別れて店へと戻って来た。
リヒトが両親から引き継いだ『魔法具店イーディア』は、ダンジョンから歩いて数十分の距離にある商店街に建っている。商店街の道に面した方に店が、奥側に住居スペースが確保されている。今リヒトが転がっているのはちょうどその中間部分に増設された工房だった。
早朝工房に入ったリヒトは疲れを癒す間もなくそのまま魔法具の作成に入った。
依頼人が受け取りに来るのが今日の昼前の予定だったからだ。
依頼を知り合い伝手に受けたのが昨日だったことを考えれば尋常ではないド短納期だったわけだが、その分特急料金は弾んでもらった。依頼を持ってきた人物がちょっと断りづらい相手だったこともあって、リヒトは今回の制作依頼を受けたのだった。
結局制作は間に合ったし依頼人も満足して魔法具を受け取っていったが、作成時に気合が入り過ぎてちょっと魔法の効果を強く掛け過ぎてしまったのは失敗だった。
それもダンジョンであの白銀の髪を持つ騎士に出会ったからだ。
気が付けば彼女のことを考えてぼんやりと仕事をしてしまっていた。
無事に生き残れたのは彼女のおかげだ。
「……何かお礼が出来ればいいんだけど」
本人からは『貸しだ』と言われて、ダンジョンを出た後もそっけなく解散になってしまった。そもそももう一度会えるのかどうかすら怪しいが、彼女がいなければ死んでいただろうと思えば何らかのお礼はするべきだろう。
『イヒヒヒヒ、本当に死にたくなかったんだったら〝アレ〟使えば良かっただろうがよォ』
突然、左目の奥に痛みが走ると同時に頭の奥に声が響く。
声は高音の、嫌味な音色を凝縮したようなものだった。
「うるさい、黙れよ」
痛む左目を抑えながらリヒトの口から低い声が漏れる。
『イヒヒヒヒ、俺は何も間違ったことは言ってないぜェ? だってお前、死んでもいいって思ってたじゃねえかよォ』
「……」
頭の中に響く声には答えずにゆっくりと立ち上がる。
『大体あんなゴブリンども、俺を使えば一瞬で殺せたじゃねえかァ。それを考えながらお前は使わなくてもいいかって思っただろォ? お前は生きることを諦めてたんだよォ』
立ち上がってテーブルに手をつくと、上に乗ったいくつもの魔法薬が目に入る。壁に設えられた棚に並ぶのは様々な調合薬だ。その棚に手を伸ばして見もせずに上から二段目、右から三つ目の瓶を取り出す。
『あのまま死んどけば良かったのに、あの女冒険者余計なことをしやがったなァ。これでお前はまだ一年生きなきゃいけなくなっちまったわけだァ』
「あの人の事を悪く言うな!」
ドン、と大きな音を立てて瓶をテーブルに叩きつけるようにして置く。中に半分ほど入っていた粉末を匙で一すくい取り出して口に含んだ。そのまま工房の隅にある水道へ行くと、コップを用意することなく蛇口をひねって直接水を口に入れる。
薬を飲むと、左目の奥の痛みが徐々に引いていき頭の中で響く耳障りな『イヒヒヒヒ』と言う笑い声が遠のいていく。
しばらく荒い呼吸を繰り返していたリヒトだったが、落ち着いたところで工房を出た。
廊下に出ると、すぐ傍には表の店舗があり反対の廊下奥には居住スペースがある。リヒトは居住スペースには向かわずに店舗へと向かった。
廊下の突き当りからは直接店舗に出られる。すぐ傍にはカウンターがあり、狭い店舗を一望できた。
リヒトはカウンターに入らず、靴を履くとCLOSEの看板が下がった扉を押し開けてそのまま外へと出た。
カランカラン、というドアベルの軽い音を背後に聞きながら外へ出ると商店街はぽつぽつと魔法で動く街灯が灯りをともす以外は人気がほとんどない。
唯一隣の酒場からは灯りと喧騒が漏れている。
見上げても闇夜に白く輝く無数の星の瞬きは、舗装された街路にちりばめられた魔法で作られた街灯の光にかき消されてほとんど見えない。
代わりに真紅と白銀の双月が仲良く空に浮かんでいる。
そのまま足を通りの向かいへと向けた。
通りの向かいにはリヒトが幼い頃からヨボヨボのおばあさんがずっと営業している駄菓子屋があり、その脇に細い路地がある。
若干の下り坂になったそれを下りていくと小さな公園があった。
真ん中に円形の、せいぜいドッジボールくらいしか出来なさそうなグラウンドと、周囲を囲むように舗装路と魔法街灯、その外側にいくつかの遊具と砂場が点在している。反対側には小さな池と東屋があった。
ここまでほとんど何も考えずに歩いていたリヒトは公園の入り口に立って、大きく息をつく。
ようやくざわついていた心が落ち着いてきた。
ダンジョンに入るまで、リヒトが死んでもいいと思っていたのは事実だった。
ここ一年、ずっとそんなことを考えていた。
だが今日、その考えが吹き飛んだのだ。
ユエル。
銀髪の女冒険者。
彼女は強く、気高い存在としてリヒトの目に映った。
自分のやりたいことが見つかった気がした。
彼女ともっと話したい。
ダンジョンにいないときは何をしているのか。
普段はどんな服を着ているのか。
どこであんな風に強くなったのか。
何でもいい、彼女と話したかった。
それには何かきっかけが必要だろう。
店で扱っている魔法具はどうだろうか。
冒険者の中でもトップランカーに分類されるであろう彼女が必要とするような物が店にあるかと言えば、
「作ればできるな」
そのためには素材が足りない。
本当はもうすぐ店も畳むつもりだったのだ。
そうして考えに耽っていると、リヒトは公園のベンチに誰かが座っていることに気が付いた。
肩より上で切りそろえられた銀髪。白を基調とした服は胸の部分で大きく盛り上がり主張している。魔法街灯によって照らされた翠玉の瞳がこちらを向く。
「ゆ、ユエルさん……?」
初め、リヒトは自分が幻を見ているのかと思った。
直前まで彼女のことを考えていたことが原因で、そんな幻を見てしまっているのだと。
だが、朝とは違い若干眠たげな瞳がまっすぐに自分を捉えたことに気がついて、その考えを打ち払うしかなかった。
「お前は、今朝の。リヒト、と言ったか」
眠たげだった目がはっきりと開かれ、リヒトを捉える。
「また会ったな」
「……こんなところで何をしているんですか?」
そう尋ねながら彼女をよく見ると、奇妙なことに気が付く。
ユエルはベンチに腰掛けているのだが、その隣の地面には大きなリュックサックが置かれている。かなり大きなもので、ダンジョンに潜る荷物持ちの人間が使うようなもので、横幅は優にユエルの体二つ分くらいはあるだろう。
「ああ、実は家を追い出されてしまってね」
「えッ!? 追い出された?」
しかし返してきたユエルの目には状況を面白がる雰囲気はあるものの、こちらをからかっている様子はない。
「もしよければ少し話し相手になってくれないか? これからどうしようかと思っていたんだ」
「は、はい。僕でよければ」
ユエルが隣を勧めてきたので、リヒトは若干戸惑いながらも隣のベンチに腰掛ける。
二人の間には人一人分くらいの隙間を開けた。
だと言うのにリヒトはユエルの方からいい匂いがしてくる気がして胸の動悸が激しくなってくる。
「あ、あの。追い出されたって一体……?」
心の動揺を隠すようにリヒトは自分から尋ねた。
「端的に言えば家賃が払えなくてね」
「や、家賃って……ユエルさんはAランク冒険者ですよね?」
「そうだが?」
「そのランク帯の冒険者ならかなり高額な依頼も冒険者ギルドで受けられるんじゃないですか? それこそ家を買えるほどの……」
今日冒険者ギルドに寄ったときにもそう言った依頼を見かけた。
「少々特殊な事情でね――いや、正直に言おう。私の姉が病気で長いこと入院しているのだよ」
「お姉さん、ですか?」
そんな話、聞いたことなかった。
銀月の武勇譚はいくつも聞いたが、そう言えば個人的な情報は住んでいる場所はおろか家族構成すら噂でも聞いたことがない。
「……まぁそう言うわけで、特にここ最近は状態が思わしくなくてね。体調の維持にもかなり高額な薬が必要で、報酬の大半をつぎ込むしかないのだ」
「そんなに、ですか」
この国では魔法とダンジョンから採れる素材のおかげで、死んでさえいなければほとんどの怪我は治せる。失った腕が生えてくるくらいには医療はすさまじい。
反面病に関してはといえば魔法で一発治療がなぜかできないため、魔法での治療は体力や免疫力を高めるくらいにしか使えない。けれどケガほどではないがダンジョンからの素材でかなりの病魔を駆逐している。
「おかげで家賃をずいぶん滞納してしまった。大家さんも頑張ってはくれたが――まぁ、向こうも生活があるからね」
仕方がないと言う風に飄々と肩を竦めて見せるユエルだった。
「……これからどうするんですか?」
「さて、そこで困っていたのだよ。宿に泊まろうにも持ち合わせがほとんどない。私に残されているのは2択だ」
指を2つ立てて見せてくる。
「一つは初心者冒険者が大部屋で素泊まりするような宿を借りること。これならギリギリ1日2日は寝床が確保できるから、その間に仕事をこなして普通の宿に移れる目がある」
「……それは、あまりお勧めできないですね」
ユエルの言葉を聞いて、リヒトは言いにくそうに口を開いた。
「ほう? それはまたどうして」
「最低価格で泊まれるああいった場所は個人の所有物を保管できる場所がありません。そもそも男女で別れてすらいない場所がほとんどです。何よりあなたでは目立ちすぎる」
冒険者用に雑魚寝する部屋を貸す宿は多い。
一泊1000リブラも出せば泊まれるようなところすらある。
だがえてしてそう言った場所では犯罪に巻き込まれるケースが多く、しかも宿側は場所を貸すだけと言う名目を盾にほとんど不介入だ。場所によってはそう言った犯罪者とグルの可能性すらある。
「さすがによくわかっているな。だから私もかなりためらっている。よって2つ目の選択肢だ」
そう言えば指は2本立っていた。
「2つ目は人気のない場所で夜明かしをする、つまり野宿だな」
「それこそお勧めしませんよ。この国は冒険者を頼ると同時に管理にも厳しい。もし、公園なんかで夜明かししようものならすぐに警察が飛んできます」
冒険者は、言ってしまえば荒くれものの塊、社会不適合者、犯罪者予備軍とまで呼ばれることがある。
日々の糧を得るために、自分の命をベットして戦う者達だ。
それゆえに犯罪者落ちするものは後を絶たず、なまじ力がある故にすぐに喧嘩を始める。
だからこそこの国は冒険者の管理に力を入れていた。
枠から外れようとする冒険者を許しはしない。
朝までに巡回の警察官に捕まることは確実だ。
「もしそうなったら、せっかく冒険者として培った物を全部失ってしまうかもしれないんですよ?」
「……その通りだ」
リヒトの真剣な説明を聞いて、ユエルは大きく息を吐く。
過分に悩みの混じったものだった。
「だから迷っているのだよ」
「知り合いとか、いないんですか?」
1日2日なら、そこそこの付き合いのある人ならば泊めてくれそうなものだ。
「いない。これも諸事情、としか言えないのだがこんな大荷物を持っていって泊めてくれるような人はいない。……まさか私も、こんな形で他人を拒絶しソロで戦って来た弊害が出るとは思わなかったがね」
自嘲するように小さく笑うがその声は真剣なものだ。
本当に頼れる人がいないのだろう。
あるいはもしかしたらそれが、初めてユエルに会った時の印象につながったのかもしれない。
寂しげな色を宿す銀月。
本来夜天に浮かぶ銀月は、常に紅月と並ぶ連星でもし人格があったとしても寂しさを感じるなどありえない話なのだが、なぜかそう思ったのだ。
「まぁ、そう言うわけだから実はお前を助けた時に金はいいと言ったのは結構見栄だったのだよ。……これがランクA冒険者の実際だ。失望したかね?」
今度は下からのぞき込むようにして自虐的な笑みを浮かべている。
そんな様子を見て、リヒトの胸に湧き上がる感情は失望などではなかった。
「……それじゃ、3つめの選択肢はどうですか」
口が、自然と動いていた。
「なに?」
ユエルがいぶかし気に眉を寄せた。
三本指を立てて提案をする。
「僕の家に来ませんか? 部屋は余っているし、宿代はなくても構いませんが……それだと居づらいでしょうからお姉さんの治療が落ち着いてから、と言うことで」
ユエルの目が驚きに見開かれる。
一瞬だけ、銀月の持っていた寂しさや騎士然とした硬さが取り払われ、なぜだか幼い子どもが驚いたような顔になる。
「おいおい、見ず知らずの人間にお前はそこまでするのか?」
だがその顔はすぐになりを潜め、すぐに歴戦の冒険者らしい相手を値踏みするものに変わる。
どこまで本気か、探っているのだ。
「見ず知らずの人間なんかじゃありません。命の恩人ですよ、あなたは」
「……ああ、そうだったな。確かに私はお前をダンジョンで助けた。だが、そんなことダンジョンでは日常茶飯事だ。そこまで恩に着ることもあるまい」
何が目的だ、と視線が問いかけている。
――あなたに一目ぼれしたからです!
と、リヒトは言ってやりたかった。
だって目の前に一目ぼれした女の人がいて、こんなに困っている様子だったら誰だって何でもしてあげたくなるものだろう。
だがそんなことを言えば目の前の女性は立ち去ってしまうだろう。
身の危険としてもそうだが、被せた恩以上の物を取り立てられかねない。
もちろんリヒトとしてはそんな考えは毛頭ないのだが、
「そもそも私はさっきの様に話せないことが幾つもある人間だ、そんな人間を信用できるのか?」
確かに事情を話すと言った割にはぼかされた部分も多い。
だが、
「それでもかまいません。僕にだって話せないことは結構あるんです」
工房での仕事などはその最たるものだ。
「……本気のようだな」
「もちろんですよ」
ユエルがようやくリヒトが本気だと言うことを理解してか視線を和らげる。
「……分かった。お前の提案に乗せてもらうとしよう」
「本当ですか!」
「なぜお前が嬉しそうなんだ」
そう言いながらもユエルは薄く笑っていた。
「とりあえず、家に案内しますよ」
「ああ、そうだ。これから世話になるからな。敬語はいらん。名前も呼び捨てて構わん」
「え? ですけど」
急な提案にドキリとさせられる。
相手は年上なだけではなく、冒険者の中でも有名人だ。
その上一目ぼれの相手、となれば心臓もおかしくなる。
これはもしかして距離が縮まったか、という妄想めいた考えが瞬き一つする間に脳内を駆け巡った。
ユエルは瞬間的に体を硬直させたリヒトに柔らかく笑んで言う。
「気にするな。お前が家主で私は居候なのだからな」
ですよねー、知ってました――
「……分かったよ。これからよろしくユエル」
「よろしく頼む、リヒト」
二つ並ぶ月下の公園で二人の手が結ばれた。
若干の気落ちを含みながらもリヒトは自宅へとユエルを案内する。これから一緒に住むのならば、自分を振り向かせる機会なんていくらでもあるはずだ。
そんな下心を含みながら。
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