銀月の騎士は帰りたい

橘トヲル

第1話 ダンジョンに輝く銀の月


 暗い地下の底、本来見えるはずのない『月』を幻視してリヒトは呆然と口を開けていた。

 ゴブリンの凶刃を目の前にしながら一リンも動くことが出来なかったのだ。

 月の女神のようなその女性が剣を振るうたび、間近に迫っていた小柄な悪鬼たちが屠られてゆく。


「……どうした?」


 目の前に立つ、リヒトが呆然と見上げる月の女神がいぶかしげな視線を向けてくる。

 それでようやくリヒトは目の前に立つのが自分と同じ、人間だと言うことに気が付いた。

 肩口よりわずかに上、切りそろえられた銀糸のような髪がさらりとこぼれる。

 宝石のような緑色の瞳がこちらをのぞき込んでいた。

 印象は、やはりなぜか月を連想させられた。

 夜の闇に浮かぶ寂しげな銀の月。

 見る者をはっとさせるほどの美しさだった。

 ドキリ、と心臓が再び跳ね上がる。

 年はリヒトよりも少し上だろうか。

 女性としては長身だ。

 身に纏う丈の長いコートは白銀を基調とした色合いで、ところどころに金の刺繍が入っている。ダンジョンに潜るための防具としては装甲がほとんど付いていないが、総じて凛とした騎士らしさがそこにはあった。右手に未だ握ったままの、ゴブリン達の血が滴る両刃の片手剣もそのイメージに拍車をかけている。

 おそらく製作者の趣味なのであろう、コートの下はフリルのついたミニスカートとニーソックスだ。だが、見る者が見ればそれらがとても高価な、魔法を付与された一級品の防御力を誇る装備だとわかる。その辺の鈍らでは傷一つつかないだろう。装飾にしか見えない刺繍やフリルの配置は魔法陣となって防御力を上げている。素材だって間違いなく亜竜クラスの外皮を使ったもので間違いない。


「いえ、何でもないです!」


 思わず見とれてぼうっとしていたリヒトは慌てて答えた。変な奴に見られたかもしれない。そんな場違いな感情が芽生える。

 この場にあった行動、と言う意味ならば目の前の女性の取っている行動が正しい。

 両刃の剣についた生臭い血糊を拭っている女性。ちらりとリヒトが視線を向ければ、剣はかなり使い込まれているのか若干の刃こぼれが見える。剣に使われているのも普通の金属に見えるので、おそらくは大した品ではないのだろう。

 だがその剣を持つ人物はそれとは比較にならない。

 視界に入れただけでほう、とため息がこぼれそうになる。

 そんなうっとりとしたリヒトの視線に女性が気が付いたのかばっちりと視線が合ってしまう。


「……やはりどこか怪我でもしていないか?」

「いっいえ! 全然そんなことは! あなたのおかげで助かりましたよ」


 そう言って頭を下げる。

 二人が今いるのは石を敷き詰めて作られた狭い通路の中だった。通路自体が微かに発光しているため灯りは必要なかったが、それでも薄暗い。そんな通路が前と後ろに長く伸び、足もとには目の前の女性が今さっき切り殺したゴブリンの死体が三つ転がっている。

 ここはダンジョン――セェベロ第二迷宮の三階層だ。

 ついさっき、不幸にもリヒトはゴブリンの群れに遭遇し、参加していたパーティからはぐれてしまった。間の悪いことに逃げた先でさらにゴブリンに遭遇し、あわや詰みかというところを目の前の女性に助けられたのだった。

 普段全くダンジョンに潜らないリヒトは、モンスターの中でも最下級に属するゴブリンを前にして、へっぴり腰で短剣を構えていた。武器はつい数時間前に地上で購入したものだったが、おそらく同じゴブリンの持ち物を他の冒険者が持ち帰ったものだったのだろう。目の前でニタニタと厭らしい笑みを浮かべるゴブリンの手の中にある武器と同じだった。

 ただし装備しているリヒトはゴブリン以下の腕しかなかった。

 だからゴブリンどもが一斉に襲い掛かってこようとしたとき、リヒトの頭にあったのは詰みの二文字だけで。

 もし背後から風のように現れた、目の前に立つ白銀の髪を持った女性が現れなければ死んでいただろう。


「あなた、もしかして『銀月』のユエルさん、ですか?」


 そこまで考えてその特徴的な銀髪を持つ冒険者の名前に思い当たる。

 Aランク冒険者ユエル・トライアス。

 この都市、ファブリアの中でも有名な『銀月』の二つ名を持つ冒険者だ。


「ほう、私の事を知っているのか」


 ユエルの視線が若干の警戒を帯びる。

 彼女ほどの有名人ならばその名前を利用しようとするものは後を絶たないだろう。それゆえの警戒だと思われた。


「あ、すみません。僕はリヒト。リヒト・イーディアと言います。危ないところをありがとうございました!」


 そう言って勢いよく頭を下げる。

 気持ちを伝えたくて、少し長めに深く頭を下げていると後頭部のあたりにチリチリとした視線を感じる。


「……初心者か」


 すると硬い口調は変わらないものの若干警戒の薄れた声で訊ねられる。


「あ、はい。と言うよりもほとんど潜ったことはなかったんですけど……普段は地上で魔法具店を営んでいます」

「魔法具店? その年でか?」


 ユエルの目が少しだけ驚きに見開かれる。

 それもそうだろうリヒトは成人しているが、未だ17歳。おそらく目の前のユエルよりも年下だ。


「はい、両親から引き継いだんですよ」

「……ああ、なるほどな」


 それでユエルは納得したように頷く。

 ダンジョンと隣り合わせで暮らすこの都市では病気だけではなくいくらでも死ぬ可能性はある。リヒトが若くして店を引き継がなければいけなくなったのもそんな理由の一つだろうと思い至ったのだろう。

 あるいは、彼女自身にも思い当たる節があったのか。


「あの、何かお礼をさせて下さい」

 助けたからと言って謝礼を必ずもらえるものでもなければ、余計なお世話と罵られることすらもある。その可能性を呑んだ上で助けてもらったのだから何かお礼がしたいと思うのは、リヒトにとっては当然の事だった。

 一瞬だけ見えた銀閃が瞼の裏に焼き付いて離れないということもあった。

 もし叶うなら、もうちょっとだけでいい。

 この人と話をしていたい。

 胸に沸くマグマのような想いに突き動かされていた。


「礼か……ならば金でいいぞ」

「え?」


 形のいい唇から放たれた言葉に体が硬直する。

 金銭はもちろん感謝を示すうえで最も分かりやすいものだ。ダンジョンで助けられた時に金銭で礼をするのもごく普通の事。

 ただ目の前に立つ月の女神のような女性の口からそんな言葉が出たのが噛み合わなかっただけだ。


「冗談さ」


 くっくつ、と喉の奥で愉快そうに笑うユエル。

 どうやら本当に冗談だったらしい。


「い、いえ! 良ければ謝礼を渡させてください! えーと……」

「まぁ、くれると言うなら貰っておくが……」


 ポケットの中の財布を慌てて取り出すリヒトを上から下まで眺めまわす。


「お前、その装備を見るに大して金など持っていないのでは?」

「あっ」


 財布から出てきたのは硬貨が数枚――320リブラしか入っていなかった。

 防具を買ってからお金を銀行から下ろしていなかったのが災いした。


「構わん。私が勝手にやったことだからな」

「で、でも……」

「ならば貸しだ。何かの機会があったら返してくれ」


 腰に差した鞘に剣をしまって言い放つ。

 最弱とは言えモンスターをまとめて屠った後のその姿がまぶしい。

 その姿こそがリヒトがずっと欲しかったものだった。

 浮かべられた余裕の笑みにまたも目を奪われる。


「……もし次に潜る気があるなら、もう少し鍛えてからにすることをオススメする」


 ソロで下層まで潜る冒険者に言われると説得力があった。

 忠告に対して素直に頷くと「よろしい」と大仰に返してくるユエル。


「地上に戻るなら、一緒に行くか?」

「あ、はい。ぜひお願いしたいです」

「仲間を探しに行くことは出来なくなるが……」


 少し硬い表情になるユエルに笑って答える。


「彼らは初心者でしたけど俺よりもずっと潜った経験がありますから。もしはぐれた時は地上の入り口で合流する手はずなので大丈夫です」

「わかった。では行くとしようか」


 リヒトがそう言うとユエルは少しほっとした顔で頷くと地上への道を歩き出した。


   ◇


 リヒトは普段は地上の店で魔法具を売って生活をしている。

 魔法具とは魔法の効果を付与された道具の事だ。両親がいた頃は他から仕入れた物を売るだけだったが、リヒトが魔法学院で付与魔法を使えるようになってからは工房を増築して作った物を売るようになった。

 そしてリヒトが引き継いだ今も店を続けており、昨日入った依頼を片付けるのに必要な素材が急遽必要になってこのダンジョンに潜ったのだった。


「とは言え、さすがに無謀でしたね」

「そうだな、もし次に潜る機会があったらもう少しちゃんと準備をするなり冒険者を雇うなりすることを勧める」

「……お金、無いんですよねぇ」

「世知辛いな」


 そう言って喉の奥でくっくと笑う姿にリヒトは再び目を離せなくなる。

 一瞬でモンスターを屠ってしまう強さを持ちながら、こんなにも綺麗に笑う女性がいるのかと思った。

 ユエルの浮かべる優し気な笑みもまた、リヒトの心臓を加速させた。薄暗いダンジョンの中だったが、紅潮してくる頬の色に気づかれないか心配になるリヒトだった。


「うん? どうした」

「いえ、何でもないです」


 リヒトは顔が赤くなったのを隠すように頭を振った。

 まだダンジョンを出たわけじゃない。

 いつまたゴブリンの群れに遭遇するようなイレギュラーに出会うか分かったものではないのだ。

 気を抜いてはいけない。


「そんなに気を張る必要はないぞ。出口までは私が一緒だからな、そら」


 そう言って見もしていない壁に向かって剣を突き出す。


「ぐぎゃ!?」


 すると壁だと思っていたところから一体のゴブリンが現れる。

 その体は先ほどまで戦っていたゴブリン達とは違い、闇に紛れる漆黒の衣服を身に纏い顔を隠す黒いマスクも着けていた。


「ご、ゴブリンアサシン……」


 暗殺を得意とするゴブリンの一種だ。

 リヒトの記憶では結構高レベルな存在だったはずだが、目の前の女性は剣を突き出す前も、突き刺した後も買い物をした後の帰り道を歩く程度の気楽さだ。


「ゲギャ! ゲギャ!」


 仲間がやられたことに気が付いたのか、身を隠していたゴブリンが数体わらわらと出てくる。リヒトは手に握ったナイフと盾を構えるが、それよりも早く銀光が閃く。


「はぁっ!」


 数条、銀光が閃きゴブリンを脳天から、股下から、脇腹から、袈裟懸けに切り裂く。

 数体を相手に流れるような所作。

 短い銀髪が動作の反動で大きく広がり、戻る。

 額には汗一つなく、呼吸も落ち着いたまま。

 剣を振り抜いた姿勢のまま、後続と生き残りがいないことを鋭い視線で確かめてから剣にまとわりついた血糊を拭きとる。

 リヒトは、その一つ一つの所作から目を離せなかった。

 まるで打ち合わせされた殺陣のような美しさ。

 ユエルの太刀筋はすべてが必殺の威力を兼ね備えたものでありながら、あるいはそれゆえにとても目を惹かれる物だったのだ。

 永く強さに憧れながら、そこに至ることが出来なかったリヒトにとってそれはまさしく憧れの具現だった。

 あんな風に戦うことが出来たら―――そう思わずにはいられない。


「本当に、強いんですね……」

「どうかな。私は、私よりも強い存在を知っているよ」


 そう言うユエルの瞳にはあこがれにも似た光が宿っていた。


「ユエルさんよりも強い人がいるんですか?」


 ここまで強い冒険者が憧れる人物とはいったい誰なのか、興味が湧いて尋ねる。


「ん? ああ……そうだな。例えば王国騎士団団長のレイモンド・ライガーなどは剣技の面では私以上だろう。それに、この国の第三王子の持つ武具は一振りで1000の敵を滅ぼすと言う。叶うなら、私もああなりたいものだ―――どうした?」

「い、いえ。ユエルさんでも憧れるような人がいるんですね」


 レイモンド・ライガーや第三王子はこの国に住んでいる冒険者なら知らぬ者はいない強者だ。レイモンドはもともとAランクの冒険者だったのだが、城からスカウトされて騎士団団長のポストに就いた王国一と言っていい実力者だ。

 また、第三王子は自身もかなりの使い手であるが、何よりもその武具が恐ろしいと噂されていた。


「当然だ。私などはまだまださ。上には上がいるものだ」


 そう言った時だけ、自嘲するような笑みだったことにリヒトは気が付かなかった。

 まだまだ上を目指すつもりだ――その笑みに数秒、見惚れてしまったからだ。

 強いだけではなく、高潔なその思考に。

 同時に、この人をこんなに憧れさせる人物に暗い感情も覚えた。


「そう、もっと強い力が必要だ。まだまだなすべきことが私には……」


 ぼそりとつぶやかれた言葉でリヒトの思考が現実に戻る。


「あ、どうかしましたか?」

「いや、何でもないさ。ほら、何をしている。出口はまだ先だぞ」

「あ、はいっ」


 リヒトは慌てて後を追いかけることになった。

 だから彼女が冒険者の中でもトップランカーに近いにもかかわらず浮かべていた必死な、決意の表情を見ることは出来なかった。

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