#2「にっぽん仮想性愛 HMDシコシコ節」

 VRChatを始めて2年になる。

 表のアカウントでの交流は初めた頃より格段に増えた。だがそのぶんやりづらいことも多い。エロいことは中々できなかった。気づけばVRでも非モテ側になっていた俺。これでは現実と変わらない。どうしても我慢ならなかった。

 だから覚悟を決める。ジーッとしてても、ドーにもならねえ!

 そうしてただVRChatでセックスすることを目的にした、新しいアカウントが生まれた。

 もちろん表のアカウントとはなんの関係もない別人として振る舞う。

 ただ緩慢に日常を過ごすだけでエロいことができるという考えがそもそも甘えだったのだ。現実もVRと同じだ。ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん。こんな俺とセックスしたがる人間がいるはずがない。だがVRでなら簡単に変われる。ここでならアカウントの数だけ自分を生み出せる。

 VRの自分が現実に対するもう一人の自分なら、新しいアカウントはそのさらにもう一人の自分ということになる。裏の顔が持つ裏の顔。VRセックスできるかどうかだけを考えてアバターを実装した。射精できればどんな姿でもいい。セックス以外はどうでもいい。生やすチンポはアバターに不釣り合いでも巨根にしたが、そこだけはなりたい自分を込めた部分と言えるかもしれない。粗チンという現実への抵抗。

 アカウント名は「メルヴィル」とした。だからAちゃんは俺をメルくんと呼ぶ。

 アラン・ドロン主演の1967年の映画『サムライ』。その監督であるジャン・ピエール・メルヴィルから取った名前だ。メルヴィルはフレンチ・ノワールの名手。アラン・ドロン演じる孤独な暗殺者コステロのように、俺もまたバーチャル・セックス・アサシンでいたかった。影と共に現れ、美少女男性を犯しては闇夜に消えていく。

 俺はメルヴィルとして、エロいことができると噂の場所を片っ端から飛び回り、ツイッターの鍵アカウントを作ってVRCユーザーの裏アカウントと交流を重ねた。俺の本当の人生が始まる。表のアカウントにはほとんどログインしなくなった。

 マルチロックにハイマットフルバーストで出会う人みんなにセックスしようぜと言って回った。俺は自由だ。面倒ごとが起こればアカウントを消してしまえばいい。いつでも死ねる。メルヴィルは俺であって俺ではない。俺の性欲が生み出したタイラー・ダーデン。

 初めてのVRセックスをした時のことは覚えているが印象は薄い。ゆきずりの相手でフレンド登録もしなかったので、あれ以来一度も会っていない。お互い最後まで無言だった。ネトゲの無言プレイのようなもので、そういうVRセックスは多い。

 ヤって出してバイバイ、以上。

 表のアカウントで交流のあるVRCユーザーとVRセックスに及ぶこともあった。もちろん相手は俺だと気づいていない。表ではヤらせるそぶりも見せなかった奴に俺のチンポを咥えさせてやった。俺であることを隠してぶち込むVRチンポほど気持ちいいものはない。今すぐ俺であることをバラしたかった。

 俺とセックスしてしまった恐怖を味わえ!

 叫びたい衝動を射精に込めて耐える。我慢したのはメルヴィルとして明日もVRセックスをするためだ。

 俺が俺であるとわかったら、誰もヤらせてくれなくなる。


 そうしてVRセックスを重ねる中で出会ったのがAちゃんだった。

 なんとなく知り合って一発ヤって、アバターと声が好みだったので自分から強引に距離を詰めた。Aちゃんがパブリックかフレンドプラスにいれば必ずそこへ向かう毎日。隙を見つけては誘ってVRセックスをした。俺以外とヤる暇なんか与えない。押しに弱そうな性格だったので付け入りやすかった。タダでヤれるお気に入りの風俗嬢を見つけたようなものだ。Aちゃんが俺を拒否することはなかった。

 表のアカウントの時は気に入った相手をつけ回すなんて蛮行にはとても及べなかったが、メルヴィルとしてはなんの抵抗もない。こんなアカウントからはいつでも逃げ出せる。ゲームみたいなものだ。嫌われようが怖がられようが知ったことじゃない。

 全ては俺の性欲に優先される。

 そうして何十回もセックスするうちに、Aちゃんの俺の呼び方が「メルヴィルさん」から「メルくん」に変わっていき、いつの間にか付け回さなくても毎晩一緒にいることが当たり前になっていった。

「メルくんとたくさんするようになってから、女の子としてするのも楽しいなって思うようになったんですよ? 前まではしてもらうばっかりだったし」

 そんな風に言ってくれたのはAちゃんが初めてだった。

 Aちゃんはヤればヤるほどにエロさを増していった。リカちゃん人形だった股間に女性器も付けてくれた。Aちゃんが俺という男の手でどんどん女になっていく確かな手応え。現実で男性性をまったく発揮できなかった俺はVRにはもういない。

 アバターを通して手にいれた巨根は、俺の心にまでしっかりと屹立しているに違いない。でなければ俺がAちゃんをこんなに女にできるはずがない。最初から好みだった声も、より女としての芳醇な甘みを醸し出すようになっていった。

「メルくんにかわいいって思ってもらいたくて、そうなっちゃってるのかも」

 Aちゃんが俺にかけてくれる言葉の全部が嬉しかった。必ず俺が喜ぶ言葉を選んでくれる。何もかも覆い隠して、性欲に任せて近づいた俺に対し、Aちゃんはまっすぐな好意を何度も伝えてくれた。

 そんな素直さが、少しずつ俺たちの関係を温めていったのだと思う。

「好きだよ、メルくん。いつもそばにいてくれて、ありがとう」

 なんでこんな俺を好きになるのかわからない。

 それでもAちゃんは俺を好きだと言ってくれる。俺に笑顔を向けてくれる。その全肯定っぷりはどこか怖くなるくらいだった。

 Aちゃんに感化されて、俺の彼女への触れ方も変わっていく。

 会う度に性欲以外の気持ちが生まれて、それが心の中の蓋に収まらないほど大きく膨れ上がっていく。勃起以上に止まらない。ここまで素直に誰かに好意を示せるというAちゃんの在り方に、俺はどうしようもなく惹かれていった。性欲が愛でいっぱい。セックスしたいくらいに抱きしめたくなる。

 俺にない綺麗なものを持っているAちゃん。薄っぺらい性欲しかなかった俺が触れていい子なのかわからなくなる。

「いっぱい触れてほしいです」

 俺は、Aちゃんが好きになってしまった。もっとそばにいたい。

 そんな俺の想いに応えるように、コロナウイルスの世界的な大流行が起こる。

 コロナウイルスのおかげで俺の仕事は完全に在宅になり、大学生のAちゃんも同じように家に篭るようになった。ウイルスの赤い糸が俺たちの24時間を繋ぐ。

 22時ごろにVRで集合して朝の5時までいちゃいちゃとセックス。お互い15時ごろに起きてディスコードで通話開始。そこから22時まで二人でアニメや映画をする日もあれば、お互いに原稿や作業を黙々と進める日もある。俺は1日の大半をAちゃんと過ごすようになった。Aちゃんは毎日暇そうで、いつも俺と一緒にいてくれる。

「ずっとこうやって過ごせたらいいですね」

 仕事のある日、俺は「行ってきます」と言って打ち合わせに出て、「おかえりなさい」を貰ってAちゃんのところに戻ってくる。家から出ない生活が続く中、オンライン会議のせいで自分の部屋まで仕事場のように感じてしまう。俺の心がストンと落ち着くのはAちゃんに「ただいま」を言う瞬間だけだ。Aちゃんが俺と現実を適切に分断してくれる。

 まるで同棲しているかのようだった。

「メルくんが帰ってくる場所のドアの向こうで、ずっと待ってますからね。何度でもおかえりなさいって言ってあげたいです」

「いや。Aちゃんはドアそのものだよ」

 そんなことを言った時、Aちゃんは冗談だと思って笑ってくれた。本気だった。Aちゃんに触れることそのものが向こう側に行くことだ。

 Aちゃんという存在そのものが、俺にとっての仮想現実。

 俺は今日も汚い自室にいるはずだ。酒とエナジードリンクの空き缶が転がり、敷きっぱなしで布団の裏側にはカビが繁殖していて、何年も掃除機をかけていない床は埃や細かいゴミで砂場のような歩き心地。そんな部屋でも、Aちゃんと通話を繋ぐだけで二人の愛おしい空間になっていく。

 頭皮の脂汗に浸された腐臭漂う枕からだって、キミの香りを感じられる。

 温かさなんかとは無縁だったはずの俺の部屋に何かが灯る。VRセックスをした時の心の通じ合いから生まれた温もりが、現実にまでじんわりと滲んでいる。

 コロナウイルスで社会から分断されたことで、俺の中でのAちゃんの体温がどんどん具体的で強い実感となっていく。ほぼ毎日VRでキスをして、VRでセックスをした。どれだけやっても飽きない。俺は二人の身体の相性の良さを確信する。

 加えて、Aちゃんは性格の面においても俺を満たしてくれた。

 全体的に主張が少なく、黙ってそばにいてくれるタイプ。だからこそ時おり気持ちがわからず不安になったりもする。でもAちゃんから俺を傷つけたり動揺させるようなことは絶対に言わない。

 性別が男ということが最後の一線になって、Aちゃんを理解してあげられるかもしれないという希望も湧いてくる。これが女性ならそんな傲慢さは絶対に持てない。

 Aちゃんとのそんな生活が一ヶ月ほど続く。

 4話3稿の修正は締め切り3日前ながらまったく進まず、俺は通話を繋いでいるAちゃんに愚痴る。Aちゃんには俺の職業を教えていない。

「仕事終わらねえ。そっちは何してんの?」

「恥ずかしいんですけど、今DLsite見てました」

 DLsiteとは同人誌や同人ゲームのダウンロード販売サイトだ。

「え、エロ同人とか見てたの?」

「島風くんのやつ、ちょっと欲しいなって」

 Aちゃんから送られてきたリンクを見ると、艦これキャラのコスプレをした男の娘のエロ同人誌の販売ページが表示される。

「女装男子でシコったりするんだ」

「まあ、はい」

 恥ずかしそうに返答するAちゃん。艦これのエロ同人でシコると聞かされると、Aちゃんもオタクの男なんだなという実感が急激に高まる。艦これや東方やFGOの同人誌でオナニーをするということは、ある意味でどんなアニメや漫画に触れるということよりも、今の世代のオタク的な人間になるかどうかの分水嶺なのかもしれない。

 Aちゃんが一瞬だけ、VR越しの幻想じゃなくなる。この子も俺と変わらない。

「これ買うんで、一緒に読みません?」

「へ?」

「嫌ですか?」

「まあ、いいけど……一緒に読むの?」

「はい、一緒がいいです。なんか二人で同じ漫画読むの、側にいるって感じしません?」

 その同じ漫画は女装少年もののエロ同人なんだけどいいんだろうか。

「これがいいです」

 俺は半ば押し切られるような形で同人誌を購入。一緒に読み始める。

 半分ほど読み進めたところでAちゃんがオナニーをし始めたので、俺も同じページを見ながらシコる。

 同じ夢を見ているような心地だった。

 俺たちは島風の格好をした少年が屈強な男にイラマチオで精液を流し込まれるページを見ながら同時に射精する。Aちゃんは息を荒くしながら、俺の耳をくすぐるような声で喋る。

「一緒にシコシコしたの、始めてですね」

「俺たち、なんかヤバいことしちゃったよな」

「最後イク時、男の娘に感情移入しちゃいました」

「今晩、同じように咥えてくれるってこと?」

「……うん」

「VRでするのもいいけどさ、またこうやって一緒に出したいな」

 艦これのエロ同人による天啓。

 この方法でなら俺はAちゃんと確実に気持ちよくなれる。犯される快楽には寄り添えずとも、射精なら強固なイメージを共有できる。Aちゃんに寄り添ってあげられる。無理解の塊で、性欲を押し付けるだけだった俺が、この子をわかってあげられる第一歩が今のオナニーに見えた気がした。俺たちは射精でわかり合う。チンポを握って手を取り合う。相互オナニーはニュータイプへの革新。

 そうして俺は、自分がしていたVRセックスに自信を持っていなかったことを思い知らされる。Aちゃんの気持ちいいという言葉を信じるしかない自分への無力感。たしかにこの女を喜ばせているという証。俺は求め続けていたんだ。

 それが見つけられないと、Aちゃんがどこかへ行ってしまうかもしれない。心の底に押し隠した恐怖。

 でもこうして並べた御託すら、男と一緒にオナニーをしたということへのパニック発作のようなものなのかもしれない。確かなことがあるとするなら、同じものを見て、同じようにオナニーをして、同じように射精できたことが俺は嬉しかった。俺はその時、確かに美しいものを見たんだ。

 俺たちはずっと一緒にいられるかもしれない。希望が湧いてくる射精だった。

 俺たちはまだ付き合ってはいないけれど、こんな毎日がすっと続いてほしい。そう思った。


×   ×   ×


 俺はAちゃんのことをよく知らない。

 大学生ということ以外、年齢や詳しい趣味も聞いたことがない。なんとなくオタクっぽいということがわかるだけ。そしてAちゃんにも俺のことはあまり喋っていない。社会人の男であるという以上のことは知らないはずだ。

 こんなことではいけないとわかっていても、顔を合わせればVRセックスをするばかりになってしまう。二人の間に本質的な会話はほとんどない。

 俺とAちゃんは付き合ってはいなかった。

 俺たちは一度も、お互いをカップルや恋人だと定義するような話をしたことはない。VRCユーザーは付き合った証拠にお互いの左手の薬指に指輪をはめるが、俺たちは指輪をしていない。

 好きだというし、毎日話すし、キスもセックスもする。それは現実なら交際しているということになるのだろう。

 これだけしても恋人ではないという関係だってあるかもしれない。でも艦これの同人誌で射精する俺にはそんな現実の恋愛の複雑さは理解できない。俺はそういう複雑さから逃げ出してVRにいる。

 もしAちゃんと俺が現実で同じことをしていたなら、俺たちは確実に恋人として付き合っているはずなのだ。

 ではなぜVRだとそうならないのか? それは結局VRChatというVRゲームの土台に俺たちがいるからなのだと思う。どれだけ肉体感覚のあるセックスをしていても、それは結局ゲームで、モニターの向こう側の出来事だ。お互いにとって。

 じゃあ現実で会って付き合いたいのかと言われれば、そんなことはない。俺もAちゃんも現実の男の肉体に欲望することはきっとできない。

 俺はただ、今の関係が永遠になるという確約が欲しい。Aちゃんと同棲しているような今がずっと続いてほしい。何度でもおかえりとただいまを言い合いたい。恋人という契約関係にお互いを置けばそれがきっと手に入る。Aちゃんを女にできた俺なら、Aちゃんを恋人にだってできるかもしれない。

 俺は時たま、Aちゃんに言う。

「ずっと一緒にいようね」

 Aちゃんはこう返してくれる。

「うん、ずっと一緒だよ」

 でも、間違いなく不可能だ。

 現実の恋人には結婚というゴールがあって、それには社会とか経済とか老後という言葉のボーナスがついてきて、案外それらが本質だったりする。俺たち二人の間にそんなものは見えない。この関係性は結局今を満たす夢を見るためだけのもので、10年後への確かさを与えてくれるわけではない。未来に何も残せない。そしてそんなことを考える自分にも嫌気が差す。俺は結局、永遠を諦めている。

 大好きなAちゃんとのセックスは無意味だ。反対に、俺の将来にとって確実に価値があると言えるのは大嫌いな脚本を面白く書き上げること。Aちゃんに逃げてなんかいないでそれに向き合うべきというのはわかっている。俺は気が付けばいつもAちゃんのことばかり考えていた。俺の将来はAちゃんのせいで悪くなっているとすら言えるかもしれない。

 でも、俺は思う。

 それがどうした、と。

 だって俺は今、人生でいちばん幸せなんだから。俺を受け入れてくれる女をやっと見つけたんだから。今さら苦しみながらも何かを期待して現実に向き合うなんてバカげている。

 昔はあれだけやりたかったアニメの仕事が、今は心底どうでもいい。

 俺は俺が本当に欲しいものを、もう手に入れた。

 こうして俺は、初めて参加したアニメの現場から降板することになる。4話を面白くできず、3週間ほど経ったところでプロデューサーに降板を言い渡された。俺が書き上げるはずだった4話と7話と10話は誰かの手に渡るのだろうが、もう俺には関係ない。これでもっとAちゃんと一緒にいられる。そんな解放感とやすらぎだけがあった。

 将来への不安や、仕事を失った悔しさや悲しみなんてものも最初は感じた。そういった気持ちはAちゃんのVRマンコに精液と一緒に吐きだせば楽になった。愛の魔法だ。

 もちろんAちゃんに仕事がなくなったなんて言わず、毎週の打ち合わせがあるフリをして「おかえり」を言ってもらった。俺がクビを切られるような弱い人間だとAちゃんに知られたくない。そんな俺はきっと嫌われてしまう。

 俺の人生どうなっちゃうのと泣いて縋って喚きたい気持ちもあったがぐっとこらえた。それではメルヴィルになった意味がない。メルヴィルにはVR巨根が生えている。Aちゃんに相談なんかして、面倒だと思われて逃げられてしまったら終わりだ。俺にはもうAちゃんしかない。Aちゃんにだけは嫌われたくない。

 この関係が終わるとしたら、Aちゃんが俺から逃げていくその時なのだと思う。どうせこんな俺だから、いつか飽きられたり嫌われたりするに違いない。

 だったら弱い自分も情けない自分も全部押し込めて、目の前のAちゃんに耽溺していればいい。Aちゃんは俺にそれを許して好きだという言葉をくれる。いつか恋人にだってなってくれるかもしれない。俺にはもうそれだけで十分すぎる。

 今が変わりさえしないなら。

 それなのに俺は、決定的な過ちを犯す。

 俺は、Aちゃんをお姉ちゃんにしてしまった。

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