第25話 真実を知った上で、その未来は変えられるのか

可憐かれん、止めなさい」


 俺が再びタテハ蝶になり、薄明かりな部屋の空間を飛んでいると、眼前に大人の女性が声を荒げてしかっていた。


 でも、目の前の少女は一向に聞く耳をもたない。


 右手に持っているカッターナイフで左に握っている対象物に刃物を食い込ませていく。


 その人質となっている対象相手は人ではなく、大人の灰色の猫だった。


 いや、正確には猫のぬいぐるみだ。


「それはパパのプレゼントでもらった物でしょ。大人しくナイフをよこしなさい」

「いやだ。こうしたら弥太郎やたろう兄ちゃんがお父さんとわかれないってきいたもん」

「大丈夫よ。昨日の夜中の喧嘩ケンカくらいことだからね。パパとはいつまでも仲良しで何があっても別れないから。だから安心して」

「ほんとに?」

「ええ。だからこっちにナイフをちょうだい」

「うん」


 可憐と呼ばれた少女は素直にナイフを手渡す。


 すると、可憐はそのままぐいっと手を引っ張られ、母親の腕に誘い込まれる。


「……本当に悪い子だね、アンタは」

「お母さん?」

「悪い子はオシオキが必要ね」


『バチン!』


 可憐の頬が赤く染まる。

 母親から顔を叩かれたのだ。


 目を背けたくても蝶から見た俺の視点からでは否応いやおうなしにその状況が伝わってくる。


「お、お母さん。どうしてたたくの……?」

「それはね、アンタが悪さばっかりするからよ!」


 可憐がエグエグと泣きながら問いかけるが、鬼の目と化した母親には何も通用しない。


「おい、うるさいぞ。寝られないじゃないか」


 ふと、隣の和室から出てくる無精髭ぶしょうひげの男性。


 夜勤明けで寝起きなのか髪はボサボサで眼光がんこうは鋭く、目は血走っている。


「あ、あなた。ごめんなさい」

「また、泣かしているのか」


「お、お父さん」

「可憐……」


 父親が可憐の肩を優しく掴む。

 どうやら母親とは違い、理解のある人物のようだ。


「あーあ。こんなに服を汚しちゃって。まったく……」


 そして、可憐のシャツの襟首を

 やんわりと握る……。


「この、てめえはいつもピーチク泣きやがって、それでも幼稚園児かっ!!」


 いきなりの父親の暴言に可憐がビクリと縮こまる。


「この親不孝者のすっとこどっこいが!」

「うわあああーん!」

「泣いたら済むと思っているのか、このガキンチョめが!」


 そこから先は目を瞑りたくなるような暴力の嵐だった。


 ──いや、実際には手はあげていない。

 叩いたのはさっきの母親のビンタ一発のみで、あくまでも言葉のみで可憐を怒鳴っている。


 そして、悪態づいた言葉を必要なしに投げかける両親。

 まだ幼く言語能力が未発達な可憐は、ただ泣く一方だ。


「おい、あまりいじめるなよ。ストレス解消とはいえ、暴行のことで警察に通報されたら終わりだからな」

「大丈夫よ、この子、猫を虐待ぎゃくたいするような男の子しか友達はいないみたいだから」

「まあ、確かにそれじゃあ普通の友達も近寄らなくなるよな」

「それにこのマンションは家賃は安いし、セキュリティが万全だから大声をあげられても気づかれないし」

「まさに最高の物件だな」


「──なあ、それよりも飯にしないか。腹が減ったぜ」

「分かったわ。さあ、可憐。今からご飯の支度するわよ。だから泣き止みなさい」

「ぐすっ……」

「いつまでもメソメソ泣かないの。あなたは強い子にならないといけないのよ」


 母親が可憐の涙を指で拭い、肩に手を添える。


「そうじゃないと私達の子供失格よ」

「そうだ。そうじゃなければ俺達が何のためにお前を引き取ったと思う?」


『──ジリリリリ~♪』


 そんな問いつめている夫婦の間に、父親の携帯に黒電話のような着信音が鳴り響く。


「ああ、この着信音は婆さんからだな」


「……どうする、用件があるからってすぐに切るか?」

「いや、下手な行為をしたら怪しまれるからさ。あの婆さんは勘が鋭いからね」

「そうだな、あの婆さん金持ちだし、貴重な収入源が減ったら困るしな」

「そうそう、ここは嫌でも繋げた方がいいって。好きなだけ可憐宛ての養育費でギャンブルしたいじゃん」

「ああ、違いねえな」


「──もしもし、婆さんか」


 父親が電話の通話ボタンを押して、奥の部屋へと移動する。


「──ああ、大丈夫さ。可憐ならいい子にやってるよ。わざわざ婆さんが来る間でもねえよ」


「……それは分かってるよ。養子ようしとはいえ、大事な子供だからな」


「……じゃあ用件はそれだけか? 俺は仕事で忙しいからさ。そろそろ切るぞ」


「──えっ、いいから今から玄関に出てこい? 何の話だよ?」


 仕方がない顔つきで父親が玄関のドアを開けると、そこには複雑な表情の老婆が立っていた。


「な、婆さん。いつからここにいたんだよ!?」

「やっぱり、われの想像の通りじゃったか。お主らの会話は録音させてもらった。

どうする? 大人しくわれらから身をひくか、それともわれの知り合いの警察のお世話になるか?」


 老婆が手のひらサイズの銀のペンシル型のICレコーダーを、これ見よがしに見せつける。


「このババア、はめやがったな!」


 そのレコーダーを奪い取ろうとするが、老婆は素早く手を後ろへと引っ込める。

 

 ヒョイと腕を空振りさせ、さらにイラつきを隠せない父親。


「ほほほ。おおっと、無駄口を叩くでないぞ。今もバッチリ録音中だからの」


 そこへ、奥の部屋からスリッパをパタパタ鳴らしながら母親が急ぎ足でやって来る。


「……あなた、いや、アンタ。これからどうするのさ?」

「決まってるだろ、サツの世話になるくらいだったら離婚するさ!」


「なら、二人ともさよならじゃな。さあ、可憐や?」


「あっ、おばあちゃん」


 そんな修羅場しゅらばの空気も読めず、トコトコと歩いてくる可憐を老婆が優しく抱擁ほうようする。


「今日からまた、ばあばの家に住むよ」

「えっ? ということはこのおうちから

でていくの?」

「そうじゃ、ばあばと一緒においで」

「うん♪」


「じゃあの。うちの娘が世話になったの。本来なら大人は弱い立場置かれた子供を守るのがつとめなんに、こんな小さい子供に怖い思いをさせおって。アンタらは親として、いや人として失格や」

「何だと、俺らのことなど何も知らん、このババアが!」

 

 カッとなった男が老婆に殴りかかる。


「そうじゃな。まず、年配者への口の聞き方がなっておらん。それに他人に対してグチやワガママを言う前におのれの言動と行動を一から見直せ。そして……」


 その男の拳をサラリとかわし、隙をついて男の図体を軽々しく投げ飛ばす。


「ぐはっ!?」

「……われは、警察の指導により、ある程度の護身術はマスターしておる。年寄りだからと、皆がひ弱とは限らんよ」


「ア、アンタ。大丈夫かい?」


 尻もちをついた男に見ように見かけた女が手を掴んで体を起こす。


「いてて、このババア。二度とテメエなんざのガキの面倒なんてみるかよ」


 夫婦だった二名は一目散にその場から逃げ出した。


****


「可憐や、少し話があるんじゃが、いいかの?」

「なあに?」


 祖母の住む一軒屋の広々とした自室で、愛らしい犬のぬいぐるみと遊んでいた可憐がキョトンとつぶらなひとみで祖母を眺めている。


「昨日、ひきはらったあのマンションの郵便ポストに男の子からの手紙が山ほど来ていたんじゃがな?」


 祖母が数十枚の手紙の差出人を目で追いながら、やれやれとため息をつく。


「……宛先は全部、雷土弥太郎いかづちやたろうてっ書かれているけど、可憐の彼氏かい?」

「ううん、弥太郎兄ちゃんとは、そんなんじゃないよ」

「じゃな。いくらお金持ちのボンボンでも猫を虐待するような相手と友達になったらつまらんよ。家族は黙認しているみたいじゃがな」

「……な、おばあちゃん。可憐はわるぎはなかったんだよ」

「だからと言って動物をいじめていい理由にはならんじゃろう」

「いじめる、そうなの?」


 まだ、幼稚園児だけに事の重大さの意味が分かっていない様子だ。


「……じゃから可憐、ここから少し遠くなるがわれの実家で暮らさんかの。東京になるんじゃが」

「東京?」

「そうじゃ、この男の子とも距離をおけるし、前の両親とも鉢合わせしたらやっかいじゃし、なによりこの佐賀と比べて、便利がええ。住めばみやこじゃ」


「……さあさ、じゃから荷物をまとめて」

「うん、わかった」


 可憐は黙しながら、可愛らしいバックに荷物をせっせと入れ始めた。


 ──そうか、これが可憐が引っ越した真実か。

 蝶となって事の結論をうかがっていた俺はその場から、静かに飛び立っていく。


 祖母の実家は東京にあり、その祖母が腰を痛めてそこへとどまり、可憐は祖母のつてで、引き払ったマンションがあるこの佐賀へと戻ってきたのか。


 それなら弥太郎と知り合いだったことも頷ける。


「しかし、何で今回は可憐の過去を知れたのかな」


『──その件についてはあたいから説明するかの』


 どこからともなくデレサの声が頭に語りかける。


 すると、手前の床から大きな円盤のような光のゲートが出現し、そこから飛び出したしわがれた二本の手から、蝶である俺の羽をソフトに握られ、そのまま異空間へと飲み込まれた。

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