第24話 静かな憩いの場所にて、少女の素行が明るみにさらされる

 ほどよい空調に心地よい暖かさ。


 よく晴れた昼下がりの午後のわりには薄暗く静かな室内に、少しばかり漂うインクの匂い


 そして、大きな本棚で来訪者をじっと待つ書物たち。


 俺達は麗野うれいな市内にある五階建ての大型の市立図書館にやって来た。


 ──とは言っても二階からはテナントの商業施設で実際の図書館は一階のみだったが……。


「へえー。ここがこの街の図書館なんですね」

可憐かれんはここには初めて来るのかい?」

「はい。お祖母ちゃんがいなくなってからは忙しい毎日でしたので……」

「いなくなったって、もしや?」

「いえ、そんなんじゃないです。腰を悪くして実家に帰っただけですよ」


 両手のひらで勘違いさせたと左右に身振り手振りをする可憐。

 どうやら俺に家族構成で、余計な心配はかけたくないらしい。


「そんなことより早く行きましょう」


 我が物顔な可憐が、いつものポニーテールをなびかせながらスタスタと先陣をきる。


「あ、そうでしたね」


 ……と思いきや俺の元へとんぼ返りして、俺の手を優しく握る。


「か、可憐、いきなりどうした?」

「どうしたもこうしたも可憐たちは恋人同士でしょ。これくらいはアピールしないと」

「……そ、それもそうだな」


 可憐は涼しげの対応だったが、俺は緊張の面持おももちで室内を歩いていく。


 周りからの反応が痛いほどに突き刺さる。


 そんなこともいざ知らずな可憐は繋いだ手を前後に振りながら好き好きの想いを室内にいる人々に見せつけているようだ。


 喜びながら祝福してくれる者もいれば、中にはこちらに向かって殺意の視線を送る者もいた。


 リア充がこんな場所でイチャラブしてるんじゃねえみたいな感じだ。


「……可憐、やっぱり手を繋ぐのはよそう。ここは公衆の面前だし」

「えっ、そうですか。洋一よういちさんは可憐を独占したくないのですか?」

「いや、ポケ○ンゲットじゃないんだからさ。それにそんなことをしなくても心は通じあっているから」

「そういうものですか。分かりました」


 すんなりと手を離した可憐が俺の耳元にうるおいの唇を寄せ、密やかに話しかける。


「でも、家に帰ったら存分にイチャつくので覚悟してくださいね♪」


 俺の心は彼女の好意でハラハラだ。

 はたして帰るまで理性は保てるだろうか……。


****


 俺たちは、書庫で好きな本を選び、近くの白いテーブルでそれらの本を読むことにした。


「洋一さんは何を読んでいるのですか?」


 隣で平安時代の古文らしき文献ぶんけんを読んでいた可憐が俺の方に首を向ける。


「ああ、これだよ」


 俺は彼女のひざに読みかけの文庫を載せる。


 それを難なく受け取り、ペラペラとページをめくる可憐。


「……えっと、ロリマンガ教師? ざっと見たところ若者向けのラブコメ小説ですか。それにタイトルのわりには真面目な内容ですね」

「まあな。家で借りて読むと親がうるさくてさ。

──かと言ってもこんなロリロリ美少女の表紙じゃ店でも買えないし」

「確かにこの本は買いにくいでしょうね。それに他の知り合いの生徒に見られたら終わりですね」

「ははっ、それには納得だな」


 その可憐が返そうとした本が何者かに取り上げられる。


「……いえ、こんな本を読むヤツに限って、ロクなヤツはいないわ」

実里みのり? 一体どうしてここに?」


 可憐の横にあの実里がいて、俺を威圧的に目尻を吊り上げた態度で見ている。


「夕飯のおかずの買い物ついでに寄ったのよ。

……放送委員だけじゃ飽きたらず、他の女の子にもホイホイ手を出してるような軽薄な男じゃね」


 マズイ、俺はこの世界でも女たらし確定なのか。

 これではまた最悪な結末に成りかねない……。


「いえ、洋一さんはそんな人じゃないよ」


 可憐が椅子から立ち上がり、実里の前で弁論する。


「人前で手を繋ごうとしたら、やんわりと断ったりする、人並みに常識をわきまえている人だから」

「何、可憐。いつからソイツの肩を持つようになったのよ?」


 思わず動揺して声が震えている実里。

 冷静さの裏に何かしらの憎悪をひしひしと感じ取れる。


「実里。人の心とはうつろい変わりやすいものなのよ。それにこの人……」


 不意に俺の方を見てニッコリと笑いかける。


「あちこちで浮気するような性格には見えないし……実里の勘違いじゃないの?」

「ア、アンタ。いい子ぶって何様のつもりなのよ。暇さえあれば野良猫をいじめていたアンタが」

「何よ、そんなでたらめなことを言って。そんなことくらいで考え方をねじ曲げたりする人じゃないわ。ねっ、洋一さん」


「可憐、猫ってまさか……」


 俺は過去の記憶からずっと引っかかっていた引き出しを開ける。


「洋一さん?」


 そうだ、一度だけ見たことがある。


 雨上がりの場所で捨てられていた猫に可憐がカッターナイフを突き立てていたあの場面……。


 あの時は単なる偶然だと軽く思っていたが、まさか日常茶飯事で猫の虐待ぎゃくたいを繰り返していたなんて……。


「可憐、隠したって分かるんだぞ」

「洋一さん、まさか……」


 精神的ショックで青ざめた可憐の肩に、ゴツゴツとした男の手のひらが触れる。


「……すいませんが、図書館では静かにしてもらえませんかね?」


 眼鏡をかけた神経質そうな中年のオジサンが警鐘けいしょうの鐘を鳴らす。


 見慣れた管理者の人だ。


「はい、すいません。二人とも隣の休憩所に行こうか」

「何でわたしがアンタの言うことを聞かないといけないのよ」

「まあまあ、後で話は聞くからさ」


 反抗的な態度が揺るがない実里をなだめながら、俺たちは場所を変えることにした。


****


「もう信じられない……全部わたしの誤解だったなんて……」


 実里が髪をかきあげながらしぶしぶと俺に感情をぶつける。


「まあまあ、落ちつけよ」


 俺は休憩所の自販機で買った、ホットコーヒーの入った紙カップを彼女らに手渡す。


「……しかし、まさか昔に弥太郎やたろうと可憐が小さい頃に出会っていて、一緒になって猫を虐めていたなんてな」


 俺は休憩室で事のあらましを聞かせてもらっていた。


「ええ、あれから小学校に通いだして、その行為がいけないことに気づき、私から彼にさよならをしたのですが、この高校で再び出会ってしまい、交際とかを持ちかけられたりして……。

──どうやら彼は可憐のことが好きだったみたいですね。

……あまりにもしつこいですから、その腹いせとばかりに人目を避けて猫を虐めていたのですが、洋一さんには全部筒抜けでしたね」


 可憐が俺に近づき、両手を胸元へと掴んで、赤子のように言い聞かせるまなざしをする。


「でも、洋一さんと付き合いはじめてからは、そんなことは一切していないんですよ。可憐は悪行あくぎょうからは足を洗い、変わったんです」


 豊満な胸に俺の手を当てて、必死に主張を告げる可憐。


 彼女は自分がした罪を受け入れ、こうやった形で謝罪している。


 可憐が一方的に悪いのではない。

 本当に悪いのはとして頭に植えつけた人物……。


「弥太郎、そこに居るんだろ。こそこそしてないで出てこいよっ!」


 すると、窓際にあるドアがきしむ音を立て、パチパチと拍手の音が静寂せいじゃくさをかき消す。


「お見事。素晴らしい洞察力どうさつりょくだな」


 俺が予想した通り、扉から開けて出た人物は弥太郎だった。


 いや、何回も転生して気づいた一つの結果論だ。


 いつも何かが起きる時には必ず弥太郎が影にいるということに……。


「もうここまで知られた以上は生かせておけないな」


 捨て台詞を吐きながら、革ジャンのズボンのポケットから鈍い光を放つそれは一目散に可憐へと空を切った。


 速い。

 とてもじゃないが避けきれない。

 このままではまた、可憐が犠牲になってしまう。


「可憐!」


 絶対絶命か。


「うぐっ……」


 彼女の脇腹に刺さる一本の果物ナイフ。

 俺が目を見開くと信じられない光景が襲ってくる。


 実里が可憐を守る盾になり、その惨劇の餌食えじきになっていたからだ。


「実里、どうして!」

「……ふふっ、友達を……助けるのは当然の行為でしょ……」


 彼女の服に染みるおびただしい鮮血を前に俺は自分の無力さをひしひしと感じていた。


「ごめん……。可憐を頼んだわよ……」


 実里が目をつむると、彼女の四肢ししが床へと崩れ落ちる。


 俺は駆けつけ、その彼女が地に伏せるギリギリの間際まぎわに抱き止めた。


 どんどん冷たくなっていく実里の体に揺るぎない怒りが込みあげる。


「弥太郎、お前ってやつは!」


 俺は逆上ぎゃくじょうし、弥太郎に食ってかかる。

 だが、その冷静さを欠いた判断がいけなかった。


 それは一瞬の攻撃だった。

 腹に当たる鈍い痛みと共に床に転がる俺。


 刺された箇所が致命傷ちめいしょうだったらしい。


 駄目だ、段々、意識が遠のいていく……。


「ククッ。好都合だな。そっちの方から来てくれるなんて」

「洋一さん、しっかりしてくださいっ!!」

「無駄だ。洋一はもう助からん。そんなに好きなら一緒にあの世で仲良く暮らすんだな」


 暗く塗り潰された視界の中、泣き叫ぶ可憐の声を耳にしながら、俺の意識はそこで途絶とだえたのだった……。

 

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