第23話 彼氏なりに状況は理解したつもりだったが

 ──ふにふに。

 何やら柔らかい感触が頬に伝わる。


 これは夢の中の肌触りか。

 しかし、今の俺は夢など見ていない。


 真っ暗闇の世界で意識は、ここにとどまっているからだ。


 ……となると、このクッションのような物体は何だ?


「ぶっ、可憐かれん?」


 気がつくと、俺のすぐ隣に可憐も寝ていて、その可憐の豊かな谷間に顔をスッポリとうずめていた。

  

 苦しくて息が出来ない。

 おまけに可憐から、ガッチリと抱き締められている。


 冬用の紺の制服に重ねた、茶色のカーディガンごしからでも伝わる柔らかな弾力。


 まさに今の俺は、彼女の抱き枕状態だ。


「可憐、ギブ、ギブアップ……」


 俺は、締めつけられた可憐の細い腕をペチペチと叩く。


「うーん。むにゃむにゃ。そんなに抱っこして欲しいですか。よちよち、可愛い坊やですねえ……」

「ぐ、苦しいっで……」


 意味不明な寝言を言う、可憐の胸から逃げられなくてバタバタと俺。


「……はっ。あっ、洋一よういちさん!?」


 可憐が俺に抱きついているのを感じ取り、絡んでいた腕をばっと離す。


「なっ。か弱い女子相手に、何てことするんですかあ!」

「びびで、ばびでっ、ちょこれーとおー!?」


 その寝ている状態からの至近距離から、可憐の連続パンチを、腹にマトモにらう。

 制服のスカートが舞って、白いパンティーが見えてもお構い無しで、仕舞いには蹴りが来るさまだ。


「ぐふっ。まで、落ちづけ。俺は悪ぐない!?」

「問答無用!!」


『ボコボコ、ガシガシ!!』


 可憐の連続攻撃で、起き上がり逃げようとした俺の動きを、見事に相殺そうさいする。


「ぶべら、はぶらっ、らんちでびゅー!?」


 俺は可憐小隊長の襲撃を受けて、この世界に幕を下ろした。


 ──ちょっと待て、俺はまだ死んでないはずだぞ?


 ──数分後、改めて目を覚ますと、俺はベッドの下のフローリングに寝ていて、別の柔らかい感触に包まれていた。


「すみません、洋一さん。一瞬、状況が理解できずに、混乱してしまいまして……。

──可憐も朝が早かったもので、疲れ果てて、隣で寝てしまいました……」


 俺の目線の上に、可憐の顔があった。

 そんな彼女のひざまくらにされた俺は、安心して大きなため息をつく。


「普通、男女が同じベッドに寝るもんか?」

「いえ、洋一さん。可憐たちは恋人通しです。添い寝して、ふしだらな関係になっても、何も問題はありません」


「……それに可憐、そっちの経験ないですから。洋一さんの方から優しくリードして欲しいというか……」


 何かモジモジして、ひとさし指通しをくっつけさせ、照れくさそうに会話をする可憐。


「何だ、腹でも壊したか? トイレなら、あっちだぞ」


 俺の案内が気に食わなかったのか。

 頭からシュワーと湯気を出したかのように、みるみる怒った顔になる可憐。


「こっ、このニブタクワン!」

「ぐはっ?」


 可憐がひざを素早く引っ込めて、俺の頭が固い床にガツンと叩きつけられた。


「あっ、ごめんなさい……」


 つい条件反射で悪気はなかったらしく、何度も頭を下げて謝ってくる彼女。


 俺は、その健気さを見てみなかったことにする。


 後頭部にできた、大きなたんこぶは隠せないが……。


****


「それよりも洋一さん、お腹空いていませんか?」


 リビングへ来ると俺の腹が、ちょうどいいタイミングでぐうと鳴る。


「そうだな。ちょうど昼どきみたいだし、母さんの作った弁当でも食うか」

「ぶう、可憐も一緒に作ったのですよ」

「あはは、そうだったな。ごめん」


 リスの頬袋のように、ほっぺたを膨らます彼女がいとおしく思えた。


「可憐……」


 そのあまりの可愛らしさに我慢できなくなった俺は、その場で可憐をぎゅっと抱きしめた。


「洋一さん? どうかしました?」


 そのまま、柔らかい肌触りな灰色の絨毯じゅうたんの床に彼女を押し倒し、細い指を絡めて握る。


「ごめん、つい……」

「いえ、洋一さんならいいですよ。私の初めてもらって下さい……」


 それに勘づいた可憐は戸惑いながらも、カーディガンのボタンをそろりと外す。


「可憐……いいんだな」


 彼女が覚悟を決めた唾の鳴る音を聞き、俺は可憐の白く柔らかな首筋に、そっと触れる……。


「はーい、ロリポップガールなお姉さんが帰ったよ!」


 びくっ!?


 そこへ玄関から飛び出す、母さんの高らかな声。

 俺たちは素早くジャンプして離れ、急いで乱れた服を整える。


「あれ、二人して、床に座り込んでどうしたの?」

「か、母さん。今日は早いんだな?」

「ええ、ちょっと体調がすぐれなかったから、早退したのよ」


「……それよりも、二人で何をしてたのかな?」

「いや、何もしてないぞ!」

「だったら、可憐ちゃんの着ているカーディガンのボタンが、掛け違いなのはなぜかしら?」

「あはは、暑かったんで、さっきまで脱いでたんだよ。なっ、可憐?」


 俺の返事に答えずに黙りこくり、目線を反らし、なぜか不満げな顔つきになる可憐。


「えっ、もう10月よ? 暑いなら窓を開けたらいいのに?」


 すると、可憐はいきなり真面目な表情になり、俺の前に立つ。


「いえ、それは誤解です。香代かよさん。可憐は洋一さんに優しく抱かれて、愛のはぐくみをしていました」

「なふっ、可憐!?」


 この娘のぶっちゃけた答えに、俺は口をパクパクさせる。

 まさに水槽が汚れて、酸欠状態の金魚のように。


「あはは、やっぱりそうなんだ。じゃあ、お姉さんはお邪魔かな?」

「ちょっと待てい!」


 俺は睨み顔を効かせながら、『イヨー、ポンポン♪』と口ずさみながら、母さんの前へ入って出る。


「何かしら、洋一。歌舞伎役者みたいな顔をして?」

「冷静に考えたら、普通、そこは止めるのが親だろ?」

「何言ってるのよ、愛し合っているなら、やりたい時にやらないと鬱憤うっぷんが溜まる一方よ。お互いに好きなら、たまには肌も重ねないと」

「……何か肌を重ねるとか、化粧品の宣伝みたいな台詞だな」

「何、下手に誤魔化さず、直球で好きなだけエッチしろって言っていいわけ?」

「今、バリバリ言ってるやんか!」


 はっと振り向くと、可憐が少し離れた場所に居て、不思議そうな顔で俺たち親子を見ている。

 どうやら彼女には聞こえてなかったらしい。


 危なかった。


 もし、今のストレート過ぎる会話を聞かれていたら、可憐と付き合い始めたのに、向こうから変態扱いされて嫌われ、フラれる所だった。


 海外とは違い、日本人……特に受け身になる日本人女性は、それに対しては汚らわしいイメージがあったりと、あまりオープンにはせずに、ひた隠しにするタイプだからな。


 その点に関して、ほっと胸を撫で下ろす俺。


「どうかしましたか? 可憐が、何か変なことを言いましたか?」


 自分からを作っておいて、自覚はないんだな。

 この可愛い顔して、裏ではハレンチな娘ちゃんは……。


「まあ、それよりもさあ、お弁当のおかずは食べてくれたのかしら?」

「ああ、まだだけど?」

「よかったあ。母さんもご飯まだなんだ。なら、一緒に食べようか」


 こうして俺たちは、母さんを含めた三人で食卓を囲むことになったのだった。


****


「ふう、何とかたいらげたな」


 母さんの手作り弁当はおもいのほか、量が多かった。


 三人で食べても、全てを食べきれたのは俺という残飯処理係がいたからで、女の子が食べきれる量じゃない。


「うぷっ。母さん、こりゃ作りすぎだぜ……胃もたれがする」

「そうかしら、若いのにで足りるの? ほら、運動してハッスルし過ぎたにどうかなって思ってね」


 俺が胃薬を飲んでいると、母さんが意味深な問いかけをしながら、空になった重箱を洗い場へと持っていく。


 その後ろ姿を追い、俺も片付けを手伝うことにした。


「可憐も手伝います」

「いいから、お客さんはゆっくりしてなよ」


 俺は可憐を残し、奥の炊事場で母さんと二人きりになる。


「やっぱり、俺たちの行為を覗いていたな……」

「いやはや、運動会向けに手を振るまったんだけどね。まあ、この歳になったら、孫の顔も見たくなってね」

「何言ってるんだ。まだそんな歳でもないだろ」

「ふふ、洋一は優しいわね」


「──でもね、母さんは嬉しいわ」


 ふいに母さんが皿洗いの手を止め、俺の目線になって親密に語りかける。


「……私たちの夫婦仲が冷めきった関係が原因なのか、洋一はちっとも彼女を作る気配も無くて、実は男が好きなんじゃないかと疑いもしたわ」

「いや、普通に女が好きなんだが……頼むぜ」

「そうよね。恋愛に内気なふりしてロリロリなエッチな本とか、それなりに隠し持ってるし」

「……なっ、健全な男なんだから、しょうがないだろ」


 俺は慌てふためき、母さんの軽快な喋り口を止めさせる。


「まあ、とにかく彼女さんとは愛を深めるために、早くやってしまいなさいな。ただし避妊はするのよ」

「やるも何も、俺たちはまだ高校生だぞ」

「何、キスもまだなわけ? 本当にウブなボウヤね」


 ププッと、口に手を当てて、笑いを堪える母さん。


「ささ、ご託はいいから、片付けは元恋愛ハンターなお姉さんに任せて、可憐ちゃんと仲良くイチャついてなさい。また何か進展があったら、話は聞かせてね♪」


 それだけ言うと母さんは、黙々と重箱の洗いの続きを始めた……。


****


「洋一さんっー♪」


 俺がリビングへ戻ると、可憐の姿はなく、隣にある中庭から声がする。


 中庭に通じる、曇りガラスの窓を開けると、雨はすっかり上がっていて、空には虹がかかっていた。


 俺は少しばかり気になり、持っていたスマホで天気予報を検索すると、午後からは雨はなく、晴れのマークだった。


 そんなスッキリとした晴れ模様の下で、天使のような彼女の横顔は無邪気な喜びに満ちている。


「いいお天気になりましたし、今から、どこかに出掛けませんか?」

「いいねえ。だったら俺のおすすめスポットに連れて行ってやる」

「わーい、楽しみにしてます♪」


 そうだ。

 母さんの言う通り、今は好きなだけ恋愛を楽しもう。


 俺はおもむろにタンスから、母さんが買ってくれた、よそ行きの青いビニールジャンパーを羽織る。

 そして下駄箱に置いてあった、下ろし立ての白のスニーカーを履き、張りきった顔で、雨上がりの地面を踏みしめるのだった……。




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