第17話 一番になるのは俺だと信じて駆けぬける様

「さあ、皆さん。お待たせいたしました。春風片隅麗野はるかぜかたすみうれいな高等学校、記念すべき40周年の秋季体育祭を今から始めます。アナウンスは二年の日向夏紀ひゅうがなつきと……」


 校内に花火の音がポンポンと鳴り、彼女のマイクからの凛とした声が学校中に響き渡る。


 みんな、テントの各所に配置された小型なスピーカーごしから彼女の発言に耳を傾けているのだ。

 

 何とも言えない緊迫感が俺の耳を通じて、身体中に伝わってくる。


「……ほら、洋一よういち君、何してるのよ?」

「何って?」


 マイクでは拾えないほどのかぼそいヒソヒソ声で日向さんが俺に尋ねてくる。


「……だからじゃないってば。君の自己紹介をしないと演目が始められないよ」

「ああ、そうだったな……」


 俺は秋空の冷たい空気を大きく吸いながら、手元のマイクに今の想いをぶつける。


「──俺、大平洋一おおひらよういちの今までの人生はとは無縁の世界。お陰様で骨折経験もなく、平和な日常の毎日。あー、あっぱれ、あっぱれ!」


 その俺による告白に対して、わはははっという賑やかな観衆が聞こえてくる。


「ちょっと、違うよ。アピールじゃなくて自分の名前の紹介だよ?」

「うむ。失礼した。我輩は犬である♪」

「何なの、その上から目線な発言は!」


 日向さんが呆れた顔つきから半分キレかけて俺に大声で罵倒ばとうを浴びせる。


 もう、この世界にマイクなんて関係ない。

 俺たちは最後まで、精一杯声を荒げ、心済むまで戦い続けるのみだ。


「わははっ、洋一、最高だな」


 そんな俺たちの取っ組み合いの前へ、弥太郎やたろうが腹を抱えてヘラヘラと笑いながら踊り出る。

 

「やっぱ、お前、放送委員に向いてるぜ」

「いや、それはそうと弥太郎、なぜ生きてる。俺が息の根を止めたはずだが?」

「そういうノリツッコミいいっすね♪」


「──えー、そう言うわけで体育祭を始めまーす」


 弥太郎が俺のマイクを強引に取り上げて、始まりのアナウンスをする。


 それに対して戸惑う生徒、先生や保護者たち。


「ちょっとなに仕切ってるの、雷土いかづち君は放送部員じゃないよね!」

「まあまあ、日向、そう目くじら立てない。折角の眼鏡美人が台無しだよ」

「ななっ……」


 弥太郎の何気ない言葉に、日向さんが顔を赤くして口をパクパク言わせながら耳たぶまで熟れたリンゴのように染まる。


「ははっ、照れてやがる。可愛いやつだな」

「かっ、からかわないでよね。田口たぐち部長、部外者を追っ払って」


「アイサ、姉御あねご♪」


 日向さんの隣にいた身長二メートルほどの巨人で、なおかつ筋肉質で褐色な丸刈り男子、田口と呼ばれた部長が弥太郎の服の襟首をひょいと掴み、彼をテントの端へと追いやろうとする。


「わっ、何すんだ。このプロテイン野郎?」

「姉御のためならエンヤコラ♪」

「おい、筋肉ムキムキだからって調子に乗んなよ! 最近のモテる男はな、細マッチョの時代なんだぜ!」


 悪態を吐きながらの弥太郎に対し、何食わない顔の筋肉男、田口から担がれて、彼らが視界から完全に消えたのを認識して、再び、マイクに向き直る日向さん。


「皆さん。大変お騒がせいたしました。それではこれから体育祭を始めます!」

 

 彼女の声が合図となり、体育祭は今度こそ幕を開けたのだった……。

   

****


「──洋一君、お疲れ様。ところで君は次の競技にはボクと出るんだよね?」


 マイクから離れて小休憩をしていた日向さんが、慣れない作業に疲れて、パイプ椅子にグッタリと座っていた俺に、赤色の体育祭のパンフを見せながら聞いてくる。


 俺はその紙切れに集中すべく、寄り目にしながらそれを覗きこむ。


「何、洋一君? 勉強のしすぎで目でも悪くした?」

「ああ、昼夜問わず電子書籍の官能小説ばかり読んでいるからな。赤裸々せきららな内容さながら画面からの光はブルーライト様々だ」

「……君、女の子相手にそのセクハラ発言癖は止めた方がいいよ」

「何だ、お前、ボクっ子キャラなのに女だったのか?」

「勝手にキャラ設定を変更しないでよ。ボクだって……」

「ほら、そのボクと名乗るのが青汁並みにマズかったりするのさ」


「……あの、その青汁関係ないよね?」

「青汁イコール不味いだろ」

「だから、そうじゃなくて次の借り物障害物走の競技には参加するんだよね?」


「……フッ、俺はこの日のために毎日ジムに通いつめ、ベンチプレスを繰り返し、ムキムキな肉体を手に入れた。もはや、この俺は誰にもまさらない無敵なはがねの人間だ」

「はあ、洋一君はたまに不思議君な発言をする人だよね。一体何なのかな……」


 日向さんが困ったような表情で大きなため息をつく。


「では、その肉体を確かめさせてモライマス」


 そこへ、あの弥太郎を運び終えた筋肉部長が駆け込みダッシュでやって来て、俺の腹を遠慮なく指で摘まむ。


 プニプニ。


「おおっ。この弾けるようなプリンのようなお肉。霜降りのお肉のような肌触りで食べるのには美味しそうですが、ムキムキとはホドトオイデスネ」

「だから、お前は何なんだよ!」


 俺は、その部長の頭に空手チョップを何発かながら、何とかその肉の手から逃れる。


「おお、残念です。久しぶりに素敵な逸材に出会えたとオモイマシタノニ……」

「人を生ハムよばりするな」

「おお、生ハムとはオイシソウデスネ」

「いくら弱肉強食でも、人間が人間を食うなっ!」


 俺の鋭いツッコミにも動じずに、田口部長はその場にしゃがみこみ、履いている茶色の革靴を布切れで磨きだすのだった。


 ──というか体操着にその革靴は似合わないだろ。


 本当、自由人な部長だな……。


****


「さあ、それでは借り物衝撃……ぷぷっ、じゃなかった、障害物走を開始します」


 日向さんが競技に参加するためにアナウンスを代わった女子が何やら俺の方を見て笑っている。 


「あの放送部員め、何がおかしいんだよ?」

「いや、おかしいのは洋一君の頭だよ。何でチョンマゲなのさ」


 俺は日向さんの言葉で頭に付いている突起物を触る。


 こんなことが出来るのはあの筋肉野郎しかいない。


 アイツめ、油断も隙もない。 


 俺はそのチョンマゲのかつらを外そうとちからをこめるが、どんなに引っ張っても一向に取れる気配がない。


「安心して下さい。台風が襲って来ても外れません。瞬間接着剤でガッチリ固定シマシタデス」


 白く整った白い歯を輝かせながらマッチョは即座に答えた。


「お前、この期に及んでふざけてんのか?」

「二年期待の新星ヒーローは常に目立ってイナケレバナリマセヌ」

「だからって、頭を目立たせてどうする?」

「ああ、やっぱりお着物も着てオメカシシタイト?」

「いらんわ!」


****


 俺は周囲の笑いに耐えながらも何とか選手たちと同じスタートラインに並ぶ。


「洋一君、やるからには勝つよ」


 日向さんが眼鏡を外し、その可愛らしい姿に俺の鼓動が揺れる。


「何、じっと見てるのよ?」

「いや、日向さんって素顔は意外と可愛いんだなと思ってさ」

「ふふっ、ボクをおだててるの。何も出ないわよ」


 日向さんが可愛く笑いながら二人三脚の紐を結んでいる。


「さあ、行くよ。洋一君」


 彼女の顔は活気に満ちていた。

 狙うからには一番のみと精を出す彼女に、俺はどこかしら惹かれるものがあった。


『パアーン!』


 ピストルからの空砲音で俺たち二人は大地を蹴りあげて進んでいく。


「あのチョンマゲ中々やるじゃん」

「チョンマゲ頑張れ!」

「もし負けたら武士の情けとして切腹だぞ!」


 部外者からのヤジを聞き流しながら俺たちはトップで日向さんと二人三脚を終える。 


 ここからは女子から離れ、男子が一人で頑張るルートだ。


 飴食いに、パン食いに、ケーキの早食いに最後には借り物競争。

 少々ハードルが高い競技ばかりで少し不安がつのる。


「……大丈夫、洋一君ならやれるよ」


 そんな俺の心境を察したのか、日向さんが息を弾ませながら、眼鏡をかけ、俺の背中をポンと押す。


 その押され具合に俺の中の心の錠前がカチャリと外れたような気がした。

 

「うおおおおー!!」


 俺はゼンマイのリミッターが弾け飛んだみたいに、狂ったようにトラックを駆けぬける。


 日向さんの切実せつじつな想いを無駄にしないために……。


 飴をかじり、パンに食らいつき、ケーキをむさぼる。


 昼飯前で腹が空いていた俺には好都合な食べ物項目だ。


 しかし、そのイチゴのショートケーキを食べている最中、気になることがあった。


 確か、前回の体育祭では、この借り物障害物走の競技は午後に行われるはずだったことに……。


 ──なぜだろう。


 この体育祭のプログラムは練習当時から決まっていて、基本的には変更はできないはずだ。


 何者かが意図的に仕組んだのだろうか……。


「……まあ、考えても始まらないか」


 俺は口元についたクリームを指で拭い、最後の項目の借り物競技へと向かった。


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