第12話 イベントにはハプニングがつきものだ

『パーン、パッパパーン!』


 朝日がカーテンのわずかに開いた隙間すきまからから入り込み、宙を華やかに散る花火の音が寝ている頭へと容赦なく聞こえてくる。


 この花火の合図は『今日は無事に体育祭をやりますよ』の知らせである。


 俺は寝ぼけまなこを手の甲で擦りながら枕わきに置いてあるスマホにLINAの着信音が入っていることに気づく。


 着信時間は今からおよそ一時間前の6時。

 相手は俺の母さんからだった。


 何やら今日は仕事が休みだったが、突如とつじょバイトの一人が風邪で欠勤し、その穴埋めとして昼まで勤務するはめになったらしい。

 

 だから、体育祭の昼休憩には間に合わないかも知れないから、昨日から仕込みをしていたお弁当だけでも持っていかないかな? の文面だった。


「ヤバい、時間がないな」


 母さんの出勤は8時半だ。

 それと比較すると今の時間は7時過ぎ。

 

 母さんの住むマンションはここからそう遠くはないが、お弁当を取りに行くなら話は別だ。

 

 俺はスマホを鞄に放り、そそくさと学生服に着替えて家を飛び出した。


****


 白のママチャリを乗りこいで約5分。


 やがて、高級感あふれたお洒落な茶色のレンガ調な五階建てのマンションに到着した。


 ここに別居中の母さんが一人で暮らしており、綺麗で頑丈そうな建物の立派さゆえにファッションデザイナーを始めて、それなりにもうかっている感が拭えなくもない。


 俺は駐輪場に自転車を停めて、最上階の五階までエレベーターで上り、母さんの住む502号室のインターホンを鳴らすが、まるで反応がなかった。


 今度は慎重にドアノブに手をかけてみる。


 不用心にも鍵は空いていた。


「まさか、泥棒でも入ったか……」


 俺はなるべく音を立てないよう、息を飲むかのように部屋へと滑り込んだ。


 すると、その玄関には白い粉をあちこちにつけたピンクのヒラヒラなエプロン姿の母さんが仁王立におうだちで待ち構えていた。


 だが、アラサーとは思えない幼い顔つきで身長140と小柄だけに、やたらとあいらしくとも見える。


「おっ、やっと来たね。優良潔白男子ゆうりょうけっぱくだんし

「潔白は一言余計だろ。それより何で鍵をかけてないんだよ」

「いやあ、もしかしたら、洋一よういちのことだから鍵持ってくるの忘れるかなと思ってさ。それにさ……」


 母さんが俺の目の前に両手を突きだし、にひひと無邪気に笑う。


「……母さんはドーナツの生地をのばしている最中さいちゅうで、この通り、手がベタベタなのだ~♪」

「だったら洗えばいいだろ?」

「駄目よ。流したら材料がもったいないでしょ。高かったんだから」


 母さんはパタパタとボアスリッパを俺の前にさらしながら、奥の台所へと消えて行く。


 本当、親父と似たもの同士で子供じみた性格だ。


 長く暮らしていくと、お互い馬の骨が折れるのも若干分かる気がする。


 離れから流れるドーナツを揚げる音。

 俺は、その音と吸い込まれそうな香りをかぎながら、ほどよい余韻よいんに浸っていたが……。


「所で母さん、もう仕事に行く時間じゃないの?」


 俺はスマホの時計を見ながら、一心不乱いっしんふらんでお菓子を作っている母さんに問いかける。


「えっ、まだ7時少し過ぎだよ?」


 母さんが台所の壁に吊るした針時計を示しながら、ふふ~ん♪ とメディアで聞き慣れた鼻歌を歌い出す。


「いや、母さん、スマホではもう7時50分だから」

 

 俺が母さんにスマホの画面を見せると、母さんは目を丸くしながら、老眼鏡をかけ、離れのテーブルに置かれていた自分のスマホを皿のようにして見ている。


「えっ……あら、いやだ。本当だわ。あの時計、30分以上も遅れてるの!?」


 真っ青な顔になった母さんが菜箸と生地が入った金属ボールを俺にぽんっと手渡す。


「清き好青年よ。たまには親の手を借りず、自分のお弁当のお菓子くらい作れるようにならないといけないわよ。だから、後の調理は任せたわ」

「母さん、相変わらず悪い癖だな。何かあったら何でも俺に押しつけるんだな」

「いいえ、押しつけじゃなくて、これは洋一への愛情だから」

「そんなルンルン顔で言われても全然説得力がないぞ」

「ルンルン~♪」


「……わざわざ、口に出さなくてもいいだろ。はあ、しょうがないな。後はやっておくから」

「本当? ありがとう。愛してるわ。

それじゃあね、洋一。今日の体育祭、頑張るのよ」

「ああ、分かってる」


 俺の穏やかな返答に母さんが脇を締めて両腕を垂直に構える。


「男の子は何があってもガッツで乗り切ること!」


 そのまま、息を吐き、気合いを入れながら、緩やかでヘロヘロとした頼りない正拳突きを、ていや! と可愛らしく言いながら、二~三回やってのける。


「母さん、ふざけるのもいい加減にしないと、マジで遅刻するぜ?」

「わああ、しまったわぁぁー!?」


 母さんは俺の言葉に動転しながら、荷物を纏めて、ドタバタと出勤するのだった……。


****


 それはいいけど、母さん。

 このドーナツって、あとは揚げるだけでいいのか? 

 

 自慢じゃないが俺はお菓子は作ったことはなく途方にくれていた。


 一緒に住んでいる親父は甘いものが苦手だからな……。


『ピーンポーン♪』


 そんなドーナツ作りに無我夢中だったとき、玄関のインターホンが鳴る。


「何だよ、母さん。今度は忘れ物か? はいはい」


 俺はコンロの火を止め、何の躊躇とまどいもなく、玄関のドアを開けると……。


「えっ?」

「おはようございます♪」


 そこには、あのポニーテールで紺の制服姿の可憐かれんが立っていたのだ……。


『バタン!』


『ああっ、洋一さん。どうしてドアを閉めるのですか!?』


 反射的に閉めたドアごしに聞こえる彼女の声。

 

 どうしたもこうしたもじゃない。


 何で昨日出会ったばかりの可憐が家に来るんだよ?


「どうやって、俺のいる場所を知った?」


 俺はひんやりとしたドアにもたれ掛かったまま、彼女に気になる質問をする。


「えっ、偶然、ここの駐車場を通りかかったら、洋一さんのお母さんから教えてもらったのですよ」

「本当にそれだけなのか?」

「はい。『あら、あなた、可愛らしいね。名前は?』と聞かれて……、

そしたら、洋一さんのお母さんが『家にも今、同世代の男の子が来てるのよ。仲良くしてね』の話になりまして……」


 相変わらず陽キャラだな、母さん。

 でもさ、初対面の相手に何でもかんでも簡単に教えるなよ……。  


「……洋一さん。とりあえず、早く行かないと遅刻しますよ?」


 しょうがないな。


 まあ、何だかんだでも、これは天を泳ぐ天使たちが与えてくれた絶好の機会かも知れない。


 俺は意を決して、ドアを開き、可憐と一緒に登校することにしたのだった……。


 


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