第4章 走り出した青春、悔いのない生きざまと約束

第11話 答えて下さい。まだ、あの約束は有限ですか

『パアーン!』


 雷撃が地表に落ちた激しさのようなピストルの空砲音が自身の鼓膜を刺激し、俺は驚きのあまり、つむっていた重たいまぶたを半開きにする。


 周りには体操服やジャージを着た生徒たちがわんさかいて、何やらワーワー叫んでいた。


 いや、正式には叫び声ではない。

 誰かを応援している声のようだ。

 

 俺は黙って再び目を閉じて、その言葉たちを拾うようにそっと耳をすます。


陽氏ようしさん、頑張ってー!」


 その聞き慣れた名前に俺の意識が一気に覚醒した。


「何、あの人速すぎだよ~?」

「こりゃ、二年負けたわ。アンカーにあんな子を出すなんて反則だよね」


 俺が正式には目を覚ますと、今は白い大きなテントの中に均等にずらりと並んであるパイプ椅子に腰かけていた。


 その隣でいつかの記憶がてら、見たことがある女子生徒二人が何やら話をしている。


 俺は足元にあるパイプ椅子から前方へと視野を広げた。


 バックヤードに目立つ茶髪の髪。

 その髪が緩やかに左右に揺れる馬の尻尾のようなアクセを保ちながら、物凄いスピードで走っているヤツがいる。


 そのヤツの胸はメロンの玉のようにブルブルと震え、別の意味でも男の視線を釘付けにしていて、『ああ、その胸に飛び込んで溺れてみたい』とか暴言を吐いている男子生徒もいた。


「女……いや可憐かれんか。何でこんな場所で走っているんだ……」

「そうそう、彼女は先月転入したばかりの陽氏可憐ようし かれんさん。洋一よういち君は彼女のこと知ってるんだね?」


 分厚い眼鏡をかけた黒髪ツインテールの日向夏紀ひゅうがなつきが隣にある『臨時放送席』と書かれた席から、俺の元へつかつかとやって来る。


「まあな。所で日向さん、今日は10月で体育祭なのか?」

「えっ? 今日は明日の体育の日に向けての本番に備えての小体育祭だよ。リレーを重点的にして昼過ぎには終わりだよ。

──んんっ、いきなりしゃがみこんでどうしたの?」

「ううっ。俺、無事に帰って来れたんだな……」

「……うわっ。何、泣いてんの。よく分からないけどマジでキモいわ。いいから

泣き止んでよ……」


 俺が地べたに座り、嬉しさのあまり泣いている姿に対して、日向さんはツインテールの髪を指先でクルクルと巻きながら冷静に対処たいしょする。


「……まるでボクが洋一君からの告白をフッて泣かしてるみたいじゃん。ほらっ」


 そんな俺に日向さんが白いハンカチをこちらに手渡そうとする。


「いや、いらないよ。余計な誤解を招いたら大損だからさ」


 俺はやんわりと断り、手で涙を拭って立ち上がる。


 前回はこの日向さんと親しげにし過ぎて可憐をあんな風に追い詰めた。


 出来るだけ彼女の感情の邪魔をするは極力、摘み取っていかなければならない……。


****


「──お疲れ様、可憐。今までになく、ぶっちぎりで速かったよ♪」


 そうこうしている間に、俺の視線の先で校庭を走り終わった可憐が茶髪の束ねた髪を振りほどいて汗を拭き、再度ポニーテールにし、ピンクのゴムでとめて、見覚えのある他の女子と仲良く会話をしている。


 あの遠くからでも目立つ、金髪ショートの女子は間違いない、可憐の取りまきの一人の実里みのりだ。


「やだな。実里だって明日は走るんだよ。アンカーの可憐にうまく繋いでよね」

「ううっ、そう言われると緊張してきた。お腹痛い……」

「大丈夫? 薬飲む?」

「いや、いいよ。それよりさあ……」

「んっ、なに?」

「気づかない? さっきからわたしらをずっと見ている男がいるんだよね……」


 実里と俺が目が合い、ばつが悪くなった俺は、ひょいっと視線をそらす。

 

 ヤバい、ついガン見してしまった……。


「ちょっと、あなた。わたしたちをじっと見つめるなんて何様のつもり。新手のストーカー?」


 その動作に勘づいた実里が俺に近づき、鋭い剣幕で俺に罵詈怒声ばりどせいを放ちまくる。


「まっ、待って。洋一さんは悪くないよ……」

「なっ、可憐、この男を知ってるの?」

「知ってるも何も、可憐が探していた昔の幼馴染みだから」

「はあ、あの若い男子が苦手なアンタが?」


 これには強気だった実里もタジタジだ。


「……だから洋一さん。こうやってまた会えて嬉しいです。だから初めましてじゃないのですよ」


 可憐が実里と俺の間に割って入り、にこやかな笑顔で俺を出迎える。

 

 それはまさに運命で繋がれた赤い糸のように見えて、穏やかな聖母のような微笑みだった。


 そのあいだに、俺たちから知らぬに実里の姿は消えていた。

  

 俺たちに気を使ってくれたのだろうか……。


「……と言われても昔のことですから、洋一さんは覚えてないかも知れませんが……」

「ああ、俺には小さい頃の記憶はほとんどない。だけど……お前の両親が離婚して引っ越しが嫌だとなげいているお前をなぐさめた記憶ならある……」

「洋一さん、覚えているのですね……」


 すまん、可憐。

 俺は嘘をついてしまった。


 本当は幼少の時の記憶などない。


 これは2度の人生を踏み越えて刻み込まれた記憶の1部だ。


 そう、世の中は馬鹿正直に正論を述べても通用しない時もある。


 人生にしろ、何にしろ世渡り上手でいかないとやっていけない場合もあるからだ。

 

 嘘も方便の言葉のように……。


「それじゃあ洋一さん、明日の体育祭は頑張りましょうね」

「ああ、に乗ったつもりで任せてくれ」

「何ですか、その表現は? 正しくはですよね? 明日はマグロ釣り漁じゃないのですよ……」

「いちいち本気にするな。冗談だ♪」

「そうですよね。本当、昔からこんな悪ふざけが好きだったですよね」


 すると、ふらりとこちらに足元をおぼつかせた可憐が俺の耳元に迫って、そっと囁く。


「──なら、あの時の約束はまだ有限ですか……?」


 それを聞いた瞬間、俺の脳内が氷漬けのようになる。


 あの時ってなんだ?


 可憐は俺を混乱させるばかりで何を言っているかサッパリだった。


 恋愛ベタな俺をうまく利用して遊んでいるのか?


「うふふっ。じゃあ、また明日です~♪」


 イタズラな笑みをひそませながら可憐は、臨時放送席の横隣にある一年生が座るテントへ戻っていった。


****


『ベチン!』


 そんな俺があれこれと考えている間に強く背中をバーンと叩かれる。


「痛いな、少しは手加減しろよな。弥太郎やたろう

「何で私って分かった?」

「あのなあ、こんな馴れ馴れしいことする男子はお前しかいないぜ」

「本当、少し目つきが悪いだけでこれだ。ボッチはつらいよな」

「……ボッチで悪かったな」


 俺は能天気な表情をしている弥太郎に怒りの矛先ほこさきの目を向ける。


「まあ、そう怒るなよ。それよりも可憐ちゃんとはうまくいきそうか?」

「さあな。俺の人生のやり直しはこれからだからな」

「……何、ジジクサイこと言ってるんだ?

まあ、それはともかくうまくやれよな」

「ああ、言われなくても分かってる」

「どうだか。洋一は、いつもそう言うからな」

「うるせえ、俺の恋愛の価値観くらいは自分で決める!」


「出たぜ、男のおでましだ」

「俺は以下の化け物だと?」


 日頃から穏和な考えの俺も弥太郎のいい加減な一言に腹が立ち、ボカボカと弥太郎の頭を何回も拳骨げんこつする。


「いんや、あいたた。悪い、あいたた、すまん、間違えました……」

「……分かればよろしい」

「ははっ、お奉行ぶぎょう様~」


 さて、そんなとんちんかんな野郎は放っておいて、明日は待ちに待った体育祭だ。


 何はどうあれ、俺は今度こそうまくやって見せる。


 そう決意して俺は拳を強く握りしめた……。

 

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