第33話 トヤマ 決戦、開始

 クロベ川の流れるクロベ峡谷。その峡谷に橋を架けるように築かれたダシダイラダム。そのダシダイラダムに改良から改良を重ねた《新生ダシダイラダム》は、かくも見事な威容を中天の空の下に現し、不動と佇んでいた。

 真夏の太陽の光に白く輝くコンクリートの堰堤は、その高さは百メートルにも及ばず、外観も前回の物と大きな違いはない。だがその基礎設計は大幅に見直し、要所が補強され、ダムの曲面と傾斜はより効率的に水を受け止めるように工夫が凝らされている。そこにマギテスによる自己修復能力を加えたこのダムの耐久力は、前回の物と比べるまでもない。

「アーサー、最終点検は完了した。問題ないぞ、いつでもいける」

「よし、やれることは全てやった。あとは賽を投げるだけだ」

 ダムの頂点。俺はその堰堤を見下ろすために築かれた屋上で、集めたダムの作業員たちの顔を見回し、決断した。

「始めるぞ!!」

『『『おお!!』』』

 作業員たちは戦場に赴く鬨の声にも似た声を張り上げた。三千人を超えるまでに増えた作業員たちは、作業靴の音を地鳴りのように響かせ、各々の持ち場へと散っていった。

「いいか、現場は作業員の安全が第一だ! 怪我をしたら負けだと思え!」

 ボールスは作業員たちを叱咤激励し、作業内容に間違いがないように復唱させて回る。元々何度もダム建設に関わった彼らだ。危うげのない熟練の手腕で設備を操り、稼動させていく。

「ではアーサー、私たちも準備に入る」

 マーリンはランスロットを連れて、ダムの屋上の中心へと向かった。屋上の中心にはマギテスの紋章を形取った魔法陣がいくつも描かれ、その上には五十人ほどのマギテス使いたちが待機している。マーリンの弟子、及びランスロットの実家から呼び集めたマギテス使いたちの腕は確かで、彼らは精悍な表情でマギテスの陣を敷き、その時に備え、魔力を練り上げている。

「いよいよ始まるわね、アーサー!」

「ああ! これが俺たちの最終決戦だ!」

 傍らで備えていたガウェインに力強く応えた。準備が全て整ったことを確認すると、俺は腕を振って合図を送った。

『『『せぇぇのッッ!!』』』

 作業員たちが、鍛えられた太腕に目一杯の力を込めて大きなハンマーを振るう。排水ゲートを開き止めていた杭を横から砕き取り、排水ゲートの門を閉じる。

 重々しい音を響かせながら、門がクロベ川の水流を徐々に断ち、そして見事に塞き止める。

「第一段階は成功です!」

「よし、では次だ! 直に奴が来るはずだ! 総員、衝撃備え!」

 俺の号令を作業員たちが復唱する。伝播する命令に従い、彼らは被っていた安全帽の位置を正し、衝撃で転倒しないように安全柵などを掴み、体を固定化する。

 クロベ峡谷を流れるクロベ川の水かさが急激に増していく、先ほどまでは晴れていたのに、空にはドス黒い雨雲が現れた。しばらくして、山間に打ち鳴らされた鐘の音が響いた。より上流の方で待機していたケイとリザードマンたちが、奴の姿を確認したのだ。

「来るぞ……!」

 一同の間に、緊張感が電流を持って駆け抜け、空気が張り詰められていく。

 そして待つこと数分。洪水の如く荒れる激流が、その力の一旦を飛沫として爆発させた時、

「竜だ!」

 クロベ川の水面より、一頭の竜が飛び出した。

 それは、黒き鱗をまとった、蛇の如くしなる体躯を持った水竜だ。

 頭部から尻尾の先へと伸びた全長は、優に百メートルを超えている。その魚鱗のように滑らかに黒光る竜鱗は、しかし伝え聞く限り、鉄よりも硬いらしい。竜の額からは暗き光を放つ水晶の角が生えている。そして、人どころか牛一頭を丸呑みできるほど大きく尖った顎には、鋭く伸びた大牙がいくつも並んでいた。

 その醜悪な刃の並びを見せ付けるように、あるいは鋭利に尖るその水晶の角を天に捧げるように、黒竜が大きく首をもたげた。黒竜は濁った四眼の青瞳をギョロリと動かし、俺たちを睥睨した。黒竜は、全身を沿うように生えているヒレを威嚇と広げ、大気を震わすほどの咆哮を以って、己が支配するクロベ川の激流へと命じた。

 主の命に従い、激流は意思を持って集うと、大過の津波となってダムを襲った。

「堪えろ!!」

 炸裂する波濤が人々の視界を奪い、尋常ではない衝撃に大地が震えた。ダムを叩いた反動で津波の本流から水塊が千切れ飛んだ。巨大な水塊は不定に形をうねらせながら乱雑に宙を飛ぶと、幾分もせずに川に落ち、破裂音を轟かせながら水飛沫を立てた。

 黒竜が呼び寄せた暴虐の如き津波の一撃は途方もないものだった。だが、その程度ならば前回の段階で防いでいる。さらなる強化が施されたダムには蚊ほども効きはしないだろう。その証拠とダムの表面にはひとつの破綻も起きることはなく、ダムは健在のまま、津波の力をうまくやり過ごしていった。

 あれほどの威力を以って、全くの無傷。相対する黒竜は目を見張るかのように、瞼のない瞳を一度二度と収縮させ、難攻不落のダムを睨み据えた。

「防いだ! あの津波を防いだぞ!」

「いや、ここまでは想定済みだ! 問題は次だぜ!」

 丘で事の成り行きを見守っていた住民たちが息を呑み、上流より現れた更なる大津波に恐れの目を向けた。

 新たな大津波は黒竜の牙となり、ダムを襲う。圧倒的質量の暴力となって荒れ狂い、ダムをしたたかに打ちつけ、打ちのめそうと跋扈する。

 十分に離れているはずの丘にまで余波が及ぶほど、水飛沫が派手に空を舞った。衝撃で立つことも難しいほどダムが大きく振動する最中、それでもマギテス使いたちは執念でマギテスの防御壁を発動させ、屋上にいる者たちを守ろうと奮闘する。

 一撃目に加え、二撃目の威力。そして水というものは決して軽いものではない。その力が合わされば天に届く塔すら崩しかねないほどの力となる。如何に堅固に築かれたダムといえど、その力の前にはなす術なく打ち砕かれることであろう。

 だが、新生ダシダイラダムはただのダムではない。ダムに刻まれたマギテスの紋章が破断の前兆を検知し、緊急起動する。膨大に蓄えられた魔力を用いてコンクリートの組織の結び目を補強し、亀裂を修復し、さらなる強固な存在へと変容させていく。

 天災の如き大津波と人類の英知の激突。互いにせめぎ合い、延々と続くと思われた攻防は、唐突にダムを覆っていた大津波が力を失い、クロベ川へと還ることによって終わりを迎えた。

「ど、どうなったんだ……?」

 丘の上で固唾を呑んでいた住民たちが、恐る恐る声を出した。

 彼らの言葉に答えるように、ダムの屋上に浸水するほどもあった水位が徐々に下がり、ダムの姿をおぼろげとしていた水霧が晴れていく。

 そして、峡谷にそびえ立つ、ひとつのダムの姿が見えた時――。

「――ッッ!? 耐えてるぞ! ダムが壊れてねえ! オレたちの勝ちだ!」

『『『おおおおおおおおお!!』』』

 信じられないものを見たと、住民たちはいろめきたち、抱き合った。

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