第32話 トヤマ 女王陛下と、灰色の魔女
「おい、俺の《白エビのかき揚げ》を取るんじゃねえよ!? 自分のを食え、自分のを!」
「へへーん! チンタラと食べてるあんたが悪いのよ!」
「ふふ、おかわりはまだ沢山ありますので、ケンカをしないで大丈夫ですよ?」
「お、この《ホタルイカの沖漬け》、超うめえじゃねえか! 身がプリっとしてやがるから、まだ一日漬けだな! こっちの《牡蠣のガンガン焼き》もプックリとした歯ごたえがやべえぞ!?」
「当然、獲れたての状態に保存のマギテスをかけたものだからね。それにこのヒロシマ産レモンの絞り汁が、牡蠣のうまみを引き立てているのさ」
「ほう、シガの鴨のすき焼き――《鴨すき》まであるのか。――懐かしい、たまには故郷に帰ってみたくなる味だ……」
十畳ほどの畳部屋に置かれた大きなちゃぶ台を、男女が所狭しと囲んでいる。
誰も彼もがちゃぶ台の上に置かれた色とりどりの郷土料理に箸をつけ、舌鼓を打っている。
「騒がしい食卓ではあるが、不思議と悪い気はしない……。このちゃぶ台のおかげだろうか?これが団欒とした家庭の雰囲気を味わう、ちょうど良いアクセントになっているのだな」
マーリンはそんな情景を灰の瞳に優しく写し込み、和気藹々と流れる空気をひとしきり楽しむ。プリの塩焼きの身を取っていた箸の動きを止め、隣に座っている人物へと目を向けた。
「どうしたユーサー。箸が進んでいないようだが、気分が優れないのか?」
己が仕える主――長く艶やかな黒髪を力なく垂らしているユーサーに声をかけた。
「……いえ、そうではないのですが」
ユーサーはちゃぶ台の下の畳に視線を落としたまま、気弱に答えた。
彼女はつい先週にこの町へとやってきた。オカヤマにて議会の説得をようやく終え、「アーサーを議会の者たちに認めさせる準備ができた」と喜び勇んでやってきた彼女は、しかしこの町で奮闘する息子の姿を見るなり、その口を貝のようにつぐんだ。
ユーサーは滞在の間、町の移り変わり様と息子の仕事ぶりを目にした。住民たちから息子の活躍を耳にするたび、親として喜ぶ半分、悲しみを湛えた複雑な表情をしたものだった。
「マーリン……私は間違っていたのでしょうか?」
ユーサーは切れ長の目を細め、切実と憂いを秘めた表情で、己の配下であり無二の親友でもあるマーリンへと問いかけた。
「私はあなたと出会い、五十年もの月日をかけて、息子を王にするための下地を築いてきました。そうしてできた国がオカヤマです。言わばあの国は、アーサーのためだけに作った国なのです。――ですが、それなのにあの子は用意した王座を拒み、オカヤマとは何の関わりもないこの国の王になろうとしています……」
だらりと膝の上に下ろした手の上――ご飯茶碗に盛られたトヤマ産こしひかりに視線を這わせながら、ユーサーは独り言のように呟く。
「私は、お節介だったのでしょうか……それとも、単なる押し付けだったのでしょうか……」
ユーサーは頭を垂れたまま、そこで押し黙った。
「ふむ。私たちがしてきたことが『無駄なことだった』と、君は心配をしているわけだな」
マーリンは一度、視線をユーサーからちゃぶ台の上へとずらし、思案した。
「君の言うとおり、お節介だったかもしれない。確かに私たちがしてきたことは、アーサーの望んだものではなかった。アーサー王伝説をなぞらえたところで、結局はアーサー自身がアーサー王そのものではないのだからな。彼には彼の歩むべき道があり、そして成すべきことがある。先達たる我々は彼を導きこそすれ、彼の歩む道に、行き先の定まったレールを敷くべきではないのだろう」
「見ろ、ユーサー」と、マーリンはちゃぶ台の先を目で示す。
「みんな、楽しそうに笑っている。この光景こそがアーサー自らが出した答えであり、これからも彼が望むものだ」
ユーサーの瞳を、マーリンは言葉でその光景に引き寄せる。
「《円卓》――かつてアーサー王は身分による争いを嫌い、誰であろうと分け隔てなく接するという意味で円卓を作った。形は少々不恰好ではあるが、この《ちゃぶ台》こそがアーサーの望む《円卓》なのだろう。――そしてその《円卓》の精神は、君もオカヤマに築いている」
マーリンは茶碗と箸を置くと、ユーサーの方へと向き直った。
「五十年前、私は君の願いを聞いた時、『なんたる親馬鹿なのだろう』と内心笑ったものだ。だがその後の君の働きと、君が築き上げたものを見るたびに、『この人が王で良かった』と思えるようになった。領民と肩を並べて歩き、共に悩み、共に笑う君を見て、私は君に仕えることを誇りに思えるようになったのだ」
マーリンはユーサーの手を取った。
「ユーサー、君の行いは無駄ではなかった。その切っ掛けは不純ではあった。だが、君の作った国では誰しもが分け隔てなく接し、互いを支え、笑い合っている。目的を達成できなかったことは残念ではあったが、その過程が生んだものは素晴らしいものだった。君は、王としての責務を誰よりも全うしたのだ」
「君のしてきた行いは無駄ではない。それは、私が保証しよう」と、マーリンは微笑んだ。
それは慰めでも、憐憫が生んだ言葉でもない。マーリン自身の、ユーサーとともに歩んできた彼女の人生が織り成す、真実の言葉だった。
「マーリン……!」
ユーサーは感極まり、宝石のように輝く涙を一筋流した。マーリンの手を強く握り返し、その暖かな感触に感謝した。
「ユーサー。私たちが良き国を築いたように、アーサーもまた、良き国を築こうとしている。人生の先達として、彼の歩む道を定めるのではなく、照らす存在となろう」
「はい……!」
ユーサーは指で涙をすくい取り、晴れやかな表情で笑った。二人は歩んできた五十年を懐かしむように、互いの瞳を見つめあった。
「えっと……ユーサー様、泣いているのか?」
二人の様子にペディヴィエールが気付き、皆が注目する。
「いや、たいしたことではない。レモンの汁が目に染みただけだろう」
マーリンの言い分に、「あーなるほど。ヒロシマのレモンは活きがいいからな」と、その場の者たちは納得した。
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