第29話 トヤマ これ、ニセモノなんですよ

「あの竜を……」

「なんでそんなことをするんだ……? ダムを完成させれば済む話だろ……?」

 住民たちが苦い反応をみせた。

「よくよく考えてほしい。この問題はダムを建設すれば終わりというわけじゃないんだ。なぜなら、あの竜の妨害を一度防ぎきったからといって、奴が潔く諦めるとは限らないからだ。場合によっては、奴はしつこく何度も妨害しにくるかもしれない。そうなれば、いくら強靭なダムを築いたとしても、いつかは消耗して破られてしまう。例え、うまく防ぎ続けられたとしても、修繕などにかかる維持費は莫大なものになるだろう」

 俺は淡々と事実を突きつけた。

 これは俺とガウェインが考えた案だ。ダムを建設することも重要だが、その元凶そのものを取り除かなければ根本的な解決にはならない。住民たちはいつの間にかダムの建設だけに目を奪われていたが、これこそが本来やらなければいけないことだった。

「た、確かに……オレたちも最初は、ダムだけを作ってもしょうがないから、あの竜をどうにかするって話をしてたよな……」

「でもそれが無理だったから、オレたちはもっと強いダムを作ることに決めたんだ……」

「オレたちは、いつの間にかそんなことも忘れていたのか……」

 忘れていた事実を思い出し、住民たちは残らず暗い顔になった。

「待ってくれ。あんたはあの竜を倒すといったよな? あの竜は遥か山奥に住んでいる。そこは人間には入り込めないほどの秘境だ。どうやって討伐しに行くんだ?」

「簡単だ。俺たちがわざわざ山奥に入りに行く必要はない。どうせダムを稼動させた時に奴の方からやってくるんだ。俺たちは十分な罠を用意してから、奴を迎え撃てばいい」

 そもそも、そのまま討伐に行けるのなら、それほど大きなダムを築く必要性もない。前回作ったダム程度でもお釣りが出るだろう。だが山奥の秘境を歩き、過酷な環境で疲弊し、罠も張れない状況下で竜と戦うのは無謀でしかない。それよりも、一度でも竜の猛攻を耐えられるダムを築き、こちらのホームグラウンドに竜をおびき寄せて叩く方が確実だ。

「戦力はこちらで用意する。あなたたちに剣を持って戦えとは言わない。だが、罠を作ることには協力してほしい。こちらが望むことはそれだけだ。ほかにも少々やることはあるが――」

 俺が指示棒を握り、次のページをランスロットに用意してもらおうとした時だ。――住民たち全員が、閉口した状態でうつむいていることに気付いた。

「……無理だ」

 住民の一人がぽつりと呟いた。それが火蓋となった。

「あんただってあの竜の力は見ただろう!? あんなでっけえ体をしてるのに川を自由自在に行き来できて、そのくせ、あれだけ大量の水を操ることができるんだ! あんな天災そのものみてえな奴に人間が勝てるわけがねえ!」

「落ち着いてくれ、それはこちらも十分に理解している。そうならないための罠なんだ」

「いや、ちょっとやそっとの罠じゃなんの効果もねえ! オレたちにはもう失敗なんて許されねえんだ!」

「そうだそうだ! もし失敗した時はどうする気だ!? その責任も取れるのか!?」

「大体、人間が竜に勝てるはずがないんだ!」

 一人の叫びに、残りの住民が感情のままに続いた。俺は彼らを必死に宥めようとするが、それも焼け石に水だ。徐々に場の空気は悪くなり、そして町の代表である老人がまとめた。

「残念じゃが、この話はなかったことにしよう。土台、この地の水害を治めることは無理なことじゃったんじゃ。あんたの好意だけを受け取って、わしらはこの地を発つことにしよう」

 場に静寂が戻った。「やはりこうなったのか」と住民たちは力なくうなだれた。目の前に現れた未来への希望が、実は淡い幻想であったと気付き、心から落胆したのだ。

「待ってくれ、話には続きがあるんだ!」と、俺は説得を続けようとした。だが代表の老人は首を振り、聞く耳を持たない。

 ――認識が甘かった。彼らは幾度となく黒竜の強大な力を目の当たりにして、奴を倒すことのできない絶対の存在だと思い込んでいる。生半可な方法ではその思い込みを解くことはできないだろう。

 そしてそれは、俺たちが今用意してあるものだけでは不可能なことだった。

「……」

 顔を下げて黙り込んだ俺の様子に、代表の老人はため息をついた。そして会議の解散を皆に告げようとして、――その白眉をピクリと跳ねさせた。

「……熱々のこしひかりに、トヤマ湾で獲れたブリの刺身。いや、ここは塩焼きもいいな。白エビのかき揚げだの、茹でたホタルイカだの……そいつを無我夢中で口の中にかき込むんだ」

 ぼそぼそと呟く俺の言葉が、静寂のホールに響く。

「そんで落ち着いたころに、湯気を立てた熱いタラ汁を一口すする。『ぶはあっ』と、お行儀悪く熱い息をつく。……そいつは至福の一時だ」

 誰かがゴクリと唾を飲み込んだ。過去に見たその光景を思い起こし、情けなく涎を垂らしている者もいる。

「…………そんな贅沢を最後にしたのは、いつの話だ?」

 俺は目で問いかける。誰も彼もがうろたえ、それに明確に答えられない。

「答えろ! いつの話だ!?」

「そ、それは……」

 突然怒鳴られ、住民たちは額に汗を浮かばせながら右往左往する。

「はい、そこの君!」

「ひゃい!? なんでしょうか!?」

 俺が突然の指名をすると、指された住民の男は跳ねるように驚いた。

「子供の時、お母さんにとろろこんぶを使ったおにぎりを作ってもらったことは!?」

「あ、ありまぁす!」

「その隣に、焼いたスルメイカが置いてあったよな!?」

「も、勿論ですぅ!」

「そしてそれを、他所からきた奴に変なものを見る目で見られたことは!?」

「それもありまぁす! 『ほっとけ! ここじゃ普通なんだよ!』って言い返してやりましたぁ! だってあいつら、おにぎりとスルメイカの相性を何もわかってないんですよ!」

 目の縁に涙を浮かべながら、男は喚いた。他の住人たちも「うんうん」と同意する。

「お前たちにも聞くぞ! 旅先で、『トヤマって何処にあるの?』って平然と言われたことはないか!? 故郷のクロベの名前を出した時、『ああ、あのダムがあるところでしょ?』って素で言われたことは!?」

『『『あります! めっちゃあります!』』』

「知らねえのかてめえら! てめえらの食ってる米の種もみは何処の国が作ってると思ってやがる! 種もみ生産量60%の国を舐めるんじゃねえ! クロベ川の上流にあるからクロベダム、クロベ川の下流にあるからクロベの町なんだよ! 一緒にあるわけじゃねえんだ! 奴らはそれを何もわかっちゃいねえ!」

『『『そうだそうだ! 一緒にするな! 種もみの供給をストップするぞ!』』』

 住民たちは日頃の鬱憤を晴らすように、両腕を振り上げて叫んだ。それは干草の山に火を投げ込んだようであり、皆の心は瞬く間に燃え上がり、場の空気が急激に熱を帯びていく。

 俺は壇上の台に手を乱暴に叩きつけた。

「当然だ! 故郷へ熱い想いを抱くのは当然のことだ! それは誰にだってあることだ!」

 俺はわざとらしく誰かを探すように見回した。

「マーリン! 故郷のオカヤマは好きか!?」

「愚問だ! 私はオカヤマのためなら死ねると言っても過言ではない! いや、オカヤマこそが私の命であり、魂の還るべき場所なのだ!」

「ボールスのおやっさん! あんたも生まれ故郷は好きだよな!?」

「当たり前だ! オレはシガのことも忘れちゃいない! もしオレが死んだら、灰はトヤマ湾とビワ湖の両方に沈めてくれ!」

「ガウェイン! お前もそうだよな!?」

「え? 私は別に故郷のことなんかなんとも思――」

「泉さん!? やっぱり故郷って最高ですよね!?」

「勿論ですわアーサー君!? 故郷が嫌いな人がいるなんて信じられません!?」

 全員、俺の意見に大賛同してくれた!

「そうだよ!! 故郷ってのはな、そんなに簡単に捨てられるもんじゃねえんだよ!! 時には命を投げ出しても守るもの、それが故郷なんだ!!」

 俺の活入れに、住民たちの心に電流が奔った。

「そうだ……何を弱気になってたんだよオレたち……! オレたちが見捨てたら、一体誰がこの地を守るっていうんだよ!?」

「クソッ! すまねえご先祖様! オレたちはとんでもねえ大馬鹿野朗だったぜ!」

「よし、やろう! オレたちの手で故郷を守るんだ!」

 一度燃え広がった炎は易々とは潰えない。彼らの意思は燎原の炎の如く拡散し、故郷のために命を投げ打つ不退転の覚悟となった。俺は壇上の台に飛び乗り、彼らを扇動した。

「さあみんな、トヤマ湾で獲れる海産物を言ってみろ!!」

『『『ブリ・白エビ・ホタルイカ!! 甘エビ・ベニズワイ・スルメイカ!!』』』

「みんなに聞くぞ!? 昆布の消費量全国一位は何処の国だ!?」

『『『トヤマです!!』』』

「米騒動が最初に起きた国は何処の国だ!?」

『『『トヤマです!!』』』

「じゃあ、持ち家率一位の国は何処の国だ!?」

『『『それもトヤマです!!』』』

「本来、一世帯辺りの貯蓄率一位は何処の国なんだ!? お前らはそいつを知っててご先祖様に申し訳なく思わないのか!?」

『『『はい、勿論トヤマです!! ごめんなさい、ご先祖様!!』』』

 凄まじい盛り上がりだ。彼らの気分に同調を果たした俺は刀を抜き放ち、天へと掲げた。

「我が剣、《エクスカリバー・正宗》の名を以って約束しよう! 必ずやこの地に平穏をもたらし、皆が豊かに暮らせる国を作ると!」

 俺の気合を込めた口上に共鳴し、エクスカリバー(のレプリカ)の刀身から眩い光が放たれた。神々しさを演出するために、事前にマーリンにマギテスを仕掛けてもらっていたのだ。

「エ、エクスカリバー・正宗!? オカヤマの至宝がなぜここに!?」

「聞いたことがあるぞ!? 一人の少年が誰にも引き抜けないといわれたエクスカリバーを引き抜き、神託に従って放浪の旅に出たという噂を!?」

「嘘だろ!? まさかその少年が彼だっていうのか!?」

「ああ、オレは一度エクスカリバーを見たことがある! 間違いない、あれは本物だ!」

 すいません。これ、ニセモノなんですよ。

 エクスカリバー(贋作)の威光が彼らの決意を後押しし、住民たちは決起した。酒場にあるだけのテーブルを出し、足りなければ近場の家から持ち出し、酒場のホールどころか外にまで酒宴席を設けると、前祝いに、酒場にある酒全てを飲み干す勢いで彼らは酒を飲み始めた。

「アーサー、見事な演説だった」

 安堵の様子のマーリンが、俺の傍へとやってきた。

「ああ。冷や冷やする場面もあったけど、なんとか話は付けられたよ」

 俺は背中に浮かんでいる汗の感触を確かめながら、高揚を覚ますように一息ついた。

「やったわねアーサー! あんたならやるって信じてたわよ!」

 ガウェインが意気揚々となって駆け寄ってきた。俺は彼女に冷たい視線で応じた。

「……ガウェイン、お前あとで体育館裏に来いよ。久々にキレちまったよ」

「いや、その前に屋上だ」

「なんでよ!? 上がったり下がったり大変じゃない!?」

『ガーン!?』とガウェインは大げさなリアクションをみせた。

「どうやらあの坊主が、うまいことウチの奴らに火を付けてくれたようだな」

 そんな様子を遠くからほのぼのと見守っていたボールスが、ランスロットに声をかけた。

「ええ。本人は否定するでしょうが、アーサー君には皆を奮い立たせる才能があります。王になるという話も、あながち夢物語ではないのかもしれません」

 ランスロットがやんわりと微笑むと、ボールスは「ふむ」と角刈りの頭を撫でた。

「だが、まだまだ課題は山積みの状態だ。坊主が王になれるかどうかは、この後どれだけうまくやれるかで決まってくるだろう。最低でも、あの竜くらいは討伐しなきゃならん」

 ボールスの言葉に、ランスロットは「はい」と答えた。そして彼女は住民との覚えを良くするべく、宴の席に混じろうと歩き出し、――そこでふと足を止めた。

「うふふ、ボールスおじ様がアーサー君の意見に賛同してくれて助かりました。もしおじ様まで反対していたら、私はおじ様をどうしようかと思っていました」

 張り付いた笑顔で物騒なことを呟くと、ランスロットは去っていった。

「おやっさん……あの子、顔に似合わず怖いっすね……」

「ああ、ウチの嫁さんそっくりだ……家系なんだろうな……」

 通りがかった若者の言葉に、ボールスは心の底から同意した。

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