第23話 トヤマ クロベ川の、黒竜
呉東の地理に明るい商人に案内され、俺たちはトヤマにあるクロベの地に着いた。
「こいつはまた、とんでもない荒れようだな……」
俺の生まれ故郷であるクロベの地は、これ以上ないほどの有様だった。
町の中心を流れる一級河川であるクロベ川が氾濫し、町のほとんどが水没している。建物は屋根だけが覗き、田畑は跡形もない。人の姿はうかがえず、クロベの町はゴーストタウンと化していた。
「見ての通り、下流付近は人が住むこともできないほどの有様でさぁ。それにこの水が悪さをするのか、ここいら一帯では作物も碌に育たねえ」
「これは酷いものだな……。この国の政府は何もしていないのか?」
マーリンは護岸工事の基礎すらなされていない様子を嘆き、商人に問いかけた。
「はは、この国にはそういったものはありませんぜ。王様もいねえ。問題が起きたら自分たちでどうにかするだけでさぁ」
「そんでまあ、こうなった原因は上流にあるもんで」と、商人はその上流へと俺たちを連れて行った。
下流とは一転して、上流のあるクロベ峡谷にはまだ緑が残っていた。
「クロベ川っていうのは、この地域では暴れ川として有名でして、よく昔っからダダをこねるんでさぁ。そりゃ大雨が降ったりすると、もう川が暴れて大変なことで。下流がああなっている原因のひとつはそいつです」
商人は道すがら、俺たちにクロベでは現在何が起きているのか説明してくれた。
「その話は小さい頃に聞いた覚えがありますけど、ダムができてから改善されたはずでは?」
「クロベダムのことですかい? あいつは十年近く前に決壊したそうですぜ。なんでも、流れる水の量に耐え切れなくなったとかなんとか」
「なっ!? マジかよ……あの規模のダムが崩れるとか余程だぞ!?」
俺はにわかに信じがたく、流れるクロベ川から、その遥か山奥へと視線を移した。
触れるだけで人など一瞬で飲み込みかねない濁流は、峡谷の崖を削り取るほどの勢いで、止めどなく流れ、溢れ続けている。
《クロベダム》――日本では《黒部ダム》と呼ばれている。最大級のダムのひとつである黒部ダムは、その規模、建設難度において並ぶものはない。高さ186メートルものアーチ式コンクリートダムの外観は圧巻の一言で、ダムの中央から怒涛の勢いで排水される様は、見た目の豪快さから観光資源としても価値がある。その建設は波乱に波乱を呼び、工事の総動員数は千万人、工事で出した死者は百七十一人と、これまた過去にない規模の難航さを示したという。
血と汗と努力、作業員たちの魂の結晶と呼んでも過言ではないそのダムが失われたのだ。俺は動揺を隠しきれず、心の整理を落ち着けるために少しの時間が必要だった。
「ふむ、話はよくわかった。つまり、この地域は本来実りのある大地だった。それがクロベダムの決壊によって、下流の地域は水没。そしてそれが原因となって大地は荒廃した――と」
俺に代わってマーリンが、話の要点を大雑把にまとめた。
「しかし君は、先ほど『下流がああなっている原因のひとつ』と言ったな。それはどういう意味だ? まだ他に原因があるのか?」
マーリンが質問すると、商人は「へい」と肯定した。ちょうど見晴らしの良い場所を通りかかったらしく、商人は「あれを見て下せえ」と、峡谷の奥を指差した。
「ダム……だな」
マーリンの言は正しく、山々に挟まれたクロベ川の上流をせき止めるように、ひとつのダムが築かれていた。提高は100メートル近くもある立派なダムだ。ダムは築き上げられてまだ幾ばくなのだろう。コンクリートの表面には真新しい塗装が施され、排水用のゲートは限界まで開かれたままで、設備はまだ稼動していないように思えた。
「あれは……位置的に考えて《ダシダイラダム》か?」
「へい。ご存知の通り、日ノ本で初めて、貯水湖に溜まった土砂を捨てる機能を与えられたダムでさぁ。そいつを土台にして改良した新型です。――お……ちょうどよいタイミングに来たもんです。そろそろ始まりますぜ」
商人の言葉に合わせるように、ダムの方から鐘を叩く音が響いた。
「なになに!? 敵襲!?」
争いが始まるのではと期待に目を輝かせたガウェインの前で、開かれていたダムのゲートが重々しく閉じられた。水の流れがせき止められ、途端、クロベ川は大人しくなる。
「ほう、見事なものだ。これで水害は防がれたというわけか」
「いえ、まだです。この程度でなんとかなるなら、あっしたちはここまで苦労してませんぜ」
「本番はこれからなんでさぁ」と、商人は全身に緊張を走らせたまま、成り行きを見守った。
「一体何が……」と、俺が商人に聞きだそうとした時だ。
「待ってください、川上から何か大きなものがこちらに向かってきます……!」
耳をそばだてていたランスロットが、人差し指を口元に当て、「静かにするように」と俺たちに注意喚起した。その行動に続き、川上がにわかに騒がしくなる。
強烈に大地を轟かす水の音。クロベ川の水かさが異常な速度で増していき、そして《それ》は川上より姿を現した。
現れたのは、ダムに匹敵する長大な体躯を持った一頭の水竜だ。
滑らかな黒鱗で全身を守った黒竜は、その蛇の如き体をしならせながら、額から生えた水晶の大角を振りかざし、膨大な水流と共にダムへと突き進む。
堅牢なダムに超々重量の水流が激突し、水しぶきが爆発したように吹き上がった。
衝撃の余波で大地が縦に大きく揺れた。俺は木々につかまってやり過ごすと、ダムはどうなったのかと必死になって探した。
――耐えている。ダムは激流の全てを受け止め切り、難攻不落の要塞の如く、堂々と佇んでいる。
「おお、さすが! この程度じゃビクともしてないぜ!」
俺は腕を乱暴に振って喜びをあらわにした。――だが、それも長続きはしなかった。
「気をつけろアーサー! もう一度来るぞ!」
「……へっ?」
マーリンに聞き返した直後、さらなる衝撃がその場にいるもの全てを襲った。
川上から新たな水流が現れ、それは瀑布の如き勢いを以ってダムを飲み込んだのだ。
一撃目は耐え切れたが二撃目は耐えられない。頑強であるはずのダムの表面に亀裂が走り、侵入した水流が内側から暴れ狂う。ついには水圧に耐え切れず、ダムは成す術なく決壊した。
数メートル単位のコンクリート塊がまるでおもちゃのように空を舞い、暴流にさらわれていく。黒竜は平然と首をもたげ、惨劇を見届けると、最後に甲高い声でひとつ鳴き、悠然と川上へと戻っていった。
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