第22話 トヤマ 故郷と、蜃気楼の見える街

 波の音、潮の匂い、青空を自由に駆けるカモメたち。青く揺れる海原と、のんびりと空を漂う雲の群れ。絵に描いたような船旅の風景を楽しんでいると、誰かが俺の名前を呼んだ。

「アーサー、降りるための準備はもう終わったのか? 港には直につくはずだが」

 甲板を歩くマーリンが、風にあおられた灰色の髪を押さえ、整えた。

「俺の荷物はたいした量はないからすぐに終わったよ。――で、ガウェインと泉さんは?」

「もう少し時間がかかるそうだ。女というものは存外、旅荷物が多くなりがちだからな」

「そっか。こういう時の男は楽なもんだよな。着替えもかさばらないし」

 他愛のない会話の後、マーリンは俺の隣に付き、転落防止の柵に手を伸ばした。

「……あそこが君の生まれ故郷と同じ名を持つ国、《薬都、トヤマ》か」

 飛沫を散らす波の奥――そのぼやけたトヤマの大地の輪郭を目でなぞり、マーリンは「ふむ」と感慨深げに己の顔の輪郭を指でなぞった。

 オカヤマを飛び出た後、俺たちはヒロシマ、シマネを経由して、海路でトヤマに向かうことにした。この際だからと、日ノ本の各国を旅して回ることに決めたのだ。そしてその第一弾に選ばれたのが、日ノ本において、俺の生まれ故郷である《富山》と同じ位置にある国――《トヤマ》というわけだ。

「しかしまさか、君の故郷が富山だとは思わなかった。君はユーサーと同じ、岡山出身だとばかり思っていた」

「ウチは父さんの方の出身が富山なんだ。父さんが言うには、若い時に岡山にしばらく滞在する機会があって、その時に母さんと出会ったとかなんとか聞いたよ」

「なるほど、そういった馴れ初めか。異国の地で運命の出会いをする――なかなかロマンチックな話じゃないか」

 マーリンがくすりと笑う。彼女は持っていた杖を落とさないように肩にかけ、被っていたとんがり帽子を風に飛ばされないように目深に被った。

「私の知る限りでは、トヤマとは扇状地に作られた、平野部の多い国だと聞いている。実際にはどういった国なのだ?」

「期待しても特に目立ったものはないぜ。歴史的な建造物もそれほどないし、特別有名な何かがあるわけでもないし。タテヤマっていう山脈に囲まれた――まあ……のどかな所だよ」

 大雑把に説明する。当然、俺は異世界である日ノ本については詳しく知らない。だがオカヤマにいる短い間、有名な地域や生まれ故郷についてだけは少し調べた。オカヤマのようにとてつもない発展を遂げた国や、国中全てが砂漠と化したトットリ、最早ジャングルと呼んで差し支えのないグンマー等、いくつか日本とはかけ離れた環境になっている国が存在していたが、トヤマにはそういった恐竜的進化の類はないらしい。俺の記憶に残る、至って普通の田舎の風景そのものが、そっくりそのままこの日ノ本にはあるそうだ。

「一応、トヤマ湾があるから海産物が豊富で、タテヤマ山脈から流れる名水なんてのはあるから、まったく何も無いってわけじゃないけどな」

「ほう、それはまた結構なことじゃないか。取れたての鮮度の良い海産物に、農産物を育てる優れた水。私は好みが色々とあるが、中でも魚は格別だ。そしてうまい米にも期待できるともなれば、これは俄然、トヤマでの食が楽しみになる」

 熱々の大粒のご飯に、皮がパリパリに焼かれた焼き魚。その隣には湯気を立てるお味噌汁。コリコリとした食感を楽しめる漬物を小脇に添えて――っと、マーリンはトヤマでの食生活を想像したのだろう。唇の力をふにゃりと抜き、夢見心地の瞳を見せた。

「ぷっ……マーリンって意外と食いしん坊なんだな。よだれが出てるぞ」

 俺がからかうと、マーリンは「はうっ!?」と現実に戻り、袖で口元を拭った。当然、よだれなんて出ていない。

「……アーサー、大人をからかうものではないぞ」

 恨めしげに『じーっ』とこちらを睨むマーリンの姿に、俺はまたしても吹き出した。

「あ~ごめんごめん。でも食に関しては期待していいぜ。何もない田舎だけど、トヤマはいい国さ。きっとマーリンも気に入ってくれるはずだよ」

 俺は「それだけは保障できる」と、これ以上ないほどの自信を持って答えた。



 ――だがしかし、現実はそれほど甘くない。



「ぐはぁっ!? ほ、本当に何もない!?」

 俺は無力感に膝を折り、その場に崩れ落ちた。

 荒野、死の大地、不毛の地……荒廃した様を示す言葉は数あれど、トヤマの大地にはその言葉がそっくりそのまま当てはまる。ぺんぺん草も生えない乾いた大地が延々と続き、轟々と吹きすさぶ砂埃が俺たちの行く先を閉ざしている。

「……アーサー、何もないとは聞いていたが、これは少し度が過ぎているのではないか?」

 見事に期待を裏切られたマーリンの目が、俺を責める。

「ち、違う!? こんなのは何かの間違いなんだ!? 本当はトヤマにはもっと緑があって、大地が潤っていて!?」

 俺は空しく吼え、徒労感に砂を掴んだ。

 ――おかしい、何かが違う。確かに俺は何もないとは言ったけれど、ここまで何もないなんてことがあるのか? もしかして俺たちは、狐か狸にでも化かされているんじゃないのか?

 眼前に繰り広げられている光景がにわかに信じられなくなり、俺は自身の正気を疑った。

 トヤマの西方面(古くは呉西と呼ぶ)はまだ良かった。問題は俺が住んでいた場所である東方面(呉東)だ。東に進むにつれて荒地が目立ち始め、ついには荒野へと迷い込んだのだ。

「ランスロット、コンパスの調子はどうだ?」

 ランスロットはコンパスを確認すると、諦観の表情でそれをマーリンに見せた。

 コンパスは北東南西と乱暴に針を指し、これではどちらが北でどちらが南かもわからない。そしてひたすらに続く代わり映えのない風景と、遠くを覗き見ることも叶わない砂嵐。

 ――完全に迷った。最早、一寸先は闇である。

「まずいな……水はランスロットが用意してくれるが、食料が底を突いてもう三日経つ……。現状を打開できなければ、我々に待つのは《死》だけだ……」

 憔悴し切った顔でマーリンは、かわいそうなほどしぼんだ食料袋に目を向けた。

「クソッ! せめてこの砂嵐さえ晴れてくれれば、どうにかなるかもしれないのに!」

 天に祈る気持ちで俺は、どんよりと茶色に濁った、砂埃の空を仰いだ。

 すると、俺の祈りが天に通じたのか。何の前触れもなく砂嵐がピタリと止んだ。空は澄み渡り、見渡す限りの地平線が現れた。そして俺たちの目の前に現れたのは――。

「「「「ま、町だ!?」」」」

 思わずして現れた希望の糸を掴もうと、俺たちはがむしゃらに走り出した。

「町についたらどうしよう!? 飯か!? それとも宿か!?」

「まずは水に決まってるでしょ!? マギテスの水は味気なくてしょうがなかったし! トヤマの名水とやらを浴びるほど飲むのよ!?」

「魚! 魚! 魚~~~~っっ!? 私に魚をよこせ~~~~っっ!?」

「もうなんでもいいです! 町に着いてから考えましょう!」

 俺たちは全速力で荒野を駆け抜け、そしてしばらくして、町との距離が一向に縮まらないことに気付いた。

「ま、まさかこの現象は……砂漠とかでよく見る《あれ》か!?」

 その《あれ》なのだろう。そいつは俺の嫌な予感に応えた。

「ああ!? 町が消えていく!?」

 町の輪郭は徐々におぼろげとなり、そして、初めからそこに何もなかったように霧散した。

「ぜ、全部消えちゃったよ!?」

「ちくしょう!? よりにもよってここが、日ノ本で最も《蜃気楼の見える街、ウオヅ》だからかちくしょう!?」

 俺たちは絶望に打ちひしがれ、足をもつれさせて倒れこんだ。

 希望が絶望へと落ちた時こそが、最も人間の生きる力を削ぐ。俺たちは全てを奪われた表情で、俺たちを嘲笑うかのようにまた吹き荒れた砂嵐を見つめた。

「カハッ……! 私たちは、ここで終わるというのか……!?」

 一行の最後の砦であった、マーリンの心がついに折れた。彼女は杖でかろうじて立っているが、その目に生気はない。

「ごめんな、みんな……俺が、トヤマを甘く見ていたせいで……」

「違いますよアーサー君……あなた一人が責任を感じる必要なんてありません……」

「うん、私たちも楽観視し過ぎていたのよ……あんただけのせいじゃないわよ……」

 人は万策尽きればこうも惨めになれる。互いの傷を舐めるように慰めあった。

「ここが私たちの旅の終着点か……短い間だったが、まあ、悪くはなかったな……あんなことやこんなこと……ふふ、色々なことがあったな……」

 マーリンの脳細胞は既に人生を諦めたらしく、彼女に走馬灯を見せている。

「……あんたさんたち、ここで何をしてるんですかい?」

「気にしないでくれ。これは世の無常と、今まで歩んできた人生を噛み締める最期の情景だ」

「ハア……それはまた高尚なことをされているもんで……」

「いや、そうでもないさ。誰だって最期を迎える時はそうなる。いずれ君にもわかるだろう」

「ははは、あまりわかりたくないもんですな。あっしはできるだけ長生きしたいもんです」

「ふふふ、その通りだな。長生きできるに越したことはない」

「はい。――では、あっしはそろそろ、この荷物を町に届けに戻りますんで。あまり町の人たち待たせるわけにもいかねえ」

「うむ、話に付き合わせて悪かった。それではな」

 互いに手を振ってわかれた。



「「「「ま、待てえええええええええええ!?」」」」

「ひえっ!? な、なんですかい!?」

 俺たちは荒野を往く獣となって商人に群がり、大地を蹴って襲い掛かった。

「あんた! 無駄な抵抗はやめて、今すぐその食料を私たちによこすのよ!?」

「ひいっ!? なんですかい、あんたさんたちは!? ご、強盗!?」

「へっ、タダとは言わねえ! この金貨を好きなだけてめえにくれてやる!」

「ええ!? こんなに一杯ですかい!?」

「駄目ですよみなさん! まずは逃げられないように縛ってから、それからたっぷりくれてやりましょう!」

「え!? 縛ったまま金貨を!? そいつは一体、どんなプレイなんですかい!?」

「くくく、早く私たちの言う通りにすることだな! これ以上追い詰められれば、私たちが何を仕出かすかわからんぞ!?」

「なんだかわかりやせんが、誰か助けて~~!?」

 追い詰められればネズミもネコを噛む。悪い報せなのは、追い詰めてしまったのが、よりによってネコの方だったってことだ。

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