第16話 オカヤマ ひぐモンと、くまモ×

《岡山県》――瀬戸内海の気候と地勢を背景とし、かつては《吉備国》として独特の文化を築いた中国地方の要衝。岡山平野、または吉備高原に存在する同名の県都である《岡山市》は、人口五十万人を超える大都市として政令で認められている。県内を流れる高梁川・旭川・吉井川の一級河川による豊富な水源と温暖な気候を基盤とした農業と、瀬戸内海に面する当然の利として海上貿易、及び漁業に力を入れ、そしてそれらを抜け目なく、滞りなくこなす県民性を持つ地として知られている。過去、時の政権である《ヤマト王権》に匹敵する国を築いたことを鑑みるに、それは賞賛することではあれ、決して下に見るものではないと俺は考えている。

「――とはいえ、この世界のオカヤマはとんでもないな……」

 俺は歩いていた足を止め、眼前に広がる光景に率直な感想を述べた。

 目に映るのは高層ビル。その奥には高層ビル。そのさらに奥には高層ビル。どこをどのようひっくり返しても高層建築物が視線の行く手を阻み、視界を埋め尽くし、ビルから突き出された広告がデカデカとその存在を過分に強調して目に悪い。道行く市井の姿は様々だが、大都市を生きる人々が持つ自信と活力に統一されており、コンクリートの巨塔群がかもし出す閉塞感と、明日を生きようとする人々の開放的な原動力とがそこには混在していた。

「どうですかアーサー! これこそが私とマーリンが、五十年もの月日をかけて築いた《大都会、オカヤマ》です!」

 想像以上の大都市ぶりに度肝を抜かれていた俺の前で、ユーサーはバレエダンサーのようにクルクルと回り、己の心血を注いだという街並みを誇らしげに示した。

「そのGDP――国内総生産は日ノ本において堂々たる一位! 政治、経済は勿論のこと、文化、芸術、果てには流行まで。あらゆる分野で日ノ本を侵略する最先端の発信地、それがオカヤマなのです! これほどの国を《大都会》と呼ばずして何と呼びましょう!? これはもはや日ノ本一、いえ、宇宙一の《超都会》と呼ぶに相応しい!」

「うん、それだけ凄いのは認めるけど、宇宙一ってのは流石に大げさ過ぎるんじゃない?」

 俺は一人で盛り上がりすぎているユーサーの姿に冷静さを取り戻した。だがしかし、すぐさま、大通りを揺らして歩く一団に目を奪われてしまった。

「なんだあれ!? 巨、巨人!?」

 それは見上げるほどの大男たちだった。十メートル近くはあるであろう巨体に、理知的な光を称えた瞳。巨人たちはその大きな体をゆさゆさと揺らしながら、他の通行人の迷惑にならないように、大通りの中央を歩いている。

「あれは《日ノ本のへそ、ナガノ》の山奥から、オカヤマまで出稼ぎに来ている巨人族の方々ですね。彼らはその類稀なる肉体と、頑固ながらも優れた知性を合わせ持つ方たちです。オカヤマの発展の基礎であるインフラ構築には、彼らの力が必要不可欠でした」

「全国から人が集まるオカヤマには、様々な種族の方がいるのです」とユーサーは補足を入れた。

「へ~、オークがいるってことは別の種族もいるんだろうなとは思っていたけど、やっぱりそうなのか」

 俺は彼女の説明に相槌を打つと、

「……ということは、もしかして美人で有名なエルフなんかも?」

 男として少し気になったことも聞いてみる。

「勿論、――ほら、あちらを御覧なさい」

 ユーサーが手で示したのは優美ないでたちをした美女だ。艶々の髪に長く尖った耳。細く白い肌に極めて整った顔立ち。それはファンタジーの世界ではよくオークと対比される、美形種族の定番であるエルフそのものだった。

「外見的特徴は似通っていますが、厳密に分類すればあの方はエルフではありません。この世界では《アキタビジン》と呼ばれている種族の方です。名前の通り、良い水・良い米・良いお酒――《三良の国、アキタ》を起源とした種族です」

「ほう。じゃあ、あそこにいる、まだ春先なのに半そで短パンでウチワを扇いでいる人は?」

「《極寒の凍土、ホッカイドウ》の方です。ホッカイドウは年中雪と氷に閉ざされた極地として知られています。その年間平均気温の低さは日ノ本でも比類なきトップ。どうやらオカヤマの温暖な気候が体に合わず、まいっているようですね」

「……なんかその隣で、いきなりケンカを始めた人たちがいるんだけど?」

「《現世の秘境、グンマー》と、《抜く手は見せぬ国、トチギ》のペアですね。大方旅行にきたグンマーの原住民が、相手がトチギ出身の者とは知らずに、グンマーのソウルフードである《焼きまんじゅう》でも食べさせようとしたのでしょう。怒るのも無理はありません。何せ両国は、数世紀にも渡り戦争を続けているのですから」

「そんなに仲が悪いのか。ネットで聞いていた通りの犬猿の仲なんだな」

「いえ、どちらかと言うと、互いに遠慮のない間柄と言ったところでしょうか」

 ユーサーの説明に、俺はひたすら感嘆するばかりだった。大通りを流れる人の波に興味津々で、異国の人々が織り成す人情と風情に感じ入るばかりだ。

 とはいえ、肝心のオカヤマの方には興味がないというわけではない。

「母さん、往来で堂々と刀を打っている人がいるけど、あんな所で仕事させていいのかよ」

「構いません。あれは刀工集団、ビゼン長船の一派のデモンストレーションです。ビゼン長船はオカヤマを拠点とした刀鍛冶の派閥のひとつで、多数の名剣を製作した名工揃いの集団として有名です。オカヤマの武具事情を一身に担う、強兵と知られるオカヤマ騎士団の根幹を支える者たちです。勿論、私の愛刀も、ビゼン長船に打たせた一品ですよ」

 ユーサーはつと刀を抜き、俺にその刃を見せた。歪みひとつとてない玉鋼の刀身は、なるほど、名剣と呼ぶに相応しい精緻な刃紋が波打ち、質実剛健ながらも美しい。

「ねえアーサー、オカヤマ名物デミカツ丼ですって! あとであそこに行きましょうよ!」

 話の流れをぶち破って、ガウェインが俺の袖を引っ張った。

「別にいいけど、このあと用事があるらしいから、それが終わってからだぞ?」

「わかってるわよ、お城の方に行くんでしょ!? 超デッカイお城って聞いたけど、どれくらい大きいのか楽しみ!」

 ガウェインは両腕を上げてハイテンションになると、期待感に一人騒ぎ始めた。

 あの一件以来、俺とガウェインとの間にできていた溝はすっかり無くなったようで、彼女は俺と分け隔てなく接してくれるようになった。相変わらず先輩風を吹かせようとするきらいがあるが、それは元来の性格なのでしょうがない。

「彼女の様子を見る限り、特に遺恨は無いようだな」

 マーリンも俺と似たような評価らしく、ガウェインの様子をそう言い切った。

「ああ、あれだけのことをやらかしたんだから、反省して少しはおとなしくなるかと思っていたけど……いつも通りだな」

「良いことだ。罪の意識を持たないことは論外だが、そのことばかりに囚われてもいけない。その後の人生に暗い影を落とすようでは、それは真に問題を解決していないことになる」

 マーリンは帽子のつばをちょんとつまみ上げ、頬を僅かに緩めた。彼女は決闘の件でガウェインのことを見限ったのではないかと思っていたが、そうでもないらしい。今も好奇心旺盛な様子でオカヤマの街並みを見て回るガウェインを、マーリンは保護者の顔で見守っている。やんちゃで困った子供でも、彼女からすれば可愛い生徒なのだろう。

「落ち着いたら一度、みんなで一緒にオカヤマを観光してみるといい。若人同士で親睦を深めることも重要だろう」

「そうだな、暇ができたらそうしてみるか。……一応聞くけど、オカヤマでマーリンのオススメのものはあるか?」

「私のオススメか? 私は《ダイゴ桜》を薦めよう。ダイゴ桜とは、オカヤマの北部にある、マニワという地域に根を下ろす巨大なヒガンザクラだ。かつて日ノ本を統べていたゴダイゴ王がその美しさを絶賛したと伝わっている。その樹齢は千年を超えると言われ、勇壮と優雅を兼備する名花として地元住民に愛されている。オカヤマに来たのであれば、ぜひ一度は見ておいてもらいたい――と、言いたいところだが、残念ながら見頃のシーズンは過ぎている。これから見られるのは葉桜が精々といったところだ」

「それはそれで見物なんだろうけど、ちょっと残念だな」

「そうだな、他にもいくつかオススメはあるが――」

 マーリンは腰元のポーチを漁ると、一枚のパンフレットを取り出して、俺に手渡した。

「これを参考にして、興味のある場所を選びなさい。こんなこともあろうかと、私が事前に作成しておいた観光案内だ」

「そいつは助かる。ちょっと拝見させてもらうよ」

 俺は早速パンフレットを開き、その内容に目を通した。

 花柄やマスコットキャラクター等でかわいらしいレイアウトが施されたパンフレットには、オカヤマの特産品や、風光明媚として知られている場所が紹介されている。所々に丸々とした文章で簡潔な注釈が書かれており、地図や行くべき時間帯などの配慮も完璧だ。

「なかなか凝ってるな、これは金を取れるレベルだぞ……」

 彼女のまめな仕事ぶりに感心していると、しかしそこで俺はひとつの視線に気付いた。

 パンフレットを読んでいる俺の様子を、マーリンが『じ~っ』と凝視している。何か気になる点でもあるのだろうか。彼女は熱心に、パンフレットをめくる俺の一挙手一投足に細心の注意を払っていた。

「…………どうしたんだマーリン、これに何かあるのか?」

 パンフレットを彼女にも見えるように掲げた。するとマーリンは、そこで初めて自分が見られていることに気付いたらしく、「はわっ!?」とうろたえ、しかしそこで取り乱した自分が恥ずかしくなったのか。頬を一瞬で真っ赤にさせた。

「……たいしたことではない。気にするな」

「いや、そこまでの反応をされて『気にするな』は無理だよ。『何かあります』って言っているようなもんだからな」

 俺の疑いの視線に、マーリンは彼女にしては珍しくもじもじとすると、恥を語るように口を開いた。

「実は以前、小さな子供たちに観光案内をしたことがある。その時も、私が作ったパンフレットを配布してみたのだが……」

「……何か言われたのか?」

「『このパンフレット、全然かわいくない』、だそうだ……」

「あ~……子供はそういうこと、遠慮せずに言うからな……」

「他にも『字が多くて読みにくい』、『難しい漢字ばかりでわからない』と散々だった。私なりに、オカヤマの魅力を伝えられるようにと努力したつもりだったが、それが全部裏目に出てしまったらしい。だから今回作ったパンフレットの反応はどうかと、少し気になったのだ」

 なるほど、道理でパンフレットのいたる所でかわいらしいイラストのクマが、「ここがオススメだモン」なんて言っているのか。

「なら安心していいぜマーリン。この出来なら、子供たちにも十分喜んでもらえるはずだぜ。俺のお墨付きだ」

「――っ!? それは本当かアーサー!?」

 曇天から一転、マーリンは顔を明るく光らせた。

「ああ、特にこのクマのイラストなんか《ゆるキャラ》みたいでかわいいぜ。このクマには何か名前があるのか?」

「勿論あるぞ! ヒグマの《ひぐモン》だ!」

「うん? 何処かで聞いたことがありそうな名前だな。――まあいいや。こいつはオカヤマのマスコットか何かにはしないのか?」

 俺がひぐモンとやらを指差すと、マーリンは残念そうに首を振った。

「いや、ひぐモンには先約がある。このパンフレットが完成した時、ちょうど《信念の国、クマモト》の親善大使に見せる機会があったのだ。そしたらなんと! 『是非、我が国のマスコットにしたい』とオファーがきたのだ!」

「おお! それは凄いじゃないか!」

「ああ! だがそのままでは流石に味気が無いと感じた私は、ひぐモンの全身を黒くして、名前もついでに《ひぐモン》から、クマモトに縁があるように《くまモ――」

「ストーーーーーーーーーッップ!!!!」

 危ない! もう少しで何か得体の知れない大きな力に消されるところだった!

 マーリンには悪いが、この話題はここまでにしよう。

「見ろアーサー! これが本邦初公開、《くまモ×》のラフスケッチだ!」

「だから止めてくださいよ本当に!? け、消されるぅぅぅぅっっ!?」

 視覚情報の一切を遮断すべく目を瞑り、押し付けてくるスケッチブックから逃れる。

「二人して何を漫才しているのですか。そろそろ王城に移動しますよ?」

「む? そうか、ではこの話はまた後にしよう」

 ユーサーに呼びかけられ、マーリンは渋々引き下がった。

「助かった……本気でこの物語が終わるかと思ったぜ……」

 俺は汗でぐっしょりになった体を冷やすべく、襟元のボタンをひとつ外した。

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