第12話 ヒロシマ 母と、この世界の秘密

 頭部まですっぽりと覆う旅外套を羽織っていた女性は、オークたちの勢いに臆することもなく、彼らをゆっくりと見上げた。

「邪魔だ、退け!」

 避けることも煩わしいと、先頭のオークが槍を突き出した。

 鋼の刃が鋭く空を裂く。女性は迫る死の刃にも動じることはなく、腰元に帯びていた刀に手をかけた。

 斬撃に光が生まれた。女性が放った攻撃はたった一刀だ。だが、その一刀はオークの放った槍を中ほどから斬り断ち、そして馬上にいるオークの額すら斬った。

「なっ……!?」

 ――何が起きた!? 切られたオーク本人すら理解が追いつかず、吹き出た鮮血に視界を奪われ、落馬する。女性はしなやかな流れで斬撃の残心を魅せると、続いて一撃二閃と放ち、残るオークたちを鮮やかな剣技で斬り伏せた。

「「「おお~!!」」」

 壮絶な剣技を目の当たりにして、野次馬たちが喝采を送る。女性は一瞬で三人も斬り倒したとは思えないほどの無感情な足取りで、俺たちの前にやってきた。

「あなたは一体……?」

「…………」

 問いかけたが、女性から返事はない。言葉が通じていないのだろうかと悩み、――それならば英語はどうだろうと、俺がたどたどしく口を開くより早く、女性は動いた。

「アーサーッッ!!」

 女性は周囲の目もはばからず、いきなり俺に抱きついてきた。

「うえっ!?」

 女性の予想外の行動に俺は避けることもできず、あっさりとその手に捕まった。

「あの、スキンシップは重要だっていいますけど、俺たち出会ってまだ数秒しか経ってませんよ!? ていうか俺の名前を知っているなんて、あなたはどこのどなたなんでしょうか!?」

 見た目より力強い女性の抱擁に、俺はたじたじとなった。

「どこのどなたですって!? そんな、私の声を忘れたのですかアーサー!?」

 女性は俺の台詞にショックを受け、身の証を立てるために外套のフードを取った。

 フードの奥から現れたのは、絹の如きたおやかな黒髪と、切れ長の意思の強い黒の瞳。アジアンビューティーを体現するその人は、――確かに俺のよく知っている人だった。

「か、母さん!?!?」

「はい! あなたの母、ユーサーです!」

 そう言って俺の母親であるユーサーこと龍秀勇沙(ゆうさ)は、俺に再び抱きついた。

「どうして母さんがここに……!?」

 意外な人物との再会に、俺は酷く狼狽した。

「――それは簡単な理由だ。彼女も君と同じく、大国主大神の力でこの世界へと飛ばされてきたのだ」

 訳知り顔のマーリンが俺の質問に答えた。マーリンは困惑する俺を差し置き、ユーサーの前に立つと、親しげな態度で彼女と握手を交わした。

「久しぶりですねマーリン。相変わらず元気そうで何よりです」

「うむ。ユーサーの方こそ、代わり映えのない様子で安心した。先ほどの技も、実に見事なものだったぞ」

「うふふ、あなたも実に見事な働きぶりですよ。アーサーを探し出してくれて感謝します」

「何、私は予言に従ったまでだ。たいしたことはしていない」

 マーリンとユーサーはまるで生来の仲のごとく、和やかな様子で言葉を交わした。

「なあマーリン……ウチの母さんと非常に仲が良いみたいだけど、マーリンは母さんと知り合いなのか?」

「うむ、その通りだ。実は、先ほど君にそのことを説明しようとしていたのだが、ちょうど邪魔が入ってしまったからな、言えずじまいでいた」

 邪魔――パルデロとの騒動のことだろう。

「ああ、そういえば――」と俺はよくよく考えてみた。今になってマーリンの取っていた言動に、おかしな点があったことに気付いた。

 俺と出会ってすぐに彼女は、俺が別世界から来た人間だと見破った。日本と日ノ本、島根とシマネが別々の国であると要領良く説明し、あまつさえ路頭に迷いそうな俺の面倒まで見てくれた。交換条件に別世界の情報を――とのことだったが、そのわりにはたいして俺から情報を得ようとせずにいた。

 それもなんということはない。前もってユーサーと知り合い、別世界である日本のことを知っていただけだったのだ。そしてユーサーから息子である俺の存在を事前に聞かされていたので、俺を見捨てるような真似はしなかったのだろう。――いや、予言がどうのとマーリンは言っていたので、この一連の流れは全て予定調和だったのかもしれない。

「待てよ、でも俺はこの世界についてからすぐにマーリンと出会ったよな? その後もずっと一緒に旅をしていたから、マーリンには母さんと知り合う機会なんてなかったはずだけど?」

「どういうことだ」と俺が首を捻れば、「それは私が説明しましょう」と、ユーサーはどこからともなくメガネを取り出してかけ、その縁を光らせた。

「まずはアーサー、あなたは自分がこの世界に来た原因を知っていますか?」

「それはええっと……さっきマーリンが言ったとおりに、大国主大神とかいう神様のせいだと思うけど……」

 マーリンと顔を合わせて確認する。イズモを発った後、旅すがら彼女と、俺がこの世界に来た原因を話し合った。そして、あの神様に願いを叶えてもらったせいで、俺は日ノ本に飛ばされてしまったのだろうと結論を出した。

「そうです。これはあなたが、『母親の願いを叶えて欲しい』と神に願った結果なのです」

「は? じゃあこの世界に俺と来ることが、母さんの願いだったってこと?」

「Exactly!(その通りでございます!)」

 ユーサーは大仰に答え、歌劇のように全身を使ったよくわからないポーズを決めた。

「あなたも知っているでしょう! 私は《アーサー王伝説》が何よりも好きなのです! そして常々、息子であるあなたには、アーサー王のような偉大な人物になってもらいたいと願っていました! 大国主大神様にはその願いを叶えて頂いたのです!」

 ユーサーは懐から一冊の本を取り出し、皆によく見えるように掲げた。

「《アーサー王伝説》とは中世ヨーロッパを舞台にした騎士道物語の王道! 後にファンタジー物語として鉄板の地位を得た至高の英雄譚です! アーサー王は誰にも引き抜けないといわれた伝説の剣を引き抜き、ヨーロッパを統一、彼に付き従う円卓の騎士たちと共に数々の伝説を築き上げました! その物語をまとめ上げたものがこのトマス・マロリー著の決定版、《アーサー王の死》です! 私はこれを大国主大神様に見せたのです!」

「……つまり、それを元にしてこの世界が作られたってこと?」

「いえ、恐らくはいくつも存在するパラレルワールドの中から、この伝説に近い世界が選ばれて私たちは送り込まれたのでしょう。そうでなければ、今ごろ私たちは中世ヨーロッパの世界にいるはずです」

 なるほど、そいつは説得力がある。あるいはいくら神様といえど、都合の良い世界を作るまではできず、なるべく希望に添えそうな別世界の日本を見つけて、そこに送り込むだけで精一杯だったのかもしれない。

「それで、母さんはいつマーリンと知り合ったのか、だけど……」

「そうですね……ざっと五十年ほど前でしょうか?」

「五、五十年!? いくらなんでも昔すぎないか!? ていうか母さんの外見も全然変わってないし、それ絶対嘘だろ!?」

 ユーサーの答えに俺は面を食らった。

「嘘ではないぞアーサー。私が彼女に、肉体年齢を調節するマギテスを授けただけだ」

「マーリンが? ……あ、そういうことか!」

 合点がいった。マーリンは自分の肉体年齢を変えているとランスロットから聞いた覚えがある。それと同じ術をマーリンから教わり、使っているからこそ、ユーサーは俺が最後に出会った時のままの外見でいられるのだ。

「ということは、母さんは相当昔からこの世界にいるってことになるのか……それなら色々と納得できるな」

 ユーサーがやたらとこの世界に順応していそうな理由がわかった。大国主大神は俺とユーサーを別々の時代に送っていたのだ。なぜそのようなことをしたのかまではわからないが、それも彼女の願いの内のひとつなのかもしれない。

「理解できたようですね。他に質問はありますか?」

「……一応確認するけど、母さんは日本に帰る気はないってことでいいのかな? わざわざこの世界に来たんだから、何かすることがあるんだよな?」

「無論です! せっかく大国主大神様からチャンスを頂いたのです! 私はアーサーを日ノ本一の王にさせてみせます!」

「え、俺を王様に!?」

 突拍子もないことを言われて俺は焦った。

「待ってくれよ母さん! いきなりそんなことを言われても、俺は王様になる気なんてないぞ!? いや、仮にその気があったとしても、一般人の俺が王様になんてなれるわけがないだろ!?」

「いや、それができるのだアーサー。そのための土台を私たちが五十年かけて築いた。あとは君次第なのだ」

 マーリンが言葉を差し込んだ。杖でとんがり帽子の位置をちょいと直し、話を続けた。

「アーサー、私がオカヤマの国の王に仕えているという事実は、君も知っているな?」

「ああ、マーリンはオカヤマのお偉いさんの一人なんだろ? 王様の代わりに外交の仕事をしているって聞いたけど――……って、まさか!?」

 俺は恐ろしい考えにたどり着き、よろめいた。

「そう、その仕える主こそが――」

 彼女は大げさに羽織っていた服を翻し、その《主》とやらを示した。

「君の母、ユーサー・龍秀だ」

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