第7話 ヒロシマ 親子と、オーク

「何だ……!?」

 俺は反射的に音の元凶を探した。食器か何かを地面に落とした程度では、こうも激しい音にはならない。陶器を思いきり地面に投げつけたかのような、そんな不自然な音だった。

「ケンカでも起きたのか……?」

 音のした方向――大通りの一画には、町の中心に作られた噴水を隠すように人だかりができていた。

 三十人――いや、四十人以上いる。その人だかりを作っているのは緑色の皮膚をした大男たちだった。彼らは赤の他人ではあるが、その身なり、人種については俺もよく知っていた。

「《オーク》……?」

《オーク》――それはファンタジー世界に登場する数多くの亜人種の中でも、特に有名なもののひとつだ。緑色のでっぷりとしたお相撲さん体型に、獣の硬皮で作った兜や鎧。お世辞にも整っているとは言えない豚面に、牙の生えた大きな口。棍棒や弓などで武装した荒々しい身なりの彼らは、ゲームやアニメ等で見る姿そのままだった。

 創作において、オークは度々人間と争いを起こすモンスターとして描かれがちだ。だが、マーリンや町の人々の反応を見る限り、日ノ本ではそのような扱いは受けていないらしい。往来を堂々と闊歩する彼らの姿を、咎める者は誰もいなかった。

 オークたちは険しい顔でお互いに目配せをして、噴水の前にある何かを睨みつけている。行き交う人々は張り詰めた空気を感じ取り、何事かと足を止め、遠巻きにしてオークたちの様子をうかがっている。

 俺は人々の中に混じり、見物をしていた一人――中年の女性に声をかけることにした。

「すみません、何があったんですか?」

「ん? ええっとね、何か揉め事が起きたらしいのよ……」

「揉め事? ケンカですか?」

「ケンカっていうか、オークたちがあの親子に文句をつけてるみたいでね……」

 中年の女性が指差すと、たしかにそこには十歳程度の小さな女の子と、その母親であろう女性が立っていた。母親は我が子を守るように抱き寄せ、先頭に立っているオークの代表へとおびえた目を向けていた。

「ま~たくっ! けしからんガキだ! おかげでボクのお気に入りの一着がアイスでベトベトに汚れてしまったではないか!」

 オークにしてはやや小柄な代表は、ぷっくりとした豚鼻を「ふん」と力強く鳴らし、着ていた貴族服(これまた似合わない)の裾を大げさにつまみ上げ、親子に見せつけている。彼の言うとおり、背広とシャツの一部には、アイスが溶けて染み込んだ跡が残っている。親子とオークの間には割れた陶器が転がっており、恐らく、それが音の原因なのだろう。

「ふむ……アイスを食べ歩きしていた子供が、よそ見をしてあのオークにぶつかったのだろうか? またベタな展開だ」

 マーリンの予想に、「いや」と、隣に立っていた露天商が否定した。

「ちょうどオレはその時の様子を見ていたけど、アイスを食べていたのはあのオークの方で、あいつはよそ見しながら歩いていたせいであの親子にぶつかったんだよ。それなのにあいつは腹を立てて、親子が持っていた《ミヤジマ焼き》を蹴って壊したんだ」

「何、《ミヤジマ焼き》をだと!? あのオークめ! ミヤジマ焼きは伝統二百年とはいえあの《イツクシマ神社》の祭祀品として納められるほどの名品なのだぞ!? 決して派手ではないが素朴で温かみのあるヒロシマの魂の篭る一品を……許せん!」

 なんだかよくわからないところでマーリンが腹を立て始めた。

 そんなことなどお構いなく、オークの代表が前に出た。

「お前! ボクにぶつかっておいて謝らないとは何事か!? 謝罪のひとつとして土下座でもしたらどうかね!?」

「ど、土下座……!? そ、そんな……ぶつかってきたのはそちらの方では――」

「なんだと!?」

「ひっ!?」

 弁明しようとしていた母親の言葉にオークの代表はかんしゃくを起こし、地面に転がっていた陶器の破片を乱暴に踏み砕いた。

「反抗的で生意気! 人のせいにするとはなんとおこがましい! ボクが下手に出た瞬間にこれだ! だから野蛮で下等で馬鹿な奴らは大嫌いなんだ!」

 オークの代表は破片を何度も踏みつけながら、牙をむき出しにして喚き立てた。その剣幕に子供はついに泣き始め、それがまた癪に障るのか、オークの代表はさらに声を荒立てた。

「なんたる自分勝手な言い分だ……理不尽もここに極まれり、だ」

 マーリンは杖を握る腕に力を込めた。ここで仲裁に入るべきか、それとも機を見るべきかどうか迷いの表情を見せた。相手の数は四十人。一歩間違えれば他の住民たちをも巻き込みかねない。

 オークの代表は湯気の立つほどの怒りを吐き出し終えると、息を整え、考え込むように鼻の先を親指でなでた。

「ふぅむ~? それじゃあどんな罰を与えようかな~?」

 その台詞は申し訳程度の前置きで、すでにどうするのかは決めていたのだろう。オークの代表は嗜虐的な笑みを浮かべて、配下のオークの一人に指をひとつ立てて見せた。

 配下のオークは頷くと、担いでいた棍棒を抜き取り、それを親子の前へと突き出した。

「な、何をするんですか……!?」

「決まっているだろ? その舐めたクソガキの頭をこれで一発ぶん殴るんだよ。そうすれば反省して二度とこんなことはしないはずさ。まあ、打ち所が悪ければ死ぬかもしれないが、その時は運が悪かったと思って諦めてくれたまえ!」

「ぶひひ」と醜くオークの代表が笑う。母親は青冷め、助けを求めようと辺りの人々に目を向けた。だが人々はいたたまれなさそうに目を逸らし、あるいは怒りを抑えきり、誰も親子を助けようとしない。

 当然だ、相手は人間よりも屈強な肉体を持ったオークだ。それが四十人もいて、全員が武装までしている。下手に仲裁に入って、もし彼らの怒りの矛先が自分たちに向いたとしたら――そう考えるだけでも恐ろしいのだろう。

「くっ……やはり、あれだけの人数を相手に穏便に済ませることは難しい……。アーサー、君も辛いだろうが、どうかここは堪えて――……えっ?」

 マーリンが隣に立っていた俺に、迂闊に飛び出さないように忠告しようとした。――だが、彼女の視線の先に俺はいない。

「――おいお前、そこまでにしておけよ」

 なぜなら既に俺は、オークの一方的な暴力を止めるために、親子とオークたちの間に割って入っていたからだ。

「……ああん!?」

 俺が投げつけた台詞に、オークの代表は目を血走らせた。

「な、何をしているのだ君は!?」

 マーリンは『がびーん!?』と驚いた。注意しようと思った瞬間にこれなのである。

「悪い、でも見過ごすわけにはいかないだろ?」

 言葉のわりには悪びれもせず、俺は腰元に帯びていた刀の柄頭を人差し指でトンと叩いた。「何かあればこいつでどうにかする」と、彼女に示した。

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