第6話 ヒロシマ お好み焼きと、ヒロシマのお兄さんたち
「それでは先生、行ってまいります」
「そちらは頼んだぞランスロット。荷物は一人で持てるな?」
「はい、大丈夫です。それほど量はありませんから」
町に着くなり、マーリンに買出しを頼まれたランスロットと別れた。
「それじゃあ俺たちの方は、待ち合わせ場所に行くんだな?」
「そうだ、待ち合わせ場所は町の中心施設にある。距離は歩いて十五分といったところだな。ランスロットと合流する時刻から考えれば、随分と時間に余裕のある状況だ」
「そうか、じゃあ後でちょっとした寄り道もできそうだな」
俺がこれからの予定を確認すると、ガウェインが「ねえ、マーリン先生」と声を上げた。
「私、この町に少し用があるんで、ここでちょっと抜けていいですか?」
「なんだよガウェイン、お前も買い物かよ」
俺が口を挟むと、ガウェインは「ふえ!?」と慌てふためいた。
「べ、別にあんたには関係ないでしょ!?」
「なんでいきなり怒ってるんだよ、少し気になって聞いただけだろ? そんなに俺に聞かれるとまずいことなのか?」
「ぎくっ!?」
そのまずい事か何かなのだ。ガウェインは額に汗を流しながらしどろもどろになった。
「…………お前、どこに何しに行くんだよ?」
「いやあ、ちょっと……?」
彼女の目が必死に泳ぐ。怪しいと自分からアピールしているようなものだ。
「ガウェイン、それが私たちに伝えることのできない内容ならば、私は君の自由行動を許可しない。それは違うというであるのならば、嘘偽り無く答えなさい」
マーリンの言葉に、ガウェインはしばらく「う~」と唸ったが、結局は観念したのか、
「お、お好み焼き……そう! 《お好み焼き》を食べに行くのよ!」
明後日を見ながら答えた。彼女の視線をたどれば、確かにその先にはお好み焼きと暖簾の下がった木造の一軒家がある。看板には焼かれた中華麺の上にオムレツのような薄い被せを乗せたお好み焼きが描かれており、店からは小麦粉とソースの焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
「お好み焼き――なんだ、《ヒロシマ焼き》のことかよ。ヒロシマに来たからには、やっぱりご当地物が食べたいってか?」
俺は「だったら最初から言えばいいのに」と鼻で笑った。
――しかし、それが《とあるお方たち》の逆鱗に触れたらしい。
「ア、アーサー! 今の言葉はすぐに撤回しろ!」
「そうよ! 死にたくなければそうしなさい!」
ガウェインとマーリンは血相を変えて俺に食いかかってきた。
「おいおい、何をそんなに慌ててるんだよ? 《ヒロシマ焼き》に何かまずいことでも――」
『ああッッ!? 何が《ヒロシマ焼き》じゃとぉぉ!?』
「「「!?」」」
突然鼓膜を叩くドスの利いた声に、俺たちはビクリと肩を震わせた。
見ればいかにもガラの悪そうな男たちが、俺たちの周りをぐるりと囲んでいる。
『おいガキ! 何がヒロシマ焼きじゃ!? いてこますぞワレェ!?』
『《お・こ・の・み・や・き》じゃろが!? ザッケンナーオラァ!?』
『何処のよそモンじゃ!? 調子乗ってっとヒロシマ湾に沈めっぞコラァ!?』
怖い! ヤクザか何か!? 彼らは鬼の形相で俺へとじりじりと近寄り、メンチを切ってくる。
「あわ! あわわ!? 俺なんかまずい事した!?」
「バカ、いいから早く謝りなさいよ!? ヒロシマの人は、お好み焼きをヒロシマ焼きって言われるのを何よりも嫌がる人たちなのよ!?」
「そうなのか!? 初めて聞いた!? すいませんした!!」
俺は命の危険を感じとり、その場で頭を地面に打ち付けそうな勢いで下げた。
「ご、御仁方! 彼もこう反省している! 彼は事情をよく知らなかったのだ! 私からしっかりと言い聞かせておくので、ここはどうか刃を収めて欲しい!」
ええ何!? 刀まで抜いてるのこの人たち!? そこまで怒ってんの!?
頭を下げているせいで周りの状況がよく読めないが、ここで頭を上げるのはまずい。「静まりたまえ~静まりたまえ~」と努力するマーリンに俺の命運を任せ、ただただヒロシマの方々の怒りが静まるのを待った。
『ケッ! 今度から気ぃつけとけやガキが!』
『ナメてっとスッゾコラァ!』
散々罵倒の言葉を吐き捨てながら、男たちは元の場所へと帰っていった。
「……ふぅ。どうにか無事にすんだようだ。もう安心していいぞ、アーサー」
マーリンが額の汗を拭い、事態の終息を告げた。
「す、すまないマーリン、俺が軽率だった……!」
「いや、事前にこの国でのタブーを伝えておかなかった私も悪い。今度からはお互いに注意するとしよう」
「そうよ、今度から気をつけなさいよねあんた!」
「うう、すまない……本当にすまない……!」
俺はしょんぼりと肩を落とした。お国柄というか、その土地の文化を舐めていたわけではない。だが、不用意な一言は身を滅ぼすということを俺は身を以って知った。
恐縮する俺の様子にガウェインは調子良く先輩風を吹かせると、「それじゃあ私、ちょっと行って来るわね」と鼻歌交じりに俺たちと別れた。結局、後で持ち帰りを頼むことを条件に、マーリンがお好み焼きを食べに行くことに許可を出したのだ。
「さて、そろそろ私たちも行くとしようか」
「ああ、俺のせいで遅れてしまったけど、時間の方は大丈夫なのか?」
「何、たいした遅れではない。急がなくても十分に間に合う」
マーリンは俺を安心させるように悠々と頷き、俺の先を歩いた。
俺は気を取り直して彼女の後ろに付いて歩き、町の様子を観察した。
日本と非常に似た文化を持つ日ノ本だが、しかし、互いの文明基盤には大きな違いがある。
日ノ本には電気や化石燃料を動力源とした機械など発明されておらず、車や携帯、テレビなどの科学機器は当然存在しない。しかしその代わりとして、日ノ本には《マギテス》なる魔法技術が存在し、魔力を動力源とした様々な機器が科学技術の差を補うように存在する。
魔法の光を放つ照明、熱を発する調理器具など。日本の日常で見るそれと同じものが日ノ本の生活に浸透し、町の人々も何の疑問も抱くことなくそれらを使いこなしている。
(そのせいなのかな? 異世界なのに微妙に親近感を覚えるんだよな)
俺の隣を通り過ぎていった西洋甲冑姿の傭兵をまじまじと見つめながら、「まあ、こういったところには大きな違いがあるけど」と一人呟いた。
日本建築の家の玄関先で、中世ヨーロッパに見られる服装をした若い男が馬に乗りながら、家主であろうローブ姿の老人と話し込んでいる。交番の前では青い鎧を着込んだ厳つい中年男性が、馬車を引き連れている外套姿の商人に道を教えている。他にも至る所で西洋姿の住民たちが日本の風景に溶け込み、さも当然と往来を行き来していた。
「なんでもありの異世界とはいえ、酷くシュールな光景だな……」
建物や文化は現代日本なのに、生活している人間は中世ヨーロッパの人たちなのだ。日ノ本は根本的な部分で日本に似ているせいなのか、親近感と同時に違和感も覚えてしまう。
「やはり、君はまだこの世界には慣れていないようだな」
「う~ん……ある意味下手な異世界よりは慣れやすいんだろうけど……なんていうか中途半端に日本なんだよなぁ、この世界」
「ふふ……何、いずれ慣れるだろう。君もすぐさ」
マーリンは全てお見通しであるかのように放言した。
「……そういえば、マーリンは俺に日本のことを聞いてこないよな? 俺の面倒を見てくれる代わりに、日本のことを聞きたいんじゃなかったのか?」
旅が始まってから今まで、俺はマーリンに日本のことを何一つとして聞かれていない。学者肌っぽそうなマーリンからしてみれば、異世界である日本の文化や技術なんぞ、さぞ興味がありそうなものだが……。
「もちろん日本について聞きたいことはいくつかある。だがそれよりも先に、君に待ち人を紹介したいのだ」
「んん? その人は、そんなに俺にとっては重要な人なのか?」
俺が小首を傾げれば、マーリンは大きく首を縦に振った。
「誰なんだろ? もったいぶらずに教えてくれよ」
「そうだな……楽しみは取っておくべきだと思っていたが、流石に悪戯心が過ぎるか」
マーリンは若干含ませた言葉を放つと、俺に向き直った。
「どうか驚かないで聞いてほしい。その待ち人とは、実は――」
――続くマーリンの言葉を、陶器の割れるけたたましい音が遮った。
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