第4話 シマネ マギテスと、これから
マーリンが語るにはこうだ。
日本に良く似たこの世界の名前は《日ノ本》。
日ノ本は四十七の国が集合する連合国家であり、それぞれの国が自治権を持って独立運営をしている分裂国家でもあるそうだ。
それぞれの国は王を頂点とした王権制度を行っている国もあれば、それぞれの部族の代表に統治されている国もある。酷い所では治める者もおらず、日々内乱に明け暮れている国もあるらしい。
「そんな所になんで俺一人だけ迷い込んだんだ? あれか、異世界から来た勇者が世界を救うとかいう、そんなありふれた伝説みたいなものがこの国にはあるのか?」
「いや、そんな都合の良い伝説はこの国には存在しない。しかし、私は似たような事例をひとつ知っている。だから『もしかすれば君もそうなのでは?』と疑っただけだ。まさか、それが本当にそうだとは思わなかったが」
マーリンは小さな湯のみに淹れられた煎茶を一口すする。続いて落雁・羊羹・求肥を三層に固めた島根銘菓の和菓子、《出雲三昧(によく似た和菓子)》を一切れほお張り、満足そうに一息つく。固さの異なる三層の食感の名残を楽しみ、その上品な甘さの余韻に浸る。
あの後、「ここで立ち話もなんだろう」と、マーリンに案内された場所は六階立てのそこそこ大きな建物だった。
頂上の一室からは出雲市――いや、イズモの街中が見渡せるこの建物は、シマネに作られた砦のひとつであるとマーリンはうそぶくのだが、俺にはただの市役所にしか見えなかった。現に、そのガラス張りの多い建物の所々には観光マップや名物のポスターが張ってあり、とても戦いに備えた砦であるようには思えない。
「なんだか、雲行きがおかしくなってきたな……」
俺は椅子の背もたれに体を預け、ドッと押し寄せてきた疲れに浸った。
「ドッキリ――にしちゃ、やっぱり規模がでかすぎるか……?」
俺の呟きに、マーリンは再度湯のみを口元に運ぶと、空になったそれをテーブルの上に置いた。
「ドッキリか……。『私たちが嘘をついている』。そう思うのは自然だ。いきなり異世界と言われてもピンとこないだろう。ならばアーサー、君の世界に《マギテス》が存在するのかどうか聞きたい」
「マギテス?」
聞きなれない単語だと、眉を寄せてみた。
「正式な名称は《マギア・テスタメント》。別名、《魔術聖典》と呼ばれている、この世界の人々が持つ特殊な能力のことだ。マギテスを扱える者は炎を呼び寄せたり、水を意のままに操ることができる」
「あ……さっきガウェインや泉さんが使っていた、あの不思議な力のことか!?」
「そうだ。君の世界にはそのような力が存在するのか?」
「いや、あんな超常現象を起こせる人間は俺らの世界にはいない。創作の世界やおとぎ話程度だ。――と言っても、《手品》っていうまやかしの技でそういう風に見せたりもできるけど」
完全には信用できないと俺が態度で表すと、応えてマーリンが席を立った。
「ふむ、まやかしか。では直接見せた方が早いだろう」
マーリンは俺の手を持つと、――先ほどの騒動で傷つけたのだろうか。俺の手の甲についていた小さな傷口に、彼女は空いている方の手をかざした。
「大いなる慈悲のもとに、癒し、清めよ」
詠唱に伴い、彼女の手が微かな光で瞬いた。光の先からこぼれた燐光が俺の手の傷口へと染み込み、そして次の瞬間には傷口が全て塞がっていた。
「おお~~……!」
俺は手をひっくり返したりして裏表を確認したが、どこにも傷口は見当たらない。
「これがマギテス……本当に魔法みたいじゃないか!」
しきりに感心してみせる。マーリンは満足気に椅子に座り直した。
「どうかな、これでもまやかしだと?」
ふんすと可愛らしく鼻を鳴らす少女の姿に、俺は「おみそれしました」と頭を下げた。
「けどまいったな……話が全部本当だとすると、俺はこれからどうすればいいんだ……? 異世界に一人で放り出されたってことだろ……?」
当ての無い視線を窓の外へと投げた。
俺の目には相変わらず、現代社会の日本としか思えない光景が映っている――かと思えば、所々におかしな点があることに気付いた。
日本では所狭しと乱立していた電柱が、ここでは一本も存在しない。延々と続くと思われた町並みも、中途半端な所でぱったりと途絶えており、その先には森林や何も無い平地が広がっている。よくよく見れば建物の所々は補修されており、もう何十年、いや何百年以上も昔から修復して使っているのだということが知れた。
「本当に、ここは日本じゃないんだな……」
空虚な感覚が胸に湧き起こり、急に心寂しい気分になった。
――これは夢であって欲しい。そう思って頬をつねってみるが、悲しいことに「これは現実だ」と痛みが答えてくれた。
一人でその事実を噛み締めていると、不意に部屋のドアを誰かが叩いた。
「マーリン先生、準備が整いました」
呼びかけに続き、二人の少女が部屋の中に入ってきた。
ガウェインとランスロットだ。一人は俺からそっぽを向いたまま、そしてもう一人は相変わらずの穏やかな物腰で微笑んでいる。
「そうか、ありがとう。ではそろそろ出立するとしよう」
マーリンは席を立つと、壁に立てかけてあった杖を取った。
「何処かに行くのか?」
「ああ、私は元々、この国――シマネの人間ではない。用事も済んだ。後は教え子である彼女たちを連れて、故郷であるオカヤマに帰ろうと思う」
「いいっ!?」
俺は顔色を変えて席を立った。
見ず知らずの世界に放り出されたというのに、その事情を知る人間が早くも俺の前から去ろうとしている。本格的に独りにされてしまうのは俺としては少し――いや、かなりまずい。
だが、その後に続くマーリンの言葉は、俺の予想の外にあった。
「安心しろアーサー、私は君を置いていくつもりはない。もし君さえ良ければ、私たちと一緒にオカヤマに行く気はないだろうか?」
「え……いいのか?」
俺としては天の助けに思える言葉だったが、代わりに泡を食ったのはガウェインだ。
「ほ、本気ですかマーリン先生!? こんな見ず知らずの男と一緒に旅をする気ですか!?」
「そのつもりだが、何か問題でもあるのかガウェイン?」
しれっとしたマーリンの即答に、ガウェインは「ぐぬぬ……」と唇に力を込めた。続いて抗議しようとする彼女を、「先生にはお考えがあるのですよ」とランスロットが宥めた。
「俺からすればありがたい提案だけど、ガウェインの言うとおり、俺は見ず知らずの人間だけどいいのか? そっちには、何もメリットが無さそうだけど」
「いや、私にも十分にメリットがある。異世界から来た人間との見聞には私も興味があるからな。この話は君の知識を引き換えにした交渉だと思ってもらえればいい」
「……なるほどな、そういうことか。それなら答えは『よろしくお願いします』だ」
俺は手を差し出して、マーリンと握手を交わした。互いに益がある以上、断る理由も無い。
「では交渉は成立だ。この世界のことは道すがら教えるとしよう」
彼女は締めくくると、とんがり帽子を被り、俺と少女二人を連れて部屋を出ようとした。
「――と、その前にアーサー、老婆心ながら君にひとつだけ忠告しておこう」
「ん? 何かまだあるのか?」
急にあらたまった態度のマーリンに、俺は怪訝な表情を浮かべた。
「いいかアーサー、むやみやたらと他人の言うことを信用するな。君はどうも他人を疑うことになれていないようだが、もし私たちが人さらいの類であった場合はどうする気だ? 君は物珍しい異世界の人間として売り飛ばされ、一生奴隷生活を送る羽目になっていたのかもしれないのだぞ?」
「…………確かに、言われてみればそうだよな」
「そのことは考えていなかった」と、俺は恥ずかしくなって頬をかいた。
――ここは平和な日本じゃないんだ。出会う人全てが俺を助けてくれるわけじゃない。中には率先して俺を騙して、利益を得ようとする人間もいるはずだ。
だが、それでも。
「でも、マーリンは良い人だったから良かったじゃないか」
俺は馬鹿正直に述べた。
その言葉にマーリンは顔を逸らし、「そういった所が駄目なのだ」と、小声で駄目出しをした。そしてそのまま、彼女は何も言わずに部屋を出て行った。
「ありゃ、怒らせちゃったかな……?」
「ふふ、どうでしょうね?」
困惑する俺の様子に、隣で成り行きを見守っていたランスロットが悪戯っぽく微笑んだ。
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