第2話 シマネ 少女と、決闘
「な……ななな……!?」
少女は口をパクパクと動かしながら、まるで通りすがりの変態に出くわしたかのような、驚きの形相を浮かべている。
まず目につくのは活発そうな黄金の髪と瞳だ。体つきはまだ発育途中で、年は十七の俺より一つか二つ下といったところだろう。彼女はなぜか下着すら身に付けていない状態で、手に持っていたバスタオルでかろうじて大事な部分を隠したまま、じりじりと俺から距離を取り、警戒心を極大まで引き上げている。
「あ、いや、これは違うんです!? 別に覗きとかじゃなくてですね!? き、気が付いたら僕はいつの間にかここにいてですね!?」
俺はわたわたと謎の手の動きを見せながら弁明を試みた。しかし、少女が問答無用で傍らに置いていた刀を抜き放つ姿を見て、
「す、すいませんでしたああぁぁぁぁっっ!?」
生命の危機を感知。部屋の入り口の引き戸に目掛けて猛然とダッシュ。引き戸を力の限りに開け、そして叩きつけるように閉めて逃げ出した。
「待てこの覗き男おおぉぉぉぉっっ!? 逃げるなああぁぁぁぁっっ!?」
「うわ、追ってきた!?」
少女は見事な業前で引き戸を一刀両断。そのぎらつく刃で俺を指し示し、バスタオル一丁のまま猛追してきた。
「よくも美少女の着替えを覗いてくれたわね!? あんた、罰として一回斬られなさい!?」
「ごめん、それは勘弁して!? そんな物騒なのに斬られたらタダじゃ済まないんで!?」
「そこを騙されたと思って、試しに一回斬られてみなさいよ! 意外と平気かもしれないじゃない!? こうやって、首を『スパァッ!』って一撫でするだけよ!?」
「アホか!? そんなことしたらお試しどころか一発で死ぬわ!?」
「大丈夫よ! 先っちょだけ! ほんの先っちょだけだから!」
少女は台詞と瞳に狂気を滲ませながら、俺の後ろを追う。
流石に覗きひとつで命を獲られる謂れはない。俺は生存本能で体のリミッターを全て外し、神社の中を人外とも呼べる速度で爆走した。
第一、第二セクターと、そして最終セクターまでもつれ込んだデッドヒートは、はたして、俺の勝利で終わった。
「捕まえたぁぁぁぁっっ! ――って、あふんっ!?」
奴は最終コーナーで曲がりきれずにこけた。コーナーの直前で俺はわざと足を緩めて、追いつけると確信した少女を曲がりきれない速度にまで加速させたのだ。
「馬鹿め、油断したな!? まんまと罠にかかってくれたわ!」
俺は板張りの廊下を無様に転がる少女に向かって吐き捨て、ほくそ笑む。最後の詰めとギアを一段階引き上げ、己の限界をさらに超えて神社の中から外の世界へと羽ばたいた。
「待ちなさい! 待ちなさいったらこの変態! 反省して首くらい置いていけ!?」
それは無理だ、今の俺はこんなにも命が惜しい。転んだ姿勢のまま刀をぶんぶんと振り回す危険人物の非難を背に、俺は命からがら本殿から松の参道へと逃げていった。
唐突だが、島根の出雲大社には一匹の鬼がいることをご存知だろうか?
多くの人は「知らない」と答えるだろうし、俺もそんな話は聞いた覚えはない。だが、鬼は確かにそこにいた。
その鬼に相応しい形相をした《奴》は、一人の少女の輪郭を形取っていた。
鬼は全身を中世ヨーロッパ時代に見られる鉄の白鎧で固く守り、しかしなぜかその下にはしなやかな紋付袴姿という奇妙な格好をしている。鬼の手には日本刀が一本握られており、その白染めの刀身は、鬼の荒々しい呼吸に合わせて太陽の光をぎらぎらと反射していた。
西洋の騎士とも東洋の侍とも見える不思議な身なりをしたその鬼は、全身から殺気を迸らせながら、先ほどからずっと境内をうろついていた。その動きは何かを探しているようだった。
「ドコダ……!」
鬼は血走った目で周囲を探った。そして飢えた野獣の如く、鼻を一度二度と鳴らした。
「ソコカッ!?」
彼女のセンサーが気配を察知し、即座に刀を一閃。境内に植えられていた樹木の一本が、横から二つに断たれ、豪快な音を立てて地に倒れた。
すかさず鬼が木の裏に回りこんで成果を確認するが、そこには誰もいない。
「キノセイ……カ……」
鬼は口から「フシュゥゥ」と蒸気のような息を漏らすと、大股で何処かへと去っていった。
「――こ、怖すぎる……なんだよあの怒りっぷり……!? 普通、覗きひとつであそこまで怒るか……!?」
一刀両断された樹木の真下――隠れている藪の中から一部始終を見届けていた俺は、恐怖で足がすくんでしまい、一歩も外に出ることができなかった。
「こりゃうまいことここから逃げ出さないと、俺の命はないぞ……!?」
藪の隙間から慎重に顔だけを出して、周囲の様子をうかがう。
先ほどから境内は無人で、しんと静まり返っている。あれほど大勢いたはずの参拝客の姿はなく、それどころか、神社の関係者の姿すら見えない。俺は少女から逃げた後、周りの人に助けを求めようと境内をうろついていたが、ついぞ、誰一人とて会うことはできなかった。そうして静寂に包まれた出雲大社の中で右往左往としているうちに、さっきの少女に見つかりそうになった。慌てて藪の中に隠れたまでは良かったが、少女は鼻が利くらしく、俺の隠れている場所の周囲ばかりを念入りに捜索していて、どうにも逃げるタイミングが見つからない。
「クソッ、一体全体、何が起きたっていうんだよ……!?」
もしやこれは、大掛かりなドッキリなんだろうか? いや、それともあの子が刀を持って暴れ回ったせいで、神社の敷地内にいた人たちはみんな外へ逃げていったのだろうか?
だがそうした場合、当然通報なりなんなりはしているはずで、今ごろあちらこちらでサイレンが鳴り響き、警察官や警備員が押し寄せてくるはずだ。しかしいくら耳を澄まそうとも、逃げる人々の悲鳴はおろか、やかましいパトカーのサイレンすら聞こえてこない。例えドッキリだとしても、国宝指定されている重要な文化財をまるごと使用できるはずがない。
他にもおかしいことがある。
「こっちも相変わらずか……」
街中だというのに圏外で使えなくなった携帯を忌々しげに睨みつけ、それも無駄だと諦めてポケットにしまい込んだ。
「こいつはもしかして、俺が思っている以上に厄介な事になっているのかもしれない……」
唇に親指を当てながら、俺は一度状況を整理してみることにした。
神様が見せた謎の光と地震。いつの間にか別の場所に立っていた俺。銃刀法で守られたはずの日本で平然と刀を振り回す少女。人っ子一人いない無人の境内。圏外で使えない携帯。
不自然の連続だ。これがもしドッキリや事件の類だと仮定したとしても、いくつかの事柄に辻褄が合わない。アニメやマンガなどでよくある、《異世界》に飛ばされたと言われた方が、この状況に説明がつくのかもしれない。
「……いや、流石にそれはないだろ」
それは荒唐無稽な、とても馬鹿馬鹿しい考えだ。いくら世間ではそのようなものが流行りであろうとも、精々創作止まりで、現実には絶対起こらない。俺は冷静になるべく頭を振った。
考えていてもしょうがない。まずはここを抜け出して、街の方へ行ってみよう。そうして民家なり交番なりに逃げ込めば、ドッキリだの事件だのにしろ、大体はそこで終わるはずだ。
そう結論づけ、逃げるタイミングを見つけるべく、藪の外をうかがおうとした時だ。
「――そこで何をしているのですか?」
「ふぁいっ!?」
思いもがけぬタイミングで後ろから声をかけられ、危うく心臓を口から吐きそうになった。俺は藪の中から逃げようとして失敗して、足をもつれさせて盛大にこけた。
――見つかった、斬られる!? そう覚悟して腕を交差させ、体を守った。
だが、数秒ほど待とうとも、一向に斬られる気配はない。疑問に思って腕の隙間から視線を通せば、俺に声をかけたのは奴ではなく、一人の美しい少女だった。
俺はハッと息を呑んだ。
彼女の年は俺と同じほどに見えた。深い青の長髪に、潤う瑠璃色の瞳。お淑やかに佇む物腰に、しかしその身を包み込むのはぴっちりとしたウェットスーツに似た奇妙な服であり、しかしグラマラスな彼女の肉体も相まって非常に艶かしい。そしてそれらに劣らぬ繊細で端整な容姿が、彼女に可憐という花も添えている。
「おお~……!」
お淑やか美人の持つ清楚さに目を見張り、対比する蠱惑的な格好に唾を飲む。俺は気分を高揚させ、心配そうにこちらを見つめる彼女に声をかけようとして、――そこで彼女の手元で物騒に光る、一振りの刀の青光りに射竦められた。
「あわわ……まさかこの子は、奴の仲間……!?」
全身から油汗が噴き出した。「あの……どうかしましたか?」と、こちらの挙動を不審がる彼女に何と返そうかと、俺はパニックになった頭で必死に考えるが、
「――見つけた! そんなところにいたのね!?」
なんとタイミングが悪い。騒ぎを聞き、奴が駆けつけてきた。
「チィッ! 見つかったか!?」
俺は跳ね起きついでにバックステップで二人から距離を取り、一目散に逃げ出した。
「えっと? これはどういう状況なのでしょうか?」
全く状況が飲み込めないのか、青髪の少女がのんびりと首を傾ける。
「ラン姉! そいつが覗き魔よ、捕まえて!?」
黄金髪の少女が刀を突きつけて俺を示すが、だが距離はもう十分にある。奴と、ラン姉と呼ばれた少女の二人がかりに追われようとも、女の足では到底追いつけまい。
「あら、それは大変ですね。わかりました、私が足止めをしましょう」
青髪の少女はのほほんと言ってのける。
――正気か? もう三十メートルほど差がついているというのに、それをものともしないほどにまで、彼女は足が速いというのか? 後ろを振り返り、いぶかしむ俺の目に映ったのは、美麗な所作で刀を天に掲げる青髪の少女の姿だった。
「煌け透水! 我が呼びかけに応え、深より集え!」
凜とした声が、地に染み渡るように響く。その声が端を発し、俺の行く先の地面が不自然に揺れたかと思うと、間欠泉のように水柱が生まれ、それは壁となって俺を遮った。
「――ッッ!?」
俺は足を止めきることができず、水の壁にぶつかった。水流の噴射力の前に容赦なく跳ね返され、参道の砂利道に尻餅を突いた。
「み、水が……勝手に……!?」
自由自在にその姿を変えながらも、俺を威嚇するように横に広がっていく水柱は、まさか、あの青髪の少女が呼び寄せたものなのだろうか? 俺は驚きに水柱と青髪の少女を交互に見比べた。すると、今度は前触れなく炎の波が地を駆け抜けて水柱に激突し、水の壁を一瞬で蒸発させた。
「うわわ!? 熱ッッ!?」
何が何やらわからない。水が意思を持って動いたかと思うと、お次は炎だ。俺が虚を突かれた顔で水蒸気の立ち昇る宙を見つめていると、砂利を踏み鳴らす音が響いた。
「ようやく捕まえたわよ」
白刀の切っ先を俺の喉元に突きつけた少女は、「さて、どうしてくれようか」と逡巡する。
俺は刃の威圧感を前にして、喉を一度鳴らし、そして観念した。
「降参だよ……そんな魔法みたいな手を使われちゃあ、俺も潔く諦めるしかないな……」
両手を上げて無抵抗の意思を示した。
流石に、水だの炎だのを自由に操ることができる人間から逃げ切ることは難しい。「煮るなり焼くなりご自由にどうぞ」と投げやりに立ち、体についた汚れを払った。
「あら、結構潔いのね?」
「まあ、不可抗力とはいえ覗きになったことは事実だからな。俺も男だから覚悟を決めるよ。……それで、俺をどうする気だ? その刀で真っ二つか?」
挑発気味に彼女と目を合わせた。
「ふん、見くびらないでよね。一回の覗きで人を斬るほど、私はそんなに心の狭い人間じゃないわよ」
黄金髪の少女は不敵に笑い、刀を下げた。
(なんだ、意外と話の通じる子じゃないか)
我を忘れて怒り狂う様からに、俺はすぐにでも切り捨てられるだろうと覚悟していたが、それも杞憂に終わりそうだ。
――助かった。俺は存外に常識人であった彼女を見直し、
「だから私と決闘しなさい。それならあんたを大々的に斬っても問題ないでしょ?」
即座に訂正。やっぱりこの子は非常識だと認定した。
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