日ノ本アーサー王伝説 ~都道府県編~
アカサオオジ
第1話 導入 大国主大神と、願い事
高校二年生の春。修学旅行の一環として、俺は島根の出雲大社に来ていた。
「そこのお主。お主には、《願い》というものが無いのか?」
出雲大社の参拝を終え、自由行動の名目に境内を見て回り、拝殿、神馬神牛、四の鳥居をくぐり松の参道を歩いていた時だ。前触れも無く後ろから現れた男に声をかけられた。
「…………は?」
振り返り、男のその珍妙な姿を認めて早々、俺は間抜け面を晒した。
弥生時代の人間が着ていそうな白布の服。長い髪を耳元でひょうたんのように結んでいる奇抜な髪型(後で知ったが《みずら》と呼ぶらしい)に、鍛え上げられた体格。男は腰元に下げた古びた剣からカチャリと音を立て鳴らし、「物珍しげなものを見た」と言いたげな顔で俺の顔をじろじろと眺めている。
「ど、どなたですか?」
「わしか? わしは《大国主大神》だ。この出雲大社の祭神である――と言えば、お主にも通じるであろう」
「は、はあ……。大国主大神……様ですか?」
男の古びた物言いに、俺はちらりと横を見た。
俺の視線の先には、出雲大社の祭る神である《大国主大神》の像がぽつんと置いてある。男の格好はその像にそっくりだった。
《大国主大神》とは国作りの神様として有名だ。日本の基盤を作り、そして後に天津神に国を譲ったことから、《国譲りの神》とも呼ばれている。有名なエピソードのひとつとしては《因幡の白ウサギ》等がある。
(これってもしかして、神社のイベント……? 神社の関係者が神様のコスプレをして、参拝客の願いを聞いて回っているとか、そういうのか……?)
一人で考え込んでいると、その男は「して、お主の名は何という?」と値踏みの視線を向けてきた。
「亞々沙――龍秀亞々沙(たつひでああさ)です」
「ああさ? なんとも珍しき名をしておるな? お主の親が名付けたのか?」
「そうです。俺の母親が《アーサー王伝説》のお話が好きで、そこから取ってきたんじゃないかって祖父母から聞きました。実際、母親からは『アーサー』って呼ばれていますし、多分、その通りなんだと思います」
「ほう、今しがたの流行ごとである、《きらきらねいむ》と言うものか」
何を感心する必要があるのか、神様(?)が神妙に頷いた。
「では、《ああさあ王伝説》とは何だ?」
「あー……実は俺も、それについては詳しく知らないんですよ」
「ふむ? 己が名の源流となったものを、お主は知らぬというのか?」
「はい、逆にそう聞かされると興味を無くしてしまう性質でして……」
「ほう、それもまた珍しき性分だな」
神様はまたしても正直に首を縦に振る。
「あの……ところで俺に何か用があるんですよね、願いがどうとか聞きましたけど」
「おおそうだった。何、先ほどのお主には《願い》――つまり《祈り》が無かったように感じられたのでな。それが心に残り問うたまでよ」
「祈り……ですか?」
「うむ。お主はこの場所に《参拝》に来たのであろう? 参拝とは、神仏に祈りを捧げる行為を指す。己の持つ悩みを打ち明け、解決、成就することを神に願う行いだ。それなのに先ほどのお主は、神に何も願っていなかった。つまり、祈りが無かったのだ」
神様は腕を組み、「人の身であるならば、何かひとつやふたつの望みごとはあるはずだが……」と呟いた。長年神道に従事している人は、参拝客がどんな願いをかけたかわかるものなのだろうか?
「あー……確かに何も考えてなかったかもしれないですね。俺自身、特に叶えたい願いがあるわけでもないですし」
「本当に何も無いのか? 富が欲しい、名声が欲しい。頭がよくなりたい、伴侶が欲しい。やれ、ふぁみこんが欲しい。数え切れぬほどあるであろう?」
「ふぁ、ふぁみこん? ……いや、やっぱり無いですね」
「ほう、やはり昨今の若者にしては珍しき、殊勝な心がけだ。――よしわかった、では今ひとつ、何か願いを思い浮かべてみよ。特別にその願いをわしが叶えよう」
神様は腰元の剣を抜き放つと、逆手に持ち替え、その剣先を地面に置いた。
「そう言われても……本当に、神様に叶えてほしいことなんて無いんだけどなぁ……」
頭をかく。俺は無欲な人間というわけでもない。あれこれとしたいこと、叶えたいことはそれなりにある。だが単純に、神頼みという不確実で他力本願なものにすがる気がないだけだ。
「う~ん……じゃあ、母親の願いを叶えてください――ていうの駄目ですか?」
とはいえ所詮はイベントなのだからと、パッと思いついたものを口にした。
俺は父親を早くに亡くし、母子家庭で育った。母親は少々スパルタ気質があったものの、立派な人で、俺をしっかりと育ててくれた。もしも神様が願いを叶えてくれるというのなら、その母親に苦労をかけた分の恩返しとして、こういった願いを言うことも悪くないはずだ。
「ふむ、お主の母親の願いを叶えることがお主の願いか。それはますますもって気に入った」
神様は破顔すると、「ではその願い、聞き入れよう」と、剣を垂直に持ち上げた。
「むん!!」
腕に力を込め、気合の声とともに剣の切っ先を地面に突き刺す。
途端、地面は剣を中心にして力強く波打ち、それに呼応するように、剣の刃から眩い光が生まれた。
「え!? ちょっ、待――」
光は世界すら覆い隠すほどの閃光となり、俺の視界を埋め尽くしていく。俺は手を壁にして光を遮ろうとしたが、まるで無駄だった。
それは時間にすれば数秒の間の出来事だった。明滅と振動の後、蛍光灯のスイッチが切れたように、光と揺れは突如として途絶えた。
「お、終わったのか……?」
俺は恐る恐ると構えを解いた。
とんでもない光量を間近で浴びたせいで、目がチカチカする。「いくら何でもやりすぎだろう。目が潰れたらどうする気なんだ」と、自称神様に向かって文句のひとつでも言ってやろうかと口を開きかけ、
「えっ……あ、あがが……ッッ?」
そこで俺は、情けなく開口したまま固まった。
なぜだろう。先ほどまで俺は出雲大社の境内にいたはずなのに、いつの間にか神社の室内に立っている。
いや、そんなことはこの状況においてさして重要なことではなかった。最も重要なことは、俺の前に立っていたはずの神様が、なぜか一人の女の子と入れ替わっていたことであり、そしてその女の子が、一糸まとわぬ姿で呆然と立ち尽くしていたことだった。
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