02.因果応報

 



「……ぅ、うぅっ……」


 呻くような声が響いた。それは自分の口から漏れ出した音のようだ。微かに喉が動いた感覚がする。


 女性はくらりとする頭を持ち上げるように瞼をあげ、歪む視界の中、屋内を見つめた。まだ焦点の定まらぬその中では、やけに白が目立っている。

 そう言えば、鼻腔をくすぐる香りは薬品のそれだ。ということは、ココは病院……?


 思考しながら、彼女は体を起こそうと僅かに動いた。結果、それが拘束されていることに気がつく。これはどういうことか。

 少しばかり身じろぐことしか出来ぬ現状に冷や汗をかいた女性は、ガチャガチャと己を拘束する枷を大きく揺らした。それにより、屋内で仮眠をとっていた人物が目を覚ましたようだ。「んーっ!」なんて声を上げながら、伸びをしているのが確認出来る。


 あれは誰か。


 女性は身構えながら、まだ歪む視界の中、相手を認識しようと努めた。その結果が悲惨な結末を生むことを、彼女はまだ理解出来ていないもようだ。


「あ、おはようございます」


 なんて呑気な挨拶だろうか。

 目覚めの挨拶を口にしたそれは、声からして男。やや高めの音は酷く穏やかで優しさ溢れるものだった。なんだか力が抜けていくと、女性は僅かな安堵を覚える。


「あ、あのっ。ここどこですか? 私、会社にいたはずなんですけど……」


「ここですか? そうですねぇ……知らない方がいいと思います」


「え?」


「それより視界は安定してますか? 吐き気は? 頭痛とかありませんかね?」


 投げかけられる問診に、女性は戸惑いながら首を横に振った。が、すぐに「あ、視界がちょっと歪んでます」と素直に自身の状態を口にする。


「歪んでる……なるほど、だからですか……」


「へ?」


「いえ、こちらの話です。それより、ちょっと安定剤投与しましょうね。そしたら少しはマシになるでしょう」


 楽しげな声は少しして、ガチャガチャと何かを漁る音にかき消された。女性は軽く眉を寄せ、首を傾げる。


「あの、なにを……」


「言いましたよね。安定剤を投与するって。大丈夫、ちょっとチクッとしますが危険なものではありませんよ」


「は、はぁ……」


 ということはつまり、注射か?


 そんなの医者じゃないのに大丈夫なのだろうかと悩むも、先の問診からすると目の前の彼が医者である可能性も否めない。


 ここは大人しくしておこう。


 女性は軽く身を縮めながら、近づいてきた男に目を向ける。やはり歪んでいる視界の中、ハッキリとは見えない男の顔は、されど彼女に恐怖は抱かせなかった。寧ろ、得たのは安堵。そして認識できたのは彼の色であろう黒と白。それだけだった。


「はい、じゃあチクッとしますよ〜」


 言って取られた腕に、注射が刺される。されど全くと言っていいほど痛みのなかったそれにこれは手練だと感心していれば、ボヤけた視界が晴れていく。そして、晴れた視界の中、確認できたのは整った男性の顔……。


 黒曜石のような黒い瞳に、顔の左側だけが長い、やや癖のついた短い黒髪が印象的な男性だった。

 男性が身に纏うのは白い白衣で、その下の衣服は全て黒で統一されている。

 なるほど、自分が認識したのはこの色だったか。

 女性は考えながら、ポッと頬を赤く染める。


「どうです? 視界は」


「あ、はいっ! お陰様でよくなりました! 凄いですね! お医者様ですか!?」


「医者? いえいえ、そんないいモノではありません。俺はしがない研究者。ただそれだけです」


「研究者……」


「それより、良いんですか? 隣の方々の心配しなくて」


「隣?」


 言われて初めて気がついた。自分の両隣に二人の男がいることに。

 彼らは同職の男たちで、名前は立花と友井という。ある過程で協力関係を結んだ覚えのある連中に、女性の顔からサッと血の気が引いていく。


「出来るだけ残酷に殺してくれとのお達しが来ておりましてね。彼らには俺が作成した新薬を投与させていただきました。死ぬまで悲鳴もあげられずに苦しみ続ける最高の一品です。お陰であなたはすやぁ、と大人しく眠っておられましたね。隣で死に行く同僚のことにも気づかずに……」


「ひっ!」


 今の発言で分かったのは、両サイドの彼らが既に事切れていること。そして、それを殺したのは目の前の男だということ。それだけだった。


 女性は完全に青ざめ、身を引いた。トンっと背中に当たる壁の感触が憎たらしい。


「あなた、随分非道なマネをしたそうですね。一人の女性を追い詰めたとか? 男と協力してその女性を強姦したとか? いやぁ、女って怖い」


「し、知らないわよそんなことっ! 私は無実なんだからっ!」


「証拠はバッチリ出てるんですよねぇ、これが」


 ほら、と見せられたのは、今職場で嫌悪している女の強姦写真だった。どこでそれをと表情を固くすれば、「いけませんねぇ」なんて言って笑われる。


「人を呪わば穴二つ、ですよ。まあこの場合イジメなんですけどね、ただの」


「しゃ、写真に私は写ってないわ! 私は何もやってないっ! その場にはいなかった!」


「あなたの職場の方から話を聞いたところによると、女子トイレに鍵をかけて暫く扉の前にいたそうですね。中からは泣き叫ぶ女性の声が聞こえていたとかなんとか……」


「皆で私を嵌めようとしてるの! そうよきっと! ねえお願い、信じてっ! 私はほんとに何もしてないの!」


「俺が信じるのは情報操作に特化した第三班が得た情報。それだけです」


 写真が投げ捨てられ、床を滑った。女性は絶望の色を顔に浮かべていたかと思えば、すぐにハッとしたのか自由な足を使って男に攻撃しようと試みた。なんの前触れもなくいきなり振り上げられた彼女の足に、男が反応できるかと言われれば否……なはず、なのだが……。


 べきょり。


 嫌な音をたて、振り上げたはずの女性の足が折れ曲がった。あまりにも悲惨な折れ方をした為か、肉を、皮膚を突き破り白い骨が外に飛び出してしまっている。


「あぁああああぁあああああ゛ッ!!!!!」


 あまりの痛みに絶叫する女性。そんな女性の顔面を黙らせるように鷲掴み、壁に叩きつけ赤い花を咲かせたのは、一人の男だった。短い白髪の似合う、黒目の男だ。

 目と同色の衣服に身を包んだ彼は、深緑色のコートを羽織っている。女の頭を押し潰した手には黒いレザーグローブが嵌められており、それは今し方の行為により僅かに赤く染ってしまっていた。


「ああ! ゼロ! なんてことを!」


 白髪の男を押し退け、白衣の男は亡骸となった女の前へ。血に染るその肩を汚れるのも厭わず掴むと、ガクガクと前後に揺すった。


「俺の! 新しい! モルモットが!!!」


「……悪い、黒鈴(こくれん)。黒鈴に手を……ああいや、足をあげようとしていたから、つい……」


「まあ、まあ事情は概ね理解出来るのでなんとも言えないんですがね、ええ、はい……」


 ぐすん、と鼻をすすり、黒鈴と呼ばれた男は女の死体から手を離した。そして、それらの写真をスマホで撮影すると、その写真をどこかへ送信。スマホを仕舞い、息を吐く。


「やってしまったなら仕方ありません。一先ず我々の仕事はここまでです。後は回収人に死体を任せて、俺たちは三時のおやつでも楽しみますかね」


「黒鈴。もう16時だ」


「じゃあ四時のおやつで」


 二人は会話し、部屋の外へ。残された死体は、ただ虚しく、そこに放置されていた。

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